「と、戯れはこのくらいにして」
やっとのことで、目の端をうろうろしていた四十内さんが目の前へ戻ってきた。
「戯れなら戯言でやり過ごしたかったよ……」
なぜ(誰も居ないとはいえ)教室内で経験の無さを暴露しなければならなかったのか。
天を仰ぐも、まだらに染まり
「ほら、恋愛でマウントを取ってくる人とかも居たじゃない。そういう人を見ると、色々と思うところがあったの」
「……あ、居たねぇ。『秋風よりも速く青春を駆け抜ける』って言い捨てて学校辞めた赤須賀さん」
そういえば『扇が必要とされるのは夏だけど、手元に置かれるのは春』と言ったのも赤須賀さんだった。恋に恋するというほど盲目じゃなかったけど、無作為に恋するくらいに向こう見ずだった。
「そう、
「まさか小学生に手を出すとはね……」
当時、赤須賀さん(15歳)。佐原くん(10歳)の話である。あの人の話は込み入ってしまうので、これ以上は割愛。
「ともかく、今まで秘するが美徳とされていたものが、どこで
「"逆しまな冠"かぁ……」
逆しまというか
けど、そもそもが違うのかもしれない。"裏返る"なんて言うけど、ずっと世間や集団の圧に屈しているだけなのかも。少年少女の頃は純真無垢であることを望まれ、大人になるなり経験済みであることを求められる。そこに当事者の意思は入っていないようにも見える。
それだと、逆しまな冠をして偉ぶっているような論調は成り立たない。ただ、言いたいことも言えない世の中ってだけだしね。手枷足枷で
「というか、赤須賀さんは別の理由で手枷案件かもしれないな。冷たくて頑丈なヤツ、を」
空にした缶を放ると、見事にゴミ箱へ吸い込まれていった。
件の赤須賀いやしインパクト時、どうせ誰かがすると思って通報していなかった。今からでも警察に相談すべきだろうか。
「あら、緩利さん。恋愛に年齢、タブーを持ち出してしまう人? 」
頬杖をして顔を綻ばせる四十内さん。グッと距離が近づいた。
射るような視線から逃げるように、のけ反って見上げる。首か背中のあたりが軋みをあげる。
「あー、特別にタブーは設けてないけど、ね。公序良俗とか人の目はそれなりに気にする、かなぁ? 」
「……そう。緩利さんにいい人が出来るのはいつになるのかしら」
「うん? もしかして心配されてる? 」
まさか四十内さんには既に約束された相手が居て、遙か高みから語りかけていた……? 射竦める両目の
「まさか。緩利さんほどの社交性があるなら心配は無用でしょう? 」
嫌味かな、と思ったけど違う。四十内さんは校区外に出まいと回り道はすれど、悪意は最短距離でぶつける。空き缶はともかく、悪口はストレートに投げる人なのだ。
「それに、緩利さん太ももは太いけど他は細いもの。好きな人は多いと思うわ」
こんな風にね。
「ま、四十内さんみたいな美人さんから褒められるのは嬉しいよ。くすぐったいけどね」
「……すぐそうやって返せるのが人気の秘訣なのかしら」
そっぽを向かれてしまった。思ったより反応がつまらなくて、拗ねてしまっただろうか。
カチカチという秒針に急かされ、長針がそこまで迫ったギロチンに思える。
「四十内さんにはある? そういう色恋に関するタブー」
「ないわ。嫌悪感を感じるような類いはあるけれど、別に私がルールじゃないもの」
断頭の前に喉からこぼれた問いはすぐに返された。直後、カチと一際大きな音が鳴った。長針が私の首を刎ね飛ばした心地だ。
四十内さん、ルールに厳しいというよりは自分に厳しいお方。他人にそこまで頓着しないので、ルールを押しつけない。ただ彼女の側が退くだけだ。
「あ、タブーってほどじゃないけど、名前呼び苦手かも」
生首を拾い上げるゾンビ緩利沙咲。まだ死に体ととるか、もう死にたいととるかは人によるかも。
「あら、意外ね。普通は名前で呼ばれるほうが好ましく思いそうだけど」
「うんにゃ、特には。自己紹介の時にも言ったけど、沙咲って名前だから仲良い人から呼ばれても距離感じちゃってね」
サキちゃん、というあだ名もあったが、別のサキちゃんとの混同もありすぐに立ち消えた。佐々木さんは他にいたが、まぁ女子連中というのは大抵が名前呼びなので。
結局はわたしよりも"サキちゃん"のほうが優先されたというだけの話なのだ。優先順位として押し出された。これがあまり馴染めない決め手というか、決まり手というか。
別にわたしを優先して欲しいとかではない。クラスの女子はサキちゃんにあだ名を付けることもできた。それをせずに名前呼びに準じた。だからわたしも深くは踏み込まない。ただ、それまでの話。
やおら立ち上がる四十内さん。とうに活動終了のチャイムもなっていたので、わたしとのお話に付き合ってくれていたのだろう。
このタイミングで打ち切りにする優しい子だ。
「そういえば、四十内さんは何で緩利って呼んでくれるの? 初対面の頃からそうだよね」
画材を片しながら独り言のようにこぼす。顔を上げると、四十内さんは窓の方を、暮れていく陽を見ていた。
「そんなの決まってるじゃない」
振り返った四十内さんは、夕陽を背にしていて表情が読めない。
でも。
「他の人と違う、特別な呼び方がしたかっただけよ」
実は、こんな彼女が好きだったりする。
気に入った獲物を枝に刺しておく百舌の感情。百合ほど純潔でなく、無垢にあらず、威厳は元よりない。
今回の議決『