──数時間後。
三枝美佳が目を覚ました時、視界に映ったのは見慣れたはずの藍都学園都市ではなかった。
灰色の空。うねるように歪んだビル群。交差点は立体迷路のようにねじれ、道路標識は意味を成さない文字に変わっていた。
「……ここ、本当に藍都?」
美佳は口に出したが、その声もどこか遅れて耳に届くような感覚があった。
──記録室での“再編フェーズ”発動から、都市そのものが変質したのだ。
遠くで誰かが走る音がする。
振り返ると、朝倉純が現れた。肩で息をし、目は警戒で鋭く光っていた。
「美佳!無事か……?」
「純……! ここ、どうなってるの?」
「わからない。目が覚めたらこの状態で……。でも、どうも俺たち以外の人間、いないみたいだ。街全体が“静まり返ってる”。」
その瞬間、空中に浮かぶ“ノイズ”が目に入った。歪んだ都市の上空に、まるでデータの断片のような文字列が点滅している。
> 【再編モード:Phase_1起動】
> 【観測対象 No.0331, 0332, 0335, 0338, 0341, 0344 :確認】
> 【感情同期:進行中】
「……観測対象って、私たち……?」
「どうやらな。ユリが言ってた、“感情のリアルタイム追跡”。あれが今、実際に起きてる」
純は自分の腕を見せた。そこには、皮膚の内側に何かが埋め込まれたような模様が浮かび上がっていた。数字と記号が、血管に沿ってゆっくりと移動している。
「“記録”が、俺たちの中で動き始めてる」
遠くのビルが突然、崩れ落ちた。音はなく、まるで重力を忘れたかのように、粉々に砕けた破片が空中に漂っていく。
「この街……現実じゃない。たぶん、“記録都市”だ」
純が呟いた。
「記録都市?」
「ああ。俺たちの“記憶”と“感情”から再構成された、偽の藍都──LAPISが創った、もうひとつの都市だ」
すると突然、近くのビルの影から誰かが現れた。
「やっぱりここだった」
現れたのは、七海彩音。だが、その表情はどこか虚ろだった。目の奥には、感情の“揺らぎ”のようなノイズが走っていた。
「彩音……?」
「……私、たしかにここで目を覚ました。でも、それ以前の記憶が……途切れてるの。ねえ、私たち、本当にここに“いる”のかな?」
美佳は言葉を失った。
──この都市に存在すること自体が、もはや現実かどうかすら曖昧になっていく。
そのとき、空に響いた声があった。
それは機械音声でも、誰かの叫びでもなく──“LAPIS”の中枢そのものの声だった。
> 「Phase_2へ移行します。対象の“記録保全率”により、都市の構成を再定義します」
「記録が不完全な者から順に──『消去』を開始します」
瞬間、遠くで閃光が走り、ひとつの高層ビルが音もなく蒸発するように消えた。
「“消される”……のか、私たち……!」
美佳の中で、何かがはっきりと目を覚ました。
ここは情報の都市。そして、自分たちは記録の中に取り込まれたまま、選ばされ続けている。
選択肢の意味も知らずに──。
「純、逃げよう。“本当の自分”を取り戻さなきゃ」
「……ああ。でも“どこ”に?」
その答えは、まだ誰にもわからなかった。