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第二回議題「ノックスの実害」

第二回議題「ノックスの実害-①」

 学校の屋上でお昼を食べたかった。


 青空の下、入り口のところから登って、給水塔に背を預けて束の間の孤独を楽しむ。


 漫画なんかであるように、教室の喧騒けんそうから抜け出して一人物静かにパンをかじるなんて、とても憧れる。教室の席だって窓際がよかったし、なんなら両親が海外へ転勤なんかしちゃって学生の身空で一人暮らしだと文句なし。これに憧れない中高生はいないっていう殺し文句。


「まぁ実際は甘くないよね」


 普通に教室でみんなとご飯を食べ、平凡に図書室で本を借り、並やかに美術室で読む。実にありきたり。まったく泣きたくなるくらいに現実。


 人は空を飛べない。力を込めたって手からエネルギー弾はでない。女の子が降ってくることもないし、白馬の王子様はいつまでも目の前に現れない。


 そんな世の中で劇的を求めることが、如何にありふれているかを思い知らされた。


 屋上への扉は固く閉ざされ、透明のカバーがあるのでノブにすら触れられない。両親が海外に行ったところで、弟と二人きりになるだけだ。教室の席はというと、廊下側。


 そんな席だから物憂げに窓ガラスを見ると、シャンと背筋の伸びた四十内さんと目が合うだけ。


「いや、それはいいかな別に」


 ふと見た折に美少女と見つめ合うのはなかなかに劇的じゃないかな。わたしの見てくれが釣り合わないのは悲劇的だけど。


 とまぁ惨憺さんたんたる有様というか、ここまでやると大胆たる無様だが、部室。美術室だけは劇的だ。


 学校という公的な空間において、プライベートな空間があるのはありがたい。職員室からヒョイと鍵を拝借するだけでいつでも利用できる。


 こうして秘密基地めいた場所があるのは実にいい。他の美術部員が幽霊部員ばかりなのが幸いした。顧問せんせいも授業の前後だけ姿を現すくらいで、ほぼ貸切状態である。人の目を盗んで、古い画材の入っていた棚に漫画を少しづつ増やすことの、なんと心安らかなことか。


 漫画以外はあまり家にないので、こうして図書室から借りてくるのだが。どだい弟のいる環境で読書なん


「あら、新本格ね。緩利ゆるりさん」

「幽霊部員! 」


 声に弾かれて角椅子から立ち上がる。硬い、ホントに硬い机の角に腿を強かに打ち付けた。


 汚い声が漏れそうになるが、なんとか噛み砕いて耐える。はしたないからめくらないが、絶対に赤い筋がついてる。


「……ま、失礼な物言いは不問としましょう」


「失礼って相殺はしないからね……」


 目頭とか太腿が赤く滲む思いをしながらも応える。相当に堪えた。


 濡れ髪と見紛う黒髪。それと対照的な白蝋はくろうを思わせるほどの肌。切れ長の目はどこか恐れ多く、目線を外したくなる。


 声の主は幽霊でなく四十内あいうちさんだった。


 いずれにせよ心臓には悪いのだが。あと太腿にも悪かった。まだ痛いし。


「人様のことは言えないけれど、緩利さんも大概インドア趣味ね」


 先の衝撃で取り落としていた本をさらりと奪う四十内さん。そのままペラペラと捲っていく。こうして眺めていると、そのまま絵のモデルになるくらい様になっている。


 フゥン、とつまらなそうに思いこなす。小馬鹿にしている素振りは表にださないが、とても満足しているようには見えない。


「そろそろ推理小説もファンタジーの棚に置いた方が賢明ね」


「……おや、なかなか手厳しいね。四十内さんはミステリに一家言ある人?」


 言いながら座り直す。痛めたところを撫でると、まだ少し熱っぽい。


「ミステリは最早ファンタジーよ。今日日きょうびこの日本において、クローズドサークルだってないでしょう」


 視線は文庫本に落としたまま、四十内さんはそんなことを言う。


 電話線の通ってない雪山、荒れて船の出ない絶海の孤島などの閉鎖空間。クローズドサークルとはそんな具合のロケーションを指す。今挙げた例も手垢のついたシチュエーションだが、なるほど確かに今の時代スマホも通じないというのは作為的だ。


 そこでふと、思い至る。


「クローズドサークルといえば、四十内さんどうやって入ったの? 美術室は密室だったと思うけど」


 わたしが来た時には確かに鍵がかかっていた。だって鍵はわたしが持ってきたのだから、間違いない。


 まさかと思い、目の前に仁王立ちの四十内さんの足を見る。うん、スラリと麗しい御御足おみあしがある。足のない幽霊じゃなかった。


 それにしてもほっそいな。わたしの半分くらいだったりしないだろうか。


「簡単なことよ。昼休みの前、四時限目には他クラスで美術室の授業があるわ」


 げに得意気に四十内さん。真相にたどり着いた名探偵、あるいは自白する真犯人のような芝居がかった口調で語り出す。


「終業直後の喧騒に紛れて入り込み、奥のドアの鍵を開けておいたの。あの先生、普段手前側しか解錠しないもの。他が空いているなんてまず気がつかないわ」


「思い込みの密室だね。ノックス的には駄目だけど」


 そもそも鍵がかかっていないなら開示されていた情報が誤っていた。トリックの根幹に関わるところが提示されていなかったというのは、読み手としてはあまり好ましくない。ちゃぶ台を返された心地になるから。


「ノックスの十戒じっかいこそ戒めるべきね。ある種の呪いと変わらないわ」


 四十内さんをして呪いと言わしめるミステリの鉄則十ヶ条。確かに意図的に破った作品にも名作があるし、今では鉄則というほど堅苦しいものでもない。


 初めて推理物を書くなら一度くらい目を通したほうがいい、ある種マニュアルのようなものだ。


 パタンと本を閉じ、こちら向きに返してくれる。わたしが受け取るなり、四十内さんは隣の席についた。体の向きはこちらに向いている。


 ……ああ、今日の導入はこのパターンってワケね。了解。


 嫌ではないが、心待ちにしているわけもない。本当に嫌気の差す心持ちだ。


「変な読者が難癖をつけるいい口実にしかなってないわ。ノックスの実害ね」


「まるで体験談のように語るね」


 四十内さん、ワナビだったりするのだろうか。そう仮定すると、読者へのヘイト度合いも溜飲りゅういんが下がる。いや褒められたものではないけども。


 書き手と読み手の感覚の乖離かいりというのは、往々《おうおう》にしてあるものだから仕方のない話だけど。作家なら読者を大切に。自分はもっと大切にしよう。


「むしろ改めるべきよ。新たに十戒を作るべきね。前時代を反省した猛省の十戒を」


「海も割れそうだね」


 エジプトを砂と海で囲われた密室とするなら、海を割って脱出は超能力めいてて難癖をつけられるのだろうな。


「あら乗り気じゃないのね。なら、もう私が作るわ。緩利さんは適宜褒めそやしてちょうだい」


「批判を許さないね!?」


 漫才の導入が如くシームレスに本題に移行した。コンビ組むのもアリだけど、適性を無視してツッコミをやりたがる四十内さんが見える。

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