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#7−1:影に値はない



✦✦✦ 《拒絶されし王》 ✦✦✦


 夜の闇が、荒廃した城の瓦礫を包み込んでいた。


 Kは、膝をついていた。


 ――戦うつもりだった。


 市場を変えると、決めた。

 影鬼の力を取り戻し――魔王市場の召喚制度を、破壊すると誓った。


 だが。


「……なんでだ……俺の言葉が、聞こえないのか?」


 胸が、どくんと脈打った。


 Kの声は震えていた。


 目の前に立つ影鬼たちは、かつて忠誠を誓ったはずの存在。

 だが今、その瞳はKの姿を映しながらも、

 まるで“かつての王”を悼むような遠さを湛えていた。


「俺は、お前たちの王だ」

「だったら……俺に従え」


 声が震えていることに、自分でも気づいた。

 言葉は確かに“王”としての命令のはずなのに――声の奥には、

 哀願のような色が混じっていた。


 影鬼たちは微かに震えた。


 だが――誰一人、動かなかった。


 影鬼は、Kの影から生まれた。

 ……それなのに。今のKには、彼らを縛る力が、ない。


 かつてならば、一言の命令で影鬼は絶対服従した。

 影の王の意志が、即ち彼らの行動原理だった。


 しかし、今のKは――。


「……お前は、影の王ではない」


 影鬼の一体が、呟いた。

 Kの胸が、冷たくなる。


「何を言っている?」


「市場は……もう、お前を“価値ある存在”として見なさなかった」


 その言葉はまるで断罪のように冷たく、影鬼の声には祈りすら残っていなかった。


「市場……力、それだけが全てだ」

「力なき者に、従う意味などない」


 ――市場に、影鬼すら従うのか。


 Kは歯を食いしばった。


 魔王たちが市場に従うのは理解していた。

 召喚された異世界人が市場で資源として扱われるのも知っていた。


 だが。


 影鬼までもが、Kを市場価値で評価しているというのか。


「……お前たちは……俺の影だったはずだ」

「俺が息をする限り、お前たちは俺の意志のままにあるはずだった」


「それなのに……俺よりも、市場の声が上なのか?」

「市場が消えろと言えば……俺も、一緒に消えるのか?」


 影鬼たちは、微かに揺れた。


「……お前は、もはや影の王ではない」

「影の王とは、市場で最も“価値ある存在”でなければならない」

「お前はもう……その座にいない」


 Kの喉が詰まった。


 影鬼が――Kを見限っていく。



✦✦✦ 《裂ける忠誠、暴走する影》 ✦✦✦


 その時だった。


 影鬼の群れが、苦しみに耐えきれず軋み、ひび割れた。

 黒い霧が溢れ出し、呻き声のような低い振動音が響く。


 ――暴走の兆候。


 影鬼たちの形が崩れ、獣のような影が狂乱しながら空間を引き裂く。

 理性を失い、ただの「暴力」としての影が戦場を飲み込んでいく。


「……影鬼が、暴走する?」


 影鬼は、Kの精神と深く結びついている。

 Kが動揺し、意識が揺らげば、それは影鬼の形にも影響する。


 言葉を重ねるまでもない。

 ――Kが王でなくなった瞬間、影鬼は壊れる。


「チッ……!」


 Kは立ち上がろうとするが、影鬼たちの身体が一斉に震え、

 ヒビが入り、ひび割れた鏡のように砕けていく。


 直後――。


 黒い霧が、苦悶の叫びとともに広がった。

 影鬼の影が、制御を失った獣のように四方に暴れ出す。


「……このままでは、影鬼が消える……!」


 視界が、ぐらりと揺れた。


 否定された。

 それだけで、内側が軋む。

 ……俺は、支配ではなく、共鳴を求めていた?

 それとも……縋っていたのか?

 思考が言葉にならず、ただ波紋のように広がっていく。


 思考を重ねていく内に、影鬼たちが、一斉に、暴走を始めた。



✦✦✦ 《女王の審問》 ✦✦✦


 瓦礫の影の奥で、何かが揺らめいた。


 黒紫の霧が、ゆっくりと形を成していく。


 ――そこに、彼女はいた。


 影鬼たちが暴走し、戦場が混沌に包まれる。


 そのとき――。


「静まりなさい」


 その声とともに、戦場の空気が凍った。

 影鬼の暴走が、糸を断たれた操り人形のようにピタリと止まり、黒い霧が静止する。


 瓦礫の影が揺らぎ、まるでこの世界の主が現れたかのような威圧感が広がる。

 そして、黒紫のドレスをまとった女が、堂々とそこに立っていた。


 まるで時間すら支配するかのように。

 影鬼たちの動きが、一瞬止まった。

 闇の中から、黒紫のドレスをまとった女が静かに現れる。


 Kは、彼女を見つめた。


「……エリシア」


 エリシアは、静かに微笑む。


「ええ、私はエリシア」


「あなたが影の王として相応しいかを試すために、ここにいるの」


 エリシアは、Kを見下ろす位置で歩み寄った。

 その視線には、かつての仲間を見るような優しさと、今は審問者として立つ冷静さが宿っていた。


「あなたは、何のために戦うの?」


 Kは、無言だった。


「市場を変えるため?」

「召喚制度を破壊するため?」


 エリシアの瞳が、Kの奥底を見透かすように光る。


「……あなたは、誰のために戦うの?」

「それは……あなた自身の望み?」


 Kの手が、僅かに震えた。

 その問いは、彼の中の“信念の輪郭”を揺らすには十分だった。


「俺は……」


 エリシアは、ゆっくりと頭を傾げた。


「あなたは、存在する意味を探しているのね」

「けれど、あなたが何者であるかを決めるのは市場じゃないわ」


 Kは、彼女の言葉を噛みしめた。


 エリシアが、そっと手を伸ばした。


「あなたが影鬼の王ならば、証明しなさい」

「市場の評価ではなく、あなた自身の意志で」


 Kは、拳を握りしめた。


 影鬼の暴走は止まらない。

 市場は依然としてKを無価値とみなしている。


 だが、それがどうした。


 Kは、影鬼の群れを見据え、静かに息を整えた。


「……お前たちが俺を否定するなら、俺は俺の価値を証明する」


 影鬼たちが、一瞬怯えたようにざわめいた。


 Kは、静かに息を吸う。


「……市場に決めさせるものか。俺は、自分の価値を証明する」


 ――この戦いは、“市場の支配”との決別だ。


 Kはゆっくりと拳を握った。

 その目に、怒りではなく、静かな炎が宿る。

 視線の先にいたのは、かつて自身を見限った影鬼たち。


 胸の奥に、燻っていた小さな火種が、今や炎になって燃え上がる。


「俺は、市場という“神のような支配”を超えて……この世界の『理』を書き換える」


 ……怖かったんだ。見捨てられるのが。

 それでも俺は、俺だ。市場なんかに、決めさせてたまるか。


 その言葉とともに、影鬼の暴走が止まり、全ての視線がKに集まった。


「市場が何を言おうと……俺は、俺自身の力を示す」


 Kの足元から、黒い影が広がり始める。

 ざわめく空気が、戦場を撫でた。

 影と霧が混じり合い、まるで世界そのものが身を捩るようだった。


 ――これは、かつて影鬼が認めていたKの力そのもの。


 影鬼たちが本能的に恐れ、そして敬っていた「影の王」としての力。


 市場の評価ではなく、K自身の力が、この場で証明されようとしている。


 影鬼たちは、揺れ動いた。


「……王の力を見せろ」


 Kは、薄く笑った。


「“ゼロ”って言葉が、どれほど無力か……教えてやるよ」



✦✦✦ 《王の再起》 ✦✦✦


 Kの足元から、黒い影が渦を巻き始める。


 市場がゼロを突きつけても、影鬼の本能は、まだ答えを探していた。


 ――圧倒的な「王の力」の顕現。


 暴走していた影鬼たちが、その力の波動に引かれるように静まり始めた。


「……この力……影の王のものに、違いない」

「だが、市場はまだ彼を認めていない。逆らえば……俺たちが崩れるかもしれん」


 影鬼たちも、揺れていた。

 市場の名を呪いながら、それでも抗えず。

 ――それでも、目の前の“かつての王”を、どうしても見捨てきれずにいた。


 その選択は、彼らの存在そのものを左右する「生存の選択」だった。


 Kは、影鬼たちの迷いを見抜いていた。


「……お前たちは、それでも市場の奴隷でいるつもりか?」


 Kの声が、瓦礫の間に低く響く。


 影鬼の一体が、身を震わせた。


「我らは……市場に従えば、生存の保証が……」


「生存?」


 Kは、静かにその言葉を噛み砕くように繰り返した。


「……忘れたのか。お前たちは“影の王”の意志から生まれた。俺の影から、命を得たはずだろう?」


 影鬼たちは、微かに揺らいだ。


「市場に従えば、確かに"生存"は保証されるかもしれない」

「だが、それは"自由"ではない」

「市場に認められた影鬼はどうなる?」

「資源として流通し、必要とされるままに利用されるだけだ」


 影鬼の一体が、わずかに身を引いた。


「……市場の保護がなければ、我らは……」


「保護、だと?」


 Kは鼻先で笑った。


「市場の“保護”にすがったとしても……その先に“未来”はない」

「市場の意向一つで、お前たちは『不要な存在』にされる」

「そうなったとき……お前たちは、どうする?」


 影鬼たちは、沈黙した。


 市場がKを否定したように、彼らもまた、いつか否定される。


 それは……怖いほど明白な事実だった。


 長い沈黙があった。


 影鬼たちは、互いに視線を交わしながら、Kを見つめていた。



✦✦✦ 《異端の愛、境界を破って》 ✦✦✦


 瓦礫の向こう、Kの落とした黒い外套を拾い上げる影があった。

 それは、血の滲む石畳に膝をついた一人の女――ユリエル。


 彼女は、外套に顔を寄せ、うっとりとした表情で囁いた。


「……んふっ、この匂い……苦しい、甘い、もう……たまらない……! K様の痛みって、なんて――愛しい……」


 頬を押し当て、陶酔に震えるその仕草は、異様で、どこか神聖ですらあった。


 しかし次の瞬間、その目が見開かれた。

 感情の火が、理性の奥で燃え上がる。


 「支配される価値じゃない。あなた自身が、“価値を作る存在”だと、私は証明します」


 その声は、変態的な崇拝から一転して、冷徹な真理の使者のようだった。


 Kがその言葉に振り向くことはなかったが――。

 彼のまなざしが、一瞬だけ揺れたのを、ユリエルは確かに見逃さなかった。


 彼女はそっと微笑んだ。


「……この痛みが、あなたの価値なら……私は一生、傍で記録し続けます」


 ユリエルはそう言うと、宙に浮かぶ何かへ、ペンで書き記すような仕草をした。


「誰が否定しても、私だけは、あなたを肯定し、最も近くで……ニオイいをかがせていただきます」


 まるで抱きしめるように両腕を自分に巻きつけ、恍惚の表情で身を震わせる。


「……あ、ご安心を。私は合法的に“記録係”として認可されていますから」


 突然の冷静さが、その精神の不安定さを逆に際立たせていた。


 それは声にはならない祈りだった。ただ、彼女の胸の中に、静かに灯っていた。


「……K様」


 影鬼の一体が、ゆっくりと膝をついた。


 ――だが、すべてではなかった。


 影鬼たちの一部が、暴走の名残を残したまま、牙を剥いた。

 まるでKを引き裂こうとするように、影が震える。


 Kは、それでもただ静かに彼らを見た。


 ……俺は、お前たちを、裁かない。


 その無言の意志が伝わったのか、影鬼たちは苦悶のように震え、

 やがて、自らの牙を引きちぎるようにして――跪いた。


 それを合図に、一体、また一体と影鬼が跪いていく。


「市場は、お前を見放した」

「だが……市場が何を言おうと、影鬼が従うのは"市場の評価"ではない」

「"影の王"の力、その証明だけだ」

「お前が王であることを示せるなら、我らはお前に帰る」


 それを合図に、一体、また一体と影鬼が跪いていく。


 だが、一体だけ、動けないまま震えている影鬼がいた。

 Kを見上げるその瞳には、恐れと迷いが入り混じっていた。


「影鬼が従うのは、影の王」

「市場の評価ではなく……真の“力”に」


 影鬼の集団が、ゆっくりとKの影の中へと沈み込んでいく。


 まるで、失った忠誠を取り戻すように。


 Kは、静かにそれを受け入れた。


「……行くぞ」


 影鬼たちが、一斉にざわめいた。


 影の波が走った。

 それは、王を取り戻した“証明”だった。


 Kとともに歩むことを選んだ瞬間だった。


 エリシアは、その光景を静かに見守っていた。

 かつて自分が見た“王の背中”が、今、確かにそこにあった。


「――ようやく。あなた自身の“価値”を示したわね」


 Kは、彼女を見据えながら、小さく息をつく。


「俺は、市場になんて屈しない」

「影鬼と共に――この偽りの“秩序”をぶち壊す」


 エリシアは、満足そうに微笑んだ。


「なら、私はあなたを見届けるわ」

「影鬼の王として……この世界をどう動かすのか」


 Kは、静かに前を向いた。


 ――ここからが、本当の戦いだ。







 【次回予告 by ユリエル】

「K様……理を超えたその進化、あれはもう“奇跡”なんて言葉じゃ足りない……

ああ、あの瞬間、あなたの細胞が音を立てて世界の定義を書き換えていた……!」


次回理を越えて――

『世界がまだ、あなたに追いついていないだけ』。

……私は信じています。たとえ誰も理解できなくても、私だけは、あなたの理を記録し続ける」


「ユリエルの“小言”? いいえ、これは誓いです。

あなたが壊れるその寸前まで、私は知を尽くして、愛し抜きます。

K様……どうか、今夜も尊く、あられますように」

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