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#4−2:無冠の魔王

✦✦✦ 《闇市場の誘い 》✦✦✦


 ――魔界の闇は、常に新たな血を求める。


 Kは、闇市場の片隅に立っていた。

 錆びた門を抜け、蒸気のように立ち上る魔力の残滓を踏みしめる。

 姿なき視線が、皮膚に爪を立ててくる――ここでは、それが“歓迎”だった。


 その先に、非上場魔王たちが集う 「裏魔王ギルド」がある。


 表の市場には知られていない。

 だが、ここには確かに“裏の実力者”たちが集まっている。


 表から零れた魔王が、命で値札を貼る場所――ここが“裏”だ。


「……客人が来たな」


 ギルドの奥、木製のカウンターの向こうから声が響いた。

 Kは音の主を見やる。


 黒いフードの男。

 顔の大部分は影に覆われ、赤い目だけが鈍く光っていた。


「闇市場で動き始めた“新顔”ってのは、お前か?」


 Kは無言で相手を見つめた。


 男はわずかに口元を歪めた。

 微笑んでいるようにも、品定めしているようにも見える。


「影を使う……妙な“媒介”か。召喚者というより、そうだな、影の通り道……通路かもな」


 声が皮膚の下を這ってくる。ひどく、鈍く、冷たい。

 ただの仲介人じゃない――こいつは、“品定め”をしてる。

 言葉の端に、獲物の値札を貼る指の音がした気がした。


「お前、興味はないか? “草レース” に」


「また命を賭けろってことか……いや、今度は“どう売られるか”を自分で選べる……つもり、か」


 Kは視線を落とした。

 喉の奥に、自分の言葉の重みが鈍く残っていた。


 男はカウンターの奥から一枚の紙を引き出し、無言で机に広げた。

 魔族たちの命が、数値に換算されていた。

 赤黒い文字、血痕、不気味な数式――帳簿というより、戦場の墓標。

 命を点数に変換する帳簿――いや、血の染みた“出席簿”か。


 Kは、数字の毒が脳に入り込む前に、視線を切った。

 そのリストには、Kの知らない名ばかりが並んでいた。


 数字の群れに目を滑らせ、思考が濁るその手前で、まぶたを強く閉じた。


「……何の情報だ?」


 ……これは、ただの情報じゃない。


 Kは、一瞬だけ視線を天井へと逸らした。

 壁の灯が揺らいでいる。その光が、影を不規則に切り刻んでいた。

 ――この場の空気すら、試されている気がする。


 男は書類を指で弾く。


「“非公式の競争”さ」

「投資家に目をつけてもらえなかった魔王たちが、這い上がるための場だ」


「……闇賭博か?」


 Kの問いに、男は乾いた笑いを漏らす。


「そう言いたいなら、そうだな。ただ、“それだけ”じゃない」


 指が書類をなぞる音がする。


「魔王市場は、ルールに従う者しか受け入れない。

だが、“才能”は従わない」


「非公式の舞台があるからこそ、無名の者が這い上がることもある」


 言葉は淡々としていたが、そこには火のような熱もかすかに混じっていた。

 この男も、過去に何かを賭けたのかもしれない。


 Kは書類の数字をじっと見た。


 これは単なる名簿ではない。

 過去の勝敗がすべて詰まった、魔王たちの記録だった。


「お前も、ここで勝ち抜けば、投資家が動くかもしれない」


 拳に微かに力が入る。数字の羅列――それは、命と敗北の換算表だ。


「……俺も、ただの“材料”から、名で呼ばれる側に行ける――そういう話か」


 市場に名が届く――そう理解したKの目が、一瞬だけ鋭さを増す。


「話が早いな」


 男はニヤリと笑った。



✦✦✦《影に賭ける意志 》 ✦✦✦


 Kは男の言葉を反芻した。

 草レース――それは、公式に認められていない魔王たちが、

 命を懸けて“自分の価値”を証明する戦いだった。


 投資家の目に止まれば、正規の市場に名を上げるチャンスでもある。

 勝てば“価値”が生まれ、負ければ“消費済み”として捨てられる。

 いつの間にか、指先が冷えていた。


 勝つための策を考えろ。

 相手がどう出るか――それを読む力が試される。


 重装なら動きを止めろ。魔法型なら、詠唱の隙を狙う。


 影鬼は奇襲向き。だが正面からの応酬には不向き。

 ……なら、どう使う。どう生き延びる。


 戦略が静かに浮かび上がる。

 頭の中に、戦場の俯瞰図が展開されたようだった。


 上空視点で戦場を描く。

 赤い動線、遮蔽物、影の巣――それは獲物を絡めとる蜘蛛の罠だ。


 影鬼でできること、できないこと――見えている。

 “魔獣の肝臓”を移植されたあの日から、後戻りの道は消えた。


 どう勝つか――それだけを考えろ。


 心臓の鼓動が、わずかに速まる。


 頭ではわかっていた。

 だが、実戦では“常に”想定外が起きる――それにどう対応するかだ。


 経験の浅さを計算に入れ、最適な一手を模索する。

 ふと、Kは己の拳を見つめた。

 少し力を込めると、爪が手のひらに食い込む。


「……負けは許されない。それだけだ」


 Kは拳を握りしめた。勝たなければ意味がない――そう、思い直すように。


 その時、セリアの声が耳元で響いた。


「命を投げたのは、あなた。あとは“影”が拾ってくれるか、ね」


 彼女は薄く微笑んだ。だが、その目には……何か、試すような色があった。


 Kは静かに息を整えた。答えは一つしかない。


「……止まった時点で終わりだ」


 その言葉に、自分を縛りつけるように思い込ませた。


 セリアは微笑んだ。


「“使い手”? 甘いわね。影に“乗られた”人形が、たまに奇跡を起こす。それだけ」

「……呑まれて、芯まで侵されて。そこからしか、“芽”は出ないのよ」


 Kは、小さく頷いた。……でも、内心では“そうあってくれ”と祈っていた。

 ……でも。

 あの瞬間、指先が動いたんじゃない。“影”が動いて、それに引っ張られただけだった。

 命令じゃなかった。あれは、先回り。もしくは、奪権。

 ――錯覚だ。錯覚であってくれ。


✦✦✦《 影の魔王、戦場に立つ 》✦✦✦


 二戦目の日。

 闇市場の奥、円形の決闘場にKが立つ。


 仮面と結界に覆われた観客席――沈黙だけが彼らの表情だった。

 審判の代わりに、魔導装置が“命の動き”を数値に変える。

 勝者は即時に市場へ送信――次の投資判断が動く。


 観客たちの熱気が空気を震わせていた。


 対戦相手は、筋骨隆々の鬼族。

 その一目で、Kは察した。――力比べでは分が悪い。


 Kは闇の中で静かに構えた。

 影鬼が、Kの背骨に絡みつくように蠢いていた。

 鬼族が吼え、斧を振りかざす――場が凍った。

 空気が、死者の吐息のように震えた。


 空気が張り詰める。誰かの“最後の息”のような風が決闘場を裂いた。


「戦闘開始!」


 その瞬間、影がうねった。


 ここは、戦場よりも冷酷だ。

 ならば俺は、影を操る者として頂点に立つ。


 鬼族の巨体が突進してくる。

 だが、Kは一歩も動かない。


 代わりに、彼の影が動いた。


「――影潜行」


 刹那、地面が脈動した。


 影鬼はKの指先の動きに追随する。

 Kの影が地を這い、対戦相手の影と交わる。

 その瞬間、『影封じ』の魔術が発動する。


 黒影が這い、地を舐め――。

 次の瞬間、“噛みついた”。影の根が、相手の魔力を喰らい始める。

 瞬間、黒い波紋が走り、空気が震えた。


 “影封じ”――影を踏んだ、その刹那、全身に“乱れ”が走る。

 感覚が、命に追いつかない。

 ラグ。間隙。錯覚。それが、死。

 Kの必殺域――“影が選ぶ間合い”で、殺す。


 それは一瞬の足止め――だが、戦いにおいては、その一瞬が命取りになる。


 影を媒介に魔力の流れを断ち切ることで、一瞬だけ相手の動きを止める――。

 その“間”に攻撃の主導権を奪う。それがKの戦い方だった。


 この技は相手の影を呪縛し、魔力の流れを鈍らせる効果がある。

 特に俊敏な敵には有効だが、影を持たない相手には通用しない。


「な……? 体が……動かねぇ!?」


 鬼族の動きが一瞬止まる。

 その隙を突いて、影鬼が影の中へと引きずり込んだ。


「ぐぅ、あぁあああ……!」


 観客席が凍りつく。

 一瞬、風が場の死を撫でた。

 そして、ざわめきが爆ぜた。


「勝者、K!」


 魔導スクリーンが瞬くと、Kの名と戦績数値が表示された。

 “スタイル:影術/封殺型”――その文字が、静かに黒光りした。

 観客席の奥、仮面をつけた投資家の一人が低く唸った。


「初戦でここまでやるとは……悪くない。これは“買い”かもしれんな」


 観客のざわめきが全体を波打つ。

 魔導スクリーンが捉えたのは、影に呑まれ、闇へと沈んだ鬼族の最期だった。


「ゼグラントの戦術と似てるが、何か違うな」

「もしKが台頭すれば……影の支配権が揺らぐかもな」


 セリアはくすりと笑った。


「ふふ、見込み通りね。……でも、あの“影”は、Kだけのものかしら?」


 そう囁く声が、Kの鼓膜を撫でる。

 彼女はKを値札のように見て、囁いた。


「数字がついたわね。……でも、値段が決まった獣に、“選択肢”なんてあるのかしら?」


 勝った――それだけのはずだったのに、なぜか足が止まった。

 ……影が、ほんの一瞬でも遅れてたら。たぶん沈んでたのは――俺、だ。


 ……ふざけるな。命を見世物にして、それで価値を測るなんて。


 だが、そういう場に自分は足を踏み入れたのだ。


 拳を握る――その爪先が、皮膚に食い込んだ。


「草レースって、単なる血まみれの遊戯だと思ってる? 違うわ。

 あれはね、“投資型バトル”。非公式だけど、記録はちゃんと残る。


 勝つごとに『個体値』みたいなものが記録されて、各投資家の端末に通知されるの。

 公式ランキングには出ないけれど――裏では、数字がすべてを決める」


 セリアは、どこか楽しげに言った。


 確かに“ただの実験体”ではなくなった――だが、心はまだ飢えていた。

 確かに今、彼は“ただの実験材料”ではなくなった――そう思いたかった。


 数字が“救い”の代わりにぶら下げられるなら――この世界そのものが、精算機に過ぎない。


 評価された? 笑わせる。値札で生きるなんて、死んだのと同じだ。


 数字で殺されるってのは、戦場より静かに死ぬってことだ。

 血も、叫びもない。命が“資産評価”で終わる世界。


 違う。足りない。

 Kが目指すのは、“召喚”そのものを、制度から意思に変えること。

 ……呼ばれるだけじゃ終われない。“呼ぶ”――それだけが、まだ残った意志だ。


 動いたのは命令じゃない。

 背骨の奥……俺が命じるより先に、あいつが決めた。


 フードの男が告げる。


「次は領地争奪戦だ。広い戦場での陣取り合い――相手の領域を奪うか、全滅させるか。それがルールだ」

「戦場は計算式だ。“お前”の手札と配置で、価値も値段も変わる。兵で終わるか、指揮官として買われるか――それだけだ」


 Kは、わずかに口元を緩めた。

 ざわめく観客を背に、静かに拳を握る。


 ――まだ、何も終わっていない。

 戦いは、むしろこれからだ。

 俺の影は、まだ飢えている。


 影は足元からじわりと広がり、闇の地を静かに覆っていく。

 それはKの意志だったか? それとも、“影”が先に腹を決めたのか。


 どちらにせよ、次の戦場がそれを証明する。


 Kは前を見据えた。


 ……領地だ。まずは、それからだ。


    ✦✦✦


 ――闇に包まれた戦場の廃墟。


 魔界の奥地にある、かつて栄えた闘技場。

 魔界の果て。歓声の残響すら消えた闘技場は、瓦礫と死臭に満ちていた。


 大地は裂け、闇と死臭がこの地に“定住”していた。


 魔王市場――命も領地も、魂までも“魔株”に換算される。

 価値の上下が、血と軍勢を動かす魔界最大の金融戦場だ。

 軍も領土も、血の匂いも動く。


 その外にいる者たちが、自らの力を認めさせるために挑む戦場。それがここだ。


 Kは、闘技場の中央に立つ。

 彼の周囲には、これから戦う相手たち――。

 三人の魔王候補と、それぞれの配下の軍勢が待ち構えていた。


 無音と静圧が場を支配する。

 互いを睨む魔王たちの間に、まだ鳴っていない開始の銃声が浮かんでいた。


「試合形式は 領地争奪戦 だ」


 Kの指が折れるごとに、影が脈動した。

 命令じゃない。共鳴か……いや、もっと深い何かかもしれない。

 ――俺の指先は、もう影そのものだ。

 静かな熱が、身体の奥からじわじわと立ち上る。


 ――力を示すだけじゃない。

 今度は、“影に食わせる”側だ。

 喰われているのは敵じゃない。

 影に呑まれた……? 違う。“骨の奥”から命じてきたのは、俺じゃない。




✦✦✦




 【次回予告 by セリア】


「“支配できる影”と、“蠢く影”……どちらが真の味方かしら?

……投資対象としては、どちらも魅力的だけれど――恐ろしいわね」


「次回、《蠢くもの》――Kが見ているのは影?

……それとも、影が“彼”を見ているのかしらね?」


影が拡張しすぎた? いいえ、それは成長。

Kの影は層の奥を掘ったら、誰も記録してなかったモノまで、出てきちゃった。

けれど……選んだのはKではなく、“影”の方。

指先の命令では、もう動かないとしたら――それは、“進化”なのか、“裏切り”なのか。


「利潤にリスクはつきもの。……でもね、“御せる狂気”ほど高利回りな商品はないのよ」

「反逆? 歓迎よ。だって、“暴れ馬”の方が跳ねるから」




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