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焔を宿す器②





「アークレイリ王国軍、ダフロイトの北まで進軍! 先陣を征くのは白竜騎士団——アルベリク元帥の騎士団です」

「ブレイナット公国から通達! ブレイナット公国はアークレイリ王国と不可侵条約を締結との報。大使館も一時的に封鎖されます」

「フォーセット王国からの使者が到着! フォーセット王国、公国と同じくアークレイリとの不可侵条約締結を表明。ダフロイト以北へ進軍を認めた場合フリンフロンへ宣戦布告の準備があるとの報!」


 エステルが王都フロンを発ってから一週間の刻が過ぎた。

 旅路が順調であったとしても、凶報が届けられるには早過ぎる内容であった。その場へ居合わせたカイデル元帥にジーウ師団長、アオイドス、グラハム伯爵が想定をするよりも一週間は早い各国の動向だ。何か歯車が狂った演劇を観劇しているようで、一同はその内容を擦り合わせるのに必死となった。

 そしてそれに被せるよう届けられた最悪の事態はこうだ。

 属州アムルダム首都マニトバに駐屯をしたフリンフロン王国軍中将ヘルナンデスが反旗を翻し国境近くの砦へ立て籠ったというのだ。これに過剰に反応をしたのが、フォーセット王国属州ベルガルキーであった。ベルガルキー王女アガサはこの事態の説明をフリンフロンへ求めた。宣戦布告の準備があるとはフォーセットの言。事態は何者かの手により書き換えられアオイドスがもたらしたリードランの行く末は、どうやら別の支流へ流れていくようであった。

 エステル到着の報は赤髪姫が国境を越えた時点でアドルフの施した術が発動し、その動向を知らせる予定であったが未だにその知らせは届かない。そのアドルフは予定よりも遅いエステルの動向を気にしたアオイドスの計らいで、追跡を開始していた。


「アオイドス殿。それでエステル嬢は……」

 随分と額に皺を寄せたカイデル元帥は軍議室の窓から外を眺めた白の吟遊詩人へ、焦燥感たっぷりに訊ねた。アオイドスは黒髪を撫で付け「ええ」と小さく答えるばかりで、何かに思惑を巡らせるようであった。

 グラハム伯爵はいつでも出兵できるよう鎧を着込んでいたから、焦燥に煽られ部屋の中をうろうろとすると、その度に木の床がギシギシと悲鳴を上げた。齢五十を迎える寸前であるが伯の鍛えられた体躯は若い騎士に遅れをとるようなものではない。それもあってか木の床はいっそう大きな悲鳴をあげるのだ。そして伯は凛と体躯の割には高い声音を漏らした。

「二国の不可侵協定は想定内。だが、フォーセットの宣戦は想定外だなカイデル」

「ああ。それに中将がなぜ旧サタナキア砦を占拠したのか。呪われた廃村……」

「そうだな。もう百年になるのか?」

「記録によればそうだな。クルロスの半壊から百年。未だに魔導災害が癒えぬと聞くが……発端はあの砦であった」

「そこには<宵闇の鴉>も居たのだろ?」

 グラハム伯はその名を口にすると、窓際のアオイドスへ視線を投げた。吟遊詩人は視線に気が付くと「そうですね。なんだったら私も王宮に居ましたよ」と半ば嘲笑するように答えると、グラハムはそれに顔を歪めた。

「尤も私は直接に関わりはなかったですけれどね」と、アオイドスは、それに両肩を竦めて見せる。

「その<宵闇>も敵対はしていないにせよ獣を宿し、記憶は失っている。それにこの事態……偶然……なのか?」

 カイデルは禿げ上がった頭をそう云って撫で回した。

「確証はありませんが、アドルフ君が推測するに——」

「あの野伏か?」とグラハム。

「ええ。優秀な追跡者です。魔女はあの魔導災害から姿を現し始めた<六員環>に纏わる物語を別の形でなぞらえていると推測しています」

「なんのために」カイデルはその突飛もない話に声を荒げた。

「<宵闇>を苦しめるため」

「は?」そして、カイデルとグラハムは声を揃えた。二人は往年の友であり戦友だ。

「魔女はとある目的のために<宵闇>に絶望を与え、選択を迫ろうとしています」

「選択? グラハム、シラクの村長はなんか云ってなかったのか?」

 カイデルは顔をしかめ、グラハム伯へ訊ねたが、伯はかぶりを横に振るだけであった。するとアオイドスが制するように片手を挙げると、顔を青くした。

「不味いわね。エステルが……何者かに拉致された」


 一同は顔を見合わせ絶句した。

 その場に居合わせた次の任務を待った三名の伝令は口をぱくぱくとさせると「はあ」と溜息をもらしたジーウの顔を見た。それにジーウは「箝口令。いいわね?」と釘を刺す。この時点で伝令三名には制約が課せられた。口を破れば頭が吹き飛ぶ。それは軍の戒律にも記された厳格な決まりごとだ。


「カイデル元帥」

 アオイドスは改まってカイデルを見据え言葉を重く名を呼んでみせた。

「ジーウ魔導師師団及びイカロス騎士団へアッシュ・グラント、とミラ・グラントを編成しサタナキア経由でクルロスへ侵攻。私とアドルフは元帥閣下の配下に入り北で白竜騎士団の相手を」

「吟遊詩人が一国の元帥に命を下すか?」

「失礼ながら、世界の命運がかかっています。おそらくエステルは魔女の手に落ちているはず」

「その魔女はどこに居るというのだ」

「北に」

「エステル嬢を餌に開戦を急かすか?」

「恐らくは」

「ではなぜ南にジーウを迎わせる?」

「念の為です。それに旧サタナキアの悪鬼騒ぎも……」

「そうだったな。わかった。王には具申しよう。だが結果は待つな。急げ」

「元帥。宜しいので?」

 意外と気を払ったのはジーウであった。それには、さもすればアッシュと行動を共にすることへの不快感も含まれているのかも知れない。

「ああ。どのみちお前たち狩人の先見性は、大体において的を得る。王も否とは云わんだろうよ」

 カイデルは苦笑し云った。



 エステル拉致の報をもたらしたのは、アドルフ・リンディだ。

 野伏はミラ程の大規模なものではないが、魔力の追跡が行える。フリンティーズまでの道程に佇む宿場町を抜け、クレイトンを脇目に街道を馬で駆け抜けると惨劇の跡を発見したのだ。果たして野伏はエステルが、かつて寄りかかった大木へ刻まれた文字を発見したのだ。


(白竜は猛り狂い災厄の竜を呼び出すでしょう。世界の鍵は紫紺の沼の奥深く。地下大空洞で焔の傍で眠る)

 アドルフはアオイドスへ念話を繋ぎ、それを恐る恐る読み上げた。

 白竜——それは、なんとなく想像はできた。アルベリク元帥のことであろう。しかし、それ以上は想像が及ばずアオイドスへ助けを求めた。


 軍議室で次々と報告の上がってくる内容をカイデルとグラハムは精査をし、助言をジーウに求めている。暫くすると各師団の主だった面々が呼び出され円卓に広げられた地図を睨みつけ作戦会議にへと自然と会話は派生をした。

 その傍。アオイドスはアドルフとの会話を続けた。

 恐らく、この話が先が見えれば方針は確定する。アオイドスは場渡り的な会話の積み重ねよりもそちらを優先した。


(白竜はそうね。その通り。災厄の竜は……額面通りに、そしてこれまでの傾向を考えればアルベリクがヴァノックを召喚することを示唆していそうね。しかしあの。いつまで、そうやって謎かけをするつもりかしら。趣味悪いわよ)

(なんか、やっと遊んでもらえた猫みたいですよね。それで、六翼の竜ですか……アッシュさんが斃したはずですが……)

(ええ。でも世界の焔、その焔で鍛えられた王笏を使えば……)

(生命の根源から甦らせることが可能?)

(ええ。ロアとアッシュだけが立ち入ることを許された<原初の海>の贋作。リードランの根源。贋作の工房から呼び出せる)

(大崩壊のときにアッシュさんが<憤怒>と対峙した……場所のことですか?)

(そう。あれは私達のシェルでは入れない場所。でも、王笏で接続し、元型さえ——設計図となるものさえあれば呼び出せてしまう。その分、代償も支払う必要があるけれども。世界に存在できるものは一対一。余計な座席はないの)

(え? それって……エステルさんを?)

(わからない。でも……焔の傍に世界の鍵……地下大空洞……)

(先生?)

(ごめんなさい。大丈夫。アドルフ君)

(はい)

(地図を見れる?)

(ええ。リードランのですか? ——開きました)

(ありがとう。それでねサタナキアとエドラス村はに対応をしているかわかる?)

(ベルギーのリエージュ……ですね。それが何か?)

(聖ランベルトゥスの遺骸……聖遺物が眠る土地ね……思い出した)

(それが、どうしたのですか?)

(ねえ、アドルフ君。なんでアーカムメトリクスがわざわざニューヨークから日本に本社を移したか解る?)

(いいえ……何か特別な理由があるんです?)

(乃木神社)

(え?)

(乃木神社の地下深くにも……一般には知られていない大空洞があるわ。それはリエージュに造られたバシリカの地下も同じ。そしてそこには、聖遺物が眠っている。そしてリエージュにはアーカムの研究所があるわ)

(それって……)

(ええ。マチュピチュの扉の向こうもそう。でもね確証はない。だから今度またちゃんと説明をするね。きっとエステルはエドラスね。北には来ない……)



「エステルはもうエイヤへ到着したのかな?」

 相変わらず頭髪に無頓着なアッシュ・グラントは眼下に広がる紫紺の沼、かつてのエドラス村を眺め隣に佇むミラへぼんやりと云った。

 アッシュの黒髪はすっかりと肩まで伸び毛先が踊っている。

 冷んやりとした風が柔らかくアッシュとミラを撫でつけると、お揃いの漆黒の外套、お揃いの黒髪を優しく揺らした。背中に描かれた紋様はフリンフロン王国軍ジーウ魔導師師団の紋様だ。それは幾数万の剣の模様に無尽蔵の魔力をあらわす互いの尻尾を噛み合った蛇の模様で構成された。白銀の糸でしつらえられた紋様はそれ自体が魔力を帯び、鉄壁の防御を与え魔力効果を増幅する効果を持った。

「どうだろうね。ジーウは何も云ってなかったし、アオイドスは北に向かったから大丈夫なんじゃないかな?」

 二人はやはりお揃いの黒瞳こくとうを合わせ、アッシュは「そっか。なら、良いんだ」と微笑むとミラの黒髪を撫でた。

「ねえ、アッシュ?」

「ん?」

「あのね。私ね、月詠の湖で拾われたときねアオイドスに、これを渡されたの」

 ミラは小さな硝子玉を取り出して云った。それは緑や青の繊条が相変わらず細かく蠢いたシラク村でも目にしたものだった。

「うん」

 アッシュはそれに目を細め小さく云った。

「アオイドスが云ってた。この硝子玉はね本当は鉱石なんだって。不思議な力を持った石をうすーく加工をしたんだって。それでね、これには三人の想い出が詰め込まれているんだけど、アオイドスはズルして先に自分の分だけ取り出しちゃったんだって。ちょっと指を当ててみて」

 アッシュは怪訝な顔をするが、苦笑し人差し指をかるくあてがった。すると、どうだろう。緑や青の繊条がアッシュの指を目掛け蠢くと小さくパチッと音をたてたのだ。それにアッシュは「痛ッ」と小さく漏らした。本当に痛さを感じたわけではなく、何方かと言えば驚いたのだ。再びミラと視線を合わせるとアッシュは肩を竦め「僕に反応したってこと?」と、答えを得たいという風でもなくアッシュは指を離した。

「——以前の僕の記憶もここにあるのかな?」

「うん。私もそれを訊いたの。でも、そうじゃないけれど、そうだって」

「んー。どういうことなんだろうね」

 アッシュはそれに小さく笑った。

「ね」と、ミラも小さく笑った。


 また小さな風が二人を優しく撫でながら過ぎ去った。



 王都フロンでの軍議は三日三晩に渡り行われ決定した方針はこうだった。

 ジーウ魔導師師団を中心とした旧サタナキア鎮圧軍は速やかにヘルナンデス中将軍を討伐。そのまま取って返し北の戦線へ合流。カイデル元帥指揮の北方防衛軍は、それまでアークレイリ軍を牽制し、エステルが存命であれば大義もないであろうと無血決戦へ持ち込む——。

「って。それなら私達が取って返す必要はないわよねー」

 ジーウは少し先に佇むアッシュとミラの姿をぼんやり眺め独り言を口にした。

「導師ジーウ?」

 馬を並べたイカロスが、どこか気遣うように声をかけた。

「イカロスさん心配してくれるのー? 泣いてしまったら抱きしめてくれるー?」

 ジーウは大袈裟に目を見開いてイカロスに悪戯な笑みを浮かべた。イカロスはそれに多少ながらも顔を赤らめ「そうなってみなきゃ解りませんよ」と、小さく風の音へ声を紛れ込ませた。

「ええ?」

 ジーウは大きくたなびくブロンドを押さえつけ訊きかえすのだが、イカロスは早々に馬を回頭させると「そんな泣くようなことでも起きるんですか?」と、ぶっきらぼうに言葉を残した。

「ええー。もしかしたら、あるかもよー?」

 ジーウはアッシュとミラへ声をかけにゆっくりと馬を進めた。

「そうなったら、いいですよ。ネイティブの私でよければですけど」

 背中へそこはかとなくジーウの視線を感じながらイカロスは騎士団が展開をした簡易式の天蓋へ向かった。

「イカロスさん、やっさしーい!」

 声音は戯けたようだった。

 しかしジーウの端正な顔はどことなく寂しそうであった。イカロスの好意が心地よくもあったが、でもそれはジーウにとって少なからず重荷であることも確かなのだ。狩人とネイティブ。その垣根もそうであるが、もっと根っこの方でわだかまる、もやもやした想いがそうさせた。

 しかし今は、そんなことを考えている暇はない。ジーウが慕う白の吟遊詩人は煮湯を呑む思いで同じ刻を苛烈になると想像される地で過ごしているのだから。



「お二人さんー。そろそろ良いかしら?」

 ジーウは馬を降りるとアッシュとミラへ声をかけた。

 アッシュはそれに「ジーウさん」と返すとミラが手にした硝子玉をしまわせ、咄嗟にミラの前へ一歩踏み出した。いつの頃からだろうか。アッシュはミラを無意識にそうやって護るような素振りをみせるようになった。ミラはと云えばそれに恥ずかしさを覚えるのか「子供じゃないんだから」と、両頬を膨らませたものだ。しかし、どうだろう今は緊迫した空気だからなのか素直にアッシュの背後に身を隠し、外套をつまんだ。

 ジーウはそれに気がつくと「大丈夫よー。私も師匠からそれのことは聞いているのよ」と、鈴の音を鳴らすように小さく笑ったのだが、そこはかとなく寂しさを感じさせた。

「ねー。アッシュさん。ミラから聞いているかも知れないけれど、何があってもそれを割ったりしないようにね。その中身はこの世界にあってはいけないものが詰まっているって師匠が云っていたわ」

「僕とミラの想い出が——この世界にあってはいけないものだって云うのですか?」

「そんな怖い顔しないでよー。私だって難しいことはわからないんだからー」

 いつの間にかに眉間に皺を寄せたアッシュは無意識だった。だからジーウに云われ驚くと取り繕うのだが、どうやっても厳しい顔は収まらなかった。それはアッシュがエステルに吐露をした自分の過去の姿がジーウを通して透けてみえるようだったからだ。

「すみません。そんなつもりは……」

「いいのよ、いいのよ気にしないで。さ、そろそろ鬼退治に行きますよー。早くエステルさんに会いたいもんねー」

 ジーウはそう云うと片目を軽く瞑ってみせた。

 いつもならば、そんな揶揄いの言葉へ過剰に反応をするアッシュだったが、ジーウの瞳の奥へなにか違和感を覚えたアッシュは無言で背を向けたジーウへ視線を投げるだけであった。

 そして後ろに佇んだミラの黒髪を優しく撫でたアッシュは、廃村の向こうに黒々と佇むサタナキア砦に目をやった。胸の奥が重たく感じられた。その重たさが何かはわからないが、ただただ焦燥感だけがアッシュの胸中を駆け巡るのだ。息を大きく吸い込もうが、かぶりを振り気分を変えようと思っても、それが姿を消すことはなかった。


「アラン……みんな」

 無意識に言葉を溢したアッシュは、目を丸くし「あれ……」と首をかしげた。

「誰それ?」ミラはケタケタと笑い、アッシュの尻を両手で押すと「早くいこう!」アッシュを急かした。






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