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Take On Me




「それでね、西さん」

「ええ」

「なんでね」

「ええ」

「なんで真横なの?」

「どういうことですか?」

「だからね」

「ええ」

「普通ね、西さんが向こうに座るんじゃないの?」

「駄目ですよ」

「なんで」

「そりゃそうですよ。あんな特殊な技能を見せられたら警戒もしますよ」

「ありゃー。藪蛇だった?」

「いいえ、先に知れて良かったです」

「そう。ならいいか」


 西にし蒼人あおとは、二人掛けの黒革張りのソファーへ浅く腰をかけ、左隣に座る森山へ密着するようだった。西は几帳面にセットされたツーブロックの黒髪を軽く撫でつけ、気難しい顔を森山へ向けている。

 それに対し森山は身体を若干そらせ右隣の西へ浅黒い顔を向けた。


 西の個人宅は思ったほど大きくはなく鉄筋コンクリ二階建ての4LDKといったところだろう。今では珍しい白御影石のタイルを几帳面に敷き詰めた床が特徴的だ。通されただだっ広いリビングに殆ど家財道具はなく、飾り気のない壁は床よりも若干白さの強い塗り壁であった。細かな凹凸が、規則正しく幾つも扇状に軽やかな模様を作っているから恐らく漆喰塗りのはずだ。


 二人は簡素なリビングへ据え置かれたソファーに腰をかけている。

 森山が言葉で指した先には、真っ白なローテーブルが置かれ更にその向こう側には、同じ黒ソファーが置かれている。

 そこには一人の女性が両手を膝に静かに添えて腰をかけていた。

 静かに流れる腰まであるブロンドは几帳面に整えられ、愛嬌のある双眸には青い瞳が浮かんでいる。どこか心配そうに西を見据えた彼女は森山の不躾な態度に苦笑するのだが、その表情さえも優しげだ。


 森山は繁々とやはり不躾に彼女のことを眺めた。

 なぜこんな美人が。と、森山は不躾に不躾を重ね心で呟くと西に顔を向け、こんな辛気臭いのを選ぶかねえ、と心で続けた。


「ところで、蒼人あおとさん。飲み物は如何ですか?」


 そんな刹那の間を器量良しの彼女が訊ねると西は慌て「ああ、そうだったね」と短く答え「それでは悪いのだけれども、冷たいコーヒーをお願いするよ」と続けた。

 彼女は短く「はい」と答え席を立った。

 二の腕がふんわり膨らんだ上品な白のブラウスと、足首まである腰巻きのスカートは彼女の長身に合わせ仕立てられたようにピッタリだった。スラリとしたそのスタイルは恐らく猫背気味な西よりも背が高いはずだ。

 森山は目で彼女を追うことをやめず、そんな場違いなことを思っていた。それに西は「んっん!」と咳払いをすると「それで、もう会わないと云ったのに——」と続け、少々前のめりになった姿勢を正した。


「——いったい今日はどうしたというのですか? あんな奇妙な連中にまで追われて。もう面倒なことは御免なのですが」

「まあ、そう云わないでくださいよ。大丈夫。ちゃんと西さんの身の安全は保証します。だからね、西さん。向こうに座らない?」

「いやです」

「そっか……」


 リビングの向こうからコーヒを淹れる良い香りが漂ってきた。

 森山はそれに犬のように鼻をクンクンさせると「良い香りだ」と溢し西へ「どこの豆ですか?」と何気なしに訊ねた。森山の屈託のない笑顔に西はキョトンとし「はあ」と答えたが、ああと、何かを思い出したかのように話を始めた。

「そうそう、これはですねリードランで育てた豆の情報を使ってこっちで栽培した品種なんですよ。良い香りでしょ? NEEU(新ユーラシア経済連合)の阿呆が中南米まで焼き払ったおかげでグアマテラの豆が絶滅寸前でしてね。だからそれに近い品種を造ったわけです」


 得意げに話す西を見つめ森山は顎をさすり「なるほどね」と返すと「向こうの時間の進みが早いから育つのも早いですもんね」と、なるほど納得と得心のいった表情を見せた。


「西さん、それってね向こうで造ったものをこちらに持って来られるってことなんです? こう何か特殊な方法で」

 森山は、はたと表情を変えるとそう鋭く訊ねた。

「そんなわけないでしょ。向こうでシュミレートされた情報を基に遺伝子組み換えで培養をするんですよ」

 西は森山の突飛な質問をまさかと笑い飛ばし否定をした。


 カランカラン。

 氷がグラスの中で涼しげに踊る音が聞こえた。

 気が付けば先ほどの女がアイスコーヒーを淹れたグラスをトレーに乗せ戻ってきた。西はそれに「ありがとう」と目でローテーブルに置くように合図をすると表情を優しくする。

 森山は自分の前に置かれたコースターへグラスが乗ると、軽くかぶりを下げ「ありがとうございます」と女に笑顔を向けた。

 カランコロンと軽やかな音が涼しげにもう一度鳴った。

 女はそれに「いえ」と微笑むと、先ほど自分が座ったソファーへ腰を静かに降ろし自分にも準備をしたグラスに軽く口をあてた。西はそれを見届けると、森山に顔を戻し何故か笑顔を溢した。

「森山さんは、優しいですね。リーンにも礼を尽くしてくれる」

「そりゃまぁ……え? リーン? 西さん、その人。リーン・ストラウス?」

「そうですよ。気づいていたのでは?」

「あ、いや、まさか。でもね、西さん。それって倫理法違反になるんじゃ?」

「いいえ、人間がシェルへシンクロをしている状態をインストールすればそうですが、リーンは歴としたネイティブ、つまり情報生命体インフォマティックバイオノイドです。フラクタルユニットからも発令はないでしょ?」

「確かに。ならいっか」

「ははは、面白い人ですね」

 西はそう小さく笑いそう云うと、また先ほどのように目を鋭く森山を捉えた。

 まるで心の奥底を見透かされるような感触に居心地を悪くした森山は腰をずらし座り直した。

 これでは、どちらが聞き込みをされているのかわかったものではない。

 物事を見通し洞察する力。それは武術であろうと学問であろうとその精神はきっと同じ。知りたいという純粋な欲求を突き詰めたものなのだろう。森山は西の眼光の鋭さに自分と同じ匂いを感じた。


「それよりも——」

 森山は気を取り直し表情を引き締めると、仕切り直しの言葉を投げ西の視線に真っ向から対峙した。

 あまりにも近い距離に狼狽もするが、そんなことを云っている場合でもない。

「——率直にお訊ねしますが、乃木無人博士の居場所をご存知ですか?」

「何故それを私に?」

「いえね、乃木博士が失踪した時期と西さんがアーカムメトリクス社を退職された時期が被るなと思いましてね。偶然なら良いのですけれど。彼女がリーンさんだと云うなら——なおのことねぇ」

 緊迫した空気を和ませるよう森山は笑って見せたが、目は至って真剣だった。西の少しの表情も逃すまいと今一度眼光を鋭くした。それは西も同じで森山の向ける眼差しの走査線を真っ向から受け止めた。

 その刹那だった。

 森山の頭に響く声があった。それはフラクタルユニットの声だった。

 森山はそれに舌打ちをすると「すみません」と片手をあげソファーを立つと少しばかりその場から離れた。

 少しの間、森山はボソボソと何かを口にしていたが最後には「了解」と締めくくった。と、ソファーに戻ろうと踵を返した森山だったが、はたと足を止め今度ははっきりとした口調で話し始めると、そのままソファーへ戻ってきた。

 森山はわざわざ言葉を口に——西にも聞こえるよう——何かの通信へ応答を始めた。「おお、なんだ藪から棒に。今、ギネスさんに例の話を訊いているよ。それよりも、ちょっとこっちも雲行きが怪しくなってきてさ——」


 森山はそこで一度言葉を落とすと、リーンへ軽くかぶりを下げグラスのアイスコーヒーを口に含んだ。


「そんな事実どこにもないでしょ? 人聞きが悪いなぁもう。いやね——この件からは手をひけってさ——世界の円卓フラクタルが出張ってきたよ。俺たちは引っ込んでろって——ね」

 そのまま言葉を続けた森山に怪訝な表情を向けた西は「どうしたのですか?」と訊ねると、森山は肩をすくめた。

「すみません、こちらの話です。色々と縛りがあって困ったもんですよ。死ぬ気で追えと云ったかと思えば、今度はやめろって。よくわからないですよね」

 森山はそういうと、乾いた声で笑って見せた。

「つまり、乃木博士の行方はもういいのですか?」

「あ、いや。それは、別です——」

 森山は嘘をついた。

 世界の円卓フラクタルがDCIAに通達したのは失踪事件を追うなと云う内容で、端的には西方教会を刺激するなと云ったのだ。なぜそうなのか? それは伝えられなかったが、最もこれまでも指示の理由などと云う高尚なものにありつけた試しは森山にはない。であれば、命令は守られている。森山は森山の仕事を果たすのみだ。

「——それで、どうですか? 博士の居場所。教えてもらえませんか?」

 西は森山の右頬がわずかに痙攣したのを見逃さなかった。

 本当にわずかな動きだった。

 西はちらりとリーンを一瞥すると、彼女は軽くかぶりを縦に振るった。どうやら彼女も森山のわずかな動きを察知しているようだ。


「森山さん。あなたはリーンのような情報生命体インフォマティックバイオノイドをどのようにお考えですか?」

「チェンバーズと云うことではなくて?」

「ええ、仮想世界で育つ子達のことです」


 なるほど——森山は心に呟いた。

 これは西が森山を試していると見て良い。故人である乃木希次博士と寿子博士は自分達が産み出したスーパーAIは道具であると云ったそうだ。その思想が反映されているのがシュメールとエッダ。しかし乃木無人博士は、そうではなかったときく。彼はスーパーAIを自分の子供のようなものだと云い放つと、西方教会と対立したのだ。では、西はなのだ?


「喋って意思が通じてちゃんと喧嘩してくれるなら、そりゃもう立派な人間でしょ? ほら、リーンさんは知っているでしょうが、俺は向こうで栗鼠のお化けとバッチバチに喧嘩してきたから解りますよ」

「ははは、本当に面白い人ですね森山さん。バッチバチに喧嘩してきましたか。そうですか」

 西はひとしきり笑ってみせると、笑いに競り上がった涙を指で拭き「すみません、久しぶりにこんなに笑いました」と姿勢を正した。

「そんな面白いこと云いました?」

 そこはかとなく森山は憮然と目を泳がせると、リーンと目が合った。彼女は西の様子に驚いたようで目を丸くし彼を見つめていたのだが、森山と目が会うと微笑んで「いいえ、ありがとうございます」と小さく云った。


「森山さん、ありがとうございます。試すようなことを訊いてしまって申し訳ない。もっとも私が博士の居場所を知っているとも云っていないのですがね。まあ良いでしょう。私たちはこれ以上の行動は起こせません。ですので、森山さんを信じてお伝えします」



 ※



 西が語ったのはジョシュア・キール失踪後の話だった。

 無人に警報を止めてきてくれと云われた西が研究室に戻ると、ちょうど無人もアーカム親子から門前払いを喰らい戻ってきたところだった。すぐにジョシュアの姿がないことに気が付いた二人は顔を見合わせると方々へその行方を追ったが、ついぞ足取りを掴むことはできなかった。そして後日、無人は西を呼ぶと幾つか仕事の依頼をした。

 無人はジョシュアを探すためリードランへ潜ると云い、その準備として出来るだけ人目の少ない雑居ビルの一室の手配と、内装の準備を依頼した。雑居ビルの手配は、西が直接行うと足の付く恐れがあるから、無人の元妻である生垣いけがき近実ちかみに金を握らせ手配をしてくれと云った。それに加え準備をした雑居ビルには三年は寝たきりになっても大丈夫なようバイタルコントローラーの設置と生垣の外見を模したチェンバーズを準備するように伝え、西に大金を渡し無人は行方をくらました。

 西はその後、生垣近実とコンタクトを取ると準備を進め蒲田の雑居ビルに無人の隠れ家を準備したのだった。

 少しの期間、生垣はその雑居ビルで生活をしていたようだったが、いつの間にか姿をくらますと乃木無人から西へ連絡があり、追加報酬を西へ手渡すとアーカムメトリクスを辞めろと云ったのだそうだ。


「なんで博士は元奥さんに?」

「ええ、少しの間そこで生活をしてもらい周囲から怪しまれなようにしたかったようです。ただ彼女には遠距離で交際をされている男性がいるそうで、長くそこに居住するのは無理でした」

「だからチェンバーズを準備したのですか?」

「ええ、そうです。博士が隠れ家に足を運ぶと、それと入れ替わるように生垣さんは出て行きました。ちょうどその頃にはチェンバーズも準備で来ていたので隠れ家へ行ってもらいました」

「よくその……生垣さんは、そんな依頼を引き受けましたね」

「確かにそうですね。あの二人は幼馴染だそうで学生の頃からよく家を行き来するような付き合いがあったそうです。私のような穴蔵のハッカーではわからない愛情、絆、そんなものがあったのかも知れません」

「なるほど……幼馴染最強ですもんね」

「はい?」

「いや、こちらの話です」


 森山は惚けた顔で笑うとグラスのアイスコーヒーに口を付けると、雨足の強くなってきた外に視線を投げた。硝子窓を強く打ち付ける雨粒の様子から外はだいぶ風が強いのだろう。森山は顔をしかめると、手首へ視線を落とし巻きつけられたスマートデバイスに指を当てた。

 どうにも覚束ない指つきで操作をすると、今日のウェザースケジュールを呼び出した。そこに表示されたのは今日の天気の予定で、本日は終日快晴であると映された。これは、正確な情報だ。

 前時代ではその日の天候はあくまでも「予報」されたが、今ではこれはスケジュール、つまり「予定」として観測される。この快挙は乃木寿子博士の功績だ。

 つまり外で降り頻る雨は予定外の雨ということだ。

 予定はあくまで予定であって実行されるまではわからない。

 確かにそうであるのだが、ここ数年——こと天気おいてはそれは天文学的な数値ほどに予定が狂う確率は低い。


「ねえ西さん、それでその蒲田の雑居ビルの住所。そろそろ教えてもらえません? ちょっと野暮用ができそうで」

 森山の顔は至って真剣だった。

 西はそれに気が付くと「雨が何か?」と訊ねた。

 森山はそれに「いやね、ここ数年ウェザースケジュールが狂った事なんてなかったでしょ? 先程の福音派の奴らのこともあるし、何か嫌な予感がね」と目を細めた。

「虫の知らせってやつですか? あ、これもう言葉として使われていませんか?」

「どうでしょう。でも、それです」


 西は森山に云われるとリーンへ紙とペンを持ってきて欲しいと頼むと、それを受け取り蒲田の雑居ビルの住所を記して森山に渡した。

 紙は非常に貴重なものだ。

 第三次世界大戦が終結後は特にその希少性が高まった。

 それであるから、森山は受け取る際、拝むようにそれを受け取ると「貴重なものをありがとうございます」と礼を伝えた。西はそれに微笑むと「どちらがです?」とすっかり森山に気を許したようなのか、やはり笑ってそう云った。


「勿論、どちらもですよ」

 紙も住所もどちらも貴重でありがたいものだ。

 森山は心底そう思ってはいるようでその一言は茶化した様子もなく真剣に西へ伝えた。


 更に雨脚が強くなってきた。

 森山はもう一度外に目を向けると何かを思い出したようにリーンへ視線を投げた。

「そうだ西さん、最後に一つ訊かせてください」

「ええ、どうぞ」

 リーンに向けられた視線に多少の違和感を感じながらも西はそう云うとソファーから立ち上がった。森山の言葉を待つ間、西は緩やかな足取りでリーンの傍に立つと、彼女の肩へ手をのせた。

「あのですね。リーンさんて……そのリードランで使える能力をこちらでも使えるのです? さっき西さん、コーヒー豆は持ってこれないって云ったけれども」

「なるほど。そうですね。リーンの身体では使えません」

「ん? じゃあなんだったら使えるのです?」

 恐らく西は、これを訊ねられるだろうと覚悟をしていたようだった。だからリーンの傍へ立ちそれを待ち受けたのだ。

 西は森山の問いに、静かに手をあげ人差し指を森山に向けた。


 外から聞こえる雨が窓を叩く音が更に大きく響いたように思えた。

 西の緩やかな動きが森山を指すまでの時間が酷く長く感じられ、森山はそれへ違和感を感じると、はたとソファーから立ち上がり西の顔を見据えた。

 そして西は微笑みながら森山を指した人差し指を自分のこめかみまで持っていくと、真顔に戻りこう云った。


「人の脳へネイティブを侵食イロージョンさせれば可能です。まだ理論上の話で実証はされていませんが、メリッサはその可能性をつい最近示唆をしたそうです。彼女の能力ゲシェンクは残念ながら嘘をつきません。実際、何日か前にセキュアバイオメトリクスの強制アップデートがありました」

「まさか、そんな」

 森山はそれに目を丸くすると自分のスマートデバイスへ視線を落とした。

「ええ、でも——いや、これはやめておきましょう。知りすぎてはフラクタルユニットに警戒されます。時が来たらまた話します。どのような理由で悪性と判断されるかわかりませんからね」


 リーンは二人のやりとりを静かに聞いていた。

 何かに思いを馳せるようそっと瞼を閉じると、膝に置いた両手をキュッと握りしめた。


 雨脚が乱暴なリズムで窓を叩く。

 ただその音だけがリビングに満ち溢れ三人を包み込んだ。

 たった今森山が耳にしたことはDCIAも掴んでいない情報だ。今ここで西を問いただすこともできるが、それはやめておくことにした。それはまただ。今は失踪事件を追いかけ、要人の確保を優先しなければならない。




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