目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

禍福は糾える縄の如し




 兄上は頭が良い。

 だから親父が死んで直ぐに始まった村の権力争いを一蹴したんだ。


 きっかけは俺の妻が巨魔トロルに攫われた時のことだ。

 こんな小さな村に狩人が寄り付くわけもなく、兄上は必死になって街道に馬を走らせ、道ゆく狩人に頼み込んで巨魔トロルを討伐させたんだ。


 それで兄上は村のお歴々に怒鳴り散らした。こんなシケた村すぐに滅んじまうぞ。いつまでクソの足しにもならねえ寄り合いなんかやってんだ! 口を動かしてる暇があったら働けって。しまいには世襲した村長職を名誉職に据え、小さな議会を作った。

 お歴々はそれなりの責務を与えられ、しぶしぶ仕事をし始めたよね。


 文句たらたらだったけどな。


 兄上はそれからシラク村議長としてマニトバとクレイトンを行き来して商売の種を探したんだ。こんな山間の村に立ち寄る旅人も居ないからな。最初は鼻で笑われたそうだ。ちっぽけな村で議会とは何様だって。でも、神様は兄上を見捨てなかったんだ。クレイトンのルエガーと偶然酒場で意気投合して商売の話になったんだ。農夫を貸してくれって。それに目利きの商人も居ないかって。


 そこからだ。


 急に村は活発に動き始めたんだ。暇をこいてた農家の奴らをクレイトンに送り込んで期間を決めて入れ替えて。その時にいろんな作物の苗木やら種やらを持ち帰らせて村でもせっせと育てたんだ。それをルエガー大農園産だって太鼓判を貰うと、今度はそれをマニトバに売り飛ばし始め、これがまた飛ぶように売れた。


 新鮮なルエガーの品は一味違うってな。


 俺はというと、兄上が俺には目利きの才能があるって云うんで軍資金を託されクレイトンの商業区に店を出したんだ。それからというもの、セントバに足繁く通っては珍しい工芸品に衣類、宝飾品を買い付けては貴族どもに売りつけてやったんだ。それがなんでか、村に帰ることもできなくなっちまう程に大流行りしてな。村もだいぶ金回りが良くなったよ。

 その頃にはアスリーヤも一端の大人になって店を手伝い始めてな。

 店へ立つようになって直ぐだ。フロンの貴族様、グラハム伯の目に留まって、なんだかその息子と良い感じになったんだ。たまたま店に顔を出した兄上がそれに大喜びして「商売の役に立つから俺が間をとりもってやる」って云い始めたんだ。その頃には兄貴は通商ギルドを作って、クレイトンとマニトバ間の商売やら狩人の斡旋を始めていてな、なかなかに顔の効く立ち位置になっていたんだ。


 子供がいなかった兄上は、アスリーヤを自分の子のように可愛がってくれてた。だから素直に嬉しかったんだと思う。云いかたはだけどな。まあ、それでルエガーに頼んで王都との繋がりも作ろうとしていたんだ。

 まあ、そんなこんなで村はだいぶ景気が良くなって、そろそろ町を名乗っても良いんじゃないかって頃合いなんだ。でもな、兄上はこれだけ強引に村を動かしたからな、敵も多くてな。最近はだいぶ参っているんだ。


 そこにアスリーヤが死んだって聞いたら卒倒するかも知れないな。




 シラク村到着前、野盗に襲われた日の夜。

 野営を張ったアッシュ達一行は思い思いに固まりを作り火を囲んでいたのだが、娘を失ったシャクールは一人で大木の下で蹲っていた。それを見かね心配をしたダフロイト商人がシャクールに声をかけていた。

 アッシュもそれが気がかりでシャクールに声をかけようとする。

 しかし、商人は商人同士。盗み聞きするつもりはなかったが、そんな話を近くに聞いたアッシュは踵をかえし、ダフロイト商人に後を任せることにした。







 ナウファルが見上げる空には瓦礫の塊が浮いている。止まってはいない。

 何故だろう。ナウファルはそれを眺め、まるでそれが降ってくることを待ち望むように微笑んだのだ。


「兄上! 逃げてくれ!」シャクールが悲痛の叫びをあげた。でもナウファルは顔面蒼白の弟の顔を眺めやはり微笑んだだけだった。頭を抱え逃げ惑う人々は座り込んだナウファルを気に留めることもなく、邪魔だ! と罵声を浴びせ突き飛ばす。

 それにナウファルは路地に頭を強く打つと大の字に寝転がってしまった。

 嗚呼、ありゃ神の鉄槌ってやつなんだろうな?

 アスリーヤの死を冒涜しちまった。シャクール、あの野郎でまかせを云いやがったが、でも、あいつの心中も踏みにじってしまったな。だから、あれに叩き潰されるんだ。





 鳴り響いた轟音に振り返ったアッシュ達一行は、西の空を埋め尽くした黒煙を認め、そして今まさに空から迫り来る瓦礫の塊に目を丸くした。

 ブリタは咄嗟に魔力の障壁を張り、周囲で逃げ惑った群衆に障壁の中から出るなと声を飛ばす。転げた子供に腰を抜かした大人達、にっちもさっちもいかない人々にエステルは声をかけ周り落ち着かせた。


 アドルフは探索の術を紡ぎ、家屋の向こうで蠢く大蛇のかぶり——それは、四つ首のヒドラだと一目瞭然であったが、その他の脅威を索敵する。


 アッシュは群衆に呑まれ広場へ転げたナウファルを見た。何度も何度も誰のともわからない膝が頬を捉え、腕は踏みしだかれた。

 しかしナウファルは物悲しげに微笑み——寂しい夢を見るような顔をしたのだ。

 アッシュは駆け出した。

 何故だかはわからない。でもその目が見た寂しい夢には、まだ続きがあるのだろう。それはきっと最後には華開く素晴らしい夢ではないのか?


 それならば——その姿にアッシュは何かの面影を重ねた。


「アッシュ!」

「アッシュさん!駄目だ間に合わない!」


 アッシュは左脚を掌で打ちつけると術式を展開し雷の速さで障壁を飛び出した。

 それに驚いたエステルとアドルフが悲痛の声を上げたのだ。

 空を斬り迫りくる瓦礫の塊は空中で次第にその形を失い始めると、ばらけ飛散するのだがその中から姿を露わにした大きな一枚岩は軌道をそのままにアッシュとナウファルを目がけたのだ。


 ゴゴゴともボボボとも聞こえる飛翔の音が間近まで迫った。


 ブリタはそれに慌て腕をサッと横に振るい障壁を更に広げるが、アッシュの脅威的な移動速度に追いつくことができない。それでも、無いよりもマシだと云わんばかりに青の壁をアッシュに追わせる。もうアッシュとナウファルは一枚岩の影に捕われていた。

 色濃い岩の影は帷のようで、降りきれば二人の命はそれ以降、陽の光を見ることはなくなる。


「手を!」アッシュはナウファルに叫んだ。

 俺を助けようなんて随分と酔狂な野郎だな。拾う価値もないだろうよ。ナウファルは心中で吐露をすると力無く片手を挙げた。ボロボロに踏みしだかれた手は五指があちこちに折れ曲がっている。それを見たアッシュは一瞬顔を背けるが、歯を食いしばりナウファルの手を力強く掴む。





 ズドオオオン!


 東広場の噴水を砕き轟音と共に着弾をした一枚岩が、灰色の砂煙を上げた。

 砂煙が地に落ち着くまで、残された三人は固唾を呑んだ。エステルは力無く、最初は歩き出したのだが衝撃で砕けた岩の姿を垣間見ると「あ、アッシュ!?」と鋭く叫び駆け出す。

 アドルフとブリタは無常に立ち昇った砂煙と、その向こうに蠢く四つ首の大蛇の姿へ交互に視線を投げる。アドルフはエステルが駆け出す間際に「向こうで誰か狩人が交戦しています」と短く伝えた。つまり、このあたりもすぐに戦場となる。


「ブリタさん、どうしますか?」アドルフはそう云うと指笛を鳴らし、逃げ出していた軍馬達を呼び戻した。

「随分と冷静ですね」

 戻ってきた馬の手綱を握りブリタは冷ややかにアドルフに答え「なんでそれを私に確認するのですか?」と続けた。

「アッシュさんは大丈夫です。岩に潰される前にホラ——」アドルフは岩の残骸の向こうを指差し「恐らく、あの四つ首を斃すと云い始めると思いますが、いいですよね?」と、ブリタを一瞥し話をはぐらかした。

「勿論、アッシュさんがそう云うのなら」ブリタはそれに気が付いていたのだが、満面の笑みを浮かべアドルフに答えると「行きましょう」と足早にエステルの後を追った。





「いててて! お前もう少しマシな助け方はなかったのか!」


 アッシュはナウファルの手を強く握ると、足元に術式を展開し自身とでっぷり体を弾き飛ばしていたのだ。間一髪の所で岩の直撃を逃れた二人だったが、勢いよく二人でゴロゴロと転がると、家屋の壁に激突をしたのだ。ナウファルのボロボロの姿をアッシュは一瞥すると、何故だか小さく笑い「生きてるんだから、文句云わないでくださいよ」と、やはりボロボロの右手を強く引っ張りナウファルを立ち上がらせた。


「だから痛えっつってんだ! なんだお前、悪魔かなんかか!?」


 心底痛そうにアッシュの手を振り解いたナウファルは、でっぷり体をふらつかせ「いててて」とさらに顔を歪めた。アッシュはやはり何故かそれに笑みを零した。あの何もかも諦め寂しく空虚を見つめたナウファルの顔はそこにはなかった。理由はわからない。しかし、それがアッシュは嬉しかったのだ。

 身体中がボロボロのナウファルだったが、苦悶の声を挙げ、元の位置に戻せる指は無理矢理に戻すと息を切らせアッシュを鋭く見据えた。


「なんで助けた」

「なんでですかね。僕にもわかりませんが——」


 西の空で爆発音が轟いた——それにナウファルのボロボロの身体が悲鳴をあげた。


「この有様じゃ、俺を助けたってびた一文も払えないぞ」

 その振動に歯を食いしばり声を漏らしたナウファルは、アッシュの背後に姿を現したエステルとブリタに気がつきどこかバツの悪そうな顔をした。


「さっきも云った通り報酬はいりませんよ。でも——」

「なんだ、何も出せないぞ」

「ええ、わかっていますって。なんで助けたのかって、その答えです。記憶のどこかで同じ顔を見た気がするのです。それが何故か他人事に思えなくて。ってのが答えです」

「なんだよそれ。同じ顔ってなんだよ」

「寂しそうな顔です。諦めたくないのに諦めた顔。なんかそんな感じのものです」

「ハッ! 俺がか!? 冗談云うならもっとマシなネタにしろ。酔っ払いの笑いも取れねえぜ」ナウファルは合間合間に「いててて」と挟みながらそう云うと、背を向け、瓦礫に躓きながら駆けてくる弟の方へと足を引きずった。


「アスリーヤさんもシャクールさんも——」アッシュは遠ざかるナウファルの背中に声をかけた。それにナウファルは足を止めたが、振り向きはしなかった。

「なんだよ」激しくなる轟音の中ナウファルは、腹の底から声を捻り出した。

「いいえ、なんでもないです」

「なあ」

「はい」

「さっきは悪かった。恩に着るぜ。そこの赤髪の啖呵は貸にしといてやる」

「さすが太っ腹。それじゃその借りを返しに行ってきますよ」

「あ?」

「大蛇。ここじゃ飼えないでしょ?」

「お前——やれるのかよ」

 アッシュの言葉に目を見開いたナウファルは、駆け寄ってきた弟に寄りかかり振り返った。疑いのそれではなく、ナウファルの声には期待の音が混じった。


 西の空に見え隠れした四つ首の大蛇は明らかに何かと交戦をしている。時折、黄金の目を光らせ口から炎を吹き出すと何かを追いかけている様子だった。アッシュはそれを見上げ、腕をまくると「わかりませんが、やってみますよ」そう答えた。

 その場に居合わせる面々は<言の音>を紡ぎ始めたり、術式を展開しはじめ、あの災厄を討つ準備を開始した。その姿は自信に満ち溢れ雄々しく輝いて見える。ナウファルはそれに当てられた訳ではないのだが、黙って深々とかぶりを下げ、弟のかぶりも、そうさせた。


 アッシュ達はその姿を黙って眺めた。

 ナウファルは大きく息を吸い込んだ。


「村を頼む!」ナウファルは吸い込んだ息を腹の底から吐き出しそう云うと、更に頭を深々とさげたのだった。

 アッシュはそれに「借りを返すだけです」と、悪戯な笑顔を浮かべ、ナウファルの肩を強く叩いた。きっとそこは先ほど壁に激突した際に抜けた肩だった。堪らずナウファルは「痛てええええ!」と叫びを挙げ「野郎! 覚えてろよ!」と続けた。

「はい! 安全なところで待っていてください!」腕をブンブンと振り回すナウファルのことを振り返らずアッシュ達は馬を西に走らせた。









「ところでアッシュさん、なんであの人を助けたんですか?」

 横で馬を走らせるアドルフは、そこはかとなく微笑んでいるようなアッシュの横顔に訊ねていた。


「本当は良い人なんですよ、きっと」

「あのナウファルさんがですか? 酷く嫌な人だったじゃないですか」

「口が悪いから誤解されやすいのでしょうね」

「そういう問題ですかね?」

「わかりませんが」


 アッシュは最後は、ハハハと笑いアドルフに答えた。

 アドルフもそれに釣られたのか笑い返すがさっと表情を戻し言葉を続けた。あの禍々しい四つ首の大蛇ヒドラについてを対峙する前に話しておくと云ったのだ。

 どうも何者かの思惑に乗せられているようだとアドルフは前置くと、あの四つ首は復讐譚<宵闇の鴉と世界蛇>で唄われたヒドラに酷似していると云う。体躯に溶岩を孕む灼熱の使徒であり、何もかもを溶岩に還そうとする六員環の一つなのだそうだ。


 つまり過去にアッシュが斃した化け物なのである。



「ねえ、アドルフ。誰かの思惑を感じると云ったけれど、それってどう云う意味?」


 怪訝な面持ちのエステルがアドルフに訊ねた。

 最初、アドルフはそれに「適当なことは云えないのですが」と肩を竦ませると「ここにきてアッシュさんの唄が文脈を変え顕現するというのが、偶然に思えなくて。もし、これが意図的だとすると——」


 疾駆する軍馬の蹄鉄の音に混じり爆発音が遠くに轟く。

 ダフロイトでもクレイトンでも感じた木々が生焼ける酸味のある臭い。方々から上がる悲鳴。そういった鍵がエステルの心象の扉をこじあけていく。アドルフが落とした言葉尻に控えたもの。それはもしかしたら、ダフロイトの惨劇もクレイトンの悲劇も凌ぐ何かを想像させた。


「ヴァノックにフワワも——」消え入るような声だった。エステルは顔を歪めその名を口にするが、アドルフはそれに「ええ、ですが——」と表情を曇らせた。


「最悪なのは——霊験譚れいげんたん<宵闇の鴉と光輝の鴉>。アッシュさん自身との対決の再現です」


 改めてアッシュの横顔をを見つめアドルフは、その名を口にした。

 アッシュは何も云わずそれに頷き馬を進める。ぐんぐんと前に出ていくアッシュの背中を眺めたエステルは「それって——」と言葉を詰まらせた。


 その時だった。


 どこから共なく別の馬が駆ける音が遠くに聞こえ、何やら叫んでいる声がそれに混じったのだ。低い声に高い声。それは野太いしゃがれた男の声に、幼い少女の声だった。この緊迫した空気の中その声達はそれを斬り裂くようだった。


「ごめんね皆んな! 道をあけて――――!」

「ミラ! おい! 待て! 何考えてんだ!」

「大丈夫だって叔父さん!」


 黒髪をたなびかせ身体を少し前に。

 馬を上手に御し疾駆する少女は、あっけらかんとした笑顔でこの惨状を横切り西に向かっていく。その後ろを駆けるのは、ずんぐりむっくりとした赤髪の男だ。随分と険しい顔をし、前を駆ける少女をがなりつけていた。


 それは、森の都キーンの鍛冶屋グラドと——ミラ・グラントだった。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?