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縄はほどけ、溶け揺蕩う①




 女よ。それには対価が必要じゃ。

 怒髪、天を衝くその怒りをなんとする。投げつけ砕き全てを喰らおうと謂うのであれば捧げよ。喰らえぬが故の怒りなのであれば、全てを捧げるのじゃ。その醜い美貌も何もかもを暴食の蛇へ捧げるのじゃ。だがしかし、その道は征けば戻れぬ逆巻きの道。ゆめゆめ忘れぬことじゃ。

 ——宵闇の鴉と世界蛇より抜粋。



 ブレイナット公王領の遥か北方。

 古代種がそこから世界を渡ったとされる<名もなき聖域>は未開拓地のどこかに存在するといわれる。聖域は世界を断絶する障害に阻まれ人類はそこへ到達する術を持たないのだそうだ。奈落に蠢く災厄の溶岩、あらゆる命を阻む霧、一切の摩擦を知らない天を貫く壁。そういったものが征く者を拒絶する。


 くだんの世界蛇は、災厄の溶岩から呼び出された暴食の蛇だと伝えられた。

 四つ首の大蛇は飽くなき暴食で、力という力を喰らい主人にそれを還元する。

 呼び出したのは、名もなき魔術師の妻であった。夫に力を。謂れなき暴虐に耐え忍ぶ夫の無念を晴すべくそれは呼び出された。しかしそれは悪魔、六員環の誘惑。妻は蛇に喰われ、夫は<宵闇の鴉>に首を刎ねられた。



※ 



 左腕を失ったライラ・リンパルはを見上げた。

 禍々しく四つ首をうねらせる世界蛇。

 かぶりに浮かぶ瞳は橙で、ひび割れた皮膚の合間からは歪な溶岩を覗かせた。身の丈は物見櫓と並び、千年樹ほどある体躯は通りの向こうまで伸びている。鱗はなく、体躯を覆うのはひび割れた岩盤を思わせる硬い皮膚。それもやはり同じく溶岩を覗かせ、不吉な黒煙を撒き散らし、身体を震わせば木々や家屋を焼き払った。


 人々は逃げ惑った。

 かつては緩やかな死を受け入れた人々であったが、一人の愚か者が見た夢に尻を叩かれ愚痴を溢し、呪いの言葉を吐き、そしてそれに突き動かされた。そうやって喜びを見つけまた歩み出そうとした矢先、道半ばに姿を現した災厄に身を焦がされた。文字通り焼かれた。家屋の合間に逃げこうもとも業火はその軌跡を這うように追いかけ、人々を呑み込んだ。

 勇敢な男達は蛇と女子供の間に立ちはだかったが、四つ首に薙ぎ払われ、鋭い牙に胴を喰われ、呑み込まれていく。残された者は泣き叫び、呪いの言葉を吐きかけ、そしてやはり大蛇の腹に消えていった。


「ちょっと、こんなのってある? どうにかしないと」


 失われた腕の付け根を押さえライラは苦悶の表情を浮かべた。

 ロアはそれに「そうですね」と冷静に返すと、跪くライラに目を落とし「仕方ありません。ライラ・リンパル。あなたの腕は私が再生します」と、蛇を警戒しながら腰を落とした。


「良いところあるじゃない、あなた」とライラ。

「本当は世界に干渉をしてはならないと云われているのですけれどね」

 ロアはそう云うとライラの左腕があった箇所に軽く手を触れ、言葉を続けた。

「再生と云ってもあなたのユニークシークエンスの中、左腕があった時点のキーフレームまで、局部的に戻しますので痛覚は同じだけ感じます。良いですか?」


 苦悶の表情をさらに濃くしたライラだったが「それってつまり?」とロアに訊ね返す。そのまま了解したと云ってしまえば後悔してしまうかもしれないからだ。

「つまり、あなた方の概念でいえば少々古く形骸化していますが、エントロピーをコントロールしライラの腕があったところまで戻すということです」


「なるほどねって、いまいち飲み込めないのだけれども、だから世界に干渉してはならないってことなのね」

「ええ、そうなのです」

「でもさ」

「ええ」

「あなためちゃくちゃ世界に干渉してい——」

「してません」

「いや、してい——」

「してません。それ以上云うなら、ほっぽり出して帰りますよ」

「わかったわよ。聖霊ロア様、宜しくお願いします」

「ライラ・リンパル。素直でよろしい」


 ロアは満面の笑みを浮かべ、あてがった手を仄かに青く輝かせた。

 それにライラは息を呑んだ。青く輝いた手にではなく、ロアの片目、瞳に複雑な象形が浮かび忙しなく動き始めたからだ。





 東広場から中央広場に抜けてきたミラ・グラントとグラドは逃げ惑う人々に気を払い、器用にその合間を縫った。西の通りに向かう道はそこから大きく右に弧を描き、何度か曲がりくねるとようやく蛇が暴れる通商ギルドのある区域に辿り着く。

 四つ首が身を震わせ飛散した瓦礫があちこちに転がり、業火の熱風に焼かれた木々や木材、あらゆる残骸が道を塞いだ。よく見れば、その合間に転がる黒々とした炭は瞬時に焼かれた人の身体であったり、喰い散らかされ焼かれた上半身だったり下半身だったりだ。


「酷い」


 軒先で抱き合いながら焼かれ炭となった親子の姿。

 ミラの目にそれが飛び込むと、彼女は手綱をひき馬の脚を優しく止めた。急がなければならない。その理由の出どころは、あの蛇とアッシュ・グラントが闘っているだろう。その一心であった。しかし、目に飛び込んだ凄惨な姿はミラの心を根こそぎ奪い取り脚を止めさせたのだ。


 馬を降りたミラは、身体を震わせ炭の塊——親子の姿に手を伸ばした。

 親は子を庇うように抱え込み、きっと熱風を背で遮ったのであろう。全身が焼きただれ絶命をしているのだが、背中の損傷が激しかった。抱え込まれた子は親の胸にきっと顔を埋めていたのだ。親の身体を通し熱に燻られ、きっと顔を左右に振ったのだ。親の腕から逃れられずに全身を焼かれ、かろうじて顔だとわかる部位の損傷が激しかった。


「熱かったよね。怖かったよね」ミラはそう言葉をかけると跪き目を瞑った。

「ミラ——」


 周囲を警戒しながら馬上よりその姿を見守ったグラドは、どう声をかけて良いのかわからず、でもそれでも目の前の少女に声をかけずにはいられなかったから小さく名前を呼んだ。

 グラドは思った。これがこの旅の終着点なのだと云うのならば、旅の神というのは随分と悪趣味なクソ野郎だなと。これで、もし、万が一、億が一にでもアッシュ・グラントがくたばっていようものなら——そう思うとグラドは胸の辺りが落ち着かなくなり、もう一度轟音鳴り止まない西の空に目をやった。


 その時だった。


「お――――い! そこの二人!」と叫ぶ男の声が通りに響いた。


 二人が駆けてきた道を四人の男女がやはり馬で駆けてきたのだ。

 一人は赤髪をたなびかせた、そばかすの女魔導師。一人は黒く燻んだ茶色の髪の——恐らく野伏であろう男と、白銀の髪なびかせた白い外套の女。


 そして——。



 声に気がついたミラも声のする方へ顔を向けた。

 涙の滲んだ目を擦り蹄鉄が道を踏みしだく音に視線を投げた。騎影の隙間に覗いた、お世辞にも整ったとは言えない黒髪と平凡であるが、どこか精悍な顔立ちの男の顔。シラク村の直前で見た野盗襲撃の幻影でも見かけた顔。そこで鬼気迫る闘いを繰り広げた男の顔だった。

 ミラは目を大きく見開き、顔を綻ばせた。

 しかし傍に佇む親子の姿に目を落とし、唇を一文字に縛る。

 グラドは馬を回頭すると四人とミラの間で横に位置どり、鞍に括り付けた鞘から長剣を抜き放った。


「おい、野伏が白昼堂々、この大騒ぎの中で何をしていやがる。俺たちに何の用だ」


 グラドは切っ先を四人に向け睨みつけた。

 馬が落ち着かなく四肢を小刻みに動かした。何度も回頭をするのだがグラドは器用に身体を捌き四人から目を離すことはなく、そして「ミラ、立て」と、凄んだ声でミラを急かした。


「待ってください、旦那。僕たちは怪しい者じゃありません」

 慌てて云ったのは野伏のアドルフだった。少し茶色がかった黒瞳が浮かぶ双眸を丸くし両手を挙げた。

「おい野伏。そんなに魔力を開けぴろげに纏って、何が怪しくないだ。舐めんなよ」

 グラドは長剣を一度ひらりと回転させると、改めて切っ先をアドルフに向け「それにな良い歳こいた男がだななんて呼ぶのは信用ならねぇぜ」と続けた。


「ちょっと叔父さん」次に慌てたのはミラだった。

「覚えてないの!? 街道で見たでしょ? 野盗をやっつけた人達だよ!」

「え!?」


 驚いたグラドはミラの顔に目を向け、彼女の顔が少しばかり不機嫌そうなのを確かめると、もう一度四人に顔をむけ、ミラに顔を戻した。


「そ、そうなのか? じゃ、じゃあ——」と、どうも思い出した様子だったが惚けようと、この場を切り抜けようとするグラドにミラは「もう! お酒も呑んでいないのに何やってるのよ」と腰に手を当てた。


 アドルフはそれに、アハハハと乾いた笑いを漏らす。

「ああ、なんだか良く分かりませんが誤解が解けましたかね?」と、アドルフは苦笑いをし、「ここは危ないですから村から脱出してください」と来た道を指差した。

「す、すまねぇ。とんだ勘違いをしちまった。許してくれ」

 こんな時のグラドは素直に謝れる。

 それはミラが愛してやまない叔父さんの一面だ。ミラは、それに涙痕残る顔へ笑みを浮かべ「うんうん」とかぶりを振った。そしてもう一度、先ほどの親子の無惨な姿に目を落とし、何かに意を決したのか顔を上げ歩き出した。


 ミラはアドルフと白銀のブリタの間を抜け、エステルの横に馬を並べたアッシュの前へ立った。







 ——二年と少し前 森の都キーン。


「ミラ・グラント。これを返しておくわね」


 暖炉の灯りが綺麗に映るアオイドスの黒瞳を眺め、ミラは彼女が差し出したガラス玉を手に取った。周りではグラドがせっせとミラのための寝具を部屋に運び込んだり忙しなく動き回っている。アイシャはアオイドスの横に腰をかけ「それは?」とガラス玉のことをアオイドスに訊ねていた。


「アイシャ。これの説明をし始めると朝までかかってしまうのだけれども、手短に話すとミラの記憶の一部と私の記憶の一部が——そうね、封じられている魔法の玉ってところね」


「ねぇ吟遊詩人。それはあまりにも手短すぎない?」

 アイシャはアオイドスの回答に思わず噴き出しながら、そう云うと「ねぇミラ。そんなんじゃわからないわよね?」と片目を瞑って見せた。


「ああ、えっと、うん。ちょっと難しいかな?」と、それにミラは苦笑した。そして、腰掛けたソファーで脚をぶらぶらさせ、どこか居心地の悪そうに腰を動かし座り直した。


「あら、そう? でもこれ以上詳しく話すと——」

「ああ、ちょっと待って。朝までは嫌よ」とアイシャ。

「そう? 残念ね。でも少しだけ時間を頂戴。ええ、このガラス玉のことは、そうねもう少しだけ詳しく話すのだけれども、それよりもミラ、あなたのことを少しだけ伝えておくわ。だから、もう少しだけ起きていられる? そうしたら、ほら、グラドが用意してくれた、ふかふかのベッドで寝ても大丈夫。いい?」


 自分と同じ黒髪を、優しく撫でつけたアオイドスの手に片目を瞑り、くすぐったそうに顔を綻ばせたミラは「いいよ」と軽く肩を竦めた。


「おい、アオイドス! その話とやらはもう少しゆっくり話してやってくれ。アイシャ、すまねぇちょっと俺じゃわからねぇことがあるんだ。手伝ってくれ」


 近くをのしのしと歩いたグラドは、無骨な手をひらひらさせながらそう云うと、アイシャを呼んだ。それにアイシャは「はいはいー」と答え、アオイドスは「ええ、大丈夫よ。ありがとうグラド」と返した。

「それじゃ、ちょっと私は酒樽の手伝いをしてくるから、ごゆっくり」と、アイシャはミラの黒髪をわしゃわしゃと撫でると片目を瞑り、部屋から出ていった。



 少しの静寂がミラのために用意された部屋に訪れた。

 パチパチと小さく爆ぜる暖炉の炎、カタカタと揺れる窓枠、部屋の外で仲睦まじく話す夫婦の声。そんな何の変哲もない幸せな音。なぜかそれを耳にする二人には、それが遠い世界の出来事のようで心の奥底を騒つかせる。


 何故だろう?と思いを巡らせてみると、吟遊詩人の心の隅でははもう手が届かないもののように感じ、ミラの胸の内では、はこれから自分が享受する幸せを垣間見ている。そんな風に朧げながらに感じていたのだ。


「ねぇ、アオイドスさん」ミラは少々気恥ずかしそうにアオイドスに声をかけた。

「あら、ミラ。アオイドスって呼んで頂戴。そう、いい子」

 少しばかり顔を赤らめ、それに黙ってかぶりを振ったミラの手をアオイドスは優しく包み込み、顔を覗き込んだ。ミラはそれに「な、なに?」と云うと少しだけ顔を横にした。


「さて——」


 アオイドスは、そんなミラの仕草に顔を綻ばせ彼女の横に腰を移した。


「——私は偶然にもミラのことを湖の畔で見つけたわ。これは、千載一遇せんざいいちぐうの奇跡のように思えるのだけれども、でも違うの。これは運命で、宿命で、そして必然」

「ちょっと何を云っているのかわからないよ?」

「あら、それじゃあ、そうね、見つけるべくして見つけた。そういうこと」


 ミラはそれにも困った顔をし小首をかしげるのだが、アオイドスはアハハと鈴の音のように小さく笑うと「可愛い子」と、やはり優しくミラの髪を撫でつけた。ミラはそれに片目を瞑り顔を赤らめると「もう」と口を小さく尖らせた。


「ごめんねミラ。ここからが本題。簡単ではないのだけれど難しい話でもないわ。でもね、少しばかりの理不尽が含まれるの。

 だから最初に謝っておくわ。そうね、そのお口はもう元に戻していいわよ。そう。まずはあなたなの名前は、ミラ・グラント。これはミラも覚えていたわね。それじゃあ、あなたが誰の子か。最初にそれを教えておくわね。うん、そう、つまりあなたのお父さんのこと。名前はアッシュ。アッシュ・グラント。それがあなたのお父さんの名前。お母さん? そうね、お母さんの名前は今はいいわ。それは大して重要ではないから」


「お母さんの名前は教えてくれないの?」

「そうね、気を悪くしないでねミラ。重要ではないと云うと誤解があるわね。そう、お父さんの名前がきっとあなたのお母さんに導いてくれるから、それまでのお楽しみに。ってところね。これが最初の理不尽。ええ、申し訳ないのだけれど、あともう二つあるの」


「そんなに?」ミラはそれに苦情を云いたそうな表情を滲ませる。

「そう、あと二つ。ごめんね。これについては赦してくれとは云わないわ。でも、頑張って受け入れて欲しいの。時間がきっと解決してくれるから」と、アオイドスは優しく微笑んだ。

「大変な——お話だね」

「ええ、申し訳ないと思っているわ。十歳そこそこのあなたに話すようなことではないと思うのだけれど、でもこれは頭の片隅に残しておいて貰わないと後が大変になってしまうの」


 アオイドスは寂しそうにミラの瞳を覗き込んだ。

 ミラはアオイドスの瞳に映る自分を眺めながら、終始自分を包み込むように優しい声で語りかけてくれる吟遊詩人のことを考えた。

 寂しそうな目もすれば、どこか自分を愛でるように瞳に映すこともあるアオイドス。それはどこか遠い日に見たこと、感じたことのあるものに思えた。でも、それが何時何処でなのか。そう考えると頭が少しだけ痛くなる。もう少しだけ、ほんの少しだけ手を伸ばせば、もしかすると手が届きそうなその心象。ミラはそれを求めたが、でも、吟遊詩人はそれは時間が解決すると云った。

 アオイドスの中に映った自分が小さくかぶりを縦に小さく振った。そんな風に感じた。


「うん。わかった、ア、アオイドス。頑張って覚えるよ。だからお話を続けて」


 今度はミラが小さな手でアオイドスの手を強く握りしめた。

 アオイドスが語った残りの二つの理不尽。

 それは、この吟遊詩人がこの後旅立ってしまうこと。でもこれは今生の別れということではなく、また会えると云っていた。そしてもう一つの理不尽。それは、記憶が全くない自分に、自分の思うままに生きなさいということだった。満ち足りた生活の中、アッシュ・グラントに会わなければいけないと思う時が来る。その時はグラドに云って彼のところに連れていってもらえと云ったのだ。


「——それで出会った彼もあなたと同じく記憶を無くしているがある。でもね、ミラ。出会ったのならば——」


 アオイドスは最後の言葉を詰まらせた。

 ミラにはアオイドスの顔が酷く辛そうに見えた。だからなのだろうか、ミラはゆっくりと、しっかりと、自然と、アオイドスの身体に両腕を回し彼女の胸に黙って顔を埋めた。


「——出会ったのならば、こう呼んであげて——」アオイドスは絞り出すように最後の言葉を紡いだ。









「やっと会えた、お父さん!」


 ミラはそう云うと馬上のアッシュの脚にしがみついたのだった。

 空は黒煙に埋め尽くされているのだけれども、でもミラの姿を目の当たりにしたエステルとブリタ、そしてアドルフにとっては晴天の霹靂。「えええええ!」と声を挙げたのはエステルとブリタの二人だった。


「お、お、お、お父さん?」エステルはそれに加え酷く狼狽し目を白黒させた。


 当のアッシュも酷く狼狽し自分と同じ黒髪黒瞳の少女に目をやると「ちょ、ちょっと待ってください?」と優しく下乗をすると、彼女に目線を合わせた。

 そしてグラドに目をやり無言で説明を求めるのだが「ミラ、取り敢えずこの場をなんとかして貰わないと、俺たちまで死んじまったら、元も子もねぇだろうよ」と酒樽は暗にことの顛末を語るのは後にしろと確かにご尤もなことを云うだけだった。



「確かにそうですね。それでは、お二人は安全なところに——」

 アドルフは西の空を見上げ、いよいよ轟音が酷くなるのを感じると少しばかりか焦燥を声に滲ませた。抱きついて来た少女の扱いに困ったアッシュは目をあちこちに泳がせている。アドルフはその視線をうまく絡めとると顎をしゃくってみせアッシュに乗馬を促した。

 しかしだ。

 避難を促された二人——ミラは「嫌よ!」と慌てて自分の馬に乗馬し「私もお父さんと行く!」と勇ましく宣言し、かたやグラドは「かぁー! なんでそうなるんだよ」と肩を竦め、馬を回頭させた。





「痛ったあああああい!」

 ライラ・リンパルの苦悶の絶叫が通りに轟いた。

 聖霊ロアの秘術は奇妙に、見事に、本当に、ライラの左腕を再生して見せたのだった。喰い千切られた時は衝撃に気を取られ感じなかった痛覚は、ことさら身構えた剣術士に抜き身で襲いかかり、あわや気を失うところであった。

 でも、それでも、ライラは歯を食いしばり、足を踏ん張り、それを乗り越えた。

 そう、言い換えるのならば、ど根性で乗り越えた。


「さて——」


 顎の下に垂れた冷や汗を左腕で乱暴に拭ったライラは、少しばかり座った目を忌々しく蠢く大蛇の四つ首に投げつける。


「——お仕事お仕事」と、再生した左腕を確かめるよう片手半剣を両手で構え八の字に振ってみせ「ありがとう、助かったわ!」と、ロアへ万事良好であると暗に伝えた。


「よかったですライラ。でも——」

「なに? まだなんかあるの!?」

「いいえ。ただこの状態ですと私は手出しができません。なので——」

「うん?」

「頑張ってください!」




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