✦✦✦ 《価値に沈む名》✦✦✦
――「価値」とは、誰かが信じた“名”の証明である。
これは、戦場の裏で“価値”が取引される場所の話。
名を持つ者たちの運命が、数字ひとつで変わる――そんな場所がある。
魔王たちの力が“数字”として取引されるこの場所――。
その真実を追うべく、特集取材で初めて現場に立ったのが、魔族の新人ニュースキャスター、リュシア・ファーレンだった。
「……魔王の力が、数字でやり取りされるなんて――。
本日の特集は、“魔王市場”の内側へ。リュシア・ファーレンが現地からお伝えします」
戦いの喧騒が遠のいた先で、世界の静かな“仕組み”が語られていく。
魔王市場。
巨大な魔導塔の中枢に築かれた観測の回廊。
空間には数え切れぬ魔王たちの名が光の粒となって浮かび、
それぞれの名の横には、無機質な数字が淡く脈打っていた。
回廊の天井は果てなく広がり、天体のように浮かぶ名と数字の光が、
星座のような軌跡を描いている。
足元の床は滑らかな黒曜石で、まるで深淵を歩くかのように光を吸い込んでいた。
空間全体が呼吸するように、数値の光がわずかに明滅し、静かに時間を刻んでいた。
魔族の新人キャスター、リュシア・ファーレン。
初めて立った“魔王市場”の現場。
混乱ではない。戦争でもない。ただ、数字が人を動かす世界。
――そこに、彼女は惹かれていた。
名と数字は空を流れ、生き物のように波打っていた。
流れは、止まることなく続いていく。
「これ……全部、魔王の名前?」
小さく呟いたその声に、隣から冷ややかで落ち着いた声が返る。
「……ええ。でも、“価値がある”と認められた名だけ」
答えたのは、銀の髪を持つ女――セリア・アウレリア。
魔王市場の頂点に君臨する投資の女帝、“雲上の支配者”。
リュシアが視線を向けると、セリアは指先を滑らせ、魔導スクリーンの一角を拡大した。
そこには名と共に並ぶいくつもの数値が、静かに浮かんでいた。
「この数字……つまり、“影響力”を数値にしたもの、ですよね?」
「《魔導式影響指数》……簡単に言えば、“魔王の影響力を点数で示したもの”よ。
みんな、“スコア”って呼んでるけどね」
リュシアの理解した頷きを見てセリアは続けた。
「その魔王が、どれだけ支配に値する存在か――軍事力、魔力、領地、配下、そして……信頼」
「信頼?」
「投資家たちの、よ。『この魔王に賭けてもいい』と思わせられるかどうか。
それもまた、価値の一つ」
セリアは指を動かし、別の名を示す。
そこに記されている数値は、他より明らかに高かった。
「魔王の持つ力と影響を、契約という形で“分割”したもの――それが“魔株(デモンズ・シェア)”。」
リュシアは、初めて聞く単語に小さく瞬きをした。
「契約……って、つまり“売り物にする”ってことですか?」
「そう。“契約魔株”という形で投資対象になるの。
投資家はそれを買って、魔王の成長に乗る。価値が上がれば、見返りがある」
「……それって、契約書みたいに、何か“見える形”でやり取りされるんですか?」
素朴な疑問を口にしたリュシアに、セリアは微かに笑みを浮かべた。
「昔はそうだったけど、今は違うわ。すべて、魔導専念樹に記録される。
契約魔株は、“信用”そのものよ。見えなくても、ちゃんと“支配の一部”として流通しているの」
セリアはふと、視線をスクリーンから外し、リュシアに問いかけるように目を細めた。
「……あなた、Kの目線、気づいたことある?」
唐突な質問に、リュシアはきょとんとした。
「目線、ですか?」
「彼、基本的には鋭くて無駄がないの。でも、ほんの一瞬だけ、“見なくていいもの”に視線が揺れるのよ」
セリアの口元が、わずかに意地悪そうにほころぶ。
「あの子ね、見えそうで見えないものに、すぐ目を奪われるの。特に、スカートの奥とか――」
リュシアは一瞬絶句したが、続くセリアの言葉には、笑いでも冷やかしでもなかった。
「本能よ。理屈じゃないの。だから、否応なく“支配に使える”」
「……まさか、それを戦略に?」
「当然でしょ? 命令は拒めても、“欲望”は拒めない。だから、そっちから攻めるの」
「見ていいと言われるより、“見てはいけないけど見えてしまう”ほうが、よっぽど効くわ。――そして、彼は“抗おうとして負ける”のが、一番よく効く」
セリアの口調は冷静だった。まるで株価の変動でも分析するように、感情の揺れを“資産”として扱っている。
リュシアは、笑わなかった。静かに頷く。
「……でも、それを知った上で、あなたに付き従うKもまた、“欲望ごと”見抜かれていることをわかってる」
「ええ。だからこそ、彼は反抗しない。“負け”だと知ってるから」
「……私、彼がちょっとだけ気の毒に思えてきました」
「そう? でも、だから彼は生き残れるのよ。あの子はもう、自分の欲望ごと市場に預けたの。つまり、“私は彼の資本”ってこと」
リュシアは一呼吸を置く。
「あの、先ほどの話なんですけど、“契約魔株”の見返りって……何ですか?」
「……それが、この市場の本質よ」
セリアは淡く笑んだ。いつもの整った表情に、わずかな柔らかさが混じる。
「買ったときより価値が上がれば、その差が“利益”になる。
売って回収してもいいし、持ち続けて影響力を積み上げてもいい。
“支える”んじゃなくて、“育てて、そして回収する”――
この市場では、それが当たり前なのよ」
「“名”が下がるとね――昔、見栄だけで魔株を買った魔王がいてね。
結局、全資産を吹き飛ばして、最後には“自分の名”すら売る羽目になったわ」
「ふふ、笑うに笑えない教訓よ」
「信頼は投資。そして成長は、“回収される運命”。
この市場じゃ、それすら――“定め”と呼ばれるの」
リュシアはその言葉を噛みしめた。数字の裏に潜む、冷ややかな現実が浮かんでくる。
――信用を集めて“名”を上げ、その見返りとして投資家に利益が返る。
ここでは、魔王もまた“商品”のひとつに過ぎないのだ。
じわりと違和感が滲んでくる。言葉では割り切れない何かが、胸の奥に残った。
思わず眉をひそめ、横目でセリアの表情をうかがう。
優雅で整ったその横顔には、躊躇も疑念も見えない。
あまりに整いすぎたその姿が、どこか手の届かないものに見えた。
「まるで……力が商品みたい」
「ええ、その通り。ちょっと味気ないでしょ?」
セリアが珍しく、軽く肩をすくめてみせた。
「この世界じゃ、力も信頼も……名すら、“値札”で回ってるわ」
その時、ひとつの光が――ふ、と明滅した。
スクリーンに浮かんでいた名が、何の音もなく、消えていった。
一瞬、光の粒が脈を乱し、蛍のように明滅したかと思うと、
名と数字がふっと煙のようにほどけ、黒の空間へと溶けていった。
そこだけ空気が歪み、誰かの記憶が静かに削ぎ落とされるような、ひやりとした気配が残った。
✦✦✦《信頼の消失点》✦✦✦
「……今、消えました?」
「ええ。魔株価が一定以下になったのね。
支配が崩れ、信頼が失われた。もはや“魔王”としての価値は認められない。
だから、市場からはじかれる」
「じゃあ……名前も消える?」
「……この市場で“存在する”っていうのはね、誰かに“見られてる”ってことなの。
信頼が尽きたら、名も、契約も……残らない。ただ、霧のように消える」
一歩引きつつも、リュシアの瞳はスクリーンから離れない。
目の前の仕組みが、彼女の好奇心と恐怖の両方をかき立てていた。
その仕組みが、あまりに静かで、あまりに冷たかったからだ。
「……なんか、怖いですね。強さだけじゃ、足りないんだ……」
強さだけじゃ、“信じてもらえない”。
自分でも驚くくらい、言葉が本音に近かった。
「その通り。どれほど戦って勝ち続けても、数字がついてこなければ、
この市場では“誰にも見えない存在”に成り下がる」
「過去の戦果、今のスコア、そして未来を賭ける魔株――。
この三つが揃って、はじめて“価値”になるの」
そして、リュシアがふと問う。
「でも……市場って、誰が管理してるんですか? こんな仕組み、どうやって保ってるの?」
セリアの瞳がわずかに細められた。
「市場には監視と制御の仕組みがあるの。
ひとつは魔導専念樹という、魔王市場のすべてを記録・管理する中枢魔導体――」
そこまで聞いたところで、リュシアは思わず息を呑んだ。
言葉の意味は理解できたが、それが実際に機能しているという事実に現実感が追いつかない。
「魔株の発行や投資の流れ、異常な動きまで――すべて記録しているわ」
セリアの言葉にあわせて、スクリーンには複雑な流通図が浮かび上がった。
魔王の名の周囲に投資家たちの印が散り、そこから魔晶の流れが線で可視化される。
その光の流れは、毛細血管のように細かく広がり、葉脈のような分岐を描いていた。
各線は温度を持つように赤や青に揺らぎ、まるで市場全体がひとつの巨大な生命体のように見えた。
微細な線の交差点には光の鼓動が重なり合い、意思を持つ網の目がそこに存在するかのようだった。
その線は淡い青や赤の魔力を帯び、呼吸するように脈動していた。
市場の中で、価値が“命のように”循環していることを物語っていた。
「……なるほど。市場って、思っていたよりずっと“生きてる”んですね」
リュシアは、可視化された魔力の流れを見つめながら、そう呟いた。
「情報網を張り巡らせて、秩序を守るために。
市場創設時、私が設計に関わった“魔導専念樹”の判断で動いているわ」
リュシアは軽く息をのんだ。
セリアの口ぶりから、それがどれほど大きな存在かが伝わってくる。
「でも、それだけじゃ不十分。
もう一つ、名前だけが語られる存在がいる。“暗黒神(ダーク・ゴッド)”よ」
「……暗黒神……?」
「市場の法を犯した者にだけ現れる影の存在。
資源の独占、不正な契約操作、魔株の隠蔽や横流し……。
秩序を壊す行為に対して、彼らは問答無用で“抹消”を下す」
リュシアは息を呑んだ。想像を超えた、見えない裁きの存在。
セリアは、静かに続ける。
「だからこの市場は成り立っている。
公平であるために、時に冷酷な秩序が必要なのよ」
スクリーンの下層に表示されたログ。
不自然に偏った数値――戦果はゼロ、領地も魔力も平均値。
けれど、信頼スコアだけが突出して高かった。
セリアが指を止める。
「……珍しいわね。こんな歪な評価は」
そして、彼女の視線がある一点に止まった。
一際小さな光が、深い藍のような色で淡く震えていた。
周囲の喧騒から取り残されたように、静かで、だが確かにそこに在る光だった。
スクリーンの中に、小さくも確かな名が揺れている。
リュシアはスクリーンの中の小さな名を指差しながら、小さく口を開いた。
――K。あの人がここでも、生きられるの?
「……K。“外”で戦ってきた彼が、ここでも生き残れると思いますか?」
「数字がすべてを裁くこの場所で――それでも、“名”は力になれるんでしょうか?」
リュシアの問いに、セリアの瞳がわずかに細められる。
答えが返るまで、ほんの一拍、間があった。
「……今のままじゃ、厳しいわね。
でも、もし彼が“数字の先”にある価値を見せられたなら――市場だって、それを無視できない」
「この市場は、数字そのものより――“誰が動かしているか”を見ているのよ。だからこそ、名に宿る“意志”が問われるの」
小さく息を吐く。ようやく、少しだけわかった気がした。
この世界では、力そのものより、“信じるに足る価値”の方が重い。
そしてその価値は、誰かが“未来を賭けた”という証。
信じられ続けること。
それが、この世界で“存在し続ける”ということだった。
誰かが信じ続ける限り、名は生きる。
そして“語られる価値”は、死なない。
――リュシアは、この世界の“価値”を、誰よりも冷静に見届ける役を担うことになるとも知らずに。
それでも彼女は、今日ここで見た真実を、誰かに“伝える”べきものだと感じ始めていた。
誰かが、これを見てくれていると信じたい。
価値が消えるその瞬間を――ただの“数字の減少”ではなく、“生の終わり”として。
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【次回予告 by セリア】
「影を使う者はね、戦うたびに“もう一人の自分”を増やしていくのよ。
……その影が、どこを見ているか――気づけるかしら?」
「次回、《影と知略の布陣》――数字と嘘が交差する、“本当の戦場”へ」
戦場で生き延びたKは、今度は“数字で裁かれる場所”に立つことになるわ。
剣より鋭いのは、評価の変動。
市場に認められなければ、存在すらなかったことになる。……怖いでしょ?
「セリアの小言? そうね……“殺意”も、上手く使えば通貨になるの。振り回すだけじゃ、まだ半人前」