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第9話 魔女とスパイの初げんか②

 アンナの頭の中に、大きな邸宅の庭の映像が映し出されていた。

「きゃあっ」

 聞き覚えのある声がして、近くに少女が倒れた。何者かに突き飛ばされたらしい。少女は両手を広げて、後ろにある何かを守っていた。

「またそんなものを育てて! 庭が汚れるだろう!」

 彼女に冷たい男の声がかけられる。

「魔力ばかり大きくて、陰気に魔導書ばかり読み、挙げ句の果てに汚いものを。アリス、お前は家の恥だ!」

 彼女は顔を上げた。白い肌に美しい目に高い鼻。少し表情が幼く、怯えている印象はあるが、顔はアリスそのものだ。だが、彼女はひざを擦りむいているようだった。魔女だったら、こんな傷はつかない。今のアリスは人間だ。

「お前にはこのペトロニーラを侍女につける。小部屋をあてがうから、そこから出るな。世話は任せたぞ、ペトロニーラ」

 一人のシックなメイド服を着た大人の女性が前に出てきた。それを見届けて、貴族の男は不機嫌そうに帰っていった。

 残された女性はアリスに礼をする。

「アリス様、私はペトロニーラと申します」

「よ、よろしく……」

 アリスは、震えながら背中にあるものをかばうように立った。

「そこ、何があるんですか?」

「お花よ。お父様が、庭が狭くなるから、片付けなさいって言って」

 アリスが守っていたのは、小さな花壇だった。

「どうして守っていたのですか?」

「だって、この子たち、弱くて、儚くて、すぐ枯れてしまいそうでしょう? 弱いものは、守ってあげなくちゃ。助けてあげなくちゃいけないでしょう?」

 アリスは、花を愛おしそうに見つめた。風に吹かれて頼りなく揺れる。

「可愛い……大丈夫よ、私がそばにいるから。私のそばは、世界で一番安全なんだから」

「どうしてそんなに守ろうとするのですか?」

「それは……なんだか、私みたいなんだもの。誰にも守ってもらえないなんて」

 アリスは、花を触った。

 弱いものを可愛がり、守る。これは、アリスの生来の考え方なのだ。そしてその考え方を父親に疎まれ続けたのだろう。

「アリス様は、優しいですね」

 ペトロニーラは、アンナの横にしゃがみ、一緒に花を見て微笑んだ。

 アリスはその笑顔を見て、すがるように言った。

「ペトロニーラ、お願い。友達になってくれる?」

「友達ですか?」

「私、家族にも友達にも見捨てられたのよ。だから、寂しいわ。侍女よりも、友達がほしいの」

「いいですよ」

「ありがとう」

 アリスはペトロニーラの袖を掴んだ。気を許して良いと思ったようだ。

「なら、できれば、お姉ちゃんと、お母さんと、魔法の師匠も欲しいわ……」

 もじもじしながら言う。それを聞いて、ペトロニーラはくすりと笑った。

「まあ。アリス様、甘えん坊ですねえ」

「ダメ?」

「いいですよ。私が全部なってあげます」

「本当かしら!?」

「本当です。それに私だけじゃありません。いっぱい友達作りましょう」

「いっぱい? どのくらいかしら」

「そうですね」

 ペトロニーラは、花を愛でるアリスに手を伸ばした。

「百人。百人、友達を作りましょう」

 それを見てアンナは確信した。

 『追憶の園(シオン)』と書かれた日記。

 魔女ではありえない、傷のついたアリス。

 今見ているのは、アリスが魔女になる前の記憶……彼女の、千年前の記憶だ。


 しばらく見ていると、彼女の過去はあまり幸せではなかったと分かった。

 アリスの家は裕福だったが、家族全員にアリスは疎まれていた。

 引きこもって魔導書を読んでいたり、弱いものを助けていたりしてばかりだからだ。雑草を抜くのを嫌がったり、子犬を拾ってきたり、孤児に物をあげようとしたり。貴族にとって、そのような行いは家の足を引っ張るものでしかなかった。

 周りの貴族も同様だ。アリスのことを変人と疎み、避けた。魔力が強く不思議な魔法を研究していることから、平民にも恐れられていた。味方は全くいなかったのだ。

 家族はそんなアリスを疎み、小部屋に押し込め、ペトロニーラを当てがった。ペトロニーラはアリスより十歳ほど年上で、貴族の出だった。しかしアリスと同じで、魔力が大きいのと、弱者を助ける行いで疎まれ、侍女に格下げとなった。要は、揃って厄介払いをされたのだ。

 はみ出しもの同士、二人は仲良くなった。小部屋で、二人で暮らしていた。

「ペトロニーラ。膝枕をしてほしいわ」

「あら。またですか、アリス様」

「だって気持ちいいもの」

「仕方ないですね」

 アリスは笑顔になり、座ったペトロニーラの膝に頭を置いた。頭を撫でられ、嬉しそうにする。

「ペトロニーラ。また、私、新しい魔法考えたのよ」

 魔導書を差し出す。ペトロニーラはそれを見て、驚いた。

「すごいです、アリス様、こんな魔法、私は見たことありません」

「本当!? ペトロニーラに褒めてもらえるなんて、私嬉しいわ。これをみせてあげれば、友達増やせるかしら? 百人友達作って、誕生会に招待したいもの。招待状も作ったのよ!」

 魔導書は、溢れ出る魔力により不気味に光っていた。ペトロニーラはそれを不安そうに眺めた。

 アリスは魔法が大好きで、勉強熱心、研究熱心だった。才能は凄まじく、ペトロニーラに教えられるとすぐにどんな魔導士をも凌駕するような魔法を考えた。

 しかし彼女は純粋すぎた。世間知らずで、あまり周りも見えなかったのだ。

 近くに住む村民に、招待状を配ろうとした時だった。

「近づくな、呪われた女め」

 突き飛ばされて、アリスは地面に倒れた。ペトロニーラが怯えたアリスを支え、さする。

「危険な魔法ばかり研究して、何を企んでるんだ!」

 近くに住む村民は、アリスを恐れ半分、蔑み半分の目で見下す。地面には、バラバラと招待状が落ちていた。丁寧な丸文字で書かれ、花の絵もついている。

「わ、私は、みんなに喜んでもらいたくて、魔法を」

「気味悪いわ。近寄らないようにしましょう」

 村民たちは、アリスを置いて帰っていく。

 アリスは俯いて泣いた。

「私の魔法なんて、みんな嫌いなんだわ」

 ペトロニーラが抱きしめた。

「そんなことはありません。私はアリス様の魔法が大好きですよ」

 ペトロニーラは、地面に無惨に落ちた招待状を拾い、大事に大事に握りしめた。

「他の誰が来なくても、私はアリス様の誕生日を祝います。絶対です」

「ありがとう。ペトロニーラ、大好き!」

 アリスに笑顔が戻った。 

 それからアリスは、魔法の研究に没頭した。

 白紙の魔導書を眺め、彼女はにこにこ微笑んでいた。

「ペトロニーラは私の魔法を好きと言ってくれた。もっとたくさん、喜んでほしいわ。誕生日までに、素敵な魔法を考えましょう」

 すらすらと魔導書を書いていく。ペトロニーラのことを考えると、どんどん魔法の研究が進んだ。村民にさげすまれたことも忘れて没頭しているうちに、魔導書の山ができていく。

 何日も、何日も、アリスは熱中していた。

 ペトロニーラに、最高の魔法を見せたい。喜んでもらいたい。百人友達を作って、誕生日会に呼びたい……。

 アリスは息をついて、本を閉じた。ついに書きあがったのだ。

「できたわ、ペトロニーラに見せに行きましょう」

 興奮したアリスは満面の笑みで立ち上がって、小屋の外に出た。

 そこにはペトロニーラが立っていた。向こうには、村民たちがたくさん控えていた。皆、桑や鍬などを持っている。ものものしい表情だった。

「ペトロニーラ、できたわ! 見てほしいの!」

 魔導書を見せた。

「アリス様……!」

 ペトロニーラはそれを見て、抱きしめる。

「倒せ! 異端のものを、追い出せ!」

 村民たちが叫ぶ。

「え、あれは……?」

 アリスは目を疑った。彼らは皆、敵を見る目でこちらをにらんでくる。武器を構えた。

「みんな、友達になってくれないの?」

「アリス様。大丈夫です。私がついてます……」

 そのとき、アリスの体が光った。

 アリスの後ろで、魔法の扉が現れ、開いた。


 アンナが目を開けると、隠し部屋の本の前に戻っていた。

 日記を閉じる。そこにはアリスの過去が書いてあった。虐げてきた家族、ペトロニーラとの出会い、失敗した友達作り。魔導書を開発したアリスの前に、魔法の扉が開いた。人類で初めて開いた扉だ。日記はそこで終わっていたが、推測が正しければ、あの後アリスは魔女になる。その後、一体どうなったのだろう?

 しかし、今はアリスに仕事を頼まれている。早く戻らなければ。そう思ったとき、後ろから声がした。

「アンナ……」

 心臓が一気に冷える思いをして、振り向いた。

 そこには、アリスが立っていた。いつもの笑顔は消えている。

「遅いから気になってきてみたら。ここで、何をしていたの?」

 無表情でアンナを見下ろす。いつもの鈴の鳴るような声も、今は少し冷たく聞こえた。

 アンナは頭を必死にめぐらせた。

 まずい。

 アリスは本当に心配で来てみただけなのだろう。しかし、過去をのぞいていたことがばれてしまった。この一瞬で、屋敷を嗅ぎまわっていたことも、部屋に入ったことも、日記を見たこともばれた。

「す、すみません。廊下の端を歩いてたら、隠し部屋に取り込まれて。本があったので、つい気になってのぞいてしまいました……」

 必死に弁解する。魔女狩りであることを知られたら、殺されてしまう。

「見たのね?」

 アンナは頷く。

「私の昔のことも、ペトロニーラのことも?」

 うなずいた。

「……どこまで見たの?」

「魔法の扉を開くところまでです。そこまでだけです」

 必死にアンナは訴えた。

「そう。でもアンナ」

 アリスは悲しげに言った。怒ってはいなかった。むしろ、泣きそうだ。

「そこから先、どうなるかなんて、だいたいわかるでしょう?」

 アンナは、納得してしまった。

 嫌われていたアリスが、ペトロニーラの前で、魔法の扉を開いた。彼女はこれから魔女になる。そして目の前には、彼女を蔑んでいて、今にも襲ってきそうな村民たちがいる。

 良い結末を迎えないことはアンナにも予想できた。

「昔のこと、あなたに知られたくなかった」

 アリスは泣きそうだった。

「どうしてですか、そんなに取り乱して」

「どうしてもこうしてもないわ」

 アリスは悲しそうにアンナを見る。

「誰にだって、知られたくない秘密の一つや二つはあるでしょう?」

「それは……」

「あなたは、人の気持ちがわからないの?」

 アンナの心に、ぐさりと楔が刺さったような気分になった。

 それはずっとアンナがアリスに言ってきたことだったからだ。アリス様は人間の気持ちがわからないのか、と。

 気づけば、自分が同じことをしていたのだ。

 アリスの過去は、心の深い部分に触れるものだった。おいそれと知っていいものではなかった。アンナはそれを踏みにじったのだ。

 スパイだとばれてはいない。しかし致命的なミスを犯してしまった。

 もしかしたらこれは、正体を偽っていることよりも、罪深いことなのかもしれないと感じた。

「す、すみません……」

「アンナ、あなたにだって秘密はあるでしょう? 少しも自分のこと、話してくれないじゃない」

 アリスは深く傷ついているようだった。

 なおさら、痛いところを突かれてしまった。過去のことなんて言えるはずがない。私は魔女狩りのスパイで、お仲間を今までだましてきて、あなたのことも、殺そうとしているなんて。

「寂しいわ。私、もっとアンナのこと知りたいのに。どうしても、話してはくれないの?」

 もちろん、アンナは嘘の生い立ちくらい用意してある。その気になれば、完璧に語ることができる。矛盾なく、よどみなく、話すことができるはずだ。涙ながらの口ぶりで、アリスを信じさせることも容易いだろう。

 しかし、アンナの口は動かなかった。

「言えません。言いたくありません」

 見つめてくるアリスから、目を逸らした。

 偽りの生い立ちは、口から出てこなかった。

 言えなかったのではない。

 アンナはアリスに、これ以上、嘘を言いたくなかったのだ。

 それを聞いたアリスは眉尻を下げた。

「いいのよ。無理に言わなくても」

 優しい言葉だが、目は笑っていなかった。

「でも、寂しいわね。私、あなたのこと知りたいのに。私のこと、少しも信頼してくれないのね」

「すみません……」

「もういいわ」

「え?」

「もう、アンナのことなんか知らない。手伝いも、してくれなくていいわ」

 アリスは、そっぽを向いて振り返った。

「えっ、知らないって。魔導士街コンはどうするんですか。三日後に控えてるんですよ」

「いいわよ。私一人でやるから」

「そんなんじゃ、うまくいくはずないですよ」

「どうしてかしら?」

「どうせまた、変なこと言ったり、したりするに決まってます。私のフォローなしに、アリス様に友達なんてできません。アリス様、危なっかしくて、見てられません」

「ほらね」

 アリスは言った。

「あなたは、無意識に私のことを見下しているのよ。ずっと一人でいた引きこもりだからって。赤ちゃんか、ペットみたいに見ているのよ」

「見下してなんかないです。それは……」

 アンナは、言葉が続かなかった。それも、アンナがアリスにずっと言ってきたことだ。

 アリスのためを思ってなんて、言えた義理ではなかった。

「そんな子に、友達なんて作れるはずはないわ」

 このままでは、まずい。アリスは自滅してしまう。パーティは失敗し、アンナは卒業できず、サラと自分の死と、世界の破滅と……悲惨な結末が待っている。

「あの、すいません……」

 アンナはすがるように手を伸ばした。でも、アリスはそれを掴んで、そっとアンナの胸に戻した。あくまで、優しい手つきだった。

「いいのよ。そんなに心配してくれなくて。私のこと、信頼してないんでしょう?」

 アリスは言った。その目には、涙が浮かんでいた。

「もう、アンナのことなんて……大好きだけど……今は、見たくない!」

 風が巻き起こった。六六六魔法の六、『真心の園(ダンデライオン)』。タンポポの種と共にアンナは吹き飛ばされて、部屋の外に追い出された。

「アリス様!」

 叫んだが、遅かった。扉は閉まった。アンナが開けようとしたが、びくともしなかった。

「開けてください、開けてください、アリス様!」

 叩いても返事はない。本当に一人でパーティに臨むつもりだろうか。

 アンナはため息をついた。アリスの想いを知ってしまった。千年間秘めてきた脆い部分を傷つけた。

 自分のことは言わないくせに。

 言えるはずがなかった。

 アリスにだけは、嘘をつきたくなかったのだ。

 今までさんざん魔女をだましてきたのに。

 二週間後には、殺そうとしている相手なのに。

 だましたくなかったのだ。

 始祖の魔女アリス。彼女が千年前、魔女の扉を開いたのは、力を求めたからでも、知識を求めたからでもなかった。ただ一人、大好きな師匠で友達で家族の、ペトロニーラを喜ばせたいというだけのことだった。

 それからずっと彼女は、一人ぼっちで千年間、魔法の研究をしてきた。アンナの見たペトロニーラとの思い出で、彼女の時は止まっている。

 だから、アリスはアンナに甘えん坊だといい、膝枕をし、耳かきをした。師匠と弟子にせよ、姉と妹にせよ、親と子にせよ、友達同士にせよ……アリスの知っている、あたたかい人との繋がりは、ペトロニーラとのものだけだからだ。

 そしてその膝枕は、アンナにとっても気持ちの良いものだった。

 アリスは千年たって、ようやくペトロニーラとの約束を守ろうとしている。

 友達を作りたい。

 アリスを怒らせてしまったけど、アンナの気持ちは嘘ではなかった。

 アリスに友達を作りたい。それは、偽りない気持ちだったのだ。


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