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縄はほどけ、溶け揺蕩う③




 ミラとグラドは馬を駆け北の安全な岩場で一部始終を見渡した。


 なぜ。なぜ私はあの場に居ないのだろう。

 こんな日の為、横に佇む酒樽の目を盗んでは魔導に魔術、剣術の研鑽を積んできたというのに。ミラ・グラントは眼下で繰り広げられた大蛇と戦士達の死闘を眺め、そんなふうに考えていた。心の奥底でわだかまる想いがついつい「ちぇッ」と口を鳴らす。

 ミラの舌打ちにグラドは、チラリとその様子を盗み見る。

 娘同然に育ててきた少女は、いつの間にかどこか大人びたように思え今まさに巣を飛び立とうとしている。今のこの状況に不謹慎と想いながらグラドはそれに嬉しくも悲しくも感じた。アッシュは、どうやら聞いていた通り記憶を無くしミラのことを覚えていない。それであれば、ミラを受け入れないという可能性もある。万が一そうであるならば、気の毒ではあるがキーンに連れ帰っても良い。アイシャも喜ぶはずだ。


 だが、白の吟遊詩人はどう思うのだろう。

 怒りはしないだろう。でもきっと悲しむのだ。彼女は彼女で何か事情を抱えている。だからミラを自分達に預け——恐らく娘であるミラを旅立たせるように云ったのだ——それであれば……。


 轟音が耳をつん裂く。

 眼下には逃げ惑う村人。命を諦め力無く跪く村人もいる。グラドはその非現実的な光景を上の空で眺めた。そして、先ほど通りで見た親子の炭のようだった焼死体を思い出しながら、胸中複雑に漂う想いに心を掻き乱される。

 もう一度、今度は何かが猛烈に破裂する音が鼓膜を乱暴に震わせた。

 脳を揺るがす音に乗せミラの絶叫もそれを手伝った。


「叔父さん! まずいよ!」その声へ我にかえったグラドが目にしたのはアッシュ・グラントが大蛇の顎の下敷きになり苦しみもがく姿だった。


「アッシュ!」思わずグラドも声を挙げた。

「お父さん!」ミラは咄嗟に馬へ飛び乗ろうとしたが、グラドがそれを制し「ダメだ!」と一喝する。

「幾らお前でも、あの中へ飛び込んだら無駄死にするだけだ!」

「でも!」

「アイツらを信じろ!」


 どこにそんな確信めいた言葉が潜んでいたのだろうか。

 グラドは咄嗟に口を突いてでた言葉に内心、そう苦笑するのだが、それでもそこはかとなくアッシュとその一行には、この苦難を乗り越える何かを感じていたのも、本当のところだ。出会ったばかりだというのに不思議な話だ。


「ダメだよ、そう云って私はアオイドスのことも待ったけれども、どうにもならなかった! 勿論信じるよ、でも、待っているだけじゃダメなんじゃないの!?」


 ミラは目に涙を浮かべ叫んだ。

 ミラは幼かった。でもこの少女はそこらの少女とは格が違う。昔から夢見がちな少女のようでもあったが、芯を持っていた。それはグラドも承知をしている。しかし、この絶望的な場面で何ができるというのだ。


「だったらどうするって云うんだ! 大砲でもぶっ放すか!?」

「近寄ったらダメなんでしょ? だったらぶっ放すわよ!」

「なんだって? 何をぶっ放すってんだよ! 大砲でも呼び出すってか!?」

「叔父さん、馬を連れて少し離れてて!」

「は!?」

「良いから、離れて!」





 ミラに気圧されたグラドは渋々手綱を握り、少しばかりミラから遠ざかる。何をしでかすのか、それだけが心配だったグラドは彼女から目を離さなかった。

 すると、ミラは崖の際に身を寄せた。グラドはそれに「おい!」と声をかけるのだが、それ以上先には進まないのがわかると「ったくよぉ」と不満まじりの安堵のため息をつき軽くかぶりを振った。

 しかしだ、それも束の間。

 グラドは次の瞬間には奥二重の目をまん丸と見開くことになる。





 グラドは膨れ上がる魔力を感じた。

 それは場の臨界を超えれば、熱を帯び火薬を燻ったようなすえた臭いを伴う。魔力の硝煙。それが周囲に滞留を始めるのだ。

 今やそれはミラを中心に滞留したかと思うと、渦を巻く。

 ミラは掌を四つ首の大蛇に向け大きく息を吸い込み、静かに目を閉じた。黒髪が下から煽られ逆巻く。青い筋がバチバチと宙に現れる。すると静かに青の繊条が緩やかに弧を描きミラを取り囲んでいった。

 彼女の双眸の際から青い筋が現れたかと思うと、それは、奇怪に、奇妙に規則正しく身体のあらゆる箇所に伸びていくと、ついには向けた掌までに広がった。


「おいおいおいおいおいおい」


 グラドはそう云うと、ぐるりと空を見上げる。

 いつの間にかミラを中心に大きな青い半球体が広がる。ミラの身体を這った青い筋が遂には掌を飛び出し、その半球体の縁に到達する。いつしかそれは、まるで蜘蛛の巣のように張り巡らされた。


「おい、ミラ!」

 もうミラはその声に答えることはなかった。

 グラドと馬もその領域に取り込んだ半球体が足を止める頃には、その辺一帯は魔力の硝煙の臭いが満たされ、どうにもそれに頭がくらくらさせられる。もとより魔力に乏しいグラドは、ミラのイカれた魔力に当てられたのだ。


「ぶっ放すって、そう云うことかよオイ!」


 グラドは声を張り上げた。

 ミラはやはりそれに答えなかったが、何やらブツブツと何かを口にした。

 そして遂に。

 広げた掌の前に目を貫かんばかりの輝きを圧縮した球体が現れる。


「ぶっ殺してやるんだから」ミラは呟いた。









「散開して!」


 ライラの絶叫が響いた。

 意識外からの射線に気がついた剣術士は同時に鼻の奥をつく魔力の焦げる臭いにも気がついていた。そして周囲から空気が奪われていく異様な。周囲から次第に音が奪われた。ライラに覚えがあるとすれば、この様子は東の魔術師共が門外不出した大出力の魔力の砲撃、鉄扉を溶かし風穴を開ける<魔力の奔流>の発動の合図だ。


 マグナスが出張ってきたの?

 ライラは射線を追いかけ、北の崖を見た。しかしそこに見えたのは、あの忌々しい不躾な魔術の老翁ではない。レジーヌ・ギルマンと呼ばれた狩人があの老翁の命で<楔>を追ったと聞いた。そう、だから大抵の場合あの老翁が出張ることなどは無い。


 では誰が。いやどんな奴等がこの術式を展開したのか。

 しかし、そこに見えたのは一人の少女らしき人影だった。


 急激に周囲の空気が少女が展開した術式に吸われていく。四つ首の大蛇はそれに気がついたのか、耳をつん裂く咆哮をあげるが、それすらもか細く聞こえる。

 ライラは目を細め「魔女の獣?」と零す。

 しかし、それを確かめる時間はない。アッシュとアドルフを抱え込んだライラはその場から急いで離脱をした。





 女剣術士の絶叫にレトリックは驚き北の崖を見上げた。

 質素な旅の服に薄手の外套を纏った女の姿をそこに認めた。黒髪を大きく揺らし、片手を大蛇に向けた女の周囲には巨大な空間術式が展開されていた。


「あんなのアリなのですか? 空間自体に術式が展開されているなんて——」

 レトリックは羽交締めにしたエステルへ懐から取り出した短剣を突きつけ、ジリジリと更に後退をしていく。エステルは疲労からなのか恐怖からなのかガチガチと歯を鳴らし、なんとか抵抗を試みるが首筋に当てられた刃へ気がつくと、レトリックの動きに合わせ身体を動かした。





「エステル! エステル!」


 今はダメと一喝されライラに押さえつけられたアッシュは、喉を切り裂く勢いでエステルに名前を連呼した。

「クソ! 魔導師! 魔導師! エステルに赤筋の一つでもひいてみろ、素っ首叩き落としてやるからな! ライラ、離してくれ!」

 アッシュの慟哭にも似た叫びにレトリックは一瞥を投げると「それどころじゃないでしょ」と冷ややかにエステルの耳元で呟き「どうなっちゃうんですかコレ——」

 レトリックの言葉が終わるか終わらないか。その時だった。

 シュゴ! と最後に魔力に燻られた空気が吸い込まれる音がしたかと思うと、凝縮された災厄の輝きが放たれたのだ。

 音はしなかった。周囲に散らばった面々は、その瞬間に息苦しさを覚え遂には吸い込む空気さえも無くした。





「あの蛇野郎、お父さんになんてことしてんのよ」

「おい待てミラ! そのままぶっ放したら——」

「わかってる! 任せて!」

「わかっているってお前、何がだよ!」

「村を壊さなければいいんでしょ!?」


 黒髪の少女は——今では青く輝き、顔という顔、腕という腕、脚という脚に幾数本もの青く輝く筋を這わせ、張り巡らされた青く輝く蜘蛛の巣にそれを絡ませ、黒瞳を青く輝かせた。そう。青なのだ。魔術を司る彩りは青。

 エステルが喉元に視線を落とし見たレトリックの短剣の刀身も、その青を拾った。

 ダフロイトを壊滅に追い込んだ、死せる青の輝き。

 その青はと一緒だった。





 音が戻ってきた。

 それは青の奔流が無言のうちに四つ首の大蛇を貫き、吹き飛ばし、その軌跡を器用に天空に向けた後だった。四つ首の大蛇はきっと苦悶の絶叫をあげたのだ。だが、宙に吸い込まれ塊となり戻ってきた轟音に掻き消されていた。戻った轟音はありったけの勢いで周囲の音を覆い尽くし、西の空に抜けていったのだ。


 アッシュもアドルフもライラも同じく、その場に伏せると身体を丸めた。

 ブリタは放たれた<魔力の奔流>に気がつくと、コメツキバッタのように身体を起こし瓦礫の中に飛び込んだ。

 レトリックは外套を翻し、エステルを包み込むとしゃがみ込み背中で彼女を守った。

 天を穿った<魔力の奔流>は、オオオウウウンと轟音の切れ端を追従させ霧散する。爆風が瓦礫を西へ西へとガラガラと音をたて運んでいく。それに捲られないよう一同は思い思いに大地へしがみ付き、とうとう音が失せるまで耐え忍んだ。





「私、頑張った!」


 ミラは腹の底からそう叫ぶと、力無くパタリとその場に仰向けとなった。

 先ほどまで黒煙で埋め尽くされたシラクの空は、空を穿った<魔力の奔流>のおかげか今では青く澄み渡っていた。丸々とした雲が幾重にも重なり積み上げられている。乱暴な爆風ではない、心地よい夏の風がミラの頬を生暖かく撫でていった。


「ひゃあああ! 爆風が全部持っていきやがったぜ! 見ろよ、あの蛇野郎の身体。半分無くなっているじゃあねぇか! 火事も吹き飛んでいやがるぜ。やったなミラ!」

 グラドは年甲斐もなくその場で手を叩き、ぴょんぴょんと飛び跳ねると、そう叫び寝転がったミラのそばに駆け寄った。ミラはそんな愛くるしい叔父の姿に「子供みたいに喜ばないでよ」と苦笑した。


「いやあ! それにしても、たまげたな。ありゃ一体なんなんだ? あれも魔術か?」

「わからない! でも、ダフロイトの大崩壊の後からなんとなく頭にあったんだよね。でもさ、こんなの撃つ所ないからさ」


「ん?」と、グラドがそれまでの嬉々とした表情を一変する。

「ん?」と、それにミラは惚けた顔で返した。

「ん?」と——今度は別の声が、全く聞き覚えのない声が二人に訊ねた。

「え!?」と次にはミラもグラドも目を丸くし声を挙げていた。


 二人の前から訊ねた声の主は——深く青く染め上げられたローブに純白の外套、後で二つに結ったブロンドを露にした聖霊ロアだった。小さく白い顔は端正な人形のようで、双眸に浮かぶ金瞳がその印象を更に強く抱かせる。


 寒々しくさえもある金瞳の片方は、瞳の中で奇怪な記号が蠢きミラを見つめた。

 固まった黒髪の少女は、それにはとても居心地の悪さを感じ、重たく身体を起こすと、片手剣を抜き放ったグラドの後ろに隠れたのだ。


「そうですか。あなたが残りの一体でしたか」


 ロアはボソッとそういうと眼下に広がった惨状へ目をやった。グラドはその言葉に、慌てながらも不機嫌そうな顔をすると「なんのことだよ」と凄んで見せた。


「ええ、アオイドスを連れてきた世渡しの子供は、元の世界でもご主人様の似姿に宿り、娘の姿を取っていたそうです。尤もこれは白銀の魔女の予測ですが——彼女のギフトが導く予言は十中八九、真実です。微細な異なりは太極においては意味を成しません。ですが——蝶の羽ばたきが遠く離れたことわりを大きく変えることも、あるのですね」


 ロアはグラドの言葉に取り合うこともなく、したり顔で語った。

 途中、訝しげな顔をすると繁々とミラの顔を覗き込みもしたのだが、何かに納得したようすで 「世渡しの子供。あなたの今の名を教えてください。あなたの名はワールドレコードに記されていません」と、続けたのだった。


 ミラはグラドと目を合わせると、訝しげな顔をし自分の顔を指差した。

「ええ」ロアはそう優しく返すと、柔らかく微笑んでみせた。

「ミラ。ミラ・グラント」ミラはおずおずと答えた。


「そうですか。ご主人様と同じあざなを持ちますか。不思議を名に持つ少女。あなたの名は、その字によって二つの意味を成します。不思議さゆえに不平不満を撒き散らす嫉妬の小悪魔にもなれば、ご主人様と同じく承認者とし、その不思議から理を世界に与えます。いずれを選ぶにせよ、あなたは吟遊詩人の唄の旋律の外。だから、。それがあなたに与えられた、いいえ、あなたの母が望んだ道です」


 一体何を云っているのか。

 ミラは半ばどうだろう、ぼけっとロアの言葉を聞いていたのだが、最後の一言に目を丸くし「私のお母さんはアオイドスなの!?」と詰め寄った。

 しかし聖霊はそれには首を横に振り「それを確かめるのもあなたの役割です」と云うと、随分と大きなフードを目深に被り「さあ、急ぎなさい。アッシュの名が示すものもまた二つあります。灰となるか肉となるか、それを見定めるのです」と続けた。


「意味がわからないよ。なんなの。大人はいつも謎かけみたいな話をしちゃってさ——」


 立ち尽くしたミラは、次第に姿を消していくロアを最後まで見守った。

 そして、次の瞬間。

 グラドの叫びに我へ返ったミラは崖下に視線をやった。


「おい! 不味いぞ蛇野郎の身体から溶岩が! それにありゃなんでだ、またアッシュがぶっ倒れてるぜ!」




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