アンナは夢を見ていた。
「ねえママ。また魔法見せて!」
夢の中でアンナは小さくて幼い子供だった。優しい表情をした女性にしがみつく。
「はいはい。わかったからそこに座って」
女性は杖を振った。そうすると、不思議な出来事がたくさん起こった。一瞬でポットにコーヒーが沸いたし、ソーセージは暖かくなったし、ザッハトルテが棚の中から飛んできた。
「じゃあ、お茶にしましょう。サラもおいで」
「はーい」
サラもやってきて、三人で、テーブルを囲んだ。
夢は、十年前の記憶だった。
森のはずれの小さな家で、七歳のアンナと、五歳のサラは、母と三人でひっそりと暮らしていた。
母は魔女だった。幼い頃、アンナとサラが伝染病にかかった。そのとき母は、魔女に弟子入りして、魔女となった。魔法により二人は助かったが、それ以来、魔女狩りには追われることとなった。
魔女狩りの目を逃れて、目立たないように暮らしていたが、それでもアンナは楽しかった。母の使う魔法は、不思議で、わくわくする。アンナは、母の魔法が大好きだった。
真似して、杖を振ると、トーストが一瞬で焼けた。
「アンナは、魔法が上手ね」
「ありがとう、ママ! 私、ママみたいになりたい!」
アンナは色々な魔法を試していたが、どれもうまくいった。
「すごい才能よ、アンナ。この調子ね」
「でもちょっと、疲れちゃった……」
アンナは母を見つめ、ローブの端を引っ張った。
「ママ……! 膝枕……!」
母はくすくす笑う。
「はいはい。アンナはお姉ちゃんなのに甘えん坊ね」
「だってママのお膝、気持ちいいもん」
「いい加減七歳なんだから、もっと大人にならなくちゃダメよ」
そう言いながら、母はソファーに座って膝を貸してくれた。アンナはそこに横たわる。
「大人になんかなりたくないよお」
膝に頬をすりすりした。
「全く、サラはあんなに落ち着いてるのに」
サラは黙ってコーヒーの沸いたポットをいじっていた。
「お姉ちゃん。これ、魔力がなくてもできるようにならないかな……」
母は見守りながら言う。
「魔道具に興味あるの?」
「うん。私も作って、お店出したい!」
サラは一人きりで没頭している。
「二人とも、興味のあるものがあって、いいわね」
膝枕されて、耳かきをされながら、アンナは聞いた。しかし、ぽたりと、冷たいものが頬に落ちた。
「ママ?」
見上げると、母は泣いていた。
「ごめんね。夢も好きなものもあるのに、こんな隠れて暮らすことになって。私が魔女にならなければ、こんな暮らしは……」
「そんなことない!」
アンナは立ち上がった。
「ママが魔女になって、私たちの病気を治してくれなかったら、サラも私も死んじゃってたんだよ。ママは悪くないよ! だよね、サラ」
「うん。悪くない」
サラも頷く。
「ありがとう。アンナ、サラ。あなたたちは、本当に強くて優しい子ね」
母は、アンナとサラを抱きしめる。
「大好きよ」
「うん。ママとサラと私、ずっと一緒だよ!」
アンナは言った。母は微笑む。その笑みは、アンナにはどこか寂しそうに見えた。
そのとき、大きな爆音がした。
家が揺れて、サラは倒れた。
「サラ!」
母は庇おうとしたが、サラは頭をぶつけて気を失った。
炎が窓の外に見える。大勢の人間のドタバタ走る音と、扉が壊される音がした。
乱暴な声がする。
「ここに魔女がいるのか!?」
「捕まえるぞ。弱い魔女らしいが、油断はするなよ」
アンナは怖くて不安になり、母を見上げた。
「ま、ママ……」
「魔女狩りよ」
母は、険しい表情をしていた。バタバタ走る音は迫ってくる。
「どうしよう、逃げなきゃ」
首を横に振る。
「逃げられないわ。ここが最後の隠れ家なの」
「じゃあ、魔女狩りをやっつければ」
「だめよ。私にもう魔力はないから」
母は首を横に振った。母は魔女としては弱かった。アンナとサラを救うのに魔力をだいぶ使ってしまっていたし、長い間、すみかに目眩しの魔法をかけていた。その魔法が解けたからこそ、居場所が知られてしまったのだ。もはや戦う力など、残っているはずもなかった。
「それに、人は魔女を恐れている。ここで魔女狩りを倒しても、その恐れがある限り、新しい魔女狩りに追われるだけよ」
「じゃあ、どうすれば……」
アンナは絶望的な気持ちになった。逃げても、追っ手を倒しても、狙われることは変わらないのだ。魔女に関わるものは、抹殺される運命だ。
「あなたが、魔女狩りになるのよ」
母は、アンナに言った。
「どういうこと?」
「私を売って」
「ママを、売る?」
「私がここにいると言いなさい。悪い魔女に育てられていましたって。いざという時のために、いつでも倒せるように準備していましたって」
アンナは、信じられなかった。自分が母を売る?
「そんなことできないよ!」
「生き残るにはそうするしかないの!」
母は泣きながら言った。
「ごめんなさい、私に力がなくて。サラを、守って……あなたたちは、生きて?」
倒れたサラを見た。ポットを抱いて眠っている。
「私……ママがいないと……ダメだよお」
「大丈夫。あなたなら、生きていけるわ」
泣きつくアンナを母は抱きしめた。音が大きくなっていく。
「さあ! いくのよ! アンナ、サラとともに生きて!」
母はサラをアンナに預け、押し出した。アンナはサラをおぶりながら、扉を開ける。その先には、向こうには、冷たい表情をしたフードを被った男たちが何人もいた。魔女狩り部隊だ。
「子供?」
「魔女に育てられた子か? なら一緒に始末しろ。これ以上魔女を増やさないためにな」
アンナは、背負ったサラの重さを感じていた。
サラと共に生きて。
アンナは、涙を流しながら、扉を指差した。
「この奥に、魔女がいます! 私を育てて魔女にしようとした悪い魔女が!」
「なんだと?」
「ずっと、弟子のふりをしてきました……私は、魔女狩りの力になれます!」
……母親は、魔女狩りに連行されていった。
アンナとサラは、魔女を摘発したことで生かされた。魔女の弟子のふりをして、摘発する。この功績が評価されたのだ。アンナは、スパイとしての教育を受け、魔女狩りの一員となった。
それからずっと、アンナは、魔女を裏切り続けている。魔女の教育を受けたアンナは、魔女狩りの優秀なスパイになった。魔女に弟子入りするふりをして、キスさせて、魔女狩りに売る。だまして、欺いて。その繰り返しで生き残ってきた。
七歳のアンナは、母の使う魔法が大好きだった。
しかし、母を売り、魔女狩りのスパイとなった日。
その日から、アンナは魔法が使えなくなったのだ。
「ママ!」
目を覚ましたアンナは体を起こした。汗びっしょりで、唇は震え、心臓もドクンドクンとなっている。
思わず、近くにあるものを掴んでいた。
「あら、アンナ……」
それは、アリスの服だった。飛び起きたアンナはアリスに抱きついていたのだ。
「大丈夫? うなされていたわよ」
アリスはアンナを抱き止めて、心配そうに顔をのぞきこんでくる。近い。高く形のいい鼻も細く伸びたまつげも触れそうなくらい近い。
アンナはベッドに寝ていたようだ。倒れて意識を失った後、アリスが運んできてくれたのだろう。
アンナは、密着している意味と起きた時の言葉を思い返した。
ママ。アリスは微笑んでいる。
「ちがいます」
アンナは顔が熱くなって、アリスから離れた。
「どうしたのアンナ」
アンナは早口になって説明した。
「子供の頃の母の夢を見ていて、それが悪夢になって、飛び起きたときにアリス様がいた、というだけです。たまたまです」
「え? そうだろうなと思ったけど」
首を傾げるアリス。アンナは必死になって訂正したことが余計に恥ずかしくなった。
「今のは忘れてください」
かあっとなってしまった。
「ああ……」
アリスは何かに気づいたように人差し指を立てると、アンナの首元に持ってくる。
「アンナ、いいのよ」
穏やかな優しい笑顔で言った。
「アリス様」
「私のこと、ママって呼んでもいいのよ」
「呼びませんっ」
「もう、つれないわね……もっともっと甘えていいのに」
アリスは、紅茶のカップをアンナに渡した。
「お飲みなさい? 少し冷ましてあるから」
「ありがとうございます……」
この悪夢は久しぶりに見た。
いつも、忘れたふりをしている記憶だ。妹のサラにさえ、話した事はない。
言えるはずなかった。生き残るため、サラを守るためとはいえ、自分の手で母親を売ったなんて。
自分はサラにとって勇敢で優しい姉だ。でも本当の姿は、ずるくて意地汚い臆病者なのだ。
魔女を裏切って生き残る、汚いスパイがお似合いなのだ。
「何も言わなくていいの」
アリスは、紅茶をおいてアンナの手をつかんだ。
「あなたが辛い思いをしてきたことはわかってるから。話す必要なんてないわよ」
起きた時、汗びっしょりで唇も震えていた。
でも、今は元に戻っている。アリスとしょうもないやりとりをしていたら、恐怖がどこかに行ってしまったのだ。
「アリス様」
アンナは、手を握り返す。
「ちょっと、こうしててもいいですか?」
「あらあらあらあら」
アリスは嬉しそうにした。
「いくらでもいいのよ。百年くらい握っててもいいわ」
「ちょっとの期間、長すぎです」
これは演技だ。師匠ごっこ、姉妹ごっこ、親子ごっこがしたいアリスを喜ばせるための嘘だ。
アンナは自分に言い聞かせた。そうすると、気持ちが落ち着いてくるのを感じていた。
これ以上どきどきしたら、演技ができなくなる。そう思った。だから、作戦を続けることにした。
「アリス様は、確かに、無意識に人を見下していて、空気も読めないし、コミュニケーション力はゼロです。友達ができないのも納得です」
「まあ、ひどいことを言うわね」
などと言いながらも口調は優しく、微笑みを崩さない。
「でも、いいところもあります。その、ほんの少しだけ……ですけど」
アンナはまだアリスの手を握り続けたまま言った。体温が高く、熱いくらいだ。
「だからアリス様と仲良くなれる人も、私の他に、一人くらいはいるはずです」
「本当かしら」
アリスは失敗が続いて、少し自信を失っているみたいだ。その手を、強く握る。アリスの目を見つめて言った。
「私が見つけてみせます」
そう、これは演技だ。