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第8話 魔女とスパイの初げんか①

 アンナはアリスの館で与えられた自室で一人、水晶玉と向き合っていた。

「おい、薄汚いスパイめ……聞いているのか。返事しろ!」

 アンナは嫌な気持ちになった。貴族然とした金髪の青年……魔女狩りの隊長、ヨハンの顔が水晶玉から空中に投影された。

 潜入後、毎週、公宮のヨハンと通話している。使っているのはサラお手製の、盗聴防止魔法がかけられた水晶玉だ。

「ヨハン様。今日はチューリップ姿ではないのですか」

「黙れスパイめ。誕生日まで二週間もないのに、百人も招待客を集められるのか?」

 ヨハンはご立腹のようだが、危機的状況なのは確かだ。

 アグネスに初めて招待状を渡したのを皮切りに、少しずつアリスは友達を増やしていた。アンナが候補を見つけ、セッティングして、現場でフォローしながら交流を深めさせる。この尽力によって、三人も友達を増やすことができた。

「今のところ、五人も客がいますよ」

「全く進んでいないじゃないか。生き残りたくば、早く残りの九十五人を集めろ。あのバケモノに、そんなに付き合う人間がいればの話だがな」

「バケモノ?」

「奴は千年もこの国を裏から牛耳ってきた魔女だ。四百年前の噴火も、二百年前の地震も全てやつの仕業なのだぞ」

「噴火と地震は逆ですよ」

 アンナは、イライラしてきた。ヨハンはアリスにチューリップにされたことを根に持っているようだ。だが、サラと自分を十年も拘束し、手を汚させてきた者が言うセリフなのだろうか。

「黙れ、生意気な女め。とにかく早く結果を出せ。以上だ!」

 投影された顔が消え去った。アンナの胸は怒りでいっぱいになっていたが、今度はそこに、見慣れた妹の顔が浮かび上がってきた。

「お姉ちゃん、久しぶり!」

 気丈に微笑むサラを見て、アンナの目に涙が浮かんでくる。

「サラあ!」

 アンナは我慢できなくなり、泣きながら映像に抱き着いた。触ることはできないが、サラがここにいるようで、ほっとする。

「辛いよ怖いよ不安だよー! ヨハンには急かされるし、アリスは全然言うこと聞かないし! 時間ばかりが過ぎてくよー!」

 アンナは、アリスの愚痴を延々と続けた。弱くて儚くて可愛いと人間に上から目線で言う、過剰に強い魔法を使って人間を守ろうとする、発言がいちいち危ない。用もないのにアンナを呼び、甘えさせたがる。膝枕を強要する。などなど、文句は尽きなかった。

「ふふふ、お姉ちゃん、お話いっぱいだね?」

 サラが笑ったのを見て、アンナは我に帰った。妹に、気を使わせてしまった。

「あ、ごめん……! サラのこと全然考えないで、愚痴ばかり言って。サラも不自由な生活を強いられて、辛いのはわかってるのに。ちゃんとお姉ちゃんできなくて、ごめんね……」

 平謝りする。

「ううん、いいんだよ。話聞けるの嬉しいし」

「嬉しい? 私の愚痴聞くのが?」

「うん。だってアリスのこと話してるお姉ちゃん、すごく楽しそうなんだもん」

 サラは優しく微笑んでいた。アンナは抗議する。

「楽しくなんかないよ! あんなドジな師匠、疲れるだけ!」

「今まで、お姉ちゃん、魔女のこと話してくれたことなんかなかったでしょ? 事務的なことばかりで」

「それは、面白い話でもないし。倒すべき敵のことなんか話してもしょうがないから」

 サラが、いたずらっぽく水晶玉の向こうから見つめてきた。

「でも、アリスの話はするよね? なんだか、仲のいい友達のことをしゃべってるみたい」

「それは……」

「お姉ちゃん、友達なんていなかったのにね?」

「よ、余計なお世話! スパイに友達なんかいても、敵に利用されるだけだから!」

 アンナは顔を赤くした。

 なんで、アリスのことはこんなに話してしまうのだろう。

 アンナは、初めて会った時の膝の柔らかい感触と安心感、鈴の鳴るような声を思い出した。

 ――本当は、甘えん坊でしょう?

 聞くだけで、穏やかな気持ちになってくる声だ。

「それより、本題! 話戻そう」

 アンナは気恥ずかしくなって無理やり話題を変える。

 敵地からリスクを承知でサラと繋いだのは、愚痴を言う為ではない。ちゃんと目的があるのだ。

「……友達を一気に増やす方法?」

「そう。後二週間で、九十五人友達を作らないといけないんだ。嫌われ者の魔女に」

「なんで私に?」

「だって、どうすればいいかわからなくて……私、相談できるの、サラだけだから……」

 アンナに魔女から出される課題は今まで、個人の能力を問われるものばかりだった。魔導書の書き換え、使い魔の使役……それらは幼い頃から母に教わってきたアンナには簡単だった。でも、今回のような友達作りになると、どうすればいいのかわからなかったのだ。

「わかった! 力になるよ!」

「サラあ、ありがとお」

 アンナはまた泣く。頼りになるのは、サラだけだ。

「これなんかどうかな」

 サラは、紙を見せてきた。企画書のようだ。それを見て、アンナは首を傾げた。

「魔導士街コン……?」

 そこにはこのようなことが書かれていた。

 全国の魔導士が一堂に会するビッグイベント! 

 魔法について語り合うも、魔導書や魔道具をお互いに紹介するもよし。魔法の決闘で力試しをするも良し。

 普段引きこもりがちなあなたも、この機に外に出てみませんか?

「個人活動の魔導士って、いつも拠点にこもって研究してる人が多いんだ。たまには交流したいって、魔道具協会で考えてる人がいたわけ」

「なるほど! これなら、アリスも仲良くなれるかもしれない」

 つまり、アグネスのような人がたくさん来るということだ。残り九十五人、一人ずつ集めている時間はない。ここで一気に友達を作るチャンスだ。

「……でも、気を付けてね。魔道具協会を狙っている連中もいるから」

「狙っている?」

「『ケルベロス』っていうテロ組織から、そんな会はやめろって脅迫状が来たらしいんだ。テロに屈さないために、強行するみたいだけど」

「ケルベロスね」

 その組織についてはアンナも知っていた。

 魔力の弱い人でも使える魔道具が最近広く普及してきたことに対して、面白く思っていない人間も多い。魔力の強さで幅を利かせてきた連中だ。世の中の流れと受け入れている者がほとんどだが、過激派もいる。それが、テロ組織『ケルベロス』だ。小規模で大した力もないが、暴力的な行動に出ることも多いという。

 彼らは隙あらば魔道具の普及を妨害したいと思っている。魔道具協会が大規模な集会を開くなら、彼らにとってことを起こすチャンスということだろう。

「逆に都合がいいかも」

「どういうこと?」

「ケルベロスをアリスがやっつければ、感謝されて評価が上がるかもしれないってこと」

 楽しいはずのイベントを襲う、危険なテロリストを排除する。そういう具体的な貢献をすれば、アリスはもっと好かれるようになるかもしれない。この状況は、逆に好都合な気がした。

「ありがとう、サラ。おかげで方針が立った」

 アンナは立ち上がって言った。

「でも、なんでそんな事情を知ってるの?」

 サラは、恥ずかしそうに言った。

「ヨハンに隠れて、水晶でこっそり魔道具協会の人から情報を得たりしてたんだ」

「そんなことを」

 ばれたらただではすまないことだ。でも、そのリスクを冒しても、サラにはやりたかったことなのだろう。

「ごめんね、だまってて。私、協会に入りたいなと思ってて。ここにいたら、絶対に無理なのにね」

 寂しそうに微笑む。アンナは首を横に振った。

「無理なんかじゃないよ」

「お姉ちゃん?」

「私がサラを必ずそこから出す。そしたら、魔道具協会に入ろう? 大好きな魔道具で、いっぱい活躍するサラが見たいんだ」

「ありがとう、お姉ちゃん」

 サラは目を潤ませていた。二人は、水晶玉越しに見つめ合った。大切な妹に幸せに暮らしてほしい。それは心の底からの願いだった。

 もちろん、アンナは忘れていたわけではなかった。

 サラをそこから出すためには、アリスを倒さなければならないということを。


 魔法で広げられた部屋の棚には、無限に近い数の魔導書が所狭しと詰められている。あたりをバサバサと飛び交う本は、コウモリのようだ。

「うわ、ひどっ……」

 アリスが千年の間集めた本が、散りばめられているのだ。床にも、本が大量に落ちており、足の踏み場もない。アリスはたくさんの本の中で寝っ転がっていた。

「ううー、アンナ。そんな抱き付かないでよお」

 何やら幸せそうに寝言を言っている。いつも抱きついてくるのはそっちですが……と言いたいのはやまやまだが、アンナは本の海をかき分けてアリスの肩を叩いた。

「アリス様、アリス様。起きてください」

「アンナ、やめて……そこは私、弱いのよ」

「目を覚ましてください。魔導士街コンの準備、終わったんですか?」

 アンナにバシバシ叩かれ、アリスはやっと目が覚めたようだ。

「はっ! ごめんなさい。九百年前のアルバムを見つけて、見入っていたのよ。あと、七百年前にハマった小説もあって」

「ほんと、片付けられない魔女ですね。魔導書の整理、終わりました?」

「……まだ」

 アリスは目を逸らした。怒られた子供のようだ。

「あと三日後ですよ」

「だって片付かないもの」

「しょうがないですね」

 アンナは、近くの本をかき集めると布に包み、箒に乗って飛び回った。適切な棚にどんどん入れていく。アリスの周りの本の山はあっという間に整頓されていった。

「アンナ、すごい!」

「あと、魔導書の修正もやっておきました」

 アンナは、書き換えた魔導書を何冊かアリスに渡す。アリスはそれを見て、目を輝かせた。

「さすがアンナね!」

 抱きつこうとするアリスをアンナは避けた。

 アンナは魔導士街コンの話をすぐにアリスに通した。アリスは乗り気ではあった。しかし、普通に行っても、会話にならないのが目に見えている。そこで、話のネタを考えるため、魔導書を整理すると言っていた。しかし、あまりに散らかりすぎて全く作業が進んでいないのだ。

「自分でも片付けましょうね」

「ありがとう。私はこの部屋を頑張るから、アンナは別の部屋に片しに行ってくれる?」

 アリスは、山盛りの本をアンナにどさっと渡した。

「いいですよ。どこの部屋ですか」

「四九四九階の一三一三号室よ」

「この家、何階まであるんですか?」

「あまり数えたことはないわね、無限に近い広さがあるのは確かだけど。迷子にならないように気をつけてね」

 スケールがいちいち大きすぎる。アンナは呆れながら魔法エレベーターに乗った。すさまじい重力がかかり、部屋の上側にある表示階数が、ぐるぐると回って四九四九を示した。エレベーターが静止する。魔法で空間を広げているとは言え、こんな階数があるのは驚きだ。

 出てからも、暗くて長い廊下が続く。近くには一三号室。一三一三号室はどこまで行けばたどり着くのだろう。

 でもこれはチャンスだ。

 アンナは、こっそりとローブからネズミを十匹ほど出した。使い魔たちは、チューチュー言いながら廊下をかけていった。

 アンナは今、アリスにかなり信頼されている。一人で、家の中を探検することくらいは許されているのだ。それを利用し、家のあちこちに潜入し、アリスの情報を探して回ることができる。

 本を抱えながら、薄暗い廊下を慎重に歩いていく。遠くは真っ暗だが、進んでいくと、両壁に自動的に灯りがついていく。ホコリやチリはどこにもなく、手入れは隅々まで行き届いていた。

 これだけ広い家で、アリスは千年間も一人で暮らしていた。大量の魔導書を集めながら、自分が始祖の魔女と恐れられていることにも自覚がないくらい研究に熱中していた。

 一体何が彼女にそうさせたのだろう?

 ネズミが、壁の一箇所に集まっている。怪しいところを見つけたようだ。アンナはそこに近づく。

 そのときだった。

 壁と床の一部が、回転扉のように旋回した。巻き込まれたアンナは、壁の向こう側に連れて行かれた。

「ここは?」

 小さく明るい部屋だった。ぬいぐるみやおもちゃが床に散らかっている。それと不釣り合いな大人っぽいドレスや髪飾りなども置いてある。さらに、大人にも難解そうな魔導書が床にゴロゴロ転がっている。表紙には可愛い丸文字で、アリスと書いてあった。

「アリスの、子供部屋?」

 この散らかり具合はアリスらしい。隠し部屋ということは、重要な情報がありそうだ。

 見回してみると、床に分厚い本が落ちていた。表紙には『日記帳』『アリス』『魔法暦八〇〇年』とある。その下の文字をアンナは読んだ。

「六六六魔法の五、『追憶の園(シオン)』」

 ひとりでに本が開いた。あたりに薄紫色の花が現れ、ふわりと舞った。

 次の瞬間、アンナの頭の中に映像が流れた。

 大きな火山が見えた。その火口に、赤い髪の魔女が浮遊している。彼女がにやりと笑い、杖を振ると、火山から大きな音がする。そこから、マグマがぐつぐつと煮える。そして、大きな噴火が起こった。マグマが飛び出してくる。

 そこに、アリスの姿が見えた。箒で飛んできたアリスは杖を振ると、火口が収まり、赤い髪の魔女を吹き飛ばした。

 アンナは我に帰った。

「この映像って……?」

 間違いない。二百年前の噴火だ。史実によればアリスが起こしたとされているが、今の映像を見ると違うらしい。

 近くに、魔法暦六〇〇年と書いた日記帳がある。それを開くと、またアンナの頭の中に映像が広がった。

 荒廃した大地にいる茶色い髪の魔女。大地に杖を振るうと、地面が揺れた。大規模な地震が起こる。そこに、アリスがやってきて、杖を振るう。地震が収まり、茶色い髪の魔女は倒れた。

 アンナは我に帰る。

「もしかして、アリスの記憶?」

 この日記帳には、アリスの丸文字がびっしりと書かれていた。書かれた記憶を、読んだ者の頭の中に映像として見せるようだ。同じような本が、棚にびっしりと並んでいた。おそらく、千冊ほどはあるだろう。ここは、アリスの過去が詰まっている秘密の部屋なのだ。背表紙のタイトルが空のものもあるから、まだまだこれから増えていくのかもしれない。

 しかし驚くべきは記憶の内容だ。日記が正しければ、アリスのせいとされている二百年前の噴火も、四百年前の地震も、全て別の魔女によるものだったことになる。むしろアリスはそれを止めた側なのだ。もしかしたらアリスは、大きく誤解されているのではないか?

 そして、二百年前、四百年前の日記があるということは……もっと前のものがあってもおかしくない。案の定、アンナは机の上に、特別に古びた日記が置いてあるのを見つけた。

「魔法暦元年」

 本の紙面が光り、風が起こった。アンナは引きつけられるように本に向かって吹き飛ばされ、紙面の中に吸い込まれていった。



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