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#6−6:王の終焉、意思の始まり



✦✦✦《崩壊した拠点》 ✦✦✦


 戦場には、冷たく湿った夜の闇がじわじわと広がっていった。

 “影の王”の城――今は、ただ無残な瓦礫だった。


 崩れ落ちた石壁、焼け焦げた柱、

 そして散乱する影鬼たちの砕けた断片。


 力も誇りも、消えた。……静寂だけが、重たく降りていた。


 風が冷たく吹き抜けるたび、

 血と灰が混じった匂いが漂い、Kの喉を焼き付ける。


 Kは膝をつき、冷えた瓦礫に手を伸ばした。

 あったのは、砕けた影鬼たちと、誇りの亡骸だけだった。


 瓦礫のすべてが語っていた。――ここに、すべてが終わったのだと。


 これが……俺の力のすべてか。

 指先が、勝手に瓦礫を掻きむしる。

 ――音だけが、耳に残った。

 掴めるものなど、何もない。


 ただ、冷たい風が頬を撫でる。

 空は、何も答えてはくれなかった。


 何かを吐き出すように、Kは喉の奥で呻いた。

 指に力が入らない。

 ただ砕けた石を擦るだけの、無様な音が耳に残る。


「……なんだよ……これが……?」


 呟きは、ただ空気に溶けた。


 力を込めるたび、空虚だけが広がった。

 Kは、喉をかすかに震わせる。


「……俺は……負けたのか。いや……もう、それすら分からない」


 その声すら、風に消えた。


 ――城も、仲間も、未来もすべて失った。


 喪失感が胸の奥に沈む。……逃れられない感覚だけが、静かに広がっていた。


 音もなく崩れ落ちていく自分自身の存在。

 冷たい夜が、そっと彼を飲み込んでいった。



✦✦✦ 《失われる輪郭》 ✦✦✦


 視界がかすむ。

 滲んでいるのは涙か。それとも――現実そのものが揺らいでいるのか。

 Kにはもう分からなかった。


 身体中に広がる鈍い痛み。

 それだけが、生きている証だった。

 その痛みすら、もう他人事のようだった。


 影鬼たちは、俺を見限った。

 かつての忠誠はもうない。


 あの魔王市場も、俺を拒んだ。

 もう誰の記憶にも、俺の名は残らないかもしれない。

 Kは、この世界から静かに剥がれ落ちていくような錯覚を覚えた。


 Kは震える手をゆっくりと目の前に掲げた。

 指先がかすかに震え、熱も感じない。

 存在が、霧のように溶け出していく気がした。


「俺は、まだここにいるのか?」


 誰も答えない。

 風が吹き抜け、瓦礫をわずかに揺らす。

 月の光が影を伸ばし、静寂が広がっていた。


 俺は、もういない――そんな馬鹿なことが……。


 そう思いながらも、Kは否定できなかった。

 彼自身の存在が、薄れかけているのだ。

 影鬼たちの記憶から、Kの姿が消え去ろうとしている。


 瓦礫の隙間から、影鬼たちがゆっくりと姿を現した。

 体の一部が欠け、崩れた腕や砕けた角から黒い粒子がこぼれ落ちていく。

 Kを見つめる瞳には、もう忠誠の影はなかった。


 一体の影鬼が、低く呟く。


「市場はお前を見捨てた……お前は、もはや王ではない」

「お前は……王ではない……」


 その言葉が、胸の奥をざらりと裂いた。

 否定したい気持ちはあった。

 だが、その言葉を覆す力も、声も、彼には残っていなかった。


「……俺は……影鬼の王だ……」


 Kの呟きは、虚空へと力なく消えていった。

 影鬼たちはKからゆっくりと距離を取る。


 市場の評価に呼応するかのように、彼らの忠誠は薄れていた。

 その瞳は、冷たく遠いままだった。


「俺は、本当に俺でいられるのか?」


 問いすら、夜に呑まれていった。



✦✦✦ 《幻光の中の女》 ✦✦✦


 瓦礫の奥に、何かがいる。

 Kは顔をしかめ、無意識に拳を握った。


 ただの風か? それとも……まだ“敵”が残っているのか?

 気配は、確かにある。だが、見えない。


 ――そのとき、瓦礫の隙間から、微かな光が漏れた。

 最初はかすかな輝きだったが、やがて闇を押しのけ、空気すら変えていった。


 Kは顔を上げた。

 そして、その光の中心に立つ一人の女性を見た。


 黒紫のドレスをまとった彼女が、そこにいた。

 闇に溶けるような濃紫の髪が静かに揺れ、銀紫の瞳がまっすぐKを貫いた。

 白磁の肌が月光を受け、冷たく、淡く輝いている。


 彼女がそこにいるだけで、空気の密度が変わった。


「……誰だ……?」


 掠れた声が、震えながらも彼女に向けられた。


 このような状態でも、抗いがたく惹かれる。

 触れたくなるほど、妖艶な美しさ。

 Kの理性が、一瞬だけ、揺らいだ。


 彼女は静かに微笑んだ。

 その笑みには、冷たさと慈悲が混在していた。

 だが、その瞳の奥には、微かに隠しきれない想いが滲んでいた。


 微笑むエリシアの瞳は、Kを試す冷たさの奥で、別の――もっと深い、個人的な願いを隠していた。


「……なるほど。“王の成れの果て”って、こういうこと。」


 声は柔らかかったが、底には何か鋭いものが潜んでいた。

 エリシアは一歩、瓦礫を踏みしめて進み出た。


「名乗る必要なんて、ないと思っていたわ。けれど――エリシアよ。影の女王として、あなたに一つだけ問いかける」


 ほんのわずか、ためらいが混じった。

 それでも、彼女はKをまっすぐ見つめ続けた。


「K。あなたはまだ……望むの?」


 その問いは、Kの胸の奥深くに、重く沈んだ。


「……望む……?」


 言葉は、風に消えかけた。

 Kは目を伏せ、拳を瓦礫に押しつける。

 ……しばしの沈黙。

 そして――その想いが、音になる。

 崩れた世界への怒りが、拳に渦巻いていく。


 あれほど信じていたのに、なぜ即答できなかったのか。

 喉の奥に滞った感情が、ようやくこぼれ落ちた。


 Kは一呼吸置き、低く呟いた。


「……この召喚制度を、俺が終わらせる」


 セリアの姿が、脳裏をよぎる。

 Kは、あの夜のことを思い返していた。


「拾われたんだ……あのとき、俺に“意思”を問うてくれた」


 あれから、策略を巡らせ、牙を剥き続けてきた。

 世界の歪みを、少しでも動かすために。


「だからこそ、俺が終わらせる。誰にも、二度と奪わせはしない」


 その言葉を聞いたエリシアは、満足げに微笑んだ。

 そして、そっと手を差し伸べた。


「立ちなさい、K。影の王としての“姿”を、私に見せて。

そんな姿では、誰もあなたを恐れもしないわ。」


 その声には、静かな威厳と、確かな温もりが込められていた。



✦✦✦《再起の誓い 》 ✦✦✦


 Kはゆっくりと立ち上がった。

 足元の瓦礫が崩れる音が小さく響く。

 彼はエリシアの瞳を見据え、深く息を吸い込んだ。


「俺は影鬼の王だ。……だが、その力には溺れない。絶対に」


 その言葉に、影鬼たちがざわめき始めた。

 その輪郭が、少しずつ明瞭に戻り始める。


「市場が俺を拒絶するのなら、歪んだ仕組みごと、根底から書き換えるしかない。

……俺が、変える。奪うだけの世界を」


 その声が、夜を裂いた。


「奪うだけのゼグラントの市場――その根を、俺が断ち切る。そして、築く。新しい“王の意思”で」


 影鬼たちの視線が、再びKをとらえていた。

 そこには、かつての服従ではない――“共に歩む者”としての光があった。


「俺はっ! Kだぁあああああ!」


 空気が、振動するようだった。

 廃墟が、その名を静かに反響させる。

 まるで、世界そのものが――その名を認めたかのように。


 絶叫の余韻が、奥底まで染み渡った。

 砕けた石が、その名を呟いた気がした。


 エリシアは、そっと名を呼んだ。


 「……K」


 否定する者は、もういなかった。Kの声だけが、夜を貫いていた。


 微かな息遣いが胸を満たす。Kは拳をほどき、迷いを背中に置き去りにした。

 そして――進んだ。もう、振り返ることはなかった。


 瓦礫を踏みしめた瞬間、自分の中にまだ残る怖れに、かすかに歯を食いしばった。

 でも、もう振り返らなかった。


 瓦礫が崩れる音が、静寂の中に響く。


「……影鬼の王として――」


 Kは、沈黙の中に言葉を置いた。


「俺は……まだ終わっていない」


 ――空は、ただ静かに広がっていた。

 言葉はもう、要らなかった。


 夜風が一陣、瓦礫をかすかに鳴らした。


 Kは足元を見つめ、ひとつ、深く息を吐いた。

 踏み出したその一歩が、夜の静寂を破った。


 その足音に続くように、影鬼たちもまた、沈黙の中を歩き出す。


 ――その背後で。


 沈黙していた影が、ゆっくりと波打った。


 焼け焦げた瓦礫が、微かに震えた。

 その隙間から、黒い影がゆっくりと立ち上がる。

 灰の舞う空気を裂くように、重く鋭い気配が満ちていく。


 影が形を取り、漆黒の騎士が現れた。

 その鎧は、夜の闇すら拒むように光を吸い込み、静かに立ち上がる。

 鞘に収めた剣を腰に携え、確かな足取りでKの背中へと向かっていく――。


 それは、セルバスだった。かつて「理性の象徴」として召喚された、Kの剣。


 それは、セルバスだった。


 かつて「理性の象徴」として召喚された、Kの剣。

 いま、彼は何も語らない。

 ただ、その歩みだけで、Kの背を肯定していた。


 風が吹き抜ける。

 砂と灰が舞う中、セルバスは無言でKの側に立ち、剣の柄にそっと手を添える。


 静寂の中、低く、地を這うような声が響いた。


 「……俺は剣。K様が歩む限り、何度でも振るわれる」


 セルバスは続ける。声は変わらず淡々としていたが、そこには確かな感情の熱がにじんでいた。


 「見ていました。……ずっと。影の底から、K様の背中を」


 瓦礫の隙間、影の狭間――剣として“まだ振るわれる前”から。

 決して声を出さず、ただその歩みに寄り添い続けていた。

 K様が立ち止まれば、立ち止まり。進めば、共に進もうと心だけが先に揺れた。


 Kは振り返らない。

 だが、その言葉だけで――十分だった。

 ……なら、俺が“剣を振るう理由”を見せてやる。


 だが――確かに立ち上がったはずの足は、まだほんの少しだけ震えていた。

 その震えを、K自身も気づかぬふりをした。


 夜は、まだ静かだった。


 セルバスもまた、ただ前を見据える。


 二人は言葉を交わさず、夜の中をゆっくりと歩き出す。

 瓦礫を踏む足音だけが、確かにそこにあった。


 王と剣――語らぬまま、運命を再び握り合った。







【次回予告 by エリシア】

「――王としての価値が消えた? ふふ、それでも……私は“あなた”の側に立つわ」


次回影に値はない、『名もなき影が、王の意志にひれ伏す』。

力じゃない、“存在”が影を揺らすの。……それが、あなたの本当の価値よ」


「ねえ、K。忘れないで。

市場が否定しても、私は……あなたを“選び続ける”わ」



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