「はいどうもー。ヒョータンソーアイです〜」
小走りでセンターマイクまで駆け寄り、一礼。頭を下げたまま横目で覗くと、四十内さんの背中が見えた。
「いやいや、こっち! お客さんこっちだから。いいよそういうボケは」
肩を掴み、観客側に向き直らせる。さっそく台本にない小ボケを挟んできた。しかも登場して間もなく。
「四十内です。二倍ピース」
人差し指と中指、薬指と小指をそれぞれピッタリと合わせた異形のピースを掲げる。
「ごめん、わたしそれできない。お決まりみたいにやられても出来ないからね?」
真似してやろうとするが、中指と薬指がそう上手く離れない。
「じゃあ私が緩利さんの分もやるわ。ダブル二倍ピース」
「そこ四倍じゃないんだ」
両手で件の二倍ピースを行う四十内さんにツッコミつつ、手を下げさせる。
「今日は新入生の皆さんと楽しいひとときを過ごせればと思うわ」
「まま、そうですね。えぇ、我々が頑張ってそんな時間を提供したいと思います」
やっとマトモに台本にあることを言ってくれた。わたしも少し突っ掛かりながらも台本通りに返す。
「学園生活で一番楽しいことと言えばそう、お手洗いの時よね」
「そうかなぁ!?」
疑惑の大声を張り上げる。どんだけ暗い学園生活を過ごしていても、トイレが思い出の一ページに載ることはないだろう。嫌だよ、便器を写した卒業アルバム。
四十内さんは海外ドラマのように、大袈裟に首を振る。
「いいえ、それはお手洗いを舐めてるわね。実際とても楽しいもの」
「いや……なんか、その。お手洗い舐めてるってなんかさ、便器舐めてるみたいで嫌なんだけど……」
その図を想像してしまった気持ち悪さから、トーンダウンしつつも指摘する。
「学生にとって、落ち着いてお花を摘めるというのは安息でしょう?」
「なんでちょっと上品に……? いや、まぁね。学校のトイレって少し使いづらい雰囲気はあるけどね」
特に小学生男子とかだと、トイレしているのをバレるだけで不名誉なあだ名を頂戴しかねない。ややもするとイジメにもなりかねない、とてもセンシティブな問題だ。
「そんな楽しいお手洗いでもね、意外と困ることがあるのよ」
「あぁ〜、まぁ確かにありますね。紙が切れちゃってた、とかね」
替えのトイレットペーパーがないと手も足も出ない。すいませんと外の人に声を掛ける時の情けなさったらない。
「私としてはノック。あれが困るわ」
「確かにね。向こうの気持ちもわかるけど、急かされてるみたいでちょっと苦手だね」
鍵がかかってるか外から分かりづらかったり、あんまり長い場合は安否確認としての意味もあるから、無意味ではないんだけど。強くノックされると心臓に悪い。
「今日の議決としては『ノックも思いやりを』ね。実践編はまた来年にでも……」
「いや、やろうよトイレ!
舞台袖に帰ろうと背を向ける四十内さんを引き留め、ダンダン、と足踏みをする。今時点で舞台にでて小ボケとあるあるしか話していない。
「大体それだと来年の新入生途中からでわかんないし、三年生とかオチ見れないからね⁉︎」
わけがわからないだろう。入学したら『昨年から話しているお手洗いの話だけれど……』って講話を受けるの。今年の三年も内容知らないまま卒業して、尻切れトンボで後味悪いしさ。
四十内さんが、いやらしく、にんまりと薄笑いを向けてくる。
「どうしたの? 今日の緩利さん、かなり乗り気じゃないの」
またアドリブ。宣言通り自由奔放にやっている。返しつつ、ちゃんと修正する側の気持ちも汲んで欲しい。
「いや、ここで時間も頂いてるんだから、そりゃあ、そこはキチンとトイレのくだりもやらなきゃさ」
時間を気にしろと暗に言ってみたが、気づかない。どころか、とうに承知していて敢然とほっぽりだしているようでもある。
ハッと、何かに勘づいたような芝居を打つ四十内さん。
「もしかして……?」
「なにさ、もしかしてって」
まだボケが続くみたいなので、暫くは本筋を頭から避けておこう。そう決心した。
「もしかしてお手洗いに行きたいの? 」
「催してないよ! そういうんじゃなくて、ここでちゃんとやりたいの」
トイレをちゃんとやろうみたいなことは言ったけど、誰もトイレしたいとは言ってない。
「えっ、ここで……?」
「っ、違う……違うよ……?」
思わず笑いが込み上げるのを必死で抑える。アドリブの弊害、というかわたしのゲラの障害が思わず出てきた。
「ここでっ、トイレなんてするわけがさ、ないじゃんか」
笑いながらも何とか言い終え、ふぅと息を吐く。一回締めて、本筋に戻さなければ。
「あーもうわかったよ! はいはいそうです! わたしはトイレしたいです! これで満足!?」
「──────」
既にノックの仕草をしながら、イマイチ納得いかないようで時折首を傾げている。なんか音ゲーマーみたいだ。
「あ、もう役に入りきってる! ノックの素振りしてるもん」
この小芝居も思いつきなんだろうか。本当は四十内さん用の台本が、わたしのと別に用意されていたりしない?
「すっご。ノックの素振りって野球っぽいけど、野球でも見ないからね」
ノック、素振り。どちらも野球絡みの話で見聞きはするが、一文にまとめられたことはおそらくないだろう。
手を膝に、少し屈んで中腰になる。便座に腰を落としているイメージ。これで、やっと筋書き通りに戻った。
「コンコンコンコン」
「面接かな? 四回も叩かないでしょ普通」
間隔を短く四回、面接の練習なんかでよく言われる回数だ。ノック二回はトイレですよ、なんて指摘をよく聞く。
逆にノック二回で招かれた場合は、面接会場でトイレしてもいいんだろうか。くだらないマナーを聞くたびに、言葉は悪いがクソ喰らえ、と思ってしまう。
「コンコンコンコンコンコン」
「千本ノックかオイ!」
「コンコン、コンコン、コンコン」
今度は正しく短く二回のノックが何度か繰り返された。
「あ、焦ってんだねコレ! ごめんごめん。はい、入ってますよーコンコン」
「掃除用具入れに人が……?」
「用具入れに入るか! 個室! わたしは普通にトイレしてんの!」
中腰を辞め、四十内さんの肩を押す。手で四角く個室の枠をなぞるようにジェスチャーをして、普通の個室にいるんだと訴える。
「こんな大舞台で用を足さないで欲しいわ」
「あなたが言ったの! 花も恥じらう乙女にこんな衆目でトイレしろって、あなたが言ったの!」
ドンドンと踏み鳴らす。……乙女とか自分で言うのもちょっと恥ずかしいので、羞恥の分も含めて強めに地団駄を踏む。
「うーん、やり直しね」
「っていうか、あなたも何を思って用具入れノックしてんだよ……」
ノックが返ってこなくて開けたら掃除用具入れだった、ならまだわかるが。
再び腰をおとす。次は確か、四十内さんのノックに普通に応えて──
「ガチャ、失礼します」
「いやいや⁉︎」
思わず四十内さんの両肩を抑えたまま数歩分押しのける。センターマイクから少しズレた位置で、掴んだまま顔を伏せ、数瞬。四十内さんに向き直る。
「ホントに失礼! ノックはしてよ! 何普通に個室開けてちゃってんの?」
「あぁ、失礼したわね。今度はちゃんとやるわ」
涼しい顔でなんとも満足そうだ。なんとかツッコミを捻り出した自分を褒めたい。
手を離し、再び元の位置につく。そして四十内さんのノックを受けてから──
「コンコンコン、失礼します。ガチャ」
「いやいやいや! 入ってるから! 」
再放送のように四十内さんを押し出す。まだ天丼だったから、速やかに反応できた。
「そんで、っ、何でわたしも鍵かけてないの? 自宅じゃないからさ、鍵はかけるよ」
押しながら必死で頭を回転させたセリフを言い聞かせるように吐く。だが、笑いが込み上げてくるのを耐えられず、どうしても途切れ途切れになってしまった。
だめだ。不意打ちで来ると、観客だけでなくわたしまで笑ってしまう。
「今度はちゃんと鍵かけるからね。開かないからね!」
二度と同じような勝手に開けてくるボケをさせないように、念押ししつつ腰を屈める。
「ごそごそ。ガチャ。ただいまー」
「鍵開けてんじゃねーよ!」
大振りに腕を振り、四十内さんを突き飛ばす。
「なんでわたしの個室に家鍵ついてんの!?」
スライド式の鍵だろう普通。外から開けることもそうはないから、案外差し支えないかもしれないけど。にしたって何のためのセキュリティだ。
「だって私の家だし……」
「違うよ⁉︎ 普通の学校のトイレ! ここは学校! 学校のトイレだからね⁉︎」
何度も両腕を広げ、学校でやってるんだぞとアピールする。
「学校なら学校と言って欲しいわね」
「あんたが言ったの! 学園生活の楽しいことつって、あんたが言い出したのそれは!」
学園生活の楽しいことで、家のトイレが楽しいことに入るわけないだろう。百歩、いや千歩譲っても学校のトイレだね。
「それはそれ。これはこれって話かとばかり」
「だとしたらわたしもおかしいよねぇ! のんであんたの家にトイレ借りてんの?」
思わず台本のセリフより語気が強くなる。本当はもっと言葉を強くしたいが、これ以上は新入生に向けたものとして似つかわしくない。
「いや、それはそちらが借りたんでしょう?」
「借りてないわ! って、指を差すな!
そちらと呼ばれて指を差されることはないだろう。しかも小指だし、なんだそれは。
それを受けて四十内さんはお手上げのジェスチャーをして、肩を竦める。そして溜め息を一つ。
「はいはい。わかりました。……ま、そこまで言うならやりましょう」
「なんで渋々なんだよ……。これじゃ、めちゃくちゃトイレしたい人じゃんか、わたし」
心底疲れて小声で小言を漏らす。そしてまたノック素振りしてるし。見たことないよ、三点バーストのノック素振り。
「コンコン」
「コンコン! はい入ってますよぉ!」
大声を張り上げる。こうなればヤケだ。いっそ、清々しいほどにやる気満々だと見せつけてやろう。
「せーのっ、んっ! ……おぉ、本当に入ってるみたいね」
「待って待って、怖い!」
タックルを仕掛けてきた四十内さんを、受け止めるように抱き抱える。
「怖いよ、わたし。ノック返したのにタックルしてくるヤツいたら、こっち側も怖くて開けらんないから」
焦燥と怒りで蹴りをくれるほうがまだ理解できる。タックルはもう個室から『助けてくれ!』と聞こえたレベルじゃないか。
「やっぱり念には念を入れて確認しないとね。いない可能性もあるもの」
「だったら個室からノックは返ってこないでしょうがよぉ! なに、トイレの花子さんでもやってんのかよ!」
即席で台本にないツッコミを後乗せさせる。四十内さんが傍若無人に好き勝手やってるのだから、このくらいの無作法は許されるだろう。
「コンコンコン、トイレの太郎くんいらっしゃいますか?」
「呼ぶな呼ぶな! わたし中にいんの! そんなとこに太郎くんまで来たらギッチギチ!」
やめとけばよかった。手痛いアドリブのしっぺ返しを受けてしまった。正統派(コントじみた昨今の漫才と比べた場合)では、ボケの自由度にツッコミは追いつけない。
「っ、そんでっ、呼ぶなら、花子さん呼んでよっ。なんで男子呼んだの?」
トイレの太郎くん。花子さんのスピンアウト的な存在。ざっくり言えば男子バージョンだが、知名度はわざわざ比べるべくもないだろう。
「花より男子って言うじゃない」
「そんな誤用あるかよ! 意味違うからね」
むしろ
「あっ、そうなの」
あぁなるほどね、といった風に両目を手で塞ぐ四十内さん。
「口だよ! 隠すなら! 目隠してどうすんだよ! わたしのほうが目覆いたいわ」
まずい、好き勝手な小ボケが始まった。
「もう一回! もう一度チャンスを頂戴。お願いよ、この通り」
言うなり四十内さんは、右手を招き猫よろしく手首のところで曲げる。
「どの通り!? なんだこの"お手"は!」
「ワンチャンワンチャン」
「ワンチャンのワンって犬じゃないからね!?」
なんとかツッコミは言い切ったが、どうも笑いを耐えられず、しゃがみ込む。
「おっ、今度は和式なのね」
「ちがう……ちっがうから……違うよ?」
クールダウン中のわたしをボケで追い討ちしないで。時々変なところで噴き出す深呼吸を何回か繰り返して、立ち上がる。
「はぁ……一回だけね!? あと一回だけだよ。真面目にノックしてね」
再び小腰を屈む。もはやツッコミ前のクラウチングスタートになっている。
「コンコン」
「はいコンコン、入ってますよー!」
「あ、失礼しましたー。それじゃあ隣に入りましょうか」
「空いてんの!? ならなんでノックした!?」
四十内さんの体を押して勢いよく突き飛ばす。おかしいでしょ、隣空いてるのに通りすがりにノックしてくヤツ。
「いやいや……そちらがノックしろって言ったんじゃないのー!」
「たしかに言ったけど、そういうことじゃないでしょうがよぉ!」
ノックされた時困るって話をしてんだから、他が空いてる場合なんていらないの。
四十内さんが背を向け離れたかと思うと、口をへの字に腕組みしたままウロウロ。言葉を返してこない。まだ、わたしのターンみたいだ。
「えっ何で不貞腐れてんの? 言っとくけど、そっちだからね!? 流れ止めてんの!」
指を差す。場所がひらけたから、動きは大きく取れる。
「いや、そもそもお手洗いって、楽しい楽しくないというものでもないでしょう?」
わたしは地に膝をつけ、天を仰ぐ。
「うーわ……。最悪だよ。ここにきて最悪のちゃぶ台返しだよぉ!」
それを言っちゃおしまいだよ。だって前提が変なんだもん。返せる手札がないよこんなの。
「言ってたよ! 舞台上がった時に言ってんの。自分の言葉でしょ!? 責任持とうよ」
座り込んだまま、右手で舞台をバンバンと叩く。……ヒートアップしていたせいで、手がじんじんと痛い。
「まぁまぁそこは水に流してちょうだいよ」
「えぇ……何をうまいこと言った感じ出してんの? 流せませんよ、そんなんじゃあ」
いつの間にか、わたしが
「えっ、それほどの難産をなさっていたなんて……」
「違うわ! もういいよ。ありがとうございました〜」
二人揃って一礼。小走りでハケていく。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ま、こんなものね」
「いや何か、ごめんね。たぶん強めに突き飛ばしちゃった」
思った以上に熱くなっていたみたいで、今更ながら不安になった。
「あら、大丈夫よ。むしろ頭叩いてもよかったのに」
「いや、流石にさ。できないよ」
漫才の中とはいえ、したくもないし。撫でるんだったら、まだ……。それがツッコミの体をなさないのは別問題だけど。
「動画、後で緩利さんにもあげるわね」
「え、撮ってた? カメラとかは別になかったよね?」
改めてブース内を見回す──パイプ椅子、校内放送用の機材、チェック用モニター、CDラック──が、やはりそれらしいものはない。
「スマートフォン、置いていたでしょう? きっと緊張すると思って、秘密にしていたけれど」
四十内さんはパイプ椅子にあったスマホを拾い上げる。座面に、いちご型のバンカーリングで以って立てられていた。
「それって先生に見せるの?」
「え?」
芝居がかったすっとぼけ。思えばこれもアドリブのボケだな。
「いやいや、一応の体裁は新歓に向けての出し物なんでしょ?」
「こんなトイレの話が、新入生歓迎会にお出しできるわけないじゃない」
しれっと言ってのける四十内さん。
「うわぁー……。天丼のどんでん返しだよ」
天丼のどんでん返し、天丼でん返しだ。
「まぁまぁ。
「……
この掛け合い漫談から抜け出したい。
今回の議決『お手洗い漫才からは早く足を洗うべき』。