目黒区——大鳥神社。
今日も日差しが乱暴で機能性素材のカットソーを着ていたとしても、暑さを凌ぐには携行用の冷却ファンを持った方が正解だ。
森山
その間、銀杏の葉を眺めていると、この御神木が遥かむかし第二次世界大戦、東京大空襲の被害から奇跡的に逃れ現在に至ることをスマートデバイスからの情報で知った。
「でもさ。そのネタ、飲み会でも使えないでしょ? それよりも西さんの情報を頂戴よ」
少しばかり日焼けをした森山は浅黒い顔に薄らと白い歯を浮かばせ独り言のように云うと、冷却ファンへ「あー」と声を向けながら、デバイスからの回答をまった。
ほどなく頭の中へ淡々と抑揚のない女の声が響いた。
(
「ほいきた。西蒼人はいつからリードランサーバーへアクセスしている?」
(アカウント照合。確認。2074年5月18日にPODSを登録しています。アクセスログは消失)
「消失ねぇ。隠蔽の間違いじゃないの?」
(再度アカウント照合。確認。確かに消去された形跡はありません)
「やっぱりね。六本木で会った時に確認しておけば良かったなー。
(2075年9月2日になります)
「それから8年もメンテナンスってやっぱり不自然だよね。ちなみにさ74年に登録されたPODSの数はどれくらいあるの?」
(スコープを限定してください)
「ああ、ごめん。対象は
(ダッシュボードに接続。暫定数で報告します。日本国籍では約1500万名、米国籍では約500万名の登録があります。全てセキュアバイオメトリクスをアーカムメトリクス社から提供された個人です)
「選ばれた人達ってことよね。なんで俺と陽菜ちゃんも選ばれていたんだろうなー。おかげで面倒な仕事が増えちゃったよね。迷惑な話だよ」
(森山捜査官、それは『職務上遵守すべき行動規範』に抵触する発言です。行動規範を読み上げます)
森山は無意識に内心を口に出してしまったことに、肩を竦めペロっと舌を出した。デバイスから勧告された『読み上げ』を拒否すると後々面倒になる。だからそのまま銀杏の木を見上げながら冷却ファンを再び顔に向け仕方なしにて目をつむった。
デバイスが語ったのは対デジタル犯罪捜査官、通称DCIA(digital crime investigation agent)の成り立ちと行動規範だった。
2047年。
香港返還を機に形成された<北大西洋間軍事的緊張>は事実上、新ユーラシア経済連合(NEEU)と北大西洋条約機構の対立を浮き彫りにした。翌年2048年には、当時すでに形骸化が進んだ北大西洋条約機構を内包する形で、五大州並びに一部アジア州統合会議(ワールドオーダー)が仮設されると、世界は第三次世界大戦をむかえる。
第三次世界大戦は軍事衝突も苛烈を極めたが、そのいっぽう新時代の戦争は現実世界だけではなく電脳情報戦も大きなファクターとして捉えられ、これまで世界の裏舞台に潜んだヘカトンケイル級のウィザードハッカー達を表舞台に引きずり出した。
2052年。
中国のNEEU離脱を切っ掛けに第三次世界大戦が終結をする。
仮設状態であったワールドオーダーは当時形骸化の進んだ国連の枠組みを解体、吸収する形で正式樹立を果たすと、電脳情報戦で大きな戦果を挙げたウィザード達を英雄として世界に迎え入れたのだ。その中には終戦当時でわずか12歳の少年の姿もあった。
少年の名はクロフォード・アーカムと記録された。
DCIA。
ワールドオーダー正式樹立と共に国際刑事警察機構へ設立をされたデジタル犯罪者に特化をした捜査組織とその捜査官を示し、彼らは世界条約に基づきワールドオーダー加盟国を横断した警察権、条約法の執行権を有し電子網が関与する一切の犯罪を取締まる義務を課せられる。そこには刑罰の即時執行権も含まれ、つまり必要があれば凶悪犯の命を捜査官の判断で奪うことが可能だ。
それゆえに、DCIAはその職務を利己的な事由で離職・放棄することは許されず、常にDCIAヒュージクエリへ数値化された善性の記録と、悪性が精神を侵食することがないようフラクタルユニットからの監視を受ける。
悪性が閾値を超えた場合、捜査官はその度が過ぎた権能を持つことから、超法規的措置を受けることとなる。
つまり即時死刑が執行される。
発足以来、捜査官の死刑執行のケースがないのは、この監視機構が今のところ問題なく稼働をしているという事だ。倫理的な問題があるにせよ少しでも捜査官の悪性を察知するればフラクタルユニットが行動規範を洗脳するように頭の中へ響かせ捜査官の思考を善性に向かわせる。
尤も、数値化された<善性>と<悪性>とはワールドオーダーの内部組織であるフラクタルが定めたものであるから、信憑性を不確かとする風潮もあり、現在も事あるごとに摩擦を産み毎度のことながらの社会問題として槍玉にあげられる。
2081年 目黒区——大鳥神社。
ジジジジジジジジージジジジ。
蝉の声が鼓膜に纏わりつくと、いっそう暑さ誘った。
森山は暑さに煩わしさを感じると、気だるく目を開き「ふー」と息をついた。
その頃には、いっぽうで煩わしさを感じたフラクタルユニットからの職務規範の朗読が終わり、抑揚のない女の声が(——以降、気をつけてください)と締めくくった。
森山はそれに「ほい」と惚け小さく短く答えた。
次に右手を額にあて視界への光を遮ると、目を細め山手通り側の石段に視線を投げた。フラクタルユニットへ短く答えたのは、それが理由だった。
強い日差しのなか機能性素材であろう生地を使った上下純白のセットアップスーツに身を包んだ長身の男が石段を上がってきた。
色白で気難しそうな顔をした男は森山に気がつくと、頭に被ったやはり純白の帽子の丸鍔へ軽く右手を添えると、軽くかぶりを下げた。
「お待たせしました森山捜査官」
男はかぶりをあげると、鋭く森山を視線で捉え静かに傍に立った。
「ちょいちょいちょい。西さん。森山だけでいいですよ。呼び捨ててください」
「そうでしたね、失礼しました。今日は高木さんは一緒では?」
「ええ、今頃大蛇とやり合っているんじゃないかな?」
「大蛇?」
「ええ、リードランでリーンさんのお仲間か、ネイティブのどちらかが呼び出したって、さっき陽菜ちゃんが言ってたんですよね」
「リーンの仲間? なるほど。あれらはリーンの仲間でもなんでもありませんよ。出自は同じくしますが、ミラ同様に反転体です」
「西さん」
「はい?」
「場所を変えましょう」
呑気に握手なんか求めやがって。
高木陽菜のことを訊ねた西が握手を求めると、森山はそんな風に思いながら目黒通り沿いに視線をなげ、通りを挟んで向こうの小道を確かめた。西が到着したときから、そこはかとない違和感を感じていたのだ。首筋をチリチリとするような、殺気とも断定できない不気味な違和感だ。
それは昨年から感じる気配であった。一見、なんの関連性もないと思われた数件の失踪事件が報告されると、数日後には森山の元へ
それは「俺達の範疇ではないでしょ?」とブリーフフォルダを持ってきた高木に迷惑そうに訊ねた森山だったが、失踪者のリストに
それであればDCIAが威信をかけ動く必要があった。
乃木無人博士は父である希次博士の意志を継ぎチェンバーズを産み出した世界の要人であり、西方教会福音派から<神敵>と名指しされた保護対象だ。
福音派が掲げる聖書信仰は人の歩んだ歴史、産み出した科学を糾弾し、そして乃木無人博士が産み出した最新のチェンバーズを
ジジジジジジジジージジジジ。
ジジジジジージジジジ。
ジジジージジジジ。
蝉の声が重なり鼓膜に纏わりつくと、早いところ涼しい場所へ避難をしたいと思ったのであろう西は苛立ちを露わに「森山さん?」と声をかける。
森山は細めた視線の先に、すっかりと影に溶け込み気配を消した厚手の時代錯誤なローブ姿の男達を捉えていた。西の問いかけに「ええ」と空返事をすると、ゆっくりと
捜査官の鋭い視線は、怪しげな監視者から離されてはいない。
その行動は、身を隠すには目立ち過ぎる西の純白のセットアップに丸鍔の帽子姿を監視された目黒通りに露わにすることで、お前らの動向は承知していると知らしめる魂胆だ。その為にも森山は彼らから目を離さない。
「あの人達は?」
さすがの西も森山の視線に気が付くと、それを追いかけローブ姿の男達に目を細めた。
「西方教会の福音派ですよ。あなた達、
「そんな前時代的な……」
「ですよね。何もかも人の業だというのにね。呆れたもんですよ」
森山はそう云うと浅黒い顔に白い歯を浮かべ、人懐っこい笑顔を見せた。西は、どこか気まずそうに丸鍔を触り「はあ」と漏らし次の瞬間には驚きの色を浮かべた。
森山は浮かべた白い歯をキっとしまうと、もう一度通りの向こうへ顔を向けたのだが、するとどうだろう、怪しげな男達は慌てふためき一目散に駆け出したのだ。
「い、今のはいったい……?」
「森山流
「ぐんようこぐそく? ですか?」
「ええ。古武術系居合の一つです。超マイナーですけどね。今のはその術の中でも気合で敵を制圧しちゃう部類のもので、よくあるでしょ? エイヤーってお爺ちゃんが人を片手でひっくり返しちゃうってアレですよ。これも人の業ってやつです」
「はあ」
「そうそう、陽菜ちゃんも門弟なので変なことしたら、やられちゃいますよ? 気をつけてくださいね。あの子、すぐに真剣を振り回しちゃう系なんで危ないですよ。俺たちDCIAって意外とアナログでしてね、武器の携行と使用が超法的に許されてるんです」
最後の森山の言葉に憮然としたのか、西は「私にはリーンが居ますので」と顔をしかめた。森山はというと、それに「そうでしたね」と興味もなさそうに短く答え、行きましょうと目黒通りを目黒駅に向かって歩き始めた。
通りには陽炎が揺らめいている。
二人はその中を足早に歩き横断歩道を渡ると駅までの緩やかな坂を登って行った。
通りを規則正しく行き交うスマートカーの殆どはプログラムされた運行プランに合わせ走行するので、前時代では当たり前であった<渋滞>を見ることはもうできない。
もし、何かしらかの問題が発生し渋滞を起こしたとしても、森山達とたった今すれ違った交通網監視用のチェンバーズがかけつけ、すぐさま問題を解消するのである。
「チェンバーズ。
「そんなのは、どこにも居ませんよ。きっとね。全部、人が理想をこねくり回して拗らせて出来上がった偶像でしょうし、名前をつけて吹聴して回るんですよ。神は万能で、神に選ばれた人間は使徒であり英雄だって。でもそれを正当化しなきゃいけないから、異なる価値観へ悪魔のレッテル貼って騒ぐんですよね」
森山はどこか恨めしそうに声を低く西にそう答えていた。
しばらく緩やかな坂を登ると、日差しが色濃く影を落とした脇道を左に入った二人は、純白を眩しく纏い堂々と建った一軒家の前までやってきた。
そこは、