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ソードフェンサー





 アッシュ・グラントの<謄写の眼>。あれは厄介だ。どんな拍子に自分の業を見抜かれ模倣されるのか皆目見当がつかない。

 ジーウ・ベックマンはアッシュ・グラントと対峙することを告げる機を誤ったのではないかと幾許か心配になった。しかしそれは問題なさそうだ。当のアッシュはエステルから何やら口早に言葉を浴びせかけられ、しどろもどろとしている。こちらを気にしている様子はない。



 ——アッシュ・グラント運用試験、当日朝<黒鋼亭>


 目を擦り階段を降りてきたアッシュは「おはようございます」とカウンターで作業をするケニーへ手を振った。フリンフロン銅貨一枚を滑らせ、一杯の水と簡単な朝食を貰ったアッシュはそのままカウンターで朝食をとった。それに少し遅れてやってきたエステルは「なんで起こしてくれないのよ」と少々むくれた。あまりにも良く寝ていたから。それがアッシュの答えだった。

 暫くするとミラとアドルフがそれに合流をする。カウンターからテーブルへ席を移し、四人で朝食をとった。


「アオイドスさんは、まだ寝ているの?」

 もうすっかり手慣れた手つきでパンをちぎり口に放り込んだエステルはアドルフに訊ねると、乾燥肉を湯で幾許か戻し調理をした肉をミラに取り分けた。

「いえ。昨晩遅くに軍本部へ行ったきり戻ってきませんね」

 果実水でパンを流し込んだアドルフは、どこか慌てた様子で答えた。アッシュはそれに「何かあったのですか?」と訊ねるとアドルフは更に慌て「いえいえいえ。何もないですよ」ともう一杯、果実水をあおった。

「アオイドス、誰かと一緒に出て行ったもんね?」

 昨晩、一人で寝たミラはどうやら夜更かしをしたようで、窓からその様子を見ていたそうなのだ。

「ええ。ジーウ・ベックマン。ジーウ魔導師師団長と一緒に軍本部にね。あれは結構遅い時間だったけれど……ミラ、眠くないの?」

 アドルフは心配そうにミラに訊ねた。が、ミラはそんな心配を他所に満面の笑みで「ぜんぜん大丈夫」と新鮮な野菜を頬張った。葉野菜へ塩を振った簡単なものだったが、ミラはこれが好みのようだ。グラドとの旅路では、あの気の良い酒樽は通りかかる畑で農夫と仲良くなっては葉野菜を餞別に貰ったりをした。その度に、川に突っ込み冷やすと貴重な塩を振りかけては二人で頬張ったのだ。その記憶がミラの脳裏に焼き付いている。


 暫く穏やかな時間が流れた。

 何処かぎこちなく、ミラはアッシュと話し、笑い、心の距離を詰めようとした。でもその様子に苦しさはなく、気になった子へ根掘り葉掘りと訊ねるようだった。エステルは、そんな様子のミラに少しばかり安堵した。強い子だ。自分が同じ立場であったら、きっと心を腐らせているところだろう。そう感心をした。

 アッシュはと云えば、屈託のないミラに押され気味のようで終始、困った顔をした。眉間に皺を寄せ顔を真っ赤にしたのは「アッシュはエステルと結婚するの?」という問いにだった。目を泳がせるものの、誰もそれに手を差し伸べる様子もなく遠くからそれを楽しげに眺めたケニーも両肩を竦めるだけだ。矢面の一人であるエステルは意外と冷静に「アッシュ次第ね」と意地悪く笑って見せた。これにアッシュは困り果て「ああ、はい」と明後日の方向へ答えを投げた。


「それでアッシュさん。どうするのか決めましたか?」

 助け舟。と、いう風ではなく、どちらかと云えば水を差すようにアドルフは訊ねた。アッシュはその声音の移ろいに昨日の問答を想い出し、鋭くアドルフを一瞥する。今それを訊かなくてもよいのではないか。がしかし、それを後回しにすることも得策ではないことは重々承知をしている。だからアッシュは座り直すと「はい」と声を鋭く答えた。


「予定通りにフリンフロン軍へ合流をします。その場合ミラは……?」

「ミラもジーウ師団長の管理下に入ります」

「そうですか。わかりました」

 アッシュはそう答えるとミラへ微笑みかけた。

 ミラの素性をアッシュはまだ把握をしていない。だが、心の奥底でミラへ同情にも似た感情を持ったアッシュは、ミラを護らなければいけないと決めていた。それは昨晩、隣でシーツにくるまったエステルから頼まれたことでもあった。尤もエステルに云われなくとも、アッシュはそうしていたのだろう。


「なら話は早いわね。安心した——」

 そろそろ他の宿泊客がホールへ降りてくると、気がつけばホールは騒つき周囲のテーブルでも朝食をとる客が増えた。だから<黒鋼亭>へ颯爽とやってきた二人のローブ姿の女性に気がつかなかったのだ。純白の外套に黒髪黒瞳。オリーブ色のローブに漆黒の外套、特徴的な茶色の髪と腰に刺した二振りの細身剣。それはアオイドスとジーウであった。

 ジーウは国政に関わる珍しい<外環の狩人>として有名で、その端正な面立ちは王都で知らない者は居ないほどだ。だからなのか颯爽と入ってきたジーウがフードを取り払うと<黒鋼亭>のホールは、俄に騒ついた。ホールの騒つきにはそういった理由もあった。

 声をかけたのはアオイドスだった。

 吟遊詩人はミラの横へ座り、ジーウはその後ろに立った。まるでアオイドスのお付きのようだ。それにホールは更に騒つくと「あの白いのは誰だ」と憶測が飛び交い、アオイドスはそれに苦笑をし話を続けた。

「——それでね。カイデル元帥があなたの実力を観たいって」

 アオイドスはどこか吹っ切れたような様子でアッシュを真正面から見据えた。昨晩の取り乱しようは嘘のようだ。

「僕の実力……ですか?」

「ええ。あなたの実力。本来の力は取り戻していないのは承知なのだけれど」

「どのように?」

「修練場で闘ってもらうわ」

「え? 誰とです……か?」

 アオイドスが肩越しに、かぶりを振るとジーウが「ええ」と会話を引き継いだ。


「えーと、初めましてね。アッシュさん。師匠からあなたの境遇は聞かされているからそこは省くわね。アッシュさんにはー、イカロスさんと模擬戦をしてもらってー、勝ったらアオイドス師匠と模擬戦をしてもらいますー。イカロスさんに負けちゃった場合は——それは無いと思うのだけれど、イカロスさんの騎士団に在籍してもらいますー……」

 これでもかという程におっとりと話したジーウだったが、所々に棘を突き出すように声音を変えている。それにアッシュは気持ち悪さ——取りようによっては悪意を感じ、そこはかとなく居心地の悪さを覚えた。あからさまなその態度にエステルも眉を顰め「はっきり云ってもらえますか?」と口を挟んだ。


「はっきり? ええ、だから闘って実力がなければ騎士団へ。有れば私の師団へ入ってもらう。それだけですよー。明快でしょ? あ。アオイドス師匠に勝てないのは分かっているので、そこは大丈夫ですよー」


 ジーウはそう云うと、意地悪くアッシュとエステルを見降ろした。



 ——イカロス騎士団修練場


 エステルの治癒術であらかた傷を治したアッシュは「行ってくるよ」とジーウの待つ修練場へ足を運んだ。今朝、ジーウが告げた対戦相手はアオイドスのはずであった。そのアオイドスに一瞥を送ると、吟遊詩人は両肩を竦め困り顔をしてみせた。どうやらこの運びはジーウの提案であったのだろう。

 王都へ到着してからというもの、アッシュは心を騒つかせていた。その本心は過去の自分が今の自分を追いかけてくると口にしたが、まさにその通りだった。今日この刻まで自分の知らない自分の素性に端を発したことへ決断を迫られ、戸惑えば周囲を困らせ、アッシュ自身は身に覚えのない困惑に苛まれた。言葉を荒げ逃げ出したいと想いもした。だがエステルを目にするたび想いなおし、ミラと言葉を重ねる度に将来が揺らいで見えるこの娘をなんとかしてやりたい。そう想った。心は決まっている。


 ローブ姿のジーウが修練場の中央でアッシュを待ちかまえた。

 アッシュは魔導師へ一礼をすると「よろしくお願いします」と短く云った。

 イカロスに勝利した時点で身の振り方が決定するのであれば、この対戦には一体なんの意味があるのか? アッシュはその理由すら知らず、この場に立っている。だからアッシュは「この対戦には意味があるのですか?」と憮然とした。


「無ければ、修練でもない戦闘は避けたいわね」

 ジーウの口調は随分と変わっていた。鋭く研ぎ澄まされているようだ。

「それを教えて貰うことは?」

「そうね。理由はまだ教えられない。でも……対戦相手が私に変わったことは謝る。あなたの<謄写の眼>が発動したら恐らく私はあなたに勝てない。だからが相手だと嘘を云ったの」

 その嘘にどういった意味があるのか。そうまでしてアッシュに勝たなければならない理由。もしくは圧倒をする必要性。アッシュは得体の知れない寒気を感じたが、しかし、幾ら考えようが的を得ることはできなかった。だから大きく溜息を吐くと「わかりました」と狩猟短剣を構えた。


「ごめんなさいね。こっちも云うほど余裕がなくて」

「良いですよ。さっさと始めましょう」


 アッシュの言葉は修練場へ静けさを呼び込んだ。

 水を打ったように静まった修練場へ一陣の風が吹いた。それを合図に集中をしたアッシュは空を見上げた。シラク村からここまでは殆ど毎日のように姿を見かけた<逆さ黒鳥>を遠くの空に見たような気がしたのだ。恐らくは偶然だがを目にすると大概に心が緩み自身の深層へ潜むバーナーズを頼ることが多い。先ほど感じた寒気は、さもすればこれが原因なのかも知れない。



 初手で圧倒しなければならない。二巡は無い。今のアッシュは魔導師であり、ジーウも魔導師だ。相性は最悪だと云って良かった。<謄写の眼>がなかったとしても、その相性から腹の探り合いになることも明らかだ。

 ジーウはジリジリと間合いを取ると魔力を練り始め何かの切っ掛けを待つようだった。次第に身体中に熱を感じ始める。血が踊り今にも旋律と共に身体を駆け巡るのではないかと感じた。それは<言の音>の旋律であり、生命の平均律だ。不協和感を制し術の顕現にジーウは備えた。


 それに対峙したアッシュはジーウの中で膨れ上がる今までに感じたことのない魔力の澱みを感じた。そしてその澱みはジーウの力で整えられていくのだ。アッシュはそれに呑まれまいと魔力を練り対抗をするが、その差が埋まることはなかった。次第に吐き気を感じ始める。農園で経験をした<魔力暴走>の際に感じた吐き気と全く同じだった。


 このままでは刃を交える前に圧倒され失神をしてしまいそうだった。

 実際のところ周囲ではジーウの魔力に当てられた騎士達が数名、修練場から退場をする姿を横目にアッシュは見ていた。


 そして最初に動いたのはアッシュであった。

 右脚を軽く叩くと魔術を発動し初動で一気にジーウとの距離を詰めたのだ。牽制の横薙ぎを放ったアッシュであったが、涼しげな顔でヒラリとそれを躱したジーウへ更に詰め寄り鋭い刺突を見舞った。

 そこからは、ことごとくアッシュの一撃を躱し間合いを取るジーウとの体力勝負となった。魔力勝負に出ることを諦めたアッシュは武技幻装を纏わすことも選択肢から捨て去り純粋な接近戦へ持ち込むことにしたのだ。恐らくはアッシュが<言の音>を紡いだとしてもジーウはそれを上書く魔力でこちらの術を無力化するからだ。

 それであればジーウに<言の音>を紡がせず接近戦で圧倒する他なかった。



 アッシュの猛攻へ幾許か面食らったジーウであったが細身剣を抜き放ち、それを軽くいなしながらアッシュとは一定の距離を保つことに専念をした。ジーウの初手はまだ整っていない。

 時折アッシュが見せた奇天烈な身体捌きに翻弄をされ、何回か脇腹と左腕に回し蹴りを貰ってはいたが、あの強烈な狩猟短剣の一撃はまだ貰っていない。それにだけ気を付ければ今は良かった。そして薄らとジーウは口を開き<言の音>を紡ぎ始めた。



 アッシュはそれに気がつくと更に意識を集中する。

 頭の中で何かが弾けるような感覚に襲われると、アッシュの意識とは別の所で忙しなく別の意識が駆け巡る。ジーウが紡ぐ<言の音>が何かを引き当てようとした。しかし、これまでに耳にしたことのない旋律に今度は、それを意識の深淵へ求めた。そして、それはどうやら記憶をなくす前には耳にしたことがあったのか、次第にその全貌が見えてきたような気がした。

 それは己が魔力を武器とし、幾数万もの剣をもって相手を圧倒する武技幻装の秘技の一つであった。剣壁けんへき。その極めて短い名は幾数万もの剣が成す形を形容する。この術が通った後には魔力の剣が立ち並び、その様はまるで剣が創り出した壁のように見えるのだ。


 ——駄目だ。間に合わない。

 アッシュの脳裏には自身の身体へ突き刺された剣がそれこそ剣山を模す姿が描かれた。きっとそれは数秒後にはそうなる。



 ジーウはアッシュの猛攻を掻い潜り今では二振りの細身剣で、それをいなしている。その姿はまるで軽やかに踊りを舞うようにしなやかで、可憐であった。次第に膨れる上がる魔力はジーウの身体から滲み出ると次第に緑に輝く軌跡を追わせた。

 流れるような緑に輝く軌跡。それはアッシュを取り囲み始めた。

 アッシュはそれに気がつくとジーウが描く軌跡の環の外へ外え身体を捌くのだが、いく先々をジーウに制される。猛攻を繰り広げるアッシュではあったが、今やその動きはジーウに制されていると云って良かった。

 緑輝の流転は常に環を描き時折、刀身が散らす火花を乗せると、それを流してゆく。まるでその様は川を流れる白い小花がように儚かった。


 修練場の観衆はそれに息を呑んだ。

 これまでの歴史で、かように美しく儚い闘いがあっただろうか。斬り結ぶ。それは命を削り刹那の火花を散らし必ずどちらかが血反吐を吐くのだ。どう美しく謳おうとも、その現実は変わらない。

 しかし目の前で繰り広げられたそれは、そうではなかった。

 誰の目のにも美しく映り、みな息を呑んだ。


 そして終幕の刻はやってきた。

 ジーウは両掌を打ち付け、手始めに数百本の剣を宙へ浮かべた。緑輝の剣はアッシュへ切っ先を向けながらジーウを追従をする。滑るように修練場を軽やかに動くジーウは、そのうちに右腕を振り下ろし、魔力の剣でアッシュの周囲を固め動きを封殺する。

 アッシュはそれを知ってか身体を旋回させると狩猟短剣へ魔力を流し込み、ジーウの剣を叩き折りながら、その囲いを抜け出す。

 何度かその攻防が繰り返されると遂にアッシュは痺れを切らした。


「何度やっても同じですよ!」

「その割には決定打に欠けるみたいだけれども?」

「皮肉はやめてください!」

「以前のあなたに勝てる気はしなかったけれども、今は全然。それとも手を抜いている? 女に剣を向けるのは〜なんて云っちゃうクチ?」

「だから、それを止めてくれって云ってるんだ!」


 浅はかだった。

 ジーウのあからさまな挑発に苛立ちを覚えたアッシュは、もう一度右脚を叩くと稲妻の如くジーウとの距離を詰める。それには魔術の術式が顕現する推進力へアッシュ自身の脚力を合わせた。稲妻とはその通りでジーウは一瞬だがアッシュの姿を見失ったのだ。

 そう。浅はかだったのはジーウの方であった。

 慌てたジーウは自身の周囲へ剣を撃ち下ろし壁を作り上げる。あわよくばそこへアッシュの身体が現れれば串刺しにできると目論んだ。しかし、そう、浅はかだった。次にアッシュが姿を現したのはジーウの直上。そのアッシュは身の回りへ緑色の剣を数十本を追従させた。


「決定打。これでどうですか!」

 ジーウの直上で左腕を振るったアッシュは、魔力の剣を放った。

 距離は十分に詰めた。ジーウが次の剣の束を出すには、幾分か時間がある。これで詰めだ。アッシュは直線に飛んでゆく剣を追うよう術式で身体を弾くとジーウの目と鼻の先へ着地し、魔力の剣がジーウを捉えるのと同時に腹へ刺突を見舞おうと構えた。



「アッシュ・グラント!」

 あまりにも刹那の間に起きた動きの多さへ身体を硬直させたジーウは声を挙げ、それを解いた。ジーウにとって幾分かの予想外はあった。しかしそれは軌道修正ができる範囲。だからジーウは再び身体を滑らすと不敵に笑い云ったのだ。


「どれが決定打ですって?」

 ジーウは、ヒョイと右手の人差し指を上げた。

 するとどうだろう突き立てられた魔力の剣は瞬時に宙へ浮き上がり、アッシュが放った魔力の剣を撃ち落としたのだ。

 そして次にはアッシュの苦悶の声が上がった。

 それまでに突き立てられた魔力の剣の数々が一斉に宙へ浮き上がると、その全てがアッシュの背中に突き立てられたのだった。

 魔力の殻の割れる音が鳴り響き、この勝負の終幕を告げた。


 そのはずであった。


 幾つかの剣はアッシュを貫き、腹から切っ先が顔を出した。アッシュは目を白黒させ跪き口角から血を垂れ流した。

「なんで! なんで!」

 明らかな過剰な攻撃にエステルは悲鳴をあげアッシュに駆け寄った。

 エステルは叫ぶとアッシュが落とした狩猟短剣を拾い上げ構えるとジーウと対峙をしたのだ。


 そして叫んだ。誰かアッシュを助けてくれと。



 跪いたアッシュは遠くにエステルの絶叫を聞きながら、腹から突き出た何本もの切っ先を目にした。とめどなく流れ出る血を止めようと両手を当てがうが、それは気休めにもならない。だんだんと意識が遠のいてゆく。不思議ともう痛みは感じない。

 視界の端から次第に白みがかかり、世界を白く塗り潰してゆく。

 だんだんとエステルの絶叫が遠のいてゆく。

 まるでそれは洞窟の中に響いた残響のようで音に芯がない。

 不確かな感覚の次にやってきたのは、如何ともし難い不安と恐怖と安堵。

 安堵? 果たしてこのまま身を任せてしまって良いのか。エステルは? ミラは? どうなる。泣き叫ぶミラの声も遠くでエステルの声に混じった。


「どうする。このままだとお前はこの世界に意識を散らすぞ」

 声がした。もう聞き慣れた声だ。大鐘のように重たくしゃがれた声。アッシュの意識に住まう白狼。そう、バーナーズだった。


「傷を……」

「傷を塞ぐだけで良いのか? 今のお前ではあいつには勝てないぞ」

「わかってる……」

「では、儂が蹴散らしてやろう」

「それじゃ駄目なんだ」

「ほう。何故なにゆえ?」

「宵闇の鴉」

「それがどうした」

「そいつが残した残滓に負ける訳にはいかないんだ。ジーウさんは昔の僕には勝てない。そう云った。だから負ける訳にはいかないんだ」

「そうか。ならばシラク村の時のように力を貸与しよう。儂はお前の一部ゆえにな。文句はなかろう」

「ああ。頼むよバーナーズ」

「よし。では早速、あの女を黙らせてやろうではないか。だが、気をつけろ。殺す気だったのであれば、とどめを刺さないのは不自然だ。なにやら裏があるのだろう。この状況ゆえ用事があるのはお前ではなく——まあ良いか。では行くぞ」




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