✦✦✦ 《拒絶されし王》 ✦✦✦
夜の闇が、荒廃した城の瓦礫を包み込んでいた。
Kは、膝をついていた。
――戦うつもりだった。
市場を変えると、決めた。
影鬼の力を取り戻し――魔王市場の召喚制度を、破壊すると誓った。
だが。
「……なんでだ……俺の言葉が、聞こえないのか?」
胸が、どくんと脈打った。
Kの声は震えていた。
目の前に立つ影鬼たちは、かつて忠誠を誓ったはずの存在。
だが今、その瞳はKの姿を映しながらも、
まるで“かつての王”を悼むような遠さを湛えていた。
「俺は、お前たちの王だ」
「だったら……俺に従え」
声が震えていることに、自分でも気づいた。
言葉は確かに“王”としての命令のはずなのに――声の奥には、
哀願のような色が混じっていた。
影鬼たちは微かに震えた。
だが――誰一人、動かなかった。
影鬼は、Kの影から生まれた。
……それなのに。今のKには、彼らを縛る力が、ない。
かつてならば、一言の命令で影鬼は絶対服従した。
影の王の意志が、即ち彼らの行動原理だった。
しかし、今のKは――。
「……お前は、影の王ではない」
影鬼の一体が、呟いた。
Kの胸が、冷たくなる。
「何を言っている?」
「市場は……もう、お前を“価値ある存在”として見なさなかった」
その言葉はまるで断罪のように冷たく、影鬼の声には祈りすら残っていなかった。
「市場……力、それだけが全てだ」
「力なき者に、従う意味などない」
――市場に、影鬼すら従うのか。
Kは歯を食いしばった。
魔王たちが市場に従うのは理解していた。
召喚された異世界人が市場で資源として扱われるのも知っていた。
だが。
影鬼までもが、Kを市場価値で評価しているというのか。
「……お前たちは……俺の影だったはずだ」
「俺が息をする限り、お前たちは俺の意志のままにあるはずだった」
「それなのに……俺よりも、市場の声が上なのか?」
「市場が消えろと言えば……俺も、一緒に消えるのか?」
影鬼たちは、微かに揺れた。
「……お前は、もはや影の王ではない」
「影の王とは、市場で最も“価値ある存在”でなければならない」
「お前はもう……その座にいない」
Kの喉が詰まった。
影鬼が――Kを見限っていく。
✦✦✦ 《裂ける忠誠、暴走する影》 ✦✦✦
その時だった。
影鬼の群れが、苦しみに耐えきれず軋み、ひび割れた。
黒い霧が溢れ出し、呻き声のような低い振動音が響く。
――暴走の兆候。
影鬼たちの形が崩れ、獣のような影が狂乱しながら空間を引き裂く。
理性を失い、ただの「暴力」としての影が戦場を飲み込んでいく。
「……影鬼が、暴走する?」
影鬼は、Kの精神と深く結びついている。
Kが動揺し、意識が揺らげば、それは影鬼の形にも影響する。
言葉を重ねるまでもない。
――Kが王でなくなった瞬間、影鬼は壊れる。
「チッ……!」
Kは立ち上がろうとするが、影鬼たちの身体が一斉に震え、
ヒビが入り、ひび割れた鏡のように砕けていく。
直後――。
黒い霧が、苦悶の叫びとともに広がった。
影鬼の影が、制御を失った獣のように四方に暴れ出す。
「……このままでは、影鬼が消える……!」
視界が、ぐらりと揺れた。
否定された。
それだけで、内側が軋む。
……俺は、支配ではなく、共鳴を求めていた?
それとも……縋っていたのか?
思考が言葉にならず、ただ波紋のように広がっていく。
思考を重ねていく内に、影鬼たちが、一斉に、暴走を始めた。
✦✦✦ 《女王の審問》 ✦✦✦
瓦礫の影の奥で、何かが揺らめいた。
黒紫の霧が、ゆっくりと形を成していく。
――そこに、彼女はいた。
影鬼たちが暴走し、戦場が混沌に包まれる。
そのとき――。
「静まりなさい」
その声とともに、戦場の空気が凍った。
影鬼の暴走が、糸を断たれた操り人形のようにピタリと止まり、黒い霧が静止する。
瓦礫の影が揺らぎ、まるでこの世界の主が現れたかのような威圧感が広がる。
そして、黒紫のドレスをまとった女が、堂々とそこに立っていた。
まるで時間すら支配するかのように。
影鬼たちの動きが、一瞬止まった。
闇の中から、黒紫のドレスをまとった女が静かに現れる。
Kは、彼女を見つめた。
「……エリシア」
エリシアは、静かに微笑む。
「ええ、私はエリシア」
「あなたが影の王として相応しいかを試すために、ここにいるの」
エリシアは、Kを見下ろす位置で歩み寄った。
その視線には、かつての仲間を見るような優しさと、今は審問者として立つ冷静さが宿っていた。
「あなたは、何のために戦うの?」
Kは、無言だった。
「市場を変えるため?」
「召喚制度を破壊するため?」
エリシアの瞳が、Kの奥底を見透かすように光る。
「……あなたは、誰のために戦うの?」
「それは……あなた自身の望み?」
Kの手が、僅かに震えた。
その問いは、彼の中の“信念の輪郭”を揺らすには十分だった。
「俺は……」
エリシアは、ゆっくりと頭を傾げた。
「あなたは、存在する意味を探しているのね」
「けれど、あなたが何者であるかを決めるのは市場じゃないわ」
Kは、彼女の言葉を噛みしめた。
エリシアが、そっと手を伸ばした。
「あなたが影鬼の王ならば、証明しなさい」
「市場の評価ではなく、あなた自身の意志で」
Kは、拳を握りしめた。
影鬼の暴走は止まらない。
市場は依然としてKを無価値とみなしている。
だが、それがどうした。
Kは、影鬼の群れを見据え、静かに息を整えた。
「……お前たちが俺を否定するなら、俺は俺の価値を証明する」
影鬼たちが、一瞬怯えたようにざわめいた。
Kは、静かに息を吸う。
「……市場に決めさせるものか。俺は、自分の価値を証明する」
――この戦いは、“市場の支配”との決別だ。
Kはゆっくりと拳を握った。
その目に、怒りではなく、静かな炎が宿る。
視線の先にいたのは、かつて自身を見限った影鬼たち。
胸の奥に、燻っていた小さな火種が、今や炎になって燃え上がる。
「俺は、市場という“神のような支配”を超えて……この世界の『理』を書き換える」
……怖かったんだ。見捨てられるのが。
それでも俺は、俺だ。市場なんかに、決めさせてたまるか。
その言葉とともに、影鬼の暴走が止まり、全ての視線がKに集まった。
「市場が何を言おうと……俺は、俺自身の力を示す」
Kの足元から、黒い影が広がり始める。
ざわめく空気が、戦場を撫でた。
影と霧が混じり合い、まるで世界そのものが身を捩るようだった。
――これは、かつて影鬼が認めていたKの力そのもの。
影鬼たちが本能的に恐れ、そして敬っていた「影の王」としての力。
市場の評価ではなく、K自身の力が、この場で証明されようとしている。
影鬼たちは、揺れ動いた。
「……王の力を見せろ」
Kは、薄く笑った。
「“ゼロ”って言葉が、どれほど無力か……教えてやるよ」
✦✦✦ 《王の再起》 ✦✦✦
Kの足元から、黒い影が渦を巻き始める。
市場がゼロを突きつけても、影鬼の本能は、まだ答えを探していた。
――圧倒的な「王の力」の顕現。
暴走していた影鬼たちが、その力の波動に引かれるように静まり始めた。
「……この力……影の王のものに、違いない」
「だが、市場はまだ彼を認めていない。逆らえば……俺たちが崩れるかもしれん」
影鬼たちも、揺れていた。
市場の名を呪いながら、それでも抗えず。
――それでも、目の前の“かつての王”を、どうしても見捨てきれずにいた。
その選択は、彼らの存在そのものを左右する「生存の選択」だった。
Kは、影鬼たちの迷いを見抜いていた。
「……お前たちは、それでも市場の奴隷でいるつもりか?」
Kの声が、瓦礫の間に低く響く。
影鬼の一体が、身を震わせた。
「我らは……市場に従えば、生存の保証が……」
「生存?」
Kは、静かにその言葉を噛み砕くように繰り返した。
「……忘れたのか。お前たちは“影の王”の意志から生まれた。俺の影から、命を得たはずだろう?」
影鬼たちは、微かに揺らいだ。
「市場に従えば、確かに"生存"は保証されるかもしれない」
「だが、それは"自由"ではない」
「市場に認められた影鬼はどうなる?」
「資源として流通し、必要とされるままに利用されるだけだ」
影鬼の一体が、わずかに身を引いた。
「……市場の保護がなければ、我らは……」
「保護、だと?」
Kは鼻先で笑った。
「市場の“保護”にすがったとしても……その先に“未来”はない」
「市場の意向一つで、お前たちは『不要な存在』にされる」
「そうなったとき……お前たちは、どうする?」
影鬼たちは、沈黙した。
市場がKを否定したように、彼らもまた、いつか否定される。
それは……怖いほど明白な事実だった。
長い沈黙があった。
影鬼たちは、互いに視線を交わしながら、Kを見つめていた。
✦✦✦ 《異端の愛、境界を破って》 ✦✦✦
瓦礫の向こう、Kの落とした黒い外套を拾い上げる影があった。
それは、血の滲む石畳に膝をついた一人の女――ユリエル。
彼女は、外套に顔を寄せ、うっとりとした表情で囁いた。
「……んふっ、この匂い……苦しい、甘い、もう……たまらない……! K様の痛みって、なんて――愛しい……」
頬を押し当て、陶酔に震えるその仕草は、異様で、どこか神聖ですらあった。
しかし次の瞬間、その目が見開かれた。
感情の火が、理性の奥で燃え上がる。
「支配される価値じゃない。あなた自身が、“価値を作る存在”だと、私は証明します」
その声は、変態的な崇拝から一転して、冷徹な真理の使者のようだった。
Kがその言葉に振り向くことはなかったが――。
彼のまなざしが、一瞬だけ揺れたのを、ユリエルは確かに見逃さなかった。
彼女はそっと微笑んだ。
「……この痛みが、あなたの価値なら……私は一生、傍で記録し続けます」
ユリエルはそう言うと、宙に浮かぶ何かへ、ペンで書き記すような仕草をした。
「誰が否定しても、私だけは、あなたを肯定し、最も近くで……ニオイいをかがせていただきます」
まるで抱きしめるように両腕を自分に巻きつけ、恍惚の表情で身を震わせる。
「……あ、ご安心を。私は合法的に“記録係”として認可されていますから」
突然の冷静さが、その精神の不安定さを逆に際立たせていた。
それは声にはならない祈りだった。ただ、彼女の胸の中に、静かに灯っていた。
「……K様」
影鬼の一体が、ゆっくりと膝をついた。
――だが、すべてではなかった。
影鬼たちの一部が、暴走の名残を残したまま、牙を剥いた。
まるでKを引き裂こうとするように、影が震える。
Kは、それでもただ静かに彼らを見た。
……俺は、お前たちを、裁かない。
その無言の意志が伝わったのか、影鬼たちは苦悶のように震え、
やがて、自らの牙を引きちぎるようにして――跪いた。
それを合図に、一体、また一体と影鬼が跪いていく。
「市場は、お前を見放した」
「だが……市場が何を言おうと、影鬼が従うのは"市場の評価"ではない」
「"影の王"の力、その証明だけだ」
「お前が王であることを示せるなら、我らはお前に帰る」
それを合図に、一体、また一体と影鬼が跪いていく。
だが、一体だけ、動けないまま震えている影鬼がいた。
Kを見上げるその瞳には、恐れと迷いが入り混じっていた。
「影鬼が従うのは、影の王」
「市場の評価ではなく……真の“力”に」
影鬼の集団が、ゆっくりとKの影の中へと沈み込んでいく。
まるで、失った忠誠を取り戻すように。
Kは、静かにそれを受け入れた。
「……行くぞ」
影鬼たちが、一斉にざわめいた。
影の波が走った。
それは、王を取り戻した“証明”だった。
Kとともに歩むことを選んだ瞬間だった。
エリシアは、その光景を静かに見守っていた。
かつて自分が見た“王の背中”が、今、確かにそこにあった。
「――ようやく。あなた自身の“価値”を示したわね」
Kは、彼女を見据えながら、小さく息をつく。
「俺は、市場になんて屈しない」
「影鬼と共に――この偽りの“秩序”をぶち壊す」
エリシアは、満足そうに微笑んだ。
「なら、私はあなたを見届けるわ」
「影鬼の王として……この世界をどう動かすのか」
Kは、静かに前を向いた。
――ここからが、本当の戦いだ。
【次回予告 by ユリエル】
「K様……理を超えたその進化、あれはもう“奇跡”なんて言葉じゃ足りない……
ああ、あの瞬間、あなたの細胞が音を立てて世界の定義を書き換えていた……!」
「
『世界がまだ、あなたに追いついていないだけ』。
……私は信じています。たとえ誰も理解できなくても、私だけは、あなたの理を記録し続ける」
「ユリエルの“小言”? いいえ、これは誓いです。
あなたが壊れるその寸前まで、私は知を尽くして、愛し抜きます。
K様……どうか、今夜も尊く、あられますように」