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第6話 魔女とスパイの友達大作戦②

 アンナは夢を見ていた。

「ねえママ。また魔法見せて!」

 夢の中でアンナは小さくて幼い子供だった。優しい表情をした女性にしがみつく。

「はいはい。わかったからそこに座って」

 女性は杖を振った。そうすると、不思議な出来事がたくさん起こった。一瞬でポットにコーヒーが沸いたし、ソーセージは暖かくなったし、ザッハトルテが棚の中から飛んできた。

「じゃあ、お茶にしましょう。サラもおいで」

「はーい」

 サラもやってきて、三人で、テーブルを囲んだ。

 夢は、十年前の記憶だった。

 森のはずれの小さな家で、七歳のアンナと、五歳のサラは、母と三人でひっそりと暮らしていた。

 母は魔女だった。幼い頃、アンナとサラが伝染病にかかった。そのとき母は、魔女に弟子入りして、魔女となった。魔法により二人は助かったが、それ以来、魔女狩りには追われることとなった。

 魔女狩りの目を逃れて、目立たないように暮らしていたが、それでもアンナは楽しかった。母の使う魔法は、不思議で、わくわくする。アンナは、母の魔法が大好きだった。

 真似して、杖を振ると、トーストが一瞬で焼けた。

「アンナは、魔法が上手ね」

「ありがとう、ママ! 私、ママみたいになりたい!」

 アンナは色々な魔法を試していたが、どれもうまくいった。

「すごい才能よ、アンナ。この調子ね」

「でもちょっと、疲れちゃった……」

 アンナは母を見つめ、ローブの端を引っ張った。

「ママ……! 膝枕……!」

 母はくすくす笑う。

「はいはい。アンナはお姉ちゃんなのに甘えん坊ね」

「だってママのお膝、気持ちいいもん」

「いい加減七歳なんだから、もっと大人にならなくちゃダメよ」

 そう言いながら、母はソファーに座って膝を貸してくれた。アンナはそこに横たわる。

「大人になんかなりたくないよお」

 膝に頬をすりすりした。

「全く、サラはあんなに落ち着いてるのに」

 サラは黙ってコーヒーの沸いたポットをいじっていた。

「お姉ちゃん。これ、魔力がなくてもできるようにならないかな……」

 母は見守りながら言う。

「魔道具に興味あるの?」

「うん。私も作って、お店出したい!」

 サラは一人きりで没頭している。

「二人とも、興味のあるものがあって、いいわね」

 膝枕されて、耳かきをされながら、アンナは聞いた。しかし、ぽたりと、冷たいものが頬に落ちた。

「ママ?」

 見上げると、母は泣いていた。

「ごめんね。夢も好きなものもあるのに、こんな隠れて暮らすことになって。私が魔女にならなければ、こんな暮らしは……」

「そんなことない!」

 アンナは立ち上がった。

「ママが魔女になって、私たちの病気を治してくれなかったら、サラも私も死んじゃってたんだよ。ママは悪くないよ! だよね、サラ」

「うん。悪くない」

 サラも頷く。

「ありがとう。アンナ、サラ。あなたたちは、本当に強くて優しい子ね」

 母は、アンナとサラを抱きしめる。

「大好きよ」

「うん。ママとサラと私、ずっと一緒だよ!」

 アンナは言った。母は微笑む。その笑みは、アンナにはどこか寂しそうに見えた。

 そのとき、大きな爆音がした。

 家が揺れて、サラは倒れた。

「サラ!」

 母は庇おうとしたが、サラは頭をぶつけて気を失った。

 炎が窓の外に見える。大勢の人間のドタバタ走る音と、扉が壊される音がした。

 乱暴な声がする。

「ここに魔女がいるのか!?」

「捕まえるぞ。弱い魔女らしいが、油断はするなよ」

 アンナは怖くて不安になり、母を見上げた。

「ま、ママ……」

「魔女狩りよ」

 母は、険しい表情をしていた。バタバタ走る音は迫ってくる。

「どうしよう、逃げなきゃ」

 首を横に振る。

「逃げられないわ。ここが最後の隠れ家なの」

「じゃあ、魔女狩りをやっつければ」

「だめよ。私にもう魔力はないから」

 母は首を横に振った。母は魔女としては弱かった。アンナとサラを救うのに魔力をだいぶ使ってしまっていたし、長い間、すみかに目眩しの魔法をかけていた。その魔法が解けたからこそ、居場所が知られてしまったのだ。もはや戦う力など、残っているはずもなかった。

「それに、人は魔女を恐れている。ここで魔女狩りを倒しても、その恐れがある限り、新しい魔女狩りに追われるだけよ」

「じゃあ、どうすれば……」

 アンナは絶望的な気持ちになった。逃げても、追っ手を倒しても、狙われることは変わらないのだ。魔女に関わるものは、抹殺される運命だ。

「あなたが、魔女狩りになるのよ」

 母は、アンナに言った。

「どういうこと?」

「私を売って」

「ママを、売る?」

「私がここにいると言いなさい。悪い魔女に育てられていましたって。いざという時のために、いつでも倒せるように準備していましたって」

 アンナは、信じられなかった。自分が母を売る?

「そんなことできないよ!」

「生き残るにはそうするしかないの!」

 母は泣きながら言った。

「ごめんなさい、私に力がなくて。サラを、守って……あなたたちは、生きて?」

 倒れたサラを見た。ポットを抱いて眠っている。

「私……ママがいないと……ダメだよお」

「大丈夫。あなたなら、生きていけるわ」

 泣きつくアンナを母は抱きしめた。音が大きくなっていく。

「さあ! いくのよ! アンナ、サラとともに生きて!」

 母はサラをアンナに預け、押し出した。アンナはサラをおぶりながら、扉を開ける。その先には、向こうには、冷たい表情をしたフードを被った男たちが何人もいた。魔女狩り部隊だ。

「子供?」

「魔女に育てられた子か? なら一緒に始末しろ。これ以上魔女を増やさないためにな」

 アンナは、背負ったサラの重さを感じていた。

 サラと共に生きて。

 アンナは、涙を流しながら、扉を指差した。

「この奥に、魔女がいます! 私を育てて魔女にしようとした悪い魔女が!」

「なんだと?」

「ずっと、弟子のふりをしてきました……私は、魔女狩りの力になれます!」

 ……母親は、魔女狩りに連行されていった。

 アンナとサラは、魔女を摘発したことで生かされた。魔女の弟子のふりをして、摘発する。この功績が評価されたのだ。アンナは、スパイとしての教育を受け、魔女狩りの一員となった。

 それからずっと、アンナは、魔女を裏切り続けている。魔女の教育を受けたアンナは、魔女狩りの優秀なスパイになった。魔女に弟子入りするふりをして、キスさせて、魔女狩りに売る。だまして、欺いて。その繰り返しで生き残ってきた。

 七歳のアンナは、母の使う魔法が大好きだった。

 しかし、母を売り、魔女狩りのスパイとなった日。

 その日から、アンナは魔法が使えなくなったのだ。


「ママ!」

 目を覚ましたアンナは体を起こした。汗びっしょりで、唇は震え、心臓もドクンドクンとなっている。

 思わず、近くにあるものを掴んでいた。

「あら、アンナ……」

 それは、アリスの服だった。飛び起きたアンナはアリスに抱きついていたのだ。

「大丈夫? うなされていたわよ」

 アリスはアンナを抱き止めて、心配そうに顔をのぞきこんでくる。近い。高く形のいい鼻も細く伸びたまつげも触れそうなくらい近い。

 アンナはベッドに寝ていたようだ。倒れて意識を失った後、アリスが運んできてくれたのだろう。

 アンナは、密着している意味と起きた時の言葉を思い返した。

 ママ。アリスは微笑んでいる。

「ちがいます」

 アンナは顔が熱くなって、アリスから離れた。

「どうしたのアンナ」

 アンナは早口になって説明した。

「子供の頃の母の夢を見ていて、それが悪夢になって、飛び起きたときにアリス様がいた、というだけです。たまたまです」

「え? そうだろうなと思ったけど」

 首を傾げるアリス。アンナは必死になって訂正したことが余計に恥ずかしくなった。

「今のは忘れてください」

 かあっとなってしまった。

「ああ……」

 アリスは何かに気づいたように人差し指を立てると、アンナの首元に持ってくる。

「アンナ、いいのよ」

 穏やかな優しい笑顔で言った。

「アリス様」

「私のこと、ママって呼んでもいいのよ」

「呼びませんっ」

「もう、つれないわね……もっともっと甘えていいのに」

 アリスは、紅茶のカップをアンナに渡した。

「お飲みなさい? 少し冷ましてあるから」

「ありがとうございます……」

 この悪夢は久しぶりに見た。

 いつも、忘れたふりをしている記憶だ。妹のサラにさえ、話した事はない。

 言えるはずなかった。生き残るため、サラを守るためとはいえ、自分の手で母親を売ったなんて。

 自分はサラにとって勇敢で優しい姉だ。でも本当の姿は、ずるくて意地汚い臆病者なのだ。

 魔女を裏切って生き残る、汚いスパイがお似合いなのだ。

「何も言わなくていいの」

 アリスは、紅茶をおいてアンナの手をつかんだ。

「あなたが辛い思いをしてきたことはわかってるから。話す必要なんてないわよ」

 起きた時、汗びっしょりで唇も震えていた。

 でも、今は元に戻っている。アリスとしょうもないやりとりをしていたら、恐怖がどこかに行ってしまったのだ。

「アリス様」

 アンナは、手を握り返す。

「ちょっと、こうしててもいいですか?」

「あらあらあらあら」

 アリスは嬉しそうにした。

「いくらでもいいのよ。百年くらい握っててもいいわ」

「ちょっとの期間、長すぎです」

 これは演技だ。師匠ごっこ、姉妹ごっこ、親子ごっこがしたいアリスを喜ばせるための嘘だ。

 アンナは自分に言い聞かせた。そうすると、気持ちが落ち着いてくるのを感じていた。

 これ以上どきどきしたら、演技ができなくなる。そう思った。だから、作戦を続けることにした。

「アリス様は、確かに、無意識に人を見下していて、空気も読めないし、コミュニケーション力はゼロです。友達ができないのも納得です」

「まあ、ひどいことを言うわね」

 などと言いながらも口調は優しく、微笑みを崩さない。

「でも、いいところもあります。その、ほんの少しだけ……ですけど」

 アンナはまだアリスの手を握り続けたまま言った。体温が高く、熱いくらいだ。

「だからアリス様と仲良くなれる人も、私の他に、一人くらいはいるはずです」

「本当かしら」

 アリスは失敗が続いて、少し自信を失っているみたいだ。その手を、強く握る。アリスの目を見つめて言った。

「私が見つけてみせます」

 そう、これは演技だ。



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