その三日後。討伐作戦決行の当日となった。
ヘクセンラント公国の西側、アリスの領土であるウィッチガーデンの近くの草原で、アンナは魔女狩り百人とともに待機していた。
使い魔のカラスが飛んできて、アンナの肩に止まる。アンナは青空を見上げる。アリスが現れたという合図だ。遠くに、箒に乗って黒いローブを着た人影が飛んでいるのが見えた。おそらく魔女だ。
「今です!」
アンナは走り出した。ボロボロのローブを羽織り、あちこちが傷ついて汚れている……ように見せかけている。
魔女狩りがその後を追う。
「待て、卑しい魔女の仲間め!」
「逃すな! 捕らえろ!」
もちろんこれも、演技だ。アンナは逃げる振りをした。箒に乗った人影が急降下してきた。狙い通りだ。
箒の人影は猛スピードで降りてきて、アンナをつかむ。
「あなた、大丈夫!?」
アンナを抱き留めた。そのまま急上昇する。
近くで見てわかった。柔和に微笑む、黒髪の美女……手配書にあったのと同じ顔だった。
アンナは美しいと思った。白い肌、吸い込まれそうな黒く深い瞳にまつ毛。高く整った鼻に血色の良い唇。同じ女でも、見惚れてしまうくらいだ。
彼女はアンナを箒に乗りながら力強く抱き抱えていた。
アンナは怯えた顔を見せ、震えながら言う。
「あの、私……あの人たちに追われて……」
魔女はアンナに優しい声をかけ、微笑む。しっかりと抱き止められ、安心感を覚えた。
「それは、怖かったわね……ひとまず私のおうちに来なさい。かくまってあげるから」
「あなたは?」
「始祖の魔女アリスよ。もう魔女狩りは怖がらなくていいわ」
当たりだ。ターゲットとの接触に成功した。
「私のそばは、世界で一番安全なんだから」
アリスが杖を振ると、白い花が空中にふわりと現れ、集まって互いに組み合い、かごを形作った。その中にアンナを抱き上げて入れる。
「これは……」
「花の加護よ。ここにいれば攻撃を受けることはない。安心なさい」
「ありがとう、ございます……」
魔女は人間には基本的に興味はないが、魔女になる意思がある者は別だ。数少ない仲間を増やしたいという意識があるからだ。
さらに、魔女の教育を受けている者ともなればさらに貴重だ。使い魔や水晶玉など魔女のアイテムをちらつかせ、魔女狩りに追われているふりや戦いに巻き込まれたふりをすれば助けてくれることが多い。ジャンヌをはじめとして今までの魔女にも、そうやってアンナは弟子入りを成功させてきた。
アリスは、後ろを振り返った。箒の上から、魔女狩りたちを見下ろす。
「さて、ぼうやたち……こんな小さくて幼い子を大勢で追い回すなんて、よくないわね」
杖を構えた。
「いけない子には、おしおきが必要ね?」
その声音は、とても敵の大軍を前にしたものとは思えなかった。まるで、近所のいたずらっ子を見つけたときのような言い方だ。
「なめるな、魔女が! いつまでも人間を下に見ていられると思ったら大間違いだ!」
怒ったヨハンが前に出てくる。杖を上空のアリスに向けた。手柄が欲しいから、アンナの潜入前に倒してしまいたいのだろう。
「いくぞ魔女狩り諸君! 『グロース・クロイツェン』!」
呪文を唱えると、巨大な十字架がヨハンの前に現れた。他の百人の前にも同じものが現れ、アリスに飛んでいく。全て命中し、閃光と爆炎を起こした。
ヨハンたちは集中を高めることで、常人の十倍近い魔力をこめた魔法を撃つことが可能だ。さらに大人数での連携の訓練も行い、動きは統率されている。彼らは、魔導士部隊として桁違いの実力を持っている。
アリスからの反撃はない。彼らは百人で十字架を撃ち続けた。
「はあはあ、見たか魔女め、これが人間の力だ!」
やがて、攻撃は止んだ。ヨハンたちははあはあ息切れを起こしている。魔法を使いすぎると、精神力の消費により立つこともできなくなる。
しかし、煙が消えたとき……アリスは、頬に手を当てて微笑んでいた。
「人間さんなりに、魔法、頑張って覚えてきたのね……偉いわ」
「効かない? なぜだ、何らかの魔法で打ち消されているのか?」
ヨハンたちは明らかに動揺している。渾身の魔法が全く効かなかったのだから当然だろう。
「魔力が小さすぎるだけよ」
アリスはにっこりと笑いながら言った。
「ぼうや、あなたたちがやってることは、海の水をティーカップで掬おうとしているようなものなの」
「海? カップ?」
「カップの数が増えたところで、海の水をすくいきれると思うのかしら?」
ものわかりの悪い生徒に優しく諭す先生のようだ。
魔女は体が魔力でできている。倒すためには、魔法をぶつけてその魔力を削り取って行くしかない。だが、その量は、圧倒的だ。ジャンヌの時も、倒し切るのに百人が三日間魔法を撃ち続ける必要があった。そして、アリスの魔力はもっと大きいはずだ。
「そのペースなら、私を倒すのに百年は撃ち続ける必要はありそうね」
「はあ、はあ。く、くそ……」
まだアリスは攻撃も防御も回避もしていない。なのにヨハンたちは息も絶え絶えだった。
微笑むアリスを見て、魔女狩りたちは絶望的な表情で立ち尽くしている。アリスの計算が正しいならば、一体どうやって倒せばいいのだろうか。
そして、アリスがついに動いた。
「ありがとう、とっておきを見せてくれて。とっても頑張ったのがわかるわ。お礼に、私も少しだけ見せてあげる」
杖を上げた。
「ゲートオープン」
アリスの後ろに、大きな扉のようなものが見える。それは開き、中から禍々しい紫の光が漏れ出てきている。
『魔法の扉』を開いたのだ。
人間と魔女の魔法には、『質』的な違いは存在しない。あるとすれば、それは圧倒的な『量』の違いだ。
魔法は、魔法界から魔力を得ることによって使える。しかし、人間は小さな穴を開けて魔法界から魔力を取り出すことしかできない。一方、魔法を極めた魔女は、『魔法の扉』を開けることによって魔法界からほとんど無制限に魔力を得ることができるのだ。
シンプルな『量』の違い。しかしそれは、努力や工夫によっては決して覆すことのできない圧倒的な戦力差となっていた。魔女の魔力が人間の数十倍や数百倍程度なら、徒党を組むことによって倒すことはできるだろう。でも、両者にあるのはそういうレベルの差ではない。
アリスの言う通り、ティーカップと海の差だ。
「みんな、ひるむな! 防ぐんだ!」
彼らが杖をあげると、周りに十字架が現れて光が魔女狩りたちを覆った。魔女の魔法を防ぐ結界だ。
「あら。それで防げると思ってるの。可愛い」
アリスは杖を振り下ろす。光が広がった。
「六六六魔法の一……『博愛の園(チューリップ)』」
ぽんっ、と間の抜けた音がしたと思うと、魔女狩りのいた場所には、百輪の小さな花が咲いているだけになった。
「なんだ、これは! 戻せ!」
花びらが揺れて、そこからヨハンの声がした。花はそれぞれ皆魔女狩りの声で叫んでいる。
「あら大変。みんなお花になっちゃった」
アリスは両手を合わせて満面の笑みで言う。
六六六魔法……それは魔女が使える魔法の極地だ。魔法界の無限の魔力を使った魔法は、人間には防ぐことも避けることも不可能。ヨハンたちが作った結界など、何の意味もなかった。
「小さくて可愛いお花」
アリスは、すうっと地面に降り立つと、ニコニコ笑って眺めていた。花びらを、そっと優しい手つきで撫でる。
「くっ、戻せ」
ヨハンの花が、必死に横に揺れる。しかし地面から離れることはできない。抵抗する事も、逃げる事もできない。
アリスは愛おしそうに花を触り続けていた。
「可愛いお花は、つみたくなるわね?」
突然アリスは、花の茎をぐっとつかんだ。
「あ、あ……」
アリスが力を入れると、ヨハンの花は、苦しそうに息も絶え絶えになる。茎をつかまれると、息が苦しくなるようだ。花がつまれると、ヨハンはどうなるのだろう? アリスは鈴の鳴るような声で、数を数えた。
「さーん、にーい、いーち」
「ひっ、やめっ、やめてくださ……」
「はいっ」
再び、ぽんっ。という音がして、煙が起きた。
あたりには、汗びっしょりの魔女狩りたちが、苦しそうに息をしながら横たわっていた。
「なんてね?」
アリスは口元に手を当てて、イタズラっぽくウインクしていた。
「あ、あ……」
ヨハンは、尻餅をついたまま足をバタバタさせていた。言葉も出ず、体もうまく動かせないらしい。恐怖に満ちた表情でアリスを見上げていた。
彼はわかったのだろう。今、生きているのではない。アリスに生かされているのだと。これは戦いなどではない。アリスによる、一方的な教育だ。
「これでわかった? 自分より強いものにいじめられたら、怖いでしょう? ママに教わらなかったかしら」
アリスは、やはり諭すように優しく言う。
「まだわからないのなら、まだ、六六五の魔法が残ってるんだけど……ゆっくり教えてあげましょうか。百年くらいかけて、ね?」
杖を上げた。またアリスの後ろで扉が開く。魔女狩りたちは顔面蒼白になった。彼らは、一斉に逃げ出す。
「ひいー!」
アリスは名残惜しそうに手を振った。
「あら、もう行っちゃうの? 気をつけて帰るのよ」
アンナは冷静に見つめていた。
人間は確かに魔法を使える。生活に役立てたり、戦いの武器としたりもしている。しかしそれは、技術的に他の方法でも実現できることを、楽にする程度のものだ。
魔女の魔法は違う。人間では起こしえないような奇跡を、実現する。圧倒的な魔力の量に、その奇跡は裏打ちされている。
魔女に魔法勝負を挑んだら敗北するのはわかりきったことだ。だから魔女狩り部隊には、アンナがアリスに救出されたらすぐ逃げるように言っていた。しかし、ヨハンは功に目がくらんでいたようだ。アリスが容赦のない魔女だったら、全員殺されていただろう。
アリスは最後の一人まで見送ったのち、箒に乗り、カゴに乗ったアンナの元に戻ってくる。
「ごめんなさい、待たせたわね。久々に人間さんとおしゃべりしたから、長くなっちゃったわ」
「いえ、ありがとうございます」
「怖かったでしょう。ひとまず私のおうちにいらっしゃい。落ち着くまで休むといいわ」
アリスは、アンナを抱っこして、そのまま箒に座るように乗って飛んでいく。
眼下には色とりどりの花畑が見える。アリスの縄張りである、ウィッチガーデンだ。招かれざるものが入ったら、花に食われてしまうらしい。ここを越えていけるのは、魔女に魅入られた者の特権だ。
任務はここからだ。一か月以内に、アリスを倒す。それが達成条件だ。それにはまず、アリスの弟子になる必要がある。
アンナは、今がチャンスだと思った。
「あの、魔女様。お強いんですね」
「まあ、千年も生きてるからね。最近魔法を覚えたような子には負けるはずがないわ」
涼しい顔をしている。
「私も、強くなりたいです。あんな人たちに襲われても、怖くないって言えるくらいに」
アンナは、決意に満ちた表情に見えるように心がけながら言った。
「私を弟子にしてくれませんか? 魔女様に魔法を教えてもらいたいです」
「あら」
アリスはポカンと口を開けていた。
「だめ、でしょうか?」
「あらあらあらあら」
アリスは、小さな少女のように目を輝せていた。
「私、夢だったのよ。弟子を取ることが。嬉しいわ。おうちにいったら、お茶会をしましょう!」
「弟子にしていただけるのですか?」
アリスはウインクした。
「もちろん! たっぷりと教えてあげるわ。ただ、弟子にする代わりに、一つだけお願いがあるの」
「お願い?」
「それは、ついてからゆっくり話すわ」
アリスは答える。
そのまま、飛んでいくと大きな館が見えた。
ひとまず最初の目標は達成だが、ここからが大変だ。アリスに認められ、弟子を卒業しなければならない。
しかし、アンナは不思議な気分だった。
アリスの腕に抱えられて飛ぶのに、どこか安心感があったからだ。
魔女は圧倒的な力を持つ存在だ。人間がなまじ魔法を使えるからこそ、その魔力の差には恐怖せざるを得ない。弟子の振りをしていることがばれれば、何もできずに殺されてしまうだろう。
でも、アリスはヨハンをこらしめた。それを見て、本音ではアンナは、少しすっきりしていた。『仲間』がやられていたというのに。
アンナは魔女狩りに追われる演技をしていた。でもその演技は、ある意味で、演技ではなかった。魔女狩りに追われて、逃げて、怖かった……それは、本当のことでもあったのだ。
そして、アリスに、守られたことで……少し安心してもいたのだ。