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ミンストレルソング①





 聖ジョージ・シルバの光を世界へ届けよ。

 轟かせよ我らがフリンフロンの栄光を。

 吟遊詩人は音を鳴らせ。

 戦士は剣を鳴らせ。

 闇夜をゆく野伏は闇に死ね。

 魔力を起源とした業カニングクラフトは神座を模倣する。

 我らが栄光を知らしめ護れよ民草を。

 銀の髪。王の華。王は消えゆくが篝火は残された。

 四国よんごく囲む庭園は照らされる。

 聖ジョージ・シルバの光を世界へ届けよ。

 轟かせよ我らがフリンフロンの栄光を。

 ——禁忌目録 聖ジョージ・シルバ降臨のしるべより抜粋。



 世界の中心。吟遊詩人の故郷。文化の庭園。残酷な月の影。

 これらは、すべからくフリンフロン王国を現す言葉である。


 王都フロンの中心へ荘厳な姿を横たえるセントバ大図書館を横目に吟遊詩人のアオイドスは、そんな事を想い出した。白亜の巨石を積み上げ、名だたる名匠の業が施された大図書館は、ただそこにあるだけで近隣の空気を研ぎ澄ました。それはアオイドスにとっては懐かしくもあるし、襟を正す気にもさせるのだが、今はそんな気分ではなかった。青い縁取りがされた純白の外套、フードの深くに隠された美しい面立ちは幾許か曇っていた。

 しばらく、心ここに在らずと足取り重く市街地を歩いたアオイドスは、賑やかな喧騒に足を踏み入れると少々古びた酒場の前に行き着く。顔をあげ<黒鋼亭>と書かれた扉をくぐった。まだ昼下がりで宿泊客の気配も殆ど感じない。

 たった一つあった気配は、ホール向こうのカウンター越しに見えた初老の男のものだった。気さくな面持ちの中に、そこはかとなく鋭さを匂わせた初老の男はアオイドスに気が付くと顔を綻ばせた。


「よお、アオイドス。久しいな」

「あら、ケニーじゃない。いつからこっちへ?」

「おお、そんなに会っていなかったか。引退するって矢先で何でだかこっちの仕事を手伝えって飛ばされて来たんだ。昨日までトルステンの野郎も来てたんだぜ」

「そう。トルステンはまだ方々ほっつき歩いるのね」

「ああ、そろそろ戦争なんだろ? 俺ぁもう出張らないけれどな。ジーウの所には顔出したのか?」

「いいえ、まだよ」

「何だよ、戦争になるからジーウの所に来たんじゃねえのか?」

「ええ、また別件。いいえ、唄の仕事じゃないわ。そっちはもう廃業しないとかな」

「らしくねぇな。どうしたんだ」

「ちょっとね。疲れちゃって」

「そうか——まあ、色々あるよな。どうだ?」


 ホールを横切りカウンターまで足を運んだアオイドスはフードを払い席についた。そしてケニーが差し出した木製の杯に視線を落とすと「昼間っから?」と笑いを溢す。注がれたのは冷えたエール酒だった。杯を手に取り鼻へ近づけると、ほのかに果物を思わせる香りが鼻を楽しませた。それは芳醇な味わいで有名なフロンクラフト。普通のエール酒よりも格段に強烈なエール酒である。


「ああ、フロンクラフトはいつ飲んでも楽しいもんだ。呑まねえなら、俺が貰うぜ」

「ありがとうケニー。用事が済んだらいただくわ」

「用事って、ここでか?」

「ええ、アドルフ君におつかいをお願いしていてね」

 ケニーは、そっと申し訳なさそうに返された杯を受け取ると酒を一気に喉へ流し込む。その隙にガサゴソと用意をした小皿いっぱいに盛られた乾燥肉や乾燥果物といった軽くつまめるものをカウンターに出しアオイドスへ勧めた。

「そうか。それでアイツ行ったり来たりしてたのか。それで? あいつはいつ戻ってくるんだ」

「ええ、間も無くよ。さっき北の大門へ到着したって」


 アオイドスは皿に盛られた乾燥葡萄を口に放り込んだ。



「其れは羽毛。其れは金剛。纏うは大気の質量で何人たりとも触れ得ぬ外套——」

「それはうもう。それはこんごう。まとうはたいきの——」

「しつりょう」

「——しつりょうで——な、なんぴと?」

「そう、なんぴとたりとも」

「——なんぴとたりともふれえぬがいとう——」

「出来たね。いいね。その唄をもう少し旋律を意識して唄えれば<旅のしるべ>の一節の完成で、息を殺さずに二節を唄えれば<旅団幻装>が発動するんだ。でも、効果は少し。だからこれを唄い続けなければいけないんだ。効果を持続する間は全部で十六節を唄ったら、また一節から。旋律を崩さずね。二人で持続させることもできるんだ。僕とエステルで唄っていたのがそれね」

「むーずーかーしーいーッ!」

「痛ッ!」


 王都フロンの目抜き通りにアッシュの悲鳴が聞こえた。

 ミラがアッシュの尻をパチンと叩いたのだ。


「アッシュ。もっと簡単な唄を教えて!」

「いや。これは基礎中の基礎だってアオイドスさんも云ってたんだ。これ以上簡単なのは僕には分からないよ」

「ねーエステル! アッシュが意地悪を云うよ!」

 ミラは昼間の喧騒の中、器用に往来する人々を避け後ろを振り返ると、涙を浮かべ笑うエステルへ屈託のない笑顔を向けた。ミラはシラク村からフロンまでの数日の間、アッシュとエステルが変わるがわる唄った魔導の節を気に入り教えを乞うと、練習に励んでいたのだ。魔術には天賦の才を発揮するミラであったが、魔導に関してはからきしのようで節を覚えても、なかなか旋律に乗せられず癇癪を起こす。

 ここまでの道中ミラとすっかり打ち解けたエステルはアッシュとミラの魔導談議が始まると、腹を抱え笑ってしまう。


 勿論、ミラの存在に違和感を持っていること変わりはない。しかし話を聞いてみればミラもまた<外環の狩人>の手で運命を弄ばれた子のように感じ不憫さを覚えたのだ。恐らく、ミラ自身もそうなのであろう。時折見せた翳る表情を目の当たりにするとミラが抱く得体の知れない不安の大きさと複雑さの片鱗を見るようだった。

 だから自分がアークレイリに戻るまでは親身に接しようと考えたのだ。それは、シラク村を出る直前の光景への答えでもある。



 シラク村の災厄後、アッシュ、アドルフ、エステルの間には暗然とした空気が流れた。しかしそれも、村の復興を手伝うなか次第と——忘れることは到底できないが——現実を受け止め始めることができた。ブリタが一連の大崩壊と災厄を引き起こした張本人である可能性をだ。少なくとも<七つの獣>が<白銀の魔女>と呼んだのはブリタの事なのである。

 そして、姿を現したミラ。彼女はアッシュを父親と呼び、アオイドスを母ではないかと云った。それは何も真実味に欠ける話であったが、グラドが話した大凡の経緯を聞けば、その話はアオイドスの思惑のもとに成り立っている。それであれば何故か王都で待つと云うアオイドスの元へ出向き真意を訊く必要があった。

 アッシュはそれまでの間、ミラを預かるとグラドに約束をした。グラドはそれに「それでも良いぜ」と顔を綻ばせ「アオイドスと話して、なんだか面倒臭えことになるんだったら、キーンへ戻ってこい」とミラに云ったのだ。ミラは、そこはかとなくに安堵をしたのか、それともそれを望んでいるのか笑顔で「わかった!」と答えるのだった。


 災厄から数日後。

 いよいよ四人は旅立ちの準備を終えアオイドスの待つ王都へと出発する日を迎えた。見送りに来た、今となっては良い相棒と云ったふうなグラドとナウファルは「なんだってこんな朝早くに」と声を揃え厩舎に立った。揃ったずんぐりむっくりは馬の旅支度をする四人の姿を目を擦りながら見守ると、思いのほか支度は早く終わったようだ。


「アッシュ・グラント。後は頼むぜ」

「やはり一緒に来ては貰えませんか?」

「おうよ。アイシャを待たせちまっているからな。なんだかよくわかねえが、全部終わったらアオイドスとミラを連れてキーンへ来いよ色男。アイツも会いたいって云ってたからな」

「わかりました。必ず」

 アッシュはグラドと言葉を交わすと分厚い彼の手を握りしめ、固く包容をした。


「魔導師。お前には借りを作りっぱなしになっちまったな。ご覧の通り、一銭も渡せねえが、役には立ってやるぜ。この書簡を王都のグラハム伯に渡しな。王都で不自由しないで済むぜ」

 書簡をアッシュに渡したナウファルは不器用に片目をつむると、アッシュの背中をバシッと叩いた。何やら肝入りの書簡らしく随分と誇らしげな顔をしたナウファルへアッシュは「助かります」と受け取ると「でもこれで御破算ってわけじゃないですよね?」と意地悪く笑ってみせた。

「ったりめーよ! こんなのは俺からの手向けってもんよ。そんなケツの穴のちいせ男に見えるか?」

「ナウファルさん、女性のいる前でケツだなんて」

「なんだよ、良いじゃねえかよ。ミラなんか糞糞云って走り回ってたじゃあねえか」

「そんなこと云ってないよ、馬鹿!」

 突然に引き合いに出されたミラは鞍にかかっていた雑巾をナウファルに投げつけ、それがパシリと顔面を捉えると、大笑いをした。どことなく湿っぽい空気はミラの笑い声に一変した。皆、この旅の終着点でミラが迎える結末へ一抹の不安を覚えていた。それでなくとも育ての親との別れ、自分が何者かも結局明らかにならなかった事への不安、それらを考えると到底、明るく笑って出立できる雰囲気にはなれなかったのだ。だから、そのミラの笑い声は一同のわだかまりを一時でも拭い去ってくれたように感じる。


「おら! くだらねえこと云ってねえで、さっさと出発しろ!」

 声を挙げたのは、一番よく笑ったことを棚に上げたグラドだった。ミラはそれにハッとすると駆け出しグラドに抱きついた。

「伯父さん、またね」

 涙を流したミラはグラドの頬に口付けをすると「叔母さんにも」と反対の頬へ口付けをする。グラドはそれに小さく「おう」と云うと「全部はっきりするまで大変だけれど身体には気を付けろ。それとあれだアッシュのことは——」と言葉を濁した。

「わかってる。アッシュって呼べば良いんでしょ?」

「おう」

「そんな顔しないでよ。大丈夫。こうなるのもわかってたから」

 最後の言葉は二人だけの話で、周囲にはよく聞き取れなかった。もう一度ミラはグラドに抱きつくと、今度はナウファルに抱きつき「ナウさん、色々とありがとうね」と、やはり頬へ小さく唇をあてた。

「なんだよ気持ち悪いな。今度帰ってくる時はキリキリ働いてもらうからな」

「わかってるよ! でも厩舎の糞掃除は嫌!」

「なんだよ、俺だって毎日やってんだ。手伝えよ」

 意外と真面目な顔をで返したナウファルにミラは、吹き出すと「そうだったね!」と大きく再び笑った。


 エステルはこの光景を愛おしく眺めていた。

 故郷では感じることのできない抜き身の優しさ。暖かさ。それが愛おしいのだ。これが全てではないにせよ人が心を通わせるということなのだろう。喧嘩をしようが迷惑をかけあおうが分かり合ってさえ居れば、それは些細なことなのである。政争と暗殺。暗躍に根回し。そんなことに明け暮れ、手にいれる上っ面の幸せ。そんなものよりも大切なものがここにはある。エステルはそう感じていた。


「なんか良いですよね、こういうの」

 云ったのはアドルフだった。アドルフもまたその光景を眺め何かへ想いを巡らせているようだった。エステルは野伏の横顔に目をやった。ミラを見る目はどこか暗然としたが、何か希望を見ているようにも思えた。

「ねえ、アドルフ」

「はい?」

「ネイティブって何? 七つの獣って何? ミラは獣の一つなの? 吸血鬼なの?」


 ああだのこうだのと騒ぐミラとナウファルにグラド。時折それに巻き込まれるアッシュ・グラント。その光景を遠くから眺めた二人の間に張り詰めた空気が流れた。今日を迎えるまで終ぞ真相を話すことを誤魔化したアドルフ。エステルはアドルフの見せた表情へそれを訊くのならば今だと機を見出した。虚を突かれたアドルフは、それに面食らい「エステルさんも策士ですね」と苦笑いをこぼし、言葉を続けた。


「話せることは少ないです。そこは許してください」

「ええ。勿論」

「吸血鬼の始祖。七つの獣。驚かないでくださいね。あれは世界の始まりに聖霊ロアと共にあった泥人形。つまり世界創世の時、人類へ叡智を分け与えた最初の<狩人>です」

 驚きに声をあげかけたエステルへアドルフは指をたて「シッ!」と小さく制した。

「役目を終えた泥人形は廃棄されるはずでした。が、それは忘れられました。その抜け殻に気がついた<白銀の魔女>はアッシュさんを追いかける為、再び抜け殻へ魂を吹き込むと世界へ放ったのです。ですが、彼女の最後の言葉からすると追いかけるのではなく、アッシュさんを精神的に追い込もうとしていたようですね。それで合点が行ったのです。なぜ吸血鬼として蘇らせたのかと」

「アッシュを苦しめるため?」

「恐らくは。尤も別のもので良かったのでしょうが、人を貪り喰らい尽くす吸血鬼。それがアッシュさんの大切なものであればあるほどに良かったのでしょうね」

「そう……。趣味の悪い話ね」

「ええ、同感です」

「それ以上は?」

「すみません、始祖についてこれ以上は。でも安心してください。ミラはお察しの通り獣の一人ですが、裏返りの存在。吸血鬼ではありません——」


 アドルフが言葉を続けようとエステルへ顔をむけると、遠くの四人の輪からミラの笑い声が聞こえた。その様子に目を向けたアドルフは「っと、そろそろですね」とエステルへ申し訳なさそうな顔をする。エステルはそれに「ええ」と短く答え馬の手綱を握った。


「エステルさん。このことは他言無用で」

 アッシュの馬の手綱も握ったエステルに倣いアドルフはミラの馬の手綱を握り、歩き始めるとそう云った。

 何時に無く鋭かったアドルフの眼光にエステルは息を飲んだ。

 謎は深まるばかりだ。ミラが獣の一人であるならアッシュの子ではない筈。しかし、グラドの話によれば確かにアオイドスはミラをアッシュの子だと云った。


「誰かの都合に振り回されるのは嫌なものよね」

「エステルさん?」

「あ、ごめんなさい。こちらの話」


 誰かの都合に振り回され人生を狂わされることの苦々しさ。状況も境遇も違えど、自分とミラは同じなのかも知れない。エステルはそう心に想うと、どことなくミラへの同情を覚えた。それであればこの旅が終わるまでは、良き姉のように接しミラの寂しさを拭ってやれればと考えた。姉という役回りは王都エイヤの館ではよくよく演じたものだ。でも、どうだろう。そこはとなくミラとは実の妹達よりも、うまく心を通わせることができそうだ。


 エステルは小さく苦笑いをした。

 向こうから自分を呼ぶアッシュの声が聞こえてきた。

 この旅が終われば自分はアークレイリへ戻らなければならない。アッシュとはしばらくの別れとなる。自分の境遇を思えば他人のことをあれこれ想う余裕はない筈なのだが——どうやら、アッシュの悪い癖を覚えてしまったようだ。




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