ヘクセンラント公国の西、ウィッチガーデンの真ん中。アリスの館には、大きな図書館がある。
魔法で広げられた空間に、見渡す限りの棚が続き、びっしりと本が詰まっていた。アリスが集めたり、書いたりした、大量の魔導書だ。その棚に囲まれた机で、アンナは魔導書に向かっていた。羽ペンを操り、黙々と書き込みを続けている。
「アンナ」
集中するアンナを、アリスは後ろからつついてくる。
「アーンナ。ねえ、ア〜ンナ」
魔導書に向き合い、せっせと文字を書いているところに、後ろから肩を揉んでくる。
「ひま。構ってほしいわ」
「黙っててください」
「つれないわね。師匠が寂しがってるのに」
肩を揉まれながら、アンナは振り返る。
「アリス様の出した課題をやってるんですけど……」
「だってアンナ、優秀すぎて、教えることなくてつまらないもの。なにか質問はないかしら? 困ったところを、颯爽と助けてあげたいわ」
「気持ちはありがたいですが、特にないです」
アンナは今、魔女の修行の一環として、魔導書の改修をやっている。
アリスが過去に作った魔導書の一部を修正して、改善するというのが、アンナに与えられた課題だ。「できました」
魔導書をアリスに渡した。アリスはそれを見て驚き、にっこりと笑った。
「この短時間で、ここまでやるなんて、偉いわ。本当にアンナはすごいわね。この調子なら、すぐに卒業よ」
アンナの頭を撫で回す。
「もう、やめてください。恥ずかしいです」
「弟子の修行が順調だから、嬉しいのよ」
魔導書には、魔法の仕組みが事細かに書いてある。魔女の魔法は強力だが、原理は人間と変わらないから、じっくり読み込めば理解することはできる。ただそれがものすごく膨大かつ複雑で、到底一生の間には理解しきれない分量なのだ。
だから、アンナがこれほどのスピードで魔導書を仕上げてきたことはアリスには驚きなのだろう。
しかし、今まで何人もの魔女に弟子入りし、学んできたアンナなら、たやすいことだった。アリスの魔法でも理解し、魔導書の補強もできる。
魔女の弟子としては、アンナはこのうえなく優秀なのだ。ある一点を除いては。
「でも私は、魔力が使えませんけどね」
「わかってるわ。辛いことがあったのよね?」
アリスは優しく声をかけてくる。
魔法界から魔力を取り出すのは、技術の他に精神的な面も重要になってくる。何か過去にショックなことがあった人などは、魔力が少なくなっていたり、使えなくなったりすることもある。アンナもその一人だ。アンナは、魔法の理解や、使い魔、魔道具の扱いにはこれ以上ないくらい長けている。でも、魔力を魔法界から取り出して使うことはできない。
例にもれず、過去の出来事が原因になっていた。
うつむくアンナの口に、アリスは人差し指をかざした。
「大丈夫。魔女になれば、魔力は無限に使えるようになるのだから。卒業までのがまんよ」
アンナは胸を撫で下ろす。魔力が使えないのは本当であり、動かしようがない事実だ。その了承を得ておくのは、魔女の弟子としてやっていくうえで大事なことなのだ。
「ありがとうございます。でも」
アリスは、テーブルの上に積まれた山ほどの招待状を見やった。あと、九十九通も残っている。
「肝心の友達作りが、うまくいってないじゃないですか。しっかりしてください。それが何とかならない限り、卒業にはならないんですから」
「そうね。がんばるわ」
アリスは両手を握り締めた。アンナは不安でため息をつく。それもそのはずだ。
アンナが卒業するのに突き付けられた条件は、一か月後のアリスの誕生日会に、百人の友達を招くこと。だが、アンナが弟子入りして一週間も経つのに、招待状は一枚……それも、アンナにしか渡っていなかったからだ。
一週間前、アンナは花屋の制服を着て、花束を持って笑顔で客を出迎えていた。
「いらっしゃいませ。贈物に花束はいかがですか?」
その間に、ちらちらと店の隅を見る。そこでは白い服をきたアリスが、機嫌よさそうに花を見ていた。他の客の動向をうかがいながら。
もちろんアンナの本業は花屋ではない。ウィッチガーデン近くにある店に、アルバイトとしてもぐりこんでいたのだ。アリスの友達作りの動向を陰で見守るために。
アンナはアリスの友達作りの一環として、清楚系令嬢に変装させて花屋に送り出した。花の魔法を使うアリスは花に詳しい。同じ年代の女性と花の話題になれば、仲良くなれると思ったからだ。
アンナは花の世話をしながらアリスの様子を見守る。アリスはきょろきょろしながら、アンナと同じくらいの年頃と思われる女の子に近づく。彼女は花を優しく見つめ、見るからに人が良さそうだ。
「可愛いわね……」
アリスは言った。女の子は振り向く。
「ええ。お花好きなんですか?」
自然に、話しかけてくれた。この感じなら、仲良くなれるはずだ。しかし、アリスは女の子にとんでもないことを言いながら近付く。
「人間さん、あなたたちは限りある命を一生懸命生きていて、本当に可愛いわね」
アンナは目を丸くし、花を切り落としそうになった。可愛いというのは、花でなくて人間のことを言っているのか。女の子を花とでも思っているのだろうか?
「は、はあ」
困惑する女の子に、アリスは笑顔で花を渡した。
「頑張ってるご褒美に、お花をあげる。六六六魔法の四、『繊細の園(ミモザ)』。どうぞ受け取って?」
花自体は綺麗な、紫色の花だ。葉っぱがついている。発言はおかしいし、プレゼントも唐突だが、悪気がないのは伝わるはずだ。
「ど、どうも……」
女の子が手を伸ばして、そろりと花に手を伸ばし、葉っぱに触れた。そのとき。葉っぱがもそもそと動いた。女の子は、けげんそうに首をかしげる。
「あれ?」
葉っぱはうごめき、口が開いて、女の子の手に噛みついた。
「きゃっ」
女の子は驚いて、そのまま逃げ出してしまった。
アリスは、招待状を持って立ち尽くしていた。
アンナのほうに悲しそうな顔をして振り向く。
「何がだめだったのかしら……」
「第一声からだめですよ。上から目線で人間を見下すような発言をして、印象は最悪です。それに、なんで噛みつく花なんて渡したんですか。危険でしょう」
「だって。人間の女の子って、お花とか好きでしょう?」
「そうですね」
「小さくて可愛い動物も、好きでしょう?」
「ええ、それもそうですね」
「だったら、花が動いたらもっと好きになると思って……」
「いや、合わせればいいってもんじゃないですから」
それからも、アンナは色々な機会を作った。困っている人を助けたり、交流できそうな場所に連れていったりして、アリスができるだけ好印象になりそうな状況を用意した。
しかし、アンナがいくら頑張っても、アリスは友達を増やすことはできなかった。どんなに状況を作っても、アリスは全てぶち壊しにするのだ。人間を小動物扱いするような発言をしたり、強力すぎる魔法で解決しようとしたりして、人間には逃げられてしまう。
結局一週間で、招待状を受け取ってくれた者はいなかった。進捗はゼロだ。
アリスは家の広いテーブルでアンナと向かい合い、うんうんうなっていた。
「やっぱり、年の差が問題なのかしら」
悩ましげだ。このままでは、友達百人を誕生日会に呼ぶのは厳しいとアンナは思った。しかし、アリスの友達作りにアンナとサラの解放がかかっている。なんとかしなければならない。
「私、最近の流行りとかよくわからないし。今時の子とは、あんまり話が合わないのかも」
「時代の問題ではないですよ。根本的なものの感じ方や考え方が違うんです」
「そんな」
「だから、前も言ったように、アリス様は自分と人間との感覚の違いをわかっていないんですよ。やっていることが人間の常識から外れすぎなのに、それに気づいていないんです。おおかた、千年も引きこもって、人間のことは書物で知っているくらいなんでしょう」
「う、それは」
図星のようだ。
「アリス様、友達どころか、危なっかしくて外に出せませんよ。百人で誕生会なんか、よく言えましたね。そんなんじゃ、アリス様の良いところ、誰にもわかってもらえません。私以外、友達できませんよ」
「アンナ、私のこと友達と思ってくれてるのね。嬉しい」
「話聞いてます? ふざけてないで、本気でやってくださいね」
「あなた……」
アリスはがたんと立ち上がって、アンナを見下ろす。蛇ににらまれたカエルのような気分だ。
しまった。さすがに怒らせてしまったか? 親しげに話しているとは言え、相手は、人間の扱いも知らない始祖の魔女だ。殺されてしまってもおかしくない。
「す、すみま……」
しかしアリスは、後ろ向きになってうずくまった。
「厳しいわ……」
泣きそうな声だ。
「はい?」
「ひどいわ。傷ついた。そんなひどく言わなくてもいいじゃない。私、あなたに優しくしてるつもりなのに……そんな私のこと嫌い?」
こちらを涙目で見てくる。子犬のようだ。
「アリス様?」
「もっと優しくしてくれたっていいじゃない……うっうっ」
うずくまってアンナを見上げてくる。
アンナは困ってしまった。怒るのかと思ったら、ひどく落ち込まれてしまった。
何という面倒臭さだろう。はっきりと言わないとわからない上に、怒られると凹むなんて。
でも確かに、言い過ぎたかもしれない。アリスは、千年も一人で過ごしてきたのだ。人とのコミュニケーションが苦手なのは当然だろう。
そう思うと、少し哀れに思えてきた。
「アリス様……すみません、言い過ぎました」
「アンナ?」
「私はアリス様に友達ができないとは思ってませんよ」
アリスのしているのはごっこ遊びだ。師匠ごっこ、姉妹ごっこ、親子ごっこ、友達ごっこ。人間のモノマネで、なんにせよ、形をやりたいだけだ。
でも、そこに悪意はない。確かに女の子を喜ばせようとしていたし、守ろうとしていた。表現方法を間違えただけだ。
甘えていいのよ、とアリスは言った。
膝枕をして、耳かきをした。それは形だけかもしれないけど、確かにアンナは気持ちよかった。
たとえ、いつか裏切る相手だとしても。
「さっき……言ってたじゃない」
「このままじゃ、と言ったんです。やり方を変えれば、きっとアリス様にもできるはずです。私は、アリス様のこと」
アンナは立ち上がって、アリスの肩に手をかけた。そして、少し目を逸らしながら、言った。
「その、嫌いじゃ……ないですから……」
「アンナ」
これは『演技』だ。アリスを喜ばせるための。
ミッションをクリアし、最後はアリスを殺すための、演技なのだ。
アンナは自分の頭にそう言い聞かせた。
「友達、でき、ます……」
いきなり立ったから、アンナはふらついた。
そう言えば、最近、寝ていない。アリスのために駆け回り、動きっぱなしだった。少し、焦りすぎたかもしれない。
「アンナ! アンナ、大丈夫?」
がっしりとアリスに抱き止められた。長身のアリスに対して、ちょうど胸に顔が埋まる形になる。柔らかくて気持ちよかった。
こんなことを考えているようじゃ、こんなことで倒れているようじゃ、スパイ失格。魔女狩り失格だ。アリスを殺せない。
でも、アンナは、疲れていた。
十年間も、戦い続けたからだ。
あの日……魔法が使えなくなった日からずっと……魔女を裏切り続けてきたからだ。
「アンナ。ごめんなさいね、無理させて」
アリスが頭を撫でる中、アンナの意識は遠のいて消えた。