アドルフ・リンディはダフロイト南、フリンティーズの小さな酒場でアオイドスと合流を果たした。しかし、その矢先にアオイドスは血相を変え「すぐに戻るわ」と姿を消してしまったのだが、翌日には疲労を溜め込んだ顔で戻るとアドルフへこう伝えた。「ショーン・モロウとライラ・リンパルがこちらに合流するわ——そっちへライラがあなたを保護しに行くから、指示に従って」
こっちにそっち。
あまりにも突飛な話でアドルフは頭を混乱させた。
ライラがこちらに来て自分を保護する? 今、ライラは合流をすると云ったばかりではないか。と、アドルフは砕けた表情をしたのだが、どこかぎこちなく苦笑を漏らした。
「ごめんなさいアドルフ君。詳しくは……」
白の吟遊詩人はアドルフのぎこちない表情に、ああやはりと理解を示し謝罪の言葉を口にした。しかし、それにアドルフは表情をハッとさせると「詳しくは、また後でですか? またそうやって先送りに? 一体何があったんですか?」強くアオイドスに詰め寄ったのだ。
「ショーンがもう一度来たの」
「そちらにですか?」
「ええ。もう何がなんだか分からない」白の吟遊詩人は一度言葉を落とし「西方教会が、どうしたっていうの?」と、最後には声を小さく吐き出した。「ただの教会じゃないの?」
二人は昼食前の宿屋の隅で顔を付け合わせ話をしていた。
アドルフは憔悴したアオイドスへ「果実水です」と杯を勧めた。吟遊詩人はそれに「ありがとう」と短く答え、つっかえたものを喉に流し込むよう果実水を一気に呑み干した。
外環——現実世界でも酷く喉を枯らせたのだろう。恐らくショーン・モロウ——
暫くすると、こじんまりとした宿屋には、昼間っからエール酒をかっ喰らいにやってくる者、それを脇目にさっさと昼飯を掻き込みにくる商売人と云った人々で席が埋り始めた。アドルフはその様子をぐるりと見回すと、<シェブロンズ・ダイナー>のことを想い出していた。
「ショーンさんは、まだそちらに?」
アドルフは少し機嫌悪そうにアオイドスに訊ねた。
「ええ。今、シンクロする準備をしてる。ログを残しては駄目だって」
「そう云うことは、ちゃんと答えてくれるんですね」
「何を怒っているの?」
「怒っていませんよ。ショーンさんとは同じ部屋にいるのですか?」
「え? ああ——そう云うこと? 居ないわよ。安心して。ちゃんと監視役もいるから大丈夫よ」
「そうですか……なら良いです」
全てを語らない自分へ苛立ちを露わにしているのかと思えば、アドルフは
「なんですか……」アドルフは、少しばかり頬を赤らめながら、吟遊詩人が向けた悪戯な笑みに怪訝な表情をしてみせた。そして、片手をひらひらさせると「もう良いですよ、わかりました」と、アオイドスが久しぶりに見せた笑顔から目を逸らしたのだった——そうか、ここは<シェブロンズ>ではなく<妖精の宿場亭>に似ているな……。
アドルフは頬を軽く掻いて苦笑した。
「ありがとう、アドルフ」
「え? 今なんて?」
「あら? まだアドルフ君って呼んだ方が良いのかしら? 私の可愛い教え子のまま?」
「え、ああ……そ、それは」
「いざって時に、いつもそうやって誤魔化すわよね」
アオイドスは微笑んでいた。
アドルフはそれに声を詰まらせ「あ……もう」と苦しげに云うと「今度会った時は、名前を呼び捨ててください、僕もそうします! どっちで? って意地悪な質問なしですよ!」と、随分と大きな半ば裏返ったような声で答えていた。
アオイドスはそれに満足そうな声で「ええ。わかった、そうするわ」といっそう笑って見せたのだ。
アドルフは更に顔を赤面させると、頭の癖っ毛を乱暴に掻き乱し「それで? 僕はどこに向かって、誰の手伝いをすれば良いのですか? まあ、聞くまでもないと思いますが……」と、吟遊詩人の黒瞳に視線を合わせ続けて口を開いた。
「サタナキアでアッシュと合流」
二人は一字一句違わず、その言葉を紡いだ。
※
フリンティーズを出たアドルフがサタナキア近辺へ到着したのは、アッシュとミラが先行し砦に向かって直ぐのことだった。アドルフはイカロスと再会をすると一部始終の話を聞き、急いでジーウの天蓋へ向かったが、剣壁の姿は思った通りそこにはなかった。
「導師ジーウはいらっしゃいませんでしたか?」
イカロスは天蓋を覗くアドルフの背後から呆れた様子で声をかけてきた。覗いては駄目だと云われそれを忠実に守ったこの騎士は、ジーウのこの手の奔放さには馴れているようで、アドルフの「ええ。どこに行ったかわかりますか?」との質問へ「魔力の痕跡でも追いかけさせますか?」と苦笑し肩を窄ませたのだ。
「お互い大変な人を好きになってしまいましたね」
アドルフは苦笑してそう云った。
「え? あ、いや今なんと? 自分はそんな……畏れ多いことは何も……」
アドルフは、たじろぐイカロスに目をやると、フリンティーズでは自分もこんな調子だったのだろうか? と思い返し声をあげ笑っていた。
「野伏アドルフ。勘弁してください……」
イカロスは更にたじろぎの色を濃くして云った。
「ごめんなさい、変なこと云っちゃいましたね——」と、浮かんだ笑い涙を甲で拭うと顔を引き締めてアドルフは続けた。
「イカロスさん、僕は先に砦に向かいます。定かではありませんが、ジーウさんはアッシュさんに何か起きる寸前まで帰ってこないのだと思います。ですので——ここからは、イカロスさんの判断にお任せするのですが、砦に火の手が昇るようであれば、出陣してください。手をこまねいていると色々と不味いことになってしまうと思います」
アドルフはその言葉を残し颯爽と陣を出発したのだった。
イカロスはアドルフの真剣な眼差しに押され「わかりました。導師ジーウが戻らぬ前にことが起きるのであれば、騎士団だけでも先行します」と約束を交わしたのだった。
※
「あー。あんなこと云っちゃったけど、大丈夫だったかな……。後でジーウさんに謝っておかないとかな……」
アドルフは馬を駆り砦への一本道を、ぐんぐんと走り抜けた。
野伏も吟遊詩人と同じく、任務によってはあちこちへと走り回る根無し草だ。故に旅団幻装はおてのもので、アドルフの駆る軍馬は疲れ知らずだ。
野伏はだから安心して馬に身体を預け考えごとをしていた。
最初はイカロスへの頼みごとがジーウを怒らせないかという懸念からはじまり、次には白の吟遊詩人に想いを馳せた。
これまでの話しの欠片を組み木を合わせるように組み上げれば、アオイドスとミラはこの世界とそっくりな別の世界の存在であることは容易に理解できる。そして、二人がこの世界に居るのは事故だった。戻ることの叶わない一方通行。冷静に考えれば理屈はどうであれ、心情的にはとんでもないことだ。
「……どんな気分なんだろう。自分の知らない世界。知らない国とかって話じゃない——云ったら宇宙ごと違うって話だものな……なのに、なんで仮想世界の中なんだって話だよ……大事な人が居るの。それに……そっか、マルチバースか。仮想世界も同じことだっていうのか? まさかね……」
アドルフは口にした最後の言葉に身体を震わせた。想像を絶する孤独は、それを抱えた者の存在を「無」にするはずだ。孤独すら感じない虚無。それをあの吟遊詩人とミラが抱えているのだと思うと涙が出てきそうになる。
それにしても、何故そのような話が現実的に起きているのか? 本当ならば混じり合うことのない世界。それを渡ってこれてしまうのが、あのミラの力だけではないことは仮説がたてられている。「ウェッジ鉱石……ありゃいったんなんなんだ。こんなの世界不思議発見じゃないんだからさ……」
アドルフは現実世界で最近よく視聴をするレトロアーカイブのクイズ番組を引き合いに毒づき、あわや双眸から溢れかけた何かを乱暴に拭い去った。
その時だった。
北の空が紅く輝いたように感じ、再び目を凝らしたのだ。
そして、確かにサタナキアが紅く輝いているのを確かめたのだ。
「やっべ!」アドルフは叫ぶと馬の腹を軽く蹴り速度を上げた。
※
「もう一度云うぞ
業火の主人は言葉と言葉の合間に奇妙な唄を挟みそう云うと、シルダリエルに喰らいついた
いつの間にかに、砦の中庭のあちこちで火の手が上がっていた。そして、揺れた焔はアラグルの黄金の瞳にゆらゆらと揺れた。
それはシルダリエルの記憶だった。
人狼は白刃の切っ先を向けたアラグルを睨みつけ、その記憶を辿った。
どの片鱗を拾い集めたとしても、シルダリエルが抱いた忠誠や愛情には一片の曇りもなく澄んでいた。まるでそれは、湖畔の凪のように静かだが、心を振るわせれば美しい波紋を描き、遂にその波紋は別の力強い波紋に出会うと、そこへ還るかのように弧を混じり合わせるのだ。
ある片鱗は、二人の姉の前へ跪き業火の名を与えられたアラグルの姿を写した。シルダリエルがそれに神々しさを覚え主人に忠誠うと、想いの片鱗は水面に波紋を描き新たな片鱗を生み出した。そこには紅く色付いた紅葉樹の森を二人——アラグルとシルダリエルが歩く姿を写し出した。シルダリエルはアラグルの顔を覗き込むと「ふふ」と微笑んで「我が君。この森は、あなたさまの心の中のように暖かいですね」と主人の手を取り、落ち葉を蹴り上げ踊ったのだ。そうして、また次の片鱗が顔を浮かた。
それは血を啜る分だけ写し出すものを違え、現れ続けた。
そのどれもが、とても美しかった。
そうだ——かつて自分も同じ想いを持っていたはずだ。
人狼はそれに気が付くと、シルダリエルの想いが激しく自分の胸を焼くのを感じた。人狼は血を啜るのをやめ、暫くその様子を伺った。すると次第にそれは黒く塗られ極限に達すると、パッと弾け、白い
「我が主人は愛なんてものには興味がない故、さあ、その想いは火に焚べてしまえ。そして呪うのだ。儂が残した忌みの焔。それを愛してしまった己が身をな——そうだ。その想いが甘美であればあるほど。それが多福であったのならばその刻の分だけ、お前の傲慢さは魂を歪め、始まりの種の呪いを体現するのだ——おお、そうだお前は良き器だ——」
言葉はカサカサと人狼の想いの中で薄れていくと、最後に甲高い金属音が響きその残響に消えてなくなった。
そうすると、僅かばかりか人間性を残していた人狼の瞳はとうとう、ぐるんと眼窩でひっくりかえり、一回転すると黒く塗り潰された硝子玉のような瞳を露わにした。
忌々しい牙は細首からゆっくりと抜かれていった。
布切れのように、するりと人狼の腕から抜け落ちたシルダリエルは、身体を振るわせ寝転がると、白目を剥き口からは鮮血を流したのだった。
それはちょうど、アラグルが奇妙な唄を終えるのと同時で、身体が紅の輝きに包まれるのも同時であった。
もうアラグルは声を挙げなかった。
静かに紅い流水のように身を捌き白刃を踊らせると、容赦のない猛攻に出たのだった。それは静かな怒りであり、怒るからこその静けさ。怒りに呑み込まれれば魔に刺されるのは自身の心であることをアラグルはよく知っていた。
それでも刃はアラグルの怒りをのせ、目にも留まらぬ速さで撃ちぬかれる。右からの一閃を放ったかと思えば、軌跡の残像が現れるほどの神速で斬り上げられられ、次は袈裟斬り、その次は左からの一閃に変わる。
その全ての軌跡は切っ先に迸る人狼の血が線を描き、宙に姿を露わにする。
人狼は静かな怒りが体現した斬撃の嵐をどうにか躱し、後退をするのだが次第にアラグルの切っ先が人狼の四肢を細かく斬り裂いているのに気がついた。
だめだ——頸を刎ねられるのは時間の問題だ。
もはや人の言葉を失った人狼であったが、それは去来した想いの言葉であった。だから人狼は、目の前で左腕を腰裏に回し右腕だけで神速の剣戟を——もっともそれは一方的な斬撃に見えるそれを放つアラグルへ抵抗を試みるのだが、動き出す一拍すらも捉えられ業火の主の強烈な蹴りでそれを阻まれる。
常に左脚を前に位置取ったアラグルは、次に人狼が剣戟の線をすり抜けようとすれば、やはり強烈な蹴りを見舞い、切っ先で人狼を追い回した。
そして人狼を逃さない刃の嵐は群がり始めた塚人ですら巻き込み斬り伏せ、霧散させたのだ。
神代の光景。それはそう呼ぶに相応しかった。
美しささえ感じる剣戟を目の当たりにしたエルフ達はそれに心を奮わせ、やはりとうとう最後の塚人を宙に還したのだった。「お前は塚人の主ではなかったようだな——ならばこのまま逝くがいい。今となってはお前の不運に同情をして情けをかける気も更々ない。悪く思うなよ名も知らぬ人間の女よ」
※
アドルフ・リンディがサタナキア砦の正門をくぐったのは、亡霊の軍馬を駆った塚人を数体、屠った後だった。
この騒ぎの中心に居るのはアッシュ・グラントとミラだとばかり思っていたのだが、アドルフが目にしたのは二人の姿ではなく黄金の髪を揺らし人狼の頸を刎ねたエルフの姿だった。それに目を丸くしたアドルフは駆け込んだ中庭を、更にぐるりと見回すと驚くことに多くのエルフの戦士の姿を目にしたのだ。あるものは腕を無くし、あるものは肩を斬られたりと皆が皆、五体満足という訳ではなかったが、見る限り塚人という脅威を払い除け勝利をしたようだったのだ。
とあるエルフの戦士は、アドルフに気が付き剣を構えるが「待ってくれ」と黒鋼の短剣を握りしめ青い粒子へ変えた野伏を見ると「狩人か……」と云ったのだった。
「ここにアッシュ・グラントはいませんか?」
アドルフは興奮し切った軍馬を回頭させながら落ち着かせると、口早にアッシュの所在を確認した。この事態にアッシュが関わっていないと云う方が考えにくいからだ。すると、先ほど人狼の頸を刎ねたエルフの戦士が、随分とぐったりとした女のエルフを抱えやって来ると男は顔をくしゃくしゃに涙を流しアドルフの前に跪いたのだった。
これには周囲のエルフの戦士達もどよめき、慌てると女を抱えた男の背後に集まり、やはり同じく跪いたのだった。アドルフは馬上から、先ほどよりも更に目を見開き驚いたのだ。
それもそうだ。創世記に描かれたエルフと云えば傲慢の象徴。先ほど、この戦士が頸を刎ねた人狼はまさに、その象徴だった。
「嗚呼。野伏よ。かの聡明な魔導師——世界の王をご存知か」
「世界の王? アッシュさんが記憶を失う前の——ええ、知っています。仲間——きっとアッシュさんは、そうは思ってくれていないですがね。僕はアドルフ・リンディ。見ての通り<外環の狩人>で<月のない街>に身を置く野伏です。詳しくは話せませんが、貴方の云う世界の王——アッシュ・グラントの旅の手伝いに来ました」
「王は何か任を果たさなければならない……のか?」
「ええ。でもその前に——何やら訳ありのようですね」
「慧眼の野伏。ああ、そうなのだ。王は世界の焔が座する間の扉を開けに地下へ潜った。貴公が、それを追うことを止めはしない。だが、一時の情けをかけてはくれぬか。この女の命を救ってくれ。我々では霧散する魂を留め置くことが叶わぬ。それは摂理に反することも承知だ。我々エルフがどのように云われていることも承知。恥をしのび……」
アラグルは言葉を云い切る前に、嗚咽を漏らし、もう身体を冷たくし始めたシルダリエルの胸に顔を埋めた。それは神に縋る——彼らエルフはその神の気まぐれに翻弄されたのだが(アドルフが知る限りはそうだ)、それは別の話だと棚に上げ、縋るようなのだ。アドルフはそれに憂いの目を落とし「わかりました」と軍馬から、ひらりと飛び降りた。
※
火の手があちこちに上がるサタナキア砦は、
それが悪魔であろうが、鬼であろうが、神であろうが。
アドルフは右手で女の傷跡を確かめ、懐から小瓶を取り出すと<ルトの液>を指に濡らすと傷口の——酷く損傷をしているが——付近に奇妙な文字を描きながら<言の音>に似た唄を口にした。だが、それは魔導ではない。その証拠にシルダリエルの身体は仄かな青に包まれ、粒子をゆらゆらと立ち昇らせたのだ。
「慧眼の野伏——アドルフ……それは?」
「これは僕たち<外環の狩人>にだけ許された蘇生術式。でも<ルトの液>を媒介に施せば、誰にでもその恩恵は訪れます。幸にも彼女の魂はまだ霧散し切っていなかったので大丈夫。でも——」
「でも?」
「ええ、霧散してしまった魂は記憶と共に——あなた方の言葉で云えば聖霊の原へ還ってしまっています。ですので、少しばかり記憶を失っているかもしれません。でも安心してください——魂の大半は身体に残っているので、時間が経てば散ってしまった記憶は身体に呼び戻されると思います」
「おお、なんと。奇跡だ。シルダリエル……シルダリエル……よかった」
エルフの戦士が今度はくしゃくしゃとさせた顔で涙を流し笑顔を見せると、野伏はどこか心あらずな表情でやはり笑顔をつくったのだ。
これが、アッシュ・グラント——乃木無人が産み出した
「……現実よりも世界らしい世界じゃん……なんなんだよ」
アドルフがそれを口にしたときだった。
ドン! と鼓膜を激しく揺さぶる、重たい大鐘の音を思わせる轟音が聞こえると、その場にいた皆が一斉に地面へひれ伏し動けなくなってしまったのだ。息を吹き返したシルダリエルは、混乱し戦士の名を叫ぶのだが、目に見えない壁が天から降ろされ自分達を押し潰そうとしているようで、まるっきり動けない。
アドルフもやはり同じく、押し潰されるように地面に身体を投げ出すと、まるっきり指の一本でさえも動かせなくなってしまったのだ。
「あ……アッシュさん」
アドルフはやっとのこと、それを口にすると黒々とした不気味な砦へ目を向け、その姿を確認した。砦はなんともない。だがしかし——目を疑った。ルエガー大農園でアッシュが観たと云った<逆さの黒鳥>が砦の上空を旋回していたのだ。今のいままで、その姿を目にした者はいなかった。アオイドスでさえもそうだ。だが、いまそれは、そうだとハッキリと野伏の意識に伝えるように、黒々とした姿を見せていたのだ。
そして事態は刻々と変化をしていった。
(ねー! ちょっと待ってよ、私が先に喋るの! カミルンは黙ってて!)
(だから僕の名前はカミルだって……あれ、ほらアイネもう喋れるのではないですか?)
随分と懐かしい声が聞こえた。
野伏の頭の中に響いた声は遠く東の大農園のアイネとカミルの声だった。アドルフはそれに(え? なんで念話を?)と驚きを隠さずに返していたのだ。
大農園であれば野伏の秘術で会話はできる。だが、それは野伏の修練を積まなければならない。だが仮にそれができたのだとしても、念話とそれは聞こえ方が違う。野伏の秘術では、どこか遠くの音を拾い上げるようにスカスカとした音から言葉を認識しなければならないが、狩人の念話は、耳元にはっきりと聞こえるように言葉を拾えるのが特徴だ。そしてアイネが使った念話は、それであった。
(アドルフ! 大変なの! また地震があったんだよ! それでね……)
アイネの声が頭の中にけたたましく響くと、今度は野伏を押さえつけた見えない力が更に強くなり、あわやアドルフは気を失いそうになった。
そしてもう一度砦を確認しようと目をむける——白目を剥きかけた野伏の目にはまだ、あの<逆さの黒鳥>が映っていた。