確かに違和感はあった。
リードランの「魔導」の在り方についてだ。森羅万象から揺らぎを見出し顕現をする——万物に神を魔を見出すアニミズム。最も原始的な宗教の形態。乃木無人がリードランを創造したと云うのであれば、これを持ち込んだ可能性は十分にある。だが、疑問もある。なぜわざわざ、そのような原始的なシステムを選択したのかだ。宗教家でもない乃木がわざわざそれを選ぶ理由は? ともすれば乃木無人が選択したのではなく、何かの理屈で
その理由がいずれにせよ、それは
だが——そうか、そう云うことなのだ。外典教会の大柄の男が口にした通り、奴らにとっての聖書に、その外典と云うものは「ヒト」ないしは「聖遺物」もしくはそれを包んだ「概念」。で、あれば回帰派の魔導の在り方とは、それに近しいのだろう。
それであるならば、リードランへ関与するのは、乃木無人とクロフォード・アーカム以外にも存在しそうだ。その魔導体系を持ち込んだ人物。ないしは団体だ。外典教会はリードランの存在を知らなかったようだから除外ができる。
しかし、そうだとしても、では何が目的で持ち込んだのか。その疑問が残る。
——log#2341133 Track#935 Yuito Moriyama voice memo.
最初に動いたのは大柄の男だった。
仄かな緑の軌跡を一文字に描いた男の
森山は左の手刀を外に向けて払い出しながら一歩を踏み込む。すると手刀は、するりと男の腕と胸の間に刺さり込み短剣を持った腕を外に開かせるのだが、男は冷ややかに笑いを浮かべると左掌底で森山の手刀を叩き落とす。そして、男はまま掌底をくるりと回す勢いで、左に傾いた森山の顔面を目がけ右の膝蹴りを見舞う。
鋭く叩き込まれた男の右膝に森山は目を丸くしたが、ヒュッと息を吐き出すと構えた右拳を開き男の膝蹴りを受け流す。そして視線外から放たれた——右側面から森山の上半身を狙った回し蹴りを左でいなすと、森山は後方に飛び退きながら身体を一回転すると後方に待ち受けた女に蹴りの牽制を放った。
ここに至るまで数秒の立ち回りであったが、森山は三人を相手どり全ての攻撃を捌き切るとドッと体力を削られたのだ。それもそうだ。その合間、息を全て吐き出し吸うことは許されない。吸ってしまえば途端に拍を失い相手の筋を見失ってしまう。息を吐き出すまでの間、全ての筋肉、全ての神経、全ての感覚を研ぎ澄ますのだから、体力を持っていかれるのは仕方がない。
それにしても、三人の一撃一撃が思ったよりも重く骨に響く。森山の鍛え抜かれた四肢でそう感じるのだから、鍛錬を積んでいない者が受ければ、恐らくその一撃で脳震盪を起こすのだろう。教会の僧侶が放てる一撃ではないことは確かだ。
そして、付きまとう「酔い」のような感覚。森山の中で練り上げた気力——集中力がなければ、これも一瞬で人の意識を持っていくことだろう。恐らく三人は、先ほど口にした<言葉の音色>を施しているのだ。
なるほど——<言の音>か。森山は心で呟く。
自己暗示に近い代物なのか。しかし森山は確実にその影響を受けていると云ってよかったから得体の知れない「力」の作用ではないかと頭の片隅で考えてしまう。
森山は三方を綺麗に取り囲まれるも、慌てる様子はなく体勢を整えた。身体はこれまで通りに大柄の男を捉え、意識は三方へ向けた。
視界の端へ女二人を捉え意識を拡大する。静かに波紋を広げる森山の意識は、波が立てる形で女二人の動きを知らせる。それで十分だった。恐らくは、鍛えられた脚から繰り出される打撃こそが二人の主力であり、拳は補助だろう。であれば、隙をみてどちらか一方の膝を折ってしまえば、隙を作れるだろう。大柄の男は動きそのものは鋭いが体捌きは、こちらの方が上だ。森山はそう見立てている。
外の雨音が少しばかり弱まった気がした。
道路を打ちつけた雨足が弱まると、高速道路を規則正しく走り抜けてゆくスマートカーが鳴らした、やはりリズミカルな、ガタゴトンという音が鼓膜を揺らした。
何台目の車が頭上を走り抜けた頃だろう。恐らく大型車両が鳴らした音が、大きく鳴ったのを合図に再び四人は、稲妻が這い回るように動き始めた。
大柄の男は終始、森山の上半身を狙い斬撃を放つ。それをいなし腹に胸に拳を叩き込む森山であったが、どれも決定打とはならななかった。それは、執拗に足元を崩そうと仕掛けてくる女の攻撃に翻弄され、なかなかに拳へ力を集中できなかったからだ。
下手に飛び上がってしまっては、コンマ数秒の空白に斬撃を縫こまれ森山は致命傷を負うことになってしまうだろう。
「チッ! 実力を見誤ったな」
森山は最初に想い描いた型の流れでは、悠に三人を仕留められると想像をしていたことを少しばかり恥ずかしく思った。
俺もまだまだだな——森山は三人の猛攻を掻い潜りながら、心中笑って見せると数秒後の自分の姿を観た気がした。
「くそ!」森山が観たのは数秒後、血溜まりの中に転げる自分の姿だった。森山はそれにかぶりを大きく振ると動きを止め左右から撃ち込まれた強烈な回し蹴りを、一つは避け、一つは自身が放った回し蹴りで相殺をした。
大柄の男はその隙を見逃さなかった。
再び何かを呟くと、いっそうに奇妙な短剣が緑の輝きを増した。
そして素早く森山に向かって振り抜いた。
だが、それは少しばかり森山から離れた場所からだった。
「まさか!」
森山は絶叫した。
森山流
そして大柄の男は、それにも似た斬撃を放ったのだ。
完全に相手の実力を見誤った。いや、こんなにも頓痴気な話はない。緑の霞を纏わせた時点で想定しておくべきだったのだ。それは慢心。そう云っても良いだろう。
放たれた斬撃は、一瞬のうちに緑の尾を引き森山を襲った。
森山はそれに瞬時に反応をしたものの、まともにそれを叩き落とせる自信はなく、思わず左腕で受けてしまう。それを避ける余白はどこにもなかった。
声にもならない呻き声をあげた森山の左腕には太い赤い筋が引かれ、白々とした神経とも皮とも見えるものが剥き出しとなった。
不思議と痛みはない。
しかし、見る見るうちに白々とした傷口から赤黒い血が、どぷりと溢れ出てると大量に流れ出したのだ。恐らく動脈も切断され、腕の筋を斬られている。左腕の感覚は、もうない。ただひたすらに冷たく熱い痛みが腕から伝わり吐き気を呼んだ。
苦悶に歪んだ顔の森山は、左腕を垂らし背後を取られぬよう橋桁を背に立った。流れ出る血の量が想像以上だった。これではすぐに意識を持っていかれるだろう。
「捜査官。もう一度訊ねる——乃木無人の居場所を吐け」
大柄の男は、器用に短剣を逆手から順手に握り直すと、切っ先を森山へ向けて云った。二人の女は相変わらず、森山の両翼を固め構えを取っている。これでは、にっちもさっちも行かない。決断をしなければならない。貧血に襲われるのは、もう間も無くだ。
「——だから云っただろ。沖ノ鳥島だって……」
森山は笑って見せた。
「そうか。職務に殉ずるか。今時珍しいな」
「いいや、俺は俺の信念の為にこうしているんだぜ」
「信念?」
「おうよ。俺は戦士だからな。俺がここで心折れてお前らの前で斃れるわけにはいけないんだよ。ちっちゃな戦士にも云ったんだ。本当の強さは心に宿るってな。だからな、俺はお前らみたいなのに殺られるわけには——」
その時だった。
すっかり雨の音は聞こえなくなり、替わりにけたたましい高音が鋭く鳴り響いたのだ。続いてガシャン! と大きな金属音が響くとその合間を縫って「先輩!」と森山にとっては聞き慣れた女の声が聞こえたのだ。
「陽菜ちゃん、おっそいよ!」
森山は苦笑まじりに声を張り上げた。
それに不意を突かれたのは大柄の男と女達で、一斉に背後を振り向いたのだ。森山をその機を逃さず、素早く動くと女の一人の側面へ立ち回り、生きた右拳で脇腹を叩き上げた。これに、堪らず「あグゥ!」と声を挙げた女は宙に浮かされ、次には森山の渾身の裏当てを喰らうと駐車場に転がった。
「何やってるんですか先輩!」
勢いよく、どこぞから拝借をしてきた自転車でこの場へ登場をした高木陽菜はことさら大袈裟に降りると、森山が吹き飛ばした女の脇を素早く駆け抜けて森山の傍へ立ったのだ。短い黒髪は、ずぶ濡れで蒸し暑さに堪らずスーツを脱いでいたものだから、パンツルックに合わせたシャツもずぶ濡れで下着が透けてしまっている。
くりくりとした双眸は今では細められ、黒瞳は冷ややかに、呆れたように、森山を横目に見た。
「何って。見ての通りだよ——それよりさ、陽菜ちゃん。俺の刀は?」
「——申請、通ってなかったから持ち出せませんでしたよ」
「ありゃ。そっかさっきの雨か……」
「なんなんですか、あの雨。六本木通りに入ったら突然降ってましたよ」
「ああ、そこのクソ坊主の仕業ぽい」
「え? 先輩、頭打って——もっと馬鹿になっちゃいました?」
「ひっどいなぁ——本当だよ。みなよあれ。どっかで見たことない?」
森山は顎で大柄の男を指した。
「緑に……うっそ。あれってリードランの? やっぱ先輩、頭打ってます?」
「打ってないって……」
突如として姿を現した高木陽菜に、大柄の男は目を細めた。
恐らくあの女は森山と同類だ。それであれば、十中八九勝ち目はない。手負の森山であったが、雨が降り止むのと同時にスマートデバイスを経由し、傷の応急処置を始めているようだった。左腕は止血されつつあるように見える。森山と、その女が相手となると、付け焼き刃の格闘術である自分達では、分が悪い。
「おい。クソ坊主。そこに転がっている女はしばらく動けないぞ。悪いことは云わない、ここは一旦引かないか?」
大柄の男はそれに、転がった女へ一瞥をくれると「そのようだな」と短く答えた。そして、構えを解いていない女——短く髪を切り揃えた女へ目配せをすると、女は転がった女を抱え上げた。
「懸命な判断だ」
森山はやはり貧血を起こしているのか、フラリとすると陽菜の肩を借り大柄の男へ不敵な笑みを浮かべた。陽菜はそれに「何を格好つかないことしてるんですか」と呆れた顔をすると、今度はしっかりと森山を肩で抱え支えてやった。
大柄の男は奇妙な短剣を外套の裏へしまいこむと「乃木無人の居場所はそのうちに突き止める。せいぜい守り切ることだ」と吐き捨て、素早く駐車場を後にしたのだった。
※
「それで陽菜ちゃん。よくここがわかったね」
森山は痛みに歪んだ顔を向け高木陽菜へ訊ねた。実際、陽菜が駆けつけなければ森山は大柄の男の云う通りに殺されていただろう。次に高木陽菜に会うのは葬儀場って寸法だ。
「西さんの家まで行って、先輩の足取りを訊ねたんです。ビーコン効いてないから。そしたら西さん、黙ってくれていれば軍事衛星から探してくれるって……よくわからないんですけどスマートデバイスもバグっていてフラクタルとも切断されていたから、まいっかってお願いしたんですよね」
「ありゃま。ダメだよ陽菜ちゃん規則破ったら——それに西さん、そんなことまでやっちゃうの? ダメだよねえ」
「先輩がそれ云います?」
「そりゃあ、先輩だからね。云うさ——」
すると森山は突然、脱力をしたのかその場に座り込むと橋桁に身体を預けた。
「ごめん、血が足りないみたい。肉喰いたい……」
「はいはい。それで? なんだったんです、あの黒装束」
「西方教会の福音派だよ」
「あれが?」
「ああ、でもその中でも乃木無人を狙っているのは「
「外典……ですか?」
「ああ——なんだか、乃木が生きていると世界の終末がやってくるって」
「ん? なんかのアニメの話してます?」
「だろ? そう思うだろ? でも真顔だったぜ、あのクソ坊主」
「そうですか……アッシュ・グラント」
「お、乃木のシェル名——会えたんだよね?」
「ええ。失踪した二人の消息を辿っていたら偶然にも——たまたま助けてもらったというか、助けたというか」
「そっか。それで収穫は——」
「はい。シェル名、ブリタ・ラベリの存在です。アッシュ・グラントが最後に、そのシェルのことを「メリッサ」と呼んでました。それと、一連の失踪事件を引き起こしている、そのブリタが操っている、誰かのPODSを基にしたシェル——ほら、七つの獣? のようなんですよね」
「なるほどね……メリッサ。メリッサ・アーカム。クロフォードの娘か。なんか紐付いたようで、付いてない感じだな。ところでPODSが誰のかは?」
「それがわかりません。クロフォードのところのエンジニアのものなのか……」
「まてよ? 西さんちに行ったんだよね? 痛ッ! ちょっと優しくしてよ陽菜ちゃん」
高木は座り込んでしまった森山の左腕を取ると、粗方応急処置がされた傷口を確かめたのだ。これだったら大丈夫。と小さく漏らすと「治療用のチェンバーズを呼びますね」と云った。
「ええ、行きましたよ」
「そこに女の人いたでしょ?」
「ええ、はい。リーンさんですよね?」
「そう。それそれ。あの人、それだよ」
「はい?」
「七つの獣。リードランの吸血鬼の始祖」
「先輩、大丈夫です? やっぱり頭打ってます? なんでこっちにいるんですか?」
「あれ、チェンバーズでね。そこへインストールしているって」
「うへ。それ本当ですか?」
「ああ、マジマジ——彼女もどうやら関わりありって感じだったな。別れ際に、ちょっと微妙な表情していた」
「なるほど——あ、そうそう。それとは別ですけれど、何やら訳知りのシェルとも出会いましてね。シェル名——アドルフ・リンディ。本名、白石颯太。筑波にある某大学の大学生です。彼もどうやらメリッサのことを知っていて——わからないのですが、この一件に絡んでいるようなんですよね。今もまだリードランへシンクロしていて——」
「それさ、某の意味なくない? 別に良いけど」
森山は「いててて」と口にしながら笑って見せた。
「そうです? それでその子どうしますか? 確保しますか?」
「ああ。あのクソ坊主、乃木無人の居場場所、他に当てがあるような口振りだったしな。そうだね、陽菜ちゃん行ってくれる?」
「良いですけれど。茨城県ですよ? これって出張手当出るんです?」
「陽菜ちゃん……。そこは、わかりました! って元気よく出て、先輩の心象を良くするところじゃないの? 俺は蒲田に行くよ」
「私、蒲田でも良いですよ?」
「わかったよ——出張手当でないから、俺が今度うまいもの奢るからさ、茨城頼むよ」
「おお……そういうことなら、良いですよ」
そろそろ落ち着いた森山は先に立ち上がった高木陽菜の手をかり、立つとフと高木の胸元に視線を落とした。
「陽菜ちゃん、今日の下着は黒なんだね。めっちゃ透けてる」
森山は真顔でそれを口にすると、次の瞬間「ぎゃあああ!」と叫び声を挙げた。
高木が拳で森山の左腕を強く叩いたからだ。
「このセクハラ捜査官!」
森山は左腕を押さえながらフラフラと。高木は森山を置いていくように駐車場を後にした。