館に入ると、そこはまるでお城のようだった。シャンデリアが高い天井から下がり、ステンドガラスが周りにある。
「見た目よりずっと広いですね」
「魔法で空間を広げているのよ」
アリスは近くにある、百人くらい座れそうなテーブルを指差した。魔女の家は皆魔法で拡張されているが、アリスの家はスケールが違う。
「今お茶をいれるから」
彼女は鼻歌を歌いながらティーポットから紅茶を入れる。
「百年前に手に入れたとってもいい紅茶なの」
「ありがとうございます」
「スコーンもどうぞ?」
そんな昔のものを飲んで大丈夫だろうか? とアンナは思いながら毒味したが、普通においしかった。魔法で鮮度を保っているのだろう。お菓子もおいしい。
「まだ、聞いてなかったわ。あなた、お名前はなんて言うの?」
「アンナです」
「アンナ、疲れたでしょう。ゆっくり休んでちょうだい。お部屋まで案内するから」
アリスが手を取って立たせてくる。頭ひとつ長身なアリスに、上目遣いで訴えかけた。
「あの……魔女様」
「アリスでいいわ」
「アリス様。私は休んでいたくなどありません」
手を強く握る。
「あら。どうしたの?」
「私は、一刻も早く魔女になりたいのです。アリス様のような力が欲しいのです」
「焦ることはないわ。ゆっくりお茶でも飲みながらやりましょうよ」
「いいえ。すぐにでも魔法を覚えて、魔女狩りに対抗できるようになりたいんです。教えてください。条件とはなんでしょう?」
早く条件を聞いて、それを満たし、一か月以内に魔女の弟子を卒業しなければならない。
「アンナ、あなた」
しかし突然、アリスの顔から笑みが消えた。
「嘘をついているわね?」
アンナは腹の下が一気に冷えるのを感じた。
「な、何のことでしょう?」
「初めから私にはわかっていたわ。あなたが何か隠し事をしているのは」
まずい。何か疑われるようなことをしただろうか? 急ぎ過ぎたか?
「おかしいじゃない。魔女狩りが、一人の無力な人間を、わざわざ百人で追いかけ回すなんて」
アンナは言葉に詰まった。いくらでも説明はつけられる。だが、アリスに見られると言葉が出てこなくなった。
「師匠に隠し事をするなんて、よくない弟子ね?」
アリスは腕を組んでアンナを見下ろした。
「わ、私はそんなことはしていません」
正体のばれたスパイの末路は悲惨だ。
アンナ以外にも、魔女の元に潜入させられた者たちがいた。彼女らは魔女の修行にはついていけず、正体がばれてしまい、皆最初の任務で魔女に殺されている。
何もないところから、朝顔の花がついた緑色のツルが伸びてきた。アンナの体に巻き付いてくる。
「六六六魔法の二、『結束の園(モーニンググローリー)』」
「あの、ちょっと待って……」
アンナの体は持ち上げられた。
ばれた。殺される。魔女狩り百人を、赤子扱いしたアリスだ。アンナなどその気になれば一瞬で消し飛ばせる。逃げることも、抵抗することもできない。
「アンナ。あなた、本当は……」
アリスはソファーに座る。アンナはそこまで運ばれた。アンナは、死を覚悟した。
横向きにされて、ソファーに下ろされる。アリスの膝の上に頭が乗った。柔らかく、暖かい。
アリスは耳にそっと囁くように、語りかけてきた。
「本当は……甘えん坊さんでしょう?」
「……はい?」
アンナが上を向くと、優しい表情でアリスが微笑んでいた。
「無理して強がってるけど、本当は怖くて不安で、誰かに甘えたくてたまらないんでしょう?」
アンナは状況がすぐに飲み込めなかった。ばれたのではなかったのか?
「あの、私、本当は……」
唇に指をあてられた。
「いいのよ、無理して話さなくても。大変だったことは、わかってるんだから。魔女狩りに襲われて、追い回されてきたのよね? 辛かったでしょう」
なんだか、都合のいいふうに解釈してくれたみたいだ。ここは、話を合わせておいた方がよさそうだ。
「はい。私、本当は、怖かったです」
アンナは適当に話を合わせた。アリスの場合、こうしたほうが好印象になるだろうと思ったからだ。
「アリス様に、助けてもらえてよかったです」
アリスのローブの裾を、すがるようにきゅっとつかむ。そういう演技だ。
「あらあら」
アリスは微笑んだ。やっぱり、喜んでいる。頼られるのが嬉しいみたいだ。
「ここでは甘えていいんだからね。あなたは私の弟子になるんだから」
アリスの師弟に対する考え方がよくわからないが、とにかくここは合わせようとアンナは思った。
「でも、嘘をつくのは、だーめ。おしおきとして、強制膝枕の刑をさせてもらったわ」
「おしおき……」
「ごめんなさいね。でも、こうでもしないと本音を言わないでしょ? ほら、横を向いて」
なされるがままに横向きになる。
「強制耳かきの刑ね」
アリスは、懐から耳かきを取り出して、耳に入れた。くすぐるみたいで、気持ちいい。
「千年前、私も師匠にこうしてもらったの。アンナも、無理しないでね。それから頑張りましょう」
アンナは、敵地にも関わらず、安心感さえ覚えてしまっていた。でも、ここで籠絡されてはいけない。裏切ったとでもヨハンに思われたら、サラが殺されてしまうのだ。魔女狩りとして、使命を全うしなければ。
「あの。アリス様」
「なあに?」
「私にしたいお願いって、何なのですか」
アリスの出す条件をクリアし、魔女の弟子を卒業しなければならない。いったいどんな条件なのだろう。人間のいけにえを千人集めてこい。魔術の実験体になれ。様々な恐ろしい想定がアンナの脳をかすめた。
しかしアリスは少し気恥ずかしそうに言った。
「だち……ほしい……」
「え? アリス様、よく聞こえません。大きな声で言ってください」
耳打ちしてくる。
「友達が欲しいの」
意外な答えに、アンナは口をぽかんと開けた。
「私、魔女になってからずっと魔法の研究ばかりして、引きこもってきたのよね。人間さんにも、魔女にも、全然友達はいなかった」
「そのようですね」
アリスと親しい者の話は聞いたことがない。捕まえた魔女たちの中にも、アリスの人柄について知る者はいなかった。ただ最古かつ最強の魔女と恐れられていただけだ。
「でもね。そろそろ私、魔女になってから千年になるの。記念に、誕生日会をやりたいと思って」
「誕生会?」
思いもしない言葉が出てきて、アンナは耳を疑った。
「後一か月で、誕生日なのよ。それにね。できれば……いいや。なんでもないわ」
両手の指をもじもじと合わせている。
「なんですか? 言ってください」
恥ずかしそうにほおに手を当てた。
「……友達百人呼べたらな、って思って……」
「友達。百人」
アンナは目を見開いた。すぐには理解が追いつかない。
「招待状も書いたのよ。百通」
杖を振ると、封筒がパラパラと百通テーブルの上に置かれた。一通一通、手書きの丸文字で丁寧に書かれている。文章も違うし、花や妖精の絵もあちこちに描いてあってかなり凝っている。
「かわいいですね」
「うふふ。十年もかかっちゃった」
アリスは恥ずかしそうに口元に手を当てる。
「ということは、お願いというのは……?」
「ええ。この通りよ」
アリスは大真面目に言う。
「一か月後の誕生日パーティーに向けて、百人友達を集めるのに協力して欲しいの」
さっきの戦いをアンナは思い出した。人間を百人チューリップにして、逃げられた魔女。
「そうしたら、弟子は卒業よ」
「なるほど」
アンナは考えてしまった。アリスの願いごとは、想定よりもずいぶん平和的で、素朴なものだった。でもそれだけに、余計に難しいように思えた。アリスは、全国で嫌われ、憎まれている始祖の魔女だ。誕生日を祝おうという者はいないだろう。
しかし同時に、先ほどのやりとりを思い出していた。
――本当は……甘えん坊さんでしょう?
アリスは、言われているほどの悪人なのだろうか?
「それに、この魔法も教えてあげる」
アリスは続けて。真っ黒い魔導書を取り出した。分厚い紙の隙間から、禍々しい紫の光を放っている。
「それって……」
「私が千年かけて開発した、六六六魔法の六六六……最後の秘術よ。これも、後一か月くらいで完成しそうなの」
アンナは息を飲んだ。ジャンヌから得られた情報は本当だったのだ。これが、アリスが開発した究極の秘術だ。
「ど、どんな魔法ですか?」
アンナは魔導書に手を伸ばしたが、アリスが持ち上げると、身長差があって届かない。
「だーめ。今のあなたがこの本を開くのは危険よ。これは魔女しか扱えないの。誕生日パーティーを無事に開けたら、キスしてあげるから、待ちなさいね?」
「わかりました」
「それでよければ、アンナ。私の弟子になってくれる?」
目標ははっきりした。
一か月後の誕生日までに百人友達を作り、誕生パーティーを開けば、アリスのキスを受けられる。逆に誕生日パーティが不発に終われば、秘術が完成し、国も滅びてしまう。
しかし、アリスは始祖の魔女として全国から恐れられ、憎まれている。彼女に友達などできるだろうか?
そのとき、突然大きな音が鳴った。鐘がどこかで鳴っているかのようだ。それと同時に、あたりがけばけばしい色の光に満ち、点滅する。アリスは慌てた。
「たいへん!」
「どうしたのですか?」
「警報よ。私のウィッチガーデンで……」
「魔女狩りの侵入ですか?」
「子供が転んだみたい! 早く助けてあげないと」
アリスの訴えにアンナは脱力したが、彼女は真剣そのものだった。
アリスが手を上に掲げると箒が現れ、その上にまたがった。アンナに手を差し伸べる。
「アンナ。弟子として、一緒に来てくれるわね?」
アンナは頷いてその手を取る。アリスはすさまじい勢いで飛び上がり、窓から飛び出た。そのまま猛スピードで空を駆け抜け、瞬く間にウィッチガーデンの端まで行った。まともに歩けば、一日はかかる距離だ。
花々の咲く園の入り口で、五才くらいの小さな女の子が転んでいた。庭に迷い込み、花のつるに足を取られてしまったようだ。
「……いてて」
彼女は膝を押さえる。擦りむいたようだ。アリスは焦った様子で飛び出る。
「そこのお嬢さん、大丈夫!?」
「お姉さんだれ……?」
「わ、私のことはいいのよ」
アンナはわざとらしさに不安を覚えたが、それは的中した。アリスは少女の足を見て言う。
「それより大変。人間は脆い生き物だから、傷口から菌が入ったら死んでしまうわ」
「脆い? いや死なないけど……」
「六六六魔法の三、『永続の園(ハナミズキ)』」
アリスの後ろで魔法の扉が開いた。そこから紫色の光が飛び出す。アンナは目を見張った。少女は転んで擦りむいただけなのだが。
アリスは杖を振ると、少女の体は光り、血の出た指先に花がぽんっ、と音を立ててついた。
「うわあ、何これ」
ものすごい光が出て、少女の膝から出た血は止まった。そこに、白い四枚の花弁がついた花がついている。花の真ん中に、ぎろりとした瞳が見えた。少女はおびえる。
「この魔法は、あなたを守るわ……何十年、何百年もの間、ずっとね。転んでも、傷つくことがないように……永遠にね」
花の中に生えた目が、じろじろと女の子の顔を見つめる。
「ひっ」
震えている。
「ところで、あなたにちょっとお願いがあるの」
「は、はい?」
「私の家で……誕生日会を開くの。来てくれない?」
花に出てきた目が、少女をじーっと見つめる。
「た、助けてー!」
少女は、震えて逃げて行った。
「あら。気を付けて帰るのよ……!」
アリスはそれを、残念そうに見送っていた。
手には、招待状を持っている。
「また失敗だわ。招待状を渡したかったのに」
「また?」
「ええ。困った人を助けて、それで友達になろうとしているんだけど」
アリスはしょんぼりしている。
「なぜか逃げられてしまうのよね。どうしてかしら?」
悩ましげなアリスを見て、アンナは確信した。先程から薄々感じていたが、今のやりとりではっきりとわかった。
この魔女に悪意はない。それどころか、かなり筋金入りの世話焼きでお人好しに見える。
でも、明らかに感覚がずれていて、それを自覚していない。長いこと一人で過ごしていたから、誰にも言われたことがなかったのだろう。
こういう相手には、はっきり伝えないとわからない。
「どうしてもこうしても、怖がっていたでしょう」
「怖がってた? けがして死ぬことを?」
「いいえ、アリス様の使った、強すぎる魔法のことをです。あんな魔法をかけるようなけがではありませんでしたよ。ちゃんと解いてあげてくださいね」
「ええっと……」
アリスはしばらくうんうんうなって考えていた。魔法を解くのを渋っている様子はなく、単純に言われたことを飲み込むのに時間がかかっているようだ。アンナはそれをハラハラしながら見守っていたが、アリスはやがてぽんっと手を叩いた。
「わかったわ」
杖を振ると光が出る。少女の魔法は解けたらしい。アンナは胸を撫で下ろした。
「なんであんな魔法をかけたんですか?」
「だって……」
人差し指を合わせた。もじもじと言う。
「人間さんって、魔力も少なくて、寿命も短いでしょう? それなのに一生懸命頑張って生きてるのよ……すごく、可愛いじゃない。守ってあげたくなるわ」
アンナは納得した。これでアリスの考え方はわかった。彼女は、やはり魔女だ。
強い力を持ち、異なる考えを持つため、人間に恐れられる。
だから、魔女狩りに狙われる。魔女に育てられたアンナやサラが、蔑まれる。全ての魔女を倒すまで、自分たちが解放されることはないのだ。
「それが原因です」
「それって?」
「アリス様は、無意識のうちに人間を見下しているんです。赤ん坊か、ペットみたいに思っている。だから嫌われて、逃げられるんですよ。友達とは対等なものです。その見下した考えを改めない限り、友達なんかできません」
アンナは、アリスをびしりと指差した。彼女は、驚いた顔をする。
「アンナ。あなた、弟子なのに、師匠に対してそんなことを言うの?」
見下ろしてくる。
アリスから魔力が溢れ出す。
しまった。言いすぎた。つい、熱くなってしまったのだ。
相手は、人間とかけ離れた感覚を持つ最強の魔女だ。怒らせたら、殺されてしまう……。
「す、すみません! 出過ぎたことを」
「ずいぶんなことを言ってくれるじゃない。アンナ、あなた……」
アリスは、両肩に手をかけてきた。
「偉いわね!」
「へ?」
そして、満面の笑みで頭を撫でてくる。
「教わるだけでなく、自分からも相手に教えようとするなんて……素晴らしい弟子ね!」
アンナは唖然とした。殺されるのではなかったのか?
「怒ってないのですか?」
「いいことをしたのに怒るわけないでしょう? あなたのおかげで気づいたわ。私が、無意識のうちに人間さんを見下しているなんて……」
ぐっと拳を握りしめる。
「そんな発想はなかったわ」
「なかったんですか……」
アンナは呆れた。
やっぱり彼女は、天然だったのだ。
アリスは優しく微笑む。
「いいのよ。思ったことを言ってくれて。私だめね」
テーブルに置かれた、たくさんの招待状を見て、少し寂しそうにした。
「結局、招待客はゼロ人だし。『約束』……守れそうにないわね」
「約束?」
「いいえ。こっちの話よ」
悲しそうに、座った。アリスは、誰かと何か約束をしていたのか? 唐突に出てきた誕生会の話も、それに関係しているのだろうか? 今、深入りすることはできなさそうだ。
でも、アンナは思った。
ついつい怒ってしまったが、アリスはやりすぎだったとはいえ、けがした少女を助けた。悪意があるわけじゃない。ジャンヌのように、害をなすわけでもない。ただ感じ方や考え方が人間と離れているだけだ。
それに……アリスは、アンナを魔女狩りから助けた。追われているのは演技だったが、アリスは本気で心配して、力を尽くして助けてくれた。
――私のそばは、世界で一番安全なんだから。
敵のはずなのに、抱き止められて、少し暖かい気持ちになったのだ。
そして、アンナがアリスのローブの裾をつかんだときも、心が安らぐ感覚があった。
――ここでは甘えていいんだからね。
魔女狩りとして戦う中では、感じたことのない気持ちだった。
あくまで希望的観測で、思い込みに過ぎないのかもしれない。でも、この魔女はもしかしたら、人間と仲良くなれるのではないのか……かすかにだが、そう思えたのだ。
手を伸ばし、アリスの持つ招待状に触れる。
「招待客、ゼロ人じゃありませんよ」
「え?」
「ここに一人います」
自分を指差す。
「アンナ? あなた。パーティ、来てくれるの?」
「はい。招待側だから、当たり前ではありますが」
「……あんな厳しいこと言ってたのに」
「だって」
アリスは人の心がわからず、気付かぬうちに見下していて、会話も成り立たない、とんでもない魔女だ。でも。
「膝枕、気持ちよかったですから……」
アンナは、ちょっとうつむきながら言った。
鈴の鳴るような声と、膝の柔らかさ。
その感覚だけは、本物だったのだ。
「アンナ〜!」
アリスが抱きついてこようとした。アンナはその腕をするりと抜ける。
「アンナ、つれないわね」
「まだまだこれからですよ。あと九十九人、呼ぶんでしょう?」
「そうね。頑張りましょう!」
アリスは嬉しそうに招待状をアンナに渡した。
これは『演技』だ。
一か月の間、アリスをうまく導いて、百人の友達を招待する。やりとげれば、アリスからキスを受けることができる。
その隙を利用してアリスを倒せば、アンナとサラは、魔女狩りから解放して自由に生きられる。友達作りも、パーティも、全てアリスを倒すためなのだ。しかし。
――本当は、甘えん坊さんでしょう?
アリスにしてもらった、膝枕と耳かきの感覚が、体中に残っていた。
アリスは、アンナを追っていた魔女狩りから助けた。そして、ヨハンたちをこらしめた。
それは確かに、演技だった。
しかしアンナは十年間、本当に魔女狩りから追い立てられてきたのだ。アンナが魔法を使えなくなった『あのとき』から十年間、ずっと苦しめられ、魔女との不本意な戦いを続けてきたのだ。
自分が生き残るために。サラを助けるために。あのときの『約束』を守るために。
今までのように、魔女が人間にとって有害な存在なら、それでよかった。だまして、倒して、それで終わりだった。
しかし、アリスは人間と仲良くなりたがっている。アンナのように、何か『大切』な約束を守ろうとしている。
――アリスは邪悪な魔女であってほしい。
潜入前の祈りが、叶えられることはなかった。