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#3−12:初陣

✦✦✦ 《影の戦場》 ✦✦✦


 ――ゴッ!

 大気を引き裂くような衝撃音。


 魔族の巨体が疾駆する。

 獣のような膂力が地を抉り、四肢が唸るように迫ってくる。


 Kは動かない。


 予想通り。最初は速度で押し潰しにくる。


 観客席から歓声が沸き上がる。


「へへっ、ヒト様が突っ立ってやがる! ……って、あれ家畜区画の残りモンじゃねえの?」

「見ろよ、噛まれる前に泣くぞあれ! 家畜の方がまだ使えるぜ?」


「……反応速度、下位分類以下。脊椎の反射も遅れてる。標本価値は低いな」

「つーか、召喚モンでここに出すとか……どんだけ数余ってんだよ」


 巨漢の魔族は、一直線にKへと跳びかかる。

 肩の筋肉が盛り上がり、黒鱗の間から滲んだ魔力が火花のように吹き出す。

 刃のような腕が振り下ろされる――その瞬間。



 ――ズルリ。


 Kの影が、床に染み込むように消えた。

 黒い波紋が床を這い、Kの輪郭が煙のように崩れながら、影の底へと溶け落ちていく。


 爪が掠めた空間には、もう誰もいない。

 嘲笑は止まり、どよめきが観客席を走る。


「……消えた? いや……影か、あれは……」


「否だ」


 背後から、氷のような声が突き刺さる。


 魔族が振り向くよりも早く、影が伸びる。

 足元から黒い縄が絡みつき、拘束する。


「ッ……!」


 魔族は咄嗟に腕を振るう。

 影を振り払おうとするが、無駄だ。


 Kは影に沈んだ。重心を観察する。単調な動き――力任せだ。狙うのは、脚。


「――動くな」


 低く囁くと同時に、影の束が強く締まる。

 魔族の膝が一瞬だけ沈んだ。


 今だ――。


 Kは影の中から跳び出し、懐へと滑り込む。

 掌から放たれた影が、魔族の脚を締め付けたまま、一気に崩しにかかる。


「ぐっ……!」


 巨体が僅かに傾ぐ。

 次の瞬間、Kの足が鋭く跳ね上がる。


 ――ズバッ!


 Kの影が鋭い刃へと姿を変え、迷いなく魔族の膝裏へと走る――。

 その刃には、もう“ためらい”はなかった。

 骨までは届かないが、これで立て直しは不可能。


「ぐああああっ!」


 膝をついた魔族の顔が歪む。

 Kは即座に距離を取る。


 ……わずかにズレた。でも、まだ修正できる。



✦✦✦ 《影の乱れ》 ✦✦✦


 ――ズルリ。


 影が更に広がる。


 魔族が痛みに耐え、咆哮する。


「オォォォイ……チビィィ! 喰い甲斐のねぇ筋肉だなあ! ガハッ、ガッ!


 全身から魔力が爆ぜ、空気がねじれた。

 だが、Kは冷静だった。


 無駄な抵抗――そう思ったはずなのに、違和感だけが残った。


 Kは一歩踏み出そうとした、その瞬間。


 ――ザッ!


 影の動きがわずかに鈍った。


 ……何だ?


 魔族の黒い鱗が、ごく僅かに光を反射していた。

 Kはその違和感に即反応し、距離を取った。


 影の軌道が逸れている。歪んでいる。

 Kは息を止めた。制御しているはずの“影”が、ほんのわずかに、ズレている。


 拳を握る指に力がこもる。影の異常は確かだが、原因は霧の中だった。


 その違和感を言葉にする前に、魔族がニヤリと笑った。

 その刹那――。


 ゴウッ!


 魔族が吠えると同時に、魔力が爆ぜた。

 Kの影が一気に弾かれる。


「……チッ」


 Kは影を引いた――が、再構築は一瞬、遅れた。


 影が弾かれた……? いや、違う。魔力が拡がってる?


 わずかに目を細め、足元を確認する。

 その瞬間、魔族が跳躍した。


「遅い!」


 Kは咄嗟に身を翻す。

 爪が掠めた。熱い線が、頬を裂いた。……血だ。


 Kはすぐに影を練り直し、跳ねるように距離を取る。

 長期戦は不利……でも、まだ引けない。

 わずかに呼吸を整えると、再び影を練り上げた。


「……刈り取る……ために、ある……はずだ」


 声に出した瞬間、喉の奥にひっかかった。

 まるで、自分の言葉じゃないみたいだった。


 どちらかといえば刈り取り、だけどな。


 Kは影を再構築し、一瞬で影の軌道を変える。

 敵の足元に忍び寄った影が絡みついた――だが、魔族の魔力が流れを反発している。


 抵抗……? 魔力で、干渉を?


 魔族の目が見開かれる。


「――な、影が……裏返った!?」


 まるで“影”が、自分の意思で主人を離れ、別の動きを選んだかのようだった。

 黒い影が地を裂くように走り、魔族の首筋を狙って跳ね上がる。

 血飛沫がまだ空気を切る前に――。


 ズバッ!

 魔族の首が宙を舞う。

 咆哮は、途中で途切れ――空気だけが震えていた。


 一呼吸、全てが止まった。

 観客席は、凍りついたように静まり返る。


 そして次の瞬間、爆発するような歓声が巻き起こった。


「……おい、今の……影が逆流してなかったか?」

「いや、違う……自分で動いた。あれ、あの影、意思があったぞ」


「ありえねぇ……普通、影の制御権って使い手に固定されてるだろ!?」

「影法術って、そういうもんじゃないのかよ……」


 一部の観客は立ち上がり、息をのんだ。

 誰も、次の言葉を探せなかった。


「あれ……影が、自分で動いた……?」

「……あれ、本当に“技”か? 呪術なんかじゃ、片づかねぇよ……」

「……黙れ。あれは“闇呑み”だ。名前を出せば呑まれる。言葉で触れるな」


 隣の観客は、冗談にすら寒気を覚えた様子で目を細めていた。


 ふと、手のひらに冷たい感触があった。

 血か、それとも――何か別の“代償”か。Kには、判断がつかなかった。


 ……?


 一瞬、拳を握り直し、血に濡れた影を静かに巻き戻す。

 そしてKは、倒れ伏した魔族を見下ろし、ただ一言、呟いた。


「――次は、誰だ」


 勝利の音が鳴らなかった。

 心臓は激しく高鳴るのに、心の静寂だけが、罰のように胸に残った。


 音が一つ消えたような沈黙。


 誰も来なかったら――それは、ただの、処刑だった。


 血の温度だけが、やけに現実味を帯びていた。




✦✦✦




 【次回予告 by セリア】

「名があるって、素敵なことよね。でも……数字になった瞬間、その価値は誰かの都合で上下する」


「戦いは終わっていないわ。むしろ、ここからが本番。次回、《名が消える音》、『価値の断罪:前編』。

ここでは、“勝者”ですら、価値がなければ切り捨てられるの」


「セリアの小言? そうね……。

この世界じゃ、“死”より怖いのは、“忘れられる”ことよ。存在ごと、市場から消されるのよ?」


「……勝っても価値がないなら、それはただの処分。

でも、あの人だけは――数字で終わらせたりしない」


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