✦✦✦《召喚、それは理不尽の始まりだった》✦✦✦
気づいたときには、もうこの世界にいた。
――見覚えのない神殿、床一面に広がる魔法陣。周囲には制服姿のクラスメイトたち。
誰かが叫んだ。「ここ、どこだよ!?」「夢か……?」
だが夢じゃなかった。
俺たちは、“まとめて”異世界に召喚されたのだ。
理由も告げられないまま、見知らぬ法衣の男が言い放つ。
「ようこそ、選ばれし召喚者たちよ」と。
Kはその瞬間、背筋が冷えた。
これは冒険じゃない。誰かが勝手に決めた“公開処刑”の舞台。
――これは、“間引き”だ。値をつけられ、選ばれなきゃ処理される。
……いや、それ以前に、そもそも「選ばれるつもり」なんて、あったか?
✦✦✦《名もなき拒絶》✦✦✦
「ここに来たなら俺は勇者に違いない!」
「俺の力でこの世界を支配してやるぜ! はああっ!」
クラスメイトの一人。前髪の奥からギラついた目をのぞかせ、巨体で神官へと突進した。
「今だ! 力よ、俺に!」と叫び、ショルダータックルを仕掛ける――が、相手は微動だにしない。
Kは体を前に出しかけた。止めなきゃ、と焦りが頭をよぎる。
……けれど、足は地面に縫いつけられたように動かなかった。
そして。
「グハッ!」
槍が腹を突き抜けた。
巨体が崩れ、咳き込むように血を吐いて倒れる。
Kはただ、立ち尽くしていた。
声も出ず、目すら逸らせない。凍りついたように。
血の雫が宙を舞い、淡い光のなかに溶けた。
その瞬間、Kの中で何かが冷えた。
「……止めようとは、思ったんだよ。でも……ダメだった。動けなかった。いや――違う。動ける理由が、なかっただけだ」
「結局……何もできなかった。ただ見てるしか……なかったんだ」
黒衣の神官〈ファルク〉がため息をつく。冷笑を混ぜながら、事務的に言い捨てた。
「ったくよ、これだから低位は……資源の無駄ってやつだな。回復させとけ、で、樽詰め」
「低位でも資源は資源だ。記録と加工、手ぇ抜いたら詰めなおしだぞ。制度、守れよ」
“樽詰め”――生きたまま魔導樽に封じられ、魔力資源として搾り取られる工程。
聞いただけで、Kは吐き気を覚えた。
「しょうもねぇな……低等級の魔力資源ってのは、使い道選ばねえと、意味がねぇんだ」
「資源、だと……? 呼び出しておいて、俺たちを“材料”扱いかよ……」
Kは拳を握り、息を呑む。
「ふざけんなよ……マジで……」
複数の神官と衛兵に囲まれたその倒れた彼は命こそ取り留めたが……担架に乗せられ、どこかへと運ばれていった。
「康二くん……どうして……」
沙月が呟いた。かすれた声だった。
特別親しいわけじゃなかった。
沙月はいつも彼を気にしていた――教室の隅で一人ぼんやりしている姿を、よく見ていた。
Kは拳を握った。何か言おうとしたのか、ただ唇が動いただけだった。
――決定的に、何かが狂ってる。
そのとき、別の方向から爆ぜるような笑い声が響いた。
「ふははっ、神様だか何だか知らねーけど、そんなもん俺の前じゃただの石像だ!」
もう一人のクラスメイト。名前は思い出せない。
康二が倒れた直後に、そいつは祭壇の神像の前で、小便を始めた。
「やめろ!」
「正気かよ!」
誰かの叫びより早く、像の目が妖しく光る。空間が震えた。
「――対象、汚穢。即時処理」
神官の声。天井から光の斧が降り――何も、残らなかった。
他の女子たちは目を逸らした。
中学の頃から知っている。あいつは、あんな無茶をするようなやつじゃなかった。
〈ファルク〉がKの方へ視線を向けた。
「……おい、そこの奴。お前も同類か?」
突然の指差しに、心臓が跳ねた。
「“自分が特別”とでも思ってる……そんな顔だ。……勘違いするな」
ファルクがにやりと笑う。
靴音が石を叩くたび、Kの背が跳ねる。
「資源ってのはな、使えるってだけで価値がある。……使えなきゃ、処理。それだけだ。
意味? 測れねえもんに意味なんかあるかよ。心? ……ああ、聞こえるよ、うるせえノイズだな。耳鳴りみたいに」
……俺を、“資源”としてしか見てないってわけか。
ふざけんな。
「……俺は、俺だ……。誰にも、否定されたくなんてなかった」
Kの指が震える。
怒りは、簡単には収まらなかった。
ファルクの視線は、Kにラベルを貼ろうとする者の目だった。
――その瞬間、視界が歪んだ。
康二。突撃なんてするやつじゃなかった。
けれど、もうわからない。
沙月は康二の消えた場所を見つめて、呟いた。
「……こんなの、誰が決めたの……康二くん……」
ファルクの「資源」という言葉。あの一言が、すべてを現実に引き戻した。
俺たちは、もう――“人間”ですらないのか?
Kは、次に迫る“何か”を直感していた。
✦✦✦《不在ノ証明》✦✦✦
事件などなかったかのように、Kの前で魔法陣が脈打つ。
その中心で、名を問われていた。
ぼやけていた視界が戻り、足元に青白い光の粒が漂う。
熱。振動。焦げた匂い。
黒い石は、わずかに熱を帯びていた。
ここって……どこだ?
ふと顔を上げると、制服姿の生徒たちが目に入った。けれど――。
彼らはKを見ていなかった。
……違う。拒絶していた。
まるで“ここにいてはいけない異物”を見ているように。
「おい……誰だ、コイツ?」
凍る空気。生徒たちのざわめき。
「……クラスにいたか?」
「制服、なんでこんなに綺麗なんだよ」
「なあ……名前、誰か覚えてる?」
その言葉に、胸がひどくざらついた。
まるで自分が“ここにいないこと”が当然みたいな空気。
「なあ……名前って、そんなに大事かよ。なけりゃもう終わりってのか?」
誰に向けたのか、自分でもわからなかった。
ただ、そう言わずにいられなかっただけだ。
「寒い……あの人、なんか、壊れてる……」
「お前、名前は?」
問いかけられる――が、声が出ない。喉が詰まり、思考が止まる。
名前……出てこない。
忘れた、じゃない。最初から、持ってなかったみたいに。
頭にいくつも名前がよぎる。
けれどどれも、他人の名。無理やり貼られた札のようで、しっくりこない。
……ああ、ひとつだけ、引っかかった。
K。
どうして、これだけ……こびりついて離れない?
心臓が嫌な音を立て、指が震えた。
「これ、俺が選んだ名前……だったか? ……いや、いつの間にか貼られてただけかもな……」
Kは唇を噛んだ。
幼いころ、名を呼ばれた記憶は少なかった。
“K”という響きすら、誰が最初に呼んだのか覚えていない。
名前がなきゃ、見つけてもらえないんだよ。
だから……誰かのでも、借りた。もう、それでいいと思った。
この世界じゃ、“名前を持つ”ことが魔力資源としての登録らしい。
なら、名を持つこと自体が、制度の手綱じゃないか。
「K……? これが……俺の名前? ……違う気がする。でも、他に……何かあったか……?」
声が……出そうで出ない。
けど――口が、勝手に、動いた。
……それは、自分の名なのか?
それとも――そう思い込まされているだけか?
名を口にした、その刹那。
魔法陣が、揺れた。
Kの足元だけ、光の粒が浮かび、爆ぜる。
――まるで、空間そのものがKを拒絶しているようだった。
床が軋み、空間が反転する。
魔導具が爆ぜ、光の粒が暴走する。
神官が叫んだ。
「――排除不能!? なんだ、これは……!」
異常だった。
Kの存在は、“制度”の想定外だった。
少女の手から魔導具が落ち、周囲がざわつく。
「な……なんだこれ、拒絶じゃ……ない? 異常反応……?」
Kはファルクを睨み、魔法陣から一歩、踏み出した。
✦✦✦《異端の刻印》✦✦✦
「資源、だぁ……? ふざけんな……俺は、“材料”じゃねえッッ!」
喉から裂けるように、叫んでいた。
自分でも意味がわからない。ただ、出た。止まらなかった。
その瞬間、空気が凍る。
視線が集まり、畏れと警戒がKを飲み込む。
理解など求めていない。
ただ、ここに立つ。それだけだった。
「……51人目の召喚者、か」
静かに響く声。
振り向くと、黒い法衣の男がこちらを見ていた。
“正体を見抜こうとする目”だった。
男は唇を歪めた。
「……制度に痕跡すらない。おもしろい」
制度に“引っかかってない”――それは、存在が“記録されていない”ということ。
「誰かが、召喚の記録すら残さないよう仕組んだ……?」
ファルクが笑った。
「“あの方”の管理層に知られたら、大騒ぎだな」
Kは“あの方”という言葉に、無意識に反応する。
だが、答えは来ない。
「本来なら、制度外の存在は排除するしかない。……記録も、名も、紋章もない。
お前は、制度の外側の“異物”だ」
空間がうねり出す。
Kは睨みつけるように言った。
「秩序を乱す存在は……排除、だろ」
制度の台詞を、Kは自嘲気味に繰り返した。
螺旋を描く術式が脈打ち、閃光が走る。
Kの袖の下、黒い紋様が浮かび上がった。
まるで燃えかすのようにゆらめき、中心には“裂け目”が刻まれていた。
それは――制度に記録されていない刻印。
神亡者(しんぼうしゃ)の刻印。
制度に存在しない者にのみ現れる、禁忌の証。
男の目が見開かれる。
「……っ、いや、そんなはずは……!」
恐怖と警戒の混じった視線。
Kは見た。直視した。
そして、呟いた。
「……そうか」
心の奥で、何かが弾けた。
「……別に、認めてほしいわけじゃない。でも……消えろって言われるのは、なんか、ムカつくんだよ。意味とか、知らねえけど」
それだけだ。
世界は俺を“間違い”として処理しようとしてる。
……そんなの、勝手に決めんなよ。
俺は――絶対に、許さない。
ただの違いすら、狂いとして片づける秩序なら、そんなものは壊すしかない。
「押しつけられたっていいよ、もう。けどな……俺が選ぶって決めたんだ。勝手に触るな。誰にも渡さねえ」
俺は、この名を守る。奪わせない。
Kは拳を握る。
その瞬間、小さな亀裂が足元に走った。
資源。名前。制度。K。
すべては、そこから始まる。
間違っていたのは――この世界か、それとも、俺か。
……それでも。
“名前すらねえ存在”が、ここから始めるってのが――おかしいか?
✦✦✦
【次回予告 by セリア】
「“召喚は収穫”――確かに効率はいいわね。掘って、測って、分類して。
でも時々あるのよ。“掘れなかった”どころか、“制度の方が傷ついた”ってパターン」
「《逆理の刻印》、ね……。測れない、抜けない、拒まれる。
どれも普通なら“エラー”って片づけられるわ。でもこれは違う。
……制度の側が、負けたって話よ。笑っちゃうけど、本当の話」
“扱えない存在”は、排除される。そう決まってる。
でも、排除できない異物が現れたら――制度が“再定義”されるしかないわね?
「セリアの小言? そうね……“価値”って、測れちゃうから怖いの。
でもね、測れないものって、誰も責任取れないのよ。
……だから放っておくか、黙って――閉じ込めるの」