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一章

#1−1:制度の盲点


✦✦✦《召喚、それは理不尽の始まりだった》✦✦✦


 気づいたときには、もうこの世界にいた。

 ――見覚えのない神殿、床一面に広がる魔法陣。周囲には制服姿のクラスメイトたち。


 誰かが叫んだ。「ここ、どこだよ!?」「夢か……?」

 だが夢じゃなかった。


 俺たちは、“まとめて”異世界に召喚されたのだ。


 理由も告げられないまま、見知らぬ法衣の男が言い放つ。

 「ようこそ、選ばれし召喚者たちよ」と。


 Kはその瞬間、背筋が冷えた。

 これは冒険じゃない。誰かが勝手に決めた“公開処刑”の舞台。

 ――これは、“間引き”だ。値をつけられ、選ばれなきゃ処理される。

 ……いや、それ以前に、そもそも「選ばれるつもり」なんて、あったか?



✦✦✦《名もなき拒絶》✦✦✦


「ここに来たなら俺は勇者に違いない!」

「俺の力でこの世界を支配してやるぜ! はああっ!」


 クラスメイトの一人。前髪の奥からギラついた目をのぞかせ、巨体で神官へと突進した。


「今だ! 力よ、俺に!」と叫び、ショルダータックルを仕掛ける――が、相手は微動だにしない。


 Kは体を前に出しかけた。止めなきゃ、と焦りが頭をよぎる。

 ……けれど、足は地面に縫いつけられたように動かなかった。


 そして。


「グハッ!」


 槍が腹を突き抜けた。

 巨体が崩れ、咳き込むように血を吐いて倒れる。


 Kはただ、立ち尽くしていた。

 声も出ず、目すら逸らせない。凍りついたように。


 血の雫が宙を舞い、淡い光のなかに溶けた。

 その瞬間、Kの中で何かが冷えた。


「……止めようとは、思ったんだよ。でも……ダメだった。動けなかった。いや――違う。動ける理由が、なかっただけだ」

「結局……何もできなかった。ただ見てるしか……なかったんだ」


 黒衣の神官〈ファルク〉がため息をつく。冷笑を混ぜながら、事務的に言い捨てた。


「ったくよ、これだから低位は……資源の無駄ってやつだな。回復させとけ、で、樽詰め」

「低位でも資源は資源だ。記録と加工、手ぇ抜いたら詰めなおしだぞ。制度、守れよ」


 “樽詰め”――生きたまま魔導樽に封じられ、魔力資源として搾り取られる工程。

 聞いただけで、Kは吐き気を覚えた。


「しょうもねぇな……低等級の魔力資源ってのは、使い道選ばねえと、意味がねぇんだ」


「資源、だと……? 呼び出しておいて、俺たちを“材料”扱いかよ……」


 Kは拳を握り、息を呑む。


「ふざけんなよ……マジで……」


 複数の神官と衛兵に囲まれたその倒れた彼は命こそ取り留めたが……担架に乗せられ、どこかへと運ばれていった。


「康二くん……どうして……」


 沙月が呟いた。かすれた声だった。

 特別親しいわけじゃなかった。

 沙月はいつも彼を気にしていた――教室の隅で一人ぼんやりしている姿を、よく見ていた。

 Kは拳を握った。何か言おうとしたのか、ただ唇が動いただけだった。


 ――決定的に、何かが狂ってる。


 そのとき、別の方向から爆ぜるような笑い声が響いた。


「ふははっ、神様だか何だか知らねーけど、そんなもん俺の前じゃただの石像だ!」


 もう一人のクラスメイト。名前は思い出せない。

 康二が倒れた直後に、そいつは祭壇の神像の前で、小便を始めた。


「やめろ!」

「正気かよ!」


 誰かの叫びより早く、像の目が妖しく光る。空間が震えた。


「――対象、汚穢。即時処理」


 神官の声。天井から光の斧が降り――何も、残らなかった。


 他の女子たちは目を逸らした。

 中学の頃から知っている。あいつは、あんな無茶をするようなやつじゃなかった。


〈ファルク〉がKの方へ視線を向けた。


「……おい、そこの奴。お前も同類か?」


 突然の指差しに、心臓が跳ねた。


「“自分が特別”とでも思ってる……そんな顔だ。……勘違いするな」


 ファルクがにやりと笑う。

 靴音が石を叩くたび、Kの背が跳ねる。


「資源ってのはな、使えるってだけで価値がある。……使えなきゃ、処理。それだけだ。

意味? 測れねえもんに意味なんかあるかよ。心? ……ああ、聞こえるよ、うるせえノイズだな。耳鳴りみたいに」


 ……俺を、“資源”としてしか見てないってわけか。

 ふざけんな。


「……俺は、俺だ……。誰にも、否定されたくなんてなかった」


 Kの指が震える。

 怒りは、簡単には収まらなかった。


 ファルクの視線は、Kにラベルを貼ろうとする者の目だった。


 ――その瞬間、視界が歪んだ。


 康二。突撃なんてするやつじゃなかった。

 けれど、もうわからない。

 沙月は康二の消えた場所を見つめて、呟いた。


「……こんなの、誰が決めたの……康二くん……」


 ファルクの「資源」という言葉。あの一言が、すべてを現実に引き戻した。


 俺たちは、もう――“人間”ですらないのか?


 Kは、次に迫る“何か”を直感していた。



✦✦✦《不在ノ証明》✦✦✦


 事件などなかったかのように、Kの前で魔法陣が脈打つ。

 その中心で、名を問われていた。


 ぼやけていた視界が戻り、足元に青白い光の粒が漂う。

 熱。振動。焦げた匂い。

 黒い石は、わずかに熱を帯びていた。


 ここって……どこだ?


 ふと顔を上げると、制服姿の生徒たちが目に入った。けれど――。


 彼らはKを見ていなかった。


 ……違う。拒絶していた。

 まるで“ここにいてはいけない異物”を見ているように。


「おい……誰だ、コイツ?」


 凍る空気。生徒たちのざわめき。


「……クラスにいたか?」

「制服、なんでこんなに綺麗なんだよ」

「なあ……名前、誰か覚えてる?」


 その言葉に、胸がひどくざらついた。

 まるで自分が“ここにいないこと”が当然みたいな空気。


「なあ……名前って、そんなに大事かよ。なけりゃもう終わりってのか?」


 誰に向けたのか、自分でもわからなかった。

 ただ、そう言わずにいられなかっただけだ。


「寒い……あの人、なんか、壊れてる……」


「お前、名前は?」


 問いかけられる――が、声が出ない。喉が詰まり、思考が止まる。


 名前……出てこない。


 忘れた、じゃない。最初から、持ってなかったみたいに。


 頭にいくつも名前がよぎる。

 けれどどれも、他人の名。無理やり貼られた札のようで、しっくりこない。


 ……ああ、ひとつだけ、引っかかった。

 K。

 どうして、これだけ……こびりついて離れない?


 心臓が嫌な音を立て、指が震えた。


「これ、俺が選んだ名前……だったか? ……いや、いつの間にか貼られてただけかもな……」


 Kは唇を噛んだ。

 幼いころ、名を呼ばれた記憶は少なかった。

 “K”という響きすら、誰が最初に呼んだのか覚えていない。


 名前がなきゃ、見つけてもらえないんだよ。

 だから……誰かのでも、借りた。もう、それでいいと思った。


 この世界じゃ、“名前を持つ”ことが魔力資源としての登録らしい。

 なら、名を持つこと自体が、制度の手綱じゃないか。


「K……? これが……俺の名前? ……違う気がする。でも、他に……何かあったか……?」


 声が……出そうで出ない。

 けど――口が、勝手に、動いた。


 ……それは、自分の名なのか?


 それとも――そう思い込まされているだけか?


 名を口にした、その刹那。


 魔法陣が、揺れた。


 Kの足元だけ、光の粒が浮かび、爆ぜる。

 ――まるで、空間そのものがKを拒絶しているようだった。


 床が軋み、空間が反転する。

 魔導具が爆ぜ、光の粒が暴走する。


 神官が叫んだ。


「――排除不能!? なんだ、これは……!」


 異常だった。

 Kの存在は、“制度”の想定外だった。


 少女の手から魔導具が落ち、周囲がざわつく。


「な……なんだこれ、拒絶じゃ……ない? 異常反応……?」


 Kはファルクを睨み、魔法陣から一歩、踏み出した。



✦✦✦《異端の刻印》✦✦✦


「資源、だぁ……? ふざけんな……俺は、“材料”じゃねえッッ!」


 喉から裂けるように、叫んでいた。

 自分でも意味がわからない。ただ、出た。止まらなかった。


 その瞬間、空気が凍る。

 視線が集まり、畏れと警戒がKを飲み込む。


 理解など求めていない。

 ただ、ここに立つ。それだけだった。


「……51人目の召喚者、か」


 静かに響く声。

 振り向くと、黒い法衣の男がこちらを見ていた。

 “正体を見抜こうとする目”だった。


 男は唇を歪めた。


「……制度に痕跡すらない。おもしろい」


 制度に“引っかかってない”――それは、存在が“記録されていない”ということ。


「誰かが、召喚の記録すら残さないよう仕組んだ……?」


 ファルクが笑った。


「“あの方”の管理層に知られたら、大騒ぎだな」


 Kは“あの方”という言葉に、無意識に反応する。

 だが、答えは来ない。


「本来なら、制度外の存在は排除するしかない。……記録も、名も、紋章もない。

お前は、制度の外側の“異物”だ」


 空間がうねり出す。


 Kは睨みつけるように言った。


「秩序を乱す存在は……排除、だろ」


 制度の台詞を、Kは自嘲気味に繰り返した。


 螺旋を描く術式が脈打ち、閃光が走る。


 Kの袖の下、黒い紋様が浮かび上がった。

 まるで燃えかすのようにゆらめき、中心には“裂け目”が刻まれていた。


 それは――制度に記録されていない刻印。


 神亡者(しんぼうしゃ)の刻印。

 制度に存在しない者にのみ現れる、禁忌の証。


 男の目が見開かれる。


「……っ、いや、そんなはずは……!」


 恐怖と警戒の混じった視線。


 Kは見た。直視した。


 そして、呟いた。


「……そうか」


 心の奥で、何かが弾けた。


「……別に、認めてほしいわけじゃない。でも……消えろって言われるのは、なんか、ムカつくんだよ。意味とか、知らねえけど」


 それだけだ。


 世界は俺を“間違い”として処理しようとしてる。

 ……そんなの、勝手に決めんなよ。

 俺は――絶対に、許さない。


 ただの違いすら、狂いとして片づける秩序なら、そんなものは壊すしかない。


「押しつけられたっていいよ、もう。けどな……俺が選ぶって決めたんだ。勝手に触るな。誰にも渡さねえ」


 俺は、この名を守る。奪わせない。


 Kは拳を握る。

 その瞬間、小さな亀裂が足元に走った。


 資源。名前。制度。K。

 すべては、そこから始まる。


 間違っていたのは――この世界か、それとも、俺か。


 ……それでも。

 “名前すらねえ存在”が、ここから始めるってのが――おかしいか?




✦✦✦




【次回予告 by セリア】

「“召喚は収穫”――確かに効率はいいわね。掘って、測って、分類して。

でも時々あるのよ。“掘れなかった”どころか、“制度の方が傷ついた”ってパターン」


「《逆理の刻印》、ね……。測れない、抜けない、拒まれる。

どれも普通なら“エラー”って片づけられるわ。でもこれは違う。

……制度の側が、負けたって話よ。笑っちゃうけど、本当の話」


 “扱えない存在”は、排除される。そう決まってる。

 でも、排除できない異物が現れたら――制度が“再定義”されるしかないわね?


「セリアの小言? そうね……“価値”って、測れちゃうから怖いの。

でもね、測れないものって、誰も責任取れないのよ。

……だから放っておくか、黙って――閉じ込めるの」

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