しばらく聖女の力に呆けていた私は、こんな力を持った人間に勝てる気がしない、と立ち尽くしていた。
それにしても店主が言っていた、受け取った物が爆発したっていうのは……誰かがこの小火を意図的に仕掛けたって事?タイミングよく聖女が現れるのも気持ちが悪い感じがする。
そのせいで罪もない民があんな大怪我を負う事になるなんて。
そんな事を考えていると、ヴィルが聖女の力を見て「さすがだな」と呟いている声が聞こえてきた。
その言葉を聞いた瞬間、現実に引き戻された感じがして、こうして2人は親密になっていくんだと嫌な予感がひたひたと近寄ってくる。
足が地面に張り付いたみたいに動かない。
「もう!ヴィルが引き止めていなかったら、もっと早く着いていたのに……」
聖女様はヴィルのところに行って文句を言っていた。ヴィル、か…………随分仲良しみたいだし、これは決定的かも。
「オリビア様!ご無事で!」
イザベルがそう言って一番に駆け寄ってきてくれたので、何だか泣きたい気持ちになってきた。今はこの場から一刻も早く去りたい。
「……私たちの出来る事は終わったわね。汚れてしまったし、あとは衛兵に任せて帰りましょう」
「え? あ、え?」
イザベルが私とヴィルを交互に見て、いいのだろうかといった顔をしたのでリチャードにも声をかけた。
「リチャード!馬はどこ?もう遅くなったから伯爵邸に帰りましょう」
「はい、ここに!」
私はすぐに馬に跨って、ヴィルの元に向かった。全身汚れた姿だけど仕方ないわよね。失礼のないようになるべく笑顔で。
「オリビア?」
「それでは、王太子殿下。ごきげんよう」
それだけ告げて馬を走らせた。早くこの場を去らないといけないわ。今の自分はとても醜い表情をしているに違いない……。
聖女の力を目の当たりにした私は、自分がどう頑張っても聖女には勝てないのだという事をヒシヒシと感じてしまった。この世界には私の入り込む隙など最初からなかったのではないかと、そう思えてならない。
自分が築いてきたものが、彼女の能力によってあっという間に奪われてしまうんだという事実がショックだった。
そして多分一番ショックだったのは、ヴィルと聖女が仲良さそうにしている姿を見てしまったから。私はどこかで期待していたのかもしれない、彼はもしかしたらずっと好きでいてくれるのかも、と。
そう思いたかったのは、私が彼を好きになっていたからなのね。
自分の気持ちに気付いた時には聖女様と親密になっていたなんて、間抜けだわ。涙が一筋流れたけど、馬上の風によってすぐに流されていった。
馬を必死に駆っていると、気付いたら昼間に遠乗りに来たリュージュの丘に着いていた。
ちょうどいい、一人になりたかったからここで一休みしよう。後ろから馬の蹄の音が聞こえてきたので、アングレア兄妹だと思った私は馬から降りて、背中を向けたまま声をかける。
「イザベル、リチャード、私はここで少し休んでいくわ。先に帰って……」
「…………それは出来ない」
後ろから聞こえてきた声は、今一番聞きたいようで聞きたくない声だった。ゆっくりと振り返ると、やっぱりそこに立っていたのはヴィルヘルム王太子殿下その人。
ああ、やっぱり会いたくなかった。
さっき自分の気持ちを認めたばかりなのに、目の前にいられると、再確認してしまうじゃない。
「なぜ殿下がここに……」
「……………………」
苦虫を嚙み潰したような表情で近づいてきて私の髪をひと掬いし、キスをしている。
その目は私というより虚空を見つめている感じだった。
「な、何…………」
「………………なぜ……」
「?」
「……なぜ私は殿下で、リチャードはリチャードなのだ」
………………え、どういう事?
「? 仰る意味が分からないのですけど」
「その喋り方も、なぜそんなに他人行儀なんだ……一カ月半も会いに行けなかったから、私との距離も空いてしまったというのか?」
物凄い勢いでいじけている人がいる…………この国の王太子殿下が……。
「リチャードの事もいつの間に名前で呼び捨てるようになっていたんだ……私以外の男を呼び捨てだなんて……」
「リチャードは毎日顔を合わせているし、家族みたいな感じになったから。あなただって聖女様にヴィルって呼ばれていたじゃない」
「あれは向こうが勝手に呼んでいるだけだ……私は聖女に様をつけて敬称で呼んでいるし、名前で呼んだ事はない」
「むむむ……」
私たちはしばらく睨み合い状態が続いた。名前呼びを許している時点で、同じなんじゃないの?…………でも、なんだか言いたい事を言って、ちょっとスッキリしたかも?
久しぶりに会ってけんか腰っていうのもバカくさくなって、いじけているヴィルの顔を見て笑ってしまう。
「ふっ…………私たち、久しぶりに会って何の話をしているのかしら。バカみたいだからこの話は終わり」
「オリビア」
ヴィルは長い腕を伸ばしてきて、私をすっぽりと抱きすくめた。その力がとても強くて全く身動き出来ない。でも前と違うのは、私の全身が喜んでいる事。
悔しいからまだ伝えてあげないけど。
「はぁ…………会いたかった……」
そう呟いたヴィルの声が切実で、さらにぎゅうっと腕に力が入る。
「オリビアにはいつもそのままでいてほしいって言ってきたけど、やっぱり止める。私を好きになってほしいから、もっと努力するよ」
「……努力って?」
彼の腕が少し緩んだので私が顔を上げて聞くと、意地悪な笑みを浮かべた瞬間、唇を奪われたのだった。
この世界に来て初めてのキスの相手は王太子殿下――――それは予感していたような、願望があったような、不思議な感覚。
もう寒気は全く感じない。
好きな人の柔らかい唇の感触に身を委ねると、久しぶりの安心感と幸福感に包まれて、この世界にいてもいいと言ってもらえたような気がしたのだった。