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レディメイド




 村は闇夜のなかにくすぶる。


 白糸を昇らせた家屋、夜風に吹かれ火種を赤々とする焼け焦げた木々。寝転がった炭のようなものは、骸。ただれた皮膚の先は捲れ上がり、すっかり水分を失った身体はどれも炭のようだったが、所々に赤々とした瘡蓋かさぶたを覗かせ、それは生きた証であるとでも云うようだった。


 土鬼ノーム達は骸にたかり、奪えるものは奪おうとした。

 その中の一匹が男の骸から金属の装飾品をむしり取ろうとするのだが、ギャッギャッ! と不快な声を挙げると骸を蹴り飛ばした。おそらく、奪い取ろうとした品は酷く熱せられており、それに驚いたのだろう。


 そんな凄惨な光景が、そこらじゅうで繰り広げられた。


 鉄兜の土鬼ノームの頸を跳ねたアッシュは、それを目の当たりにすると頭の隅に痛みを覚え、片目を瞑った。記憶のもっと先。心の根源。何かそんな深々としたところから金槌で頭を引っ叩かれたようだった。

 背中に気配を感じた。

 それも過日にみた光景の残滓のようで、振り返ればそこには赤髪に、そばかす顔のエステルの姿が幻のようにあった。


 館で出会った頃から楚々とした女性だと感じていた。美しい。

 しかし、いまアッシュの目に映ったのはそれではなかった。

 視界が揺れ、今の彼女と恐らく過ぎ去りし日々の彼女の虚像が重なった。

 時折青く、時折緑に。不安に満ち、何かを諦めたような表情。見たことのないエステルのそんな表情が重なったように感じた。


 アッシュはかぶりを振り、大丈夫? と声をかけてきたエステルへ「大丈夫」と短く答え前を向く。

「エステル、皆んなを連れて下がっていてください」

「え?」とエステルとミラ。

「これは僕がやります」


 今となっては百を下らない土鬼ノームが、集まり、かたまり、群がりアッシュ達へジリジリにじりよって来る。それをアッシュは自分で片付けると云ったのだ。エステルはそれに耳を疑い、もう一度「どういう意味?」と訊ね返した。


 次にアッシュが見たのは——土鬼ノームの姿には幾百もの骸の戦士が重なり、それを二人の戦士が薙ぎ倒す光景だった。時折青く、時折緑に。

 幻の戦士の一人がこう語ったように思えた。


『剣士が剣だけで戦うってのは、お御伽話のなかだけだぜ』


 どこか惚けたアッシュは再び、かぶりを強く振り「わかりました、アラン」とエステルに答えたのか、はたまたは幻の戦士に答えたのかボソとそう口にしたのだ。

「アッシュ? アランって誰? ねえ、え? ちょっと?」

「お父さん?」


 静かにエステルの肩を押したアッシュは「下がっていてください」と、やはり惚けたふうに、どこか気の抜けた声でエステルに返していた。そして、ゆっくりと腰にしがみついたミラのことを離すと、エステルに引き渡した。







 その斬馬刀はいったい、どれほどの頸を斬り飛ばして来たのだろうか。

 鋭さはなく、ただただ乱暴で無骨で、一撃を捌くライラの白刃が当たれば、ゴォオオンと音を鳴らすのだ。

 だからきっと、その斬馬刀は斬り飛ばすのではなく、相手のかぶりを吹き飛ばして来たのだろう。


「おっも!」ライラは堪らず唸った。

 人喰い鬼オルグが旋回し撃ち込んできた一撃を、両手で構えた片手半剣で弾いたライラは、その一撃の重さに顔をしかめたのだった。


 がしかし、それは予想通りといったところなのか、刀身を斬馬刀に掬い上げるよう滑らせ弾いたライラは、身体を開いた人喰い鬼オルグへ身体を捻らせた一撃を叩き込む。

 がら空きになった左脇へ叩き込まれたライラの一撃の筈だったのだが、人喰い鬼オルグは、グオオオオ! と叫ぶと身体の硬直をとき瞬時に前へ飛び出した。これにライラは不意を突かれ、体当たりを喰らうと奇妙な格好で後ろに吹き飛ばされた。


「こなくそ!」


 ライラもやはり気合いの声を挙げ、転げた姿勢を瞬時に立て直す。


 ドンドンドン、ドンドドン。

 ドンドンドン、ドンドドン。


 この激闘の間も人喰い鬼オルグの戦士たちは決闘の律動を奏で続ける。


「ライラさん?」


 アドルフは転げたライラに声をかけるのだが、彼女はそれに片手をあげて「大丈夫」と返す。その顔は笑っていた。対する人喰い鬼オルグもガウガウと声を漏らし、そこはかとなく笑っているようなのだ。

 これに野伏は肩を竦め「まさかの戦闘狂でしたか」と呆れた調子で云ったが、ライラは「肉食系と云って欲しいわ」と返した。


「それ意味違いません?」


 それにライラはアドルフを一瞥する。

 野伏はその視線に戦慄した。瞳孔が極限に絞られているが、視線はアドルフを捉えていない。確かに。獲物を前に興奮をした獣のようだった。ある意味、肉食の獣のそれなのかも知れないが、しかし——。

「やっぱり、意味が違いますよ」ともう一度アドルフは肩を竦めた。





 何かを掻き分けるようアッシュはフラフラと歩き出した。

 エステルとミラはそれを引き止めようと身体にしがみつくのだが、なんなく振り解かれてしまう。


「お父さん! お父さん!」

「アッシュ! どうしちゃったの!?」


 二人の言葉はアッシュの耳には届かなかった。

 どこか遠くを見るようで視線は定まらず、かぶりをあちこちに何か呟いている。僕がやります。大丈夫です。ルゥさんは僕が助けるから黙っていてください。

 土鬼ノームの喧騒に掻き消されるアッシュの言葉だったが、エステルとミラはその言葉だけははっきりと耳にできた。

 それに二人は顔を見合わせた。


「だ、誰と話しているの?」ミラは恐る恐るエステルに訊ねた。

「わからない——わからない」


 あまりにも知らなさすぎたのだ。

 エステルはこの男の過去を聞かされた唄でしか知らない。何も知らない。アッシュも記憶を失い語れる過去を持っていなかった。であれば、現在をありのままに受け入れればいいではないか。


 しかし、それは甘い考えだったのだろう。

 その、と云うものは山奥でひっそりと営む農家での一幕ではない。ダフロイトの大崩壊、クレイトンの大災厄、世界を揺るがした二つ災厄。その中心に自分たちはその姿を置いていたではないか。暗闇から虎視眈々とアッシュを狙う始祖達の行方もわからず、応戦をするだけの受け身の状態。

 現在をありのままに受け入れるというのならば、それら全てを受け入れなければいけない筈なのだ。


 日々の過酷さ。

 しかし、二人で居られる時間の愛おしさ。しばらくの別れがやってくることを覚悟をしていたエステルは、そんなものを拾い集めるのに必死だったのだ。

 心配をそのまま顔に滲ませたミラへエステルは視線を落とした。そして思う。この娘が本当にアッシュの子であるのならば——。

 赤髪を振り乱しエステルは、もう一度ミラに視線を落とすと、跪き彼女を優しく抱き寄せた。





「野伏! それは要らないっつーの!」


 叫んだのはライラだった。

 アドルフとしてはこの事態を早々に収拾をしたいところで<言の音>を紡ぎ始めたのだったが、ライラがそれを制したのだ。

 ライラは叫ぶと「これで!」「どう!」「こっち!」「ガラ空き!」と四方八方から剣を叩き込む。次第にそれに押され始めた人喰い鬼オルグは、苦しげに唸り押されていく。


 アドルフは「おおお、凄いですね」と感嘆の声を挙げると、ライラは「道場じゃ竹刀だからね、真剣ぽいのでやり合う機会ないから! たのし!」とアドルフの気持ちをよそに剣戟へ没頭をした。

「ライラさん、そんなんだから直ぐに素性がバレちゃうんですよ?」アドルフは苦笑いをし、そう云うのだが、もうその言葉は剣と剣が叩き合う音に掻き消されライラの耳には届かなかった。



 撃ち込みは続いた。

 寸分の狂いが全てを壊しかねない均衡のなか、それは続いた。

 蛮族よろしく豪の剣を振るう人喰い鬼オルグは、剣術の歴史が積み重ねた業の前に道を阻まれる。かたや予測不能な謂わば野生の剣筋、命を奪うことのみが目的の剣筋にライラは、冷静と激情のあいだで気力を保つ。激情に呑まれれば、相手の土俵に立ち瞬時に肉塊となるだろう。


 どれほど剣を重ねたのだろう。身体もぶつけあい、必要であれば顔面を殴りもした。腹に蹴りを見舞うこともあった。

 そして——間合を取ったライラが切先を降ろした。

 それは最後の一刀を放つ合図のようだ。

 人喰い鬼オルグはそれに力の限りの咆哮を挙げた。

 前屈みに。血塗れの身体を前に突き出し、大きく口を開いた。


「そうそう、良い子ね」


 ライラは切先を、くるりと回すと身体を右に捻り腰を落とし、左脚を前に。

 次に柄頭に軽く左掌を添え腰を落とした。突進と同時に柄をにぎり一気に人喰い鬼オルグの脇腹に叩き込むためだ。捻りの勢いに逆らわず、そのまま人喰い鬼オルグの頸を斬り飛ばす。そこまでの流れを頭に描いている。





『グラント、もう諦めろ』

「あなたが、それを云うのですか?」


 フラフラと歩き出したアッシュは聞こえもしない言葉へ虚ろな声を返した。

 それは過去の否定なのか未来のくびきなのか。土鬼ノーム達は目前の魔導師を警戒する。普段であれば数に任せ押し潰すところなのだろうが、どうもそういう訳にもいかない様子で、ギャッギャと互いを牽制する。鉄兜を被った数匹の土鬼ノームは、それに苛立ち、手に持った得物をぶんぶんと振り回す。目の前の魔導師に飛び掛かれと、そう命じているのだ。


 アッシュはそれに、かぶりを振ると土鬼ノームの塊に顔を向け双眸をゆっくりと細めた。嗚呼——そうか、この虚像は——。アッシュは眼前で騒ぎ立てる土鬼ノームに改めて焦点を合わせると、次には振り返り不安げにことの成り行きを見守るエステル、ミラ、グラド、ブリタを確認をする。

 そして今ではアッシュの外套に身を包み身体を震わせる女に目をやった——。

 三度みたび、何かの虚像が視界に纏わりつく。

 青や緑の虚像が女に重なる。

 それは、はたしてアッシュの目にはエステルの姿が重なったように思えた。


「バーナーズ」アッシュは短く一言、憤怒の名を呼んだ。



 それは、唐突に、忽然に、突然に

 ミラが突然走り出そうとするとエステルはそれを必死に押さえた。

 ミラは再び、大人に制されるのを呪うように「離して! お父さん駄目だよ!」と喉を引き裂くよう叫びを挙げたのだ。


 ゆっくりと何かに抗うよう身体を前屈みにしたアッシュは唸り声を挙げた。その唸りは何処から響くのだろうか。重々しく怨嗟を孕み何をそんなに恨むのだろう。口から漏れ出るそれは、地獄の底から響く言霊だった。エステルもミラもそれに目も耳も塞いだ。

 青白く輝く幾千幾万もの繊条がアッシュの身体から溢れ出た。

 それは次第に何かの形を成していく。

 見ればそれは、巨躯の狼なのではないだろうか。


 「なんだよありゃ——」


 蹲ってしまった二人を庇うように駆け寄ったグラドは両手で頭を押さえ、口をあんぐりとさせた。漏れ出た言葉は、もうそれ以上を考える余地さえないとでも云うようだった。


 それは、唐突に、忽然に、突然に

 前屈みになったアッシュ。

 それを包み込みゆらめく狼の繊条。

 アッシュの瞳は赤黒く鈍く光を放った。


「あ!」


 グラドが叫んだその時だった。

 アッシュの姿がその場から消え去り、忽然と吹き荒れた青く輝く嵐が土鬼ノームの集団を巻き込んだのだ。嵐はその腹に赤黒い塊を抱え、ぐるぐると渦巻くと次第に赤々と染まっていく。


 ポツポツ——。


 グラドは顔に落ちてきた雫を感じ、それを手で拭う。

 燻る灯りと闇夜のさなかに巻き起こった青の嵐は、百は居たであろう土鬼ノームを逆巻の風に乗せると宙に舞上げ、赤黒い塊はそれを追いかけた。

 ギャッギャッギャッと苦悶の叫び、断末魔、何かそのような物が嵐が響かせた轟音のに織り込まれ宙に駆け昇っていくのだ。

 そして、それに合わせ赤黒いものを飛散する。


 グラドが拭った雫。

 それは空から降り注いだ土鬼ノームの鮮血だった。





 ライラは大地を蹴りいかずちの速さで人喰い鬼オルグに迫った。

 一足飛び。そう云うには、あまりにもその飛距離は長く地を這うような飛翔は、人喰い鬼オルグの虚を突くと判断を鈍らせた。

 身体を捻り込みライラは右脚でもう一度、勢いを乗せるよう大地を蹴った。

 人喰い鬼オルグの斬馬刀は、迫り来るいかずちの刃を胴体もろとも真っ二つにしようと振り下ろされたのだが、それは遅かった。

 斬馬刀の一撃を掻い潜ったライラは捻り込みを最大に「胴! ガラ空き!」と叫びを挙げ人喰い鬼オルグの土手っ腹に片手半剣を撃ち込んだ。


 最後は右手の腹を力点に左で柄頭を引き寄せ——そのまま振り抜く。


 勢いに乗った身体はそのまま、もう一回転をすると腰を残し体躯から跳ばされた人喰い鬼オルグの上半身を真正面に捉える。ライラは、その無重力の刹那へ目を光らせ遂には神速の刃で人喰い鬼オルグの頸をも斬り飛ばしたのだった。


 頸が宙を舞ったその時だった。

 ライラとアドルフは南の空に青く光る嵐の姿を見たのだった。





 青く。黒く。赤く。

 アッシュ・グラントが巻き上げた嵐は暫くの余韻のあと静かに収束をした。けたたましい嵐の音に土鬼ノーム達の断末魔は、あっというまに鳴りをひそめ、不気味な静けさをそこに残した。

 薙ぎ倒された木々に家屋に馬小屋。

 その様子は、あらゆるものが円環を成すよう左巻きに倒れ、地上に描かれた図形のようだった。


 ゆっくりと身体を起こし身を寄せ合ったエステルとミラ。

 その傍に立ち尽くしたグラド。放心したブリタは嵐の収束の間際、ゆらりと身をもたげ、やはりその場に立ち尽くした。

 四人は一様に嵐の中心であった場所に視線を集めた。

 ブリタはどうなのだろう。それはわからなかったが少なくともエステルたち三人は目を見開き、目を疑い、目を瞬かせた。


 どこに消えたのか、百の土鬼ノームの骸も残骸もそこには見当たらなく、静けさの背景には空高く巻き上げられたのであろう土鬼ノームの血が降り注いだ。それを一身に受けたアッシュの黒髪は血に濡れ額にはりついた。


 そして、静かに首を垂らすアッシュの姿。

 一行が目を瞬かせたのは、それにもだったが視点を引いてみれば、パチパチと音をたて無数の青の繊条が成した巨躯の狼の姿がアッシュを飲み込んでいるのがわかった。

 狼はアッシュに同調するよう首を垂れていたが、主人のかぶりが上がるとそれに合わせ自身のかぶりを上げた。アッシュと狼の虚像は辺りを見回した。赤黒く蛇の瞳がアッシュの双眸で蠢く。


 エステルはそれに慄き震えた。

 エステルにしがみ付いたミラは、ぎゅっと強くエステルの外套を握りしめ「お、お父さん?」と声を震わせ、カチカチと歯をならす。


 ゆっくりと。

 アッシュはゆっくりとした動きでエステル達の方を向いた。

 グラドはそれを見るや否や、二人の身体をグイっと力強く引っ張ると黙って前に歩みでた。膝がガクガクと震えている。だが、それでもグラドはそうしなければならない。そう思ったのだ。だが——その覚悟も威勢も、目前をゆらゆらと歩き出したアッシュの姿に押し潰されそうだった。





 悪魔、怪異、怪物。

 何かそのようなものに心を奪われてしまうようだった三人——エステル、ミラ、グラド。アッシュは、その三人に目をやると小さく「バーナーズ。もう大丈夫」と口にし、右手を軽く横に振るった。

 青く光る繊条は手の動きに呼応すると流れるようフワリと闇夜に溶けた。

 青の粒子がチラチラとアッシュに纏わりついたが、三人の元に帰る頃にはもう溶けてなくなった。

 それはまるで、三人が抱いた恐怖なのか畏怖なのか、それも一緒に闇夜に持ち去ってくれたようだった。


 アッシュは申し訳なさそうに苦笑をした。


「ごめんなさい」


 アッシュは優しくエステルに云うと、次はミラとグラドへ言葉を続ける。


「お待たせしまた。やっと話せそうです」

「は? お前どういう神経していやがるんだ。そんな雰囲気じゃないんだぜ。お前のありゃ一体なんだったんだよ。それによ、あの銀髪どうすんだ」

 まだまだ声が震え腹の胃の辺りがブルブルしたのだがグラドは、アッシュに駆け寄り拳で彼の胸板を軽く小突いた。まるで旧知の仲のような気安さを振る舞う酒樽の所作は、そこはかとなく後ろめたさを抱いたアッシュには救いの船だった。


 少しばかり気が楽になる。



「おおおおお――い!」


 朱と黒がぼんやりと重なる暗がりの向こうから、気の利かないがなり声が聞こえた。それはナウファルの声だった。でっぷりは頃合いを見計らったように遠くの暗がりから溶け出すように姿をみせ、大きく両手を振って歩いている。


「あのでっぷりは、千里眼でももってんのか? 万事片付いた頃にやってきやがって」

 グラドはそう云うと、クククと可笑そうに漏らした。

「で、どうすんだ。 きっちり説明しろよ」



 ブリタは未だ惚けるよう、あやふやと嵐の跡の中に視線を泳がせ、小振の口を小さく刻んでいいるようだった。

 アッシュは駆け寄ったエステルが腕に腕を絡めてくるのを感じながら、ブリタを見るのだが、どうだろう彼女のどこか気が触れたような様相に一抹の不安を感じた。


 その時だった。

 東の空の向こうから夜空を埋め尽くさんばかりの勝鬨が挙がったのだった。





 膝から崩れ落ちた巨躯は恥ずかしげもなく打ち震え、かぶりを失った頸から鮮血を噴き出した。

 ころげたかぶりは今にも破裂しそうに顔を膨らませ、ごろごろと人喰い鬼オルグの群れのもとへ帰ると、彼らが打ち鳴らした一騎打ちの律動は鳴り止んだ。

 恐らくは、膝をおり血飛沫をあげたのは、篝火の氏族イグニスの戦士長なのであろう。


 身体の左半分。べったりと血飛沫を浴びたライラは無言のまま、切っ先をくるりと回し一団を指し示す。

 言葉は通じない。ライラはだから、左手五指で次は誰が来るのかと問うた。返る答えは明白だ。

 だって、あんたらの隊長の頸は私がとったのだから。ライラは心でそう吐き捨て、ほくそ笑んだ。



「野伏! 畳むよ!」

 ライラは篝火の氏族イグニスの無言の答えを受け止め、アドルフへ声を挙げると、一歩、二歩、三歩と跳ぶよう一団の只中へ飛び込んでいった。


 ウゴガガガガ! ウゴガガガガ!


 人喰い鬼オルグ達は、それにけたたましい声を挙げ慌てふためくと、斬馬刀を投げ捨てその場から背を向けはじめた。篝火の氏族イグニスの尊厳は目前の血塗れの戦女神に吹き飛ばされ、闇夜に溶けて消えた。残された人喰い鬼オルグの戦士達に残されたのは、死にゆく恐怖だけであった。


 迫り来る死の恐怖は剣を肩に乗せ跳んでくる。

 人喰い鬼オルグの一匹は、その死の恐怖の背後に、自分達を惑わす卑しい小鬼の姿を見た気がした。小鬼は両の掌で大地に触れると何かを口にしたようだ。

 それは唄なのか、呪いなのか——。

 とにかく野伏のアドルフはライラが跳んだ先の鬼が逃げぬよう大地の力を借り受けるため<言の音>を紡いだのだった。





 逃げ惑う人喰い鬼オルグは、魔導の蔦に脚を絡めとられるとライラの白刃に頸を跳ばされていった。

 九体目だったか十体目だったか、はたまたはそれ以上か、あやふやとしていたが兎に角も巨躯が転がり山をつくる頃、ライラは小山に立つと剣を天に振り上げたのだった。


「これ一回やってみたかったのよねー」


 うおおおおおおおおおお!

 興奮気味に壁の向こうから鬨の声が挙がると、今にも破られそうだった東門が開け放たれ戦士たちが飛び出してきたのだった。


「まったく呑気に。さっきの竜巻が気になるので僕は行きますよ? ライラさんはどうします?」

「後で合流するわ。西門の方よね?」

「いいえ南かと。では後で合流しましょう」


 戦士たちに囲まれ、歓声に囲まれ、賞賛に囲まれたライラに軽くかぶりを下げたアドルフは背を向けると、軽く手を挙げその場を離れた。


 実際のところアドルフの加勢があればこの場面はもっと早くに訪れ、賞賛の声も、歓声も二人のものの筈だった。

 ライラは彼に「野伏! 畳むよ!」と云った。

 敗残の兵を前に小手先を労する必要もないからだ。


 それを、概ねライラの功績にしたかったのはアドルフだったのだろう。

 同じ表彰台に登ってしまえば、降りる頃にはまた根掘り葉掘りと素性を探られる。

 だからアドルフは、支援に徹した。


 喰えない優男。


 ライラは警備兵達——戦士達の羨望を一身に受けながら、心で吐き捨てた。

 筈だった。


(おや? 良い男に出会っちゃった?)

(先輩、ごめんなさい。ついつい心の声が溢れちゃいました)

(妬けちゃうなー。で、どんな男の子?)

(何を白々しい)

(うはは。こわいこわい。声が怖いよ陽菜ちゃん。それでね、わかったかも。乃木無人博士の居場所。西さんが昔、博士の依頼で蒲田の雑居ビルで仕事したって)

(おお。珍しく仕事しているじゃないですか先輩)

(酷いなー。給料分は働くよ? で、そっちは?)

(多分、大丈夫です。いまから確認してきます)

(ええー。陽菜ちゃん何してたのよ)

(署の道場ではやらせて貰えないので、真剣勝負を少々)

(陽菜ちゃん)

(はい?)

(男ひっぱたくの好きだよねー)


 ライラはそこで突然繋がってしまった念話を遮断し、いろいろと配慮のない先輩——ショーン・モロウの言葉を途中で終わらせた。




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