目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第8話  選ばれし記憶

旧校舎の扉が閉まると同時に、足元の床がわずかに震えた。

 冷たい空気が一気に満ち、どこかからノイズ混じりの音声が響き渡る。


> 「ID:M-319A──認証完了」

「記憶審問プログラム、開始」




 突如、校舎内の壁がせり上がり、光の柱が天井へと伸びていく。

 そこには、過去の記憶を映し出すホログラムが現れていた。


 「ここが……LAPISの“審問室”……?」


 ユリがつぶやく。朝倉は黙って前へ進み、床に浮かび上がる円形のパネルに立った。


> 「回答者:三枝美佳の記憶と人格パターン、相互照合を開始します」

「選択肢A:現行人格」

「選択肢B:補完人格“石原ミカ”」

「選択肢C:観測人格“無記名コードβ-7”」




 美佳は戦慄した。

 「現行人格」とは、今の自分。

 だが“石原ミカ”?“無記名”?そんな人物は知らない。……なのに、どこか胸がざわつく。


 「これは……どういうこと?」


 「君は、複数の人格を記憶によって生成されている」

 朝倉が口を開いた。

「“本当の自分”が、今この場で選ばれるんだ」


 「選ばれるって……じゃあ、選ばれなかった私は?」


 「消去される。“人格抹消”って名のもとに」


 美佳の背筋に氷柱が走った。

 ユリが眉をひそめ、言葉を継ぐ。


 「でも、それを止める方法がひとつある。

 “記憶の継ぎ目”──書き換えられていない断片を、あなた自身の意思で証明するの」


 突然、ホログラムが切り替わる。

 中学生のころの教室。制服の自分。そして──友達の笑顔。


 「この子は……誰?」


 「思い出して。あの日、教室の隅で泣いてた子に、あなたは何て言った?」


 (わたしは──わたしは……)


 「……泣かないで、わたしがいるから」


 ぽつりとつぶやいたその瞬間、ホログラムがまばゆい光を放ち、パターンBとCの人格が一斉にフェードアウトする。


> 「照合完了──ID:M-319Aの主人格を“認証”」

「記憶選定、完了」

「本プログラムは一時終了します」




 光が消える。

 その場にいた三人は、同時に息を吐いた。


 「……これで、終わったの?」


 美佳の問いに、朝倉はかすかに首を振った。


 「いいや、これは“始まり”だよ。

 LAPISはまだ都市全体に拡散してる。今もなお、誰かの“心”を統計の数字に還元してるんだ」


 ユリが最後に呟いた。


 「ここからが本当の審問。

 この都市に埋められた“選択”を、誰が下すのか──」


 旧校舎の天井が静かに開き、夜空が広がった。

 藍色の空。その奥で、無数の小さな光点が、黙して見下ろしていた。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?