北の空が寒々しく白々と青々と輝いた。
夜空を照らしたのは月の明かりではなかったし、ましてや魔術の輝きでもなかった。王都フロンの歓楽街で騒ぎ立てた酔いどれ達は温まった身体が突然に冷えたと云ったが、色街で客引きをした女達は暑くてたまらないと服を更に脱ぎ捨てようとしたとも云った。
北の空に輝いたそれは、なにかそんな得体の知れないものであった。
そして北から——恐らくはダフロイトの方角だ——永遠と伸びた一条の青白い線が大地をなぞると軌跡にあったものは酷く凍え次には業火を浴びるように溶け去った。軌跡を穿った狂った光線の先端は瞬く間に王都を横切ると外壁を凍らし溶かし無惨に破壊し、サタナキア砦の方角へと向かった。向かう先の木々に岩に山々は等しく凍え溶け破壊された。
狂った光線が進んだ後に残されたのは、かつてダフロイトに姿を横たえた獣の花道を思わせた。
※
——サタナキア砦。
「アドルフ君、大丈夫?」
横たわった野伏に駆け寄ったのは唐草色の外套を揺らした魔導師、剣壁のジーウであった。突然の重圧に自由を奪われた彼女であったが、なんとかそれを脱すると単騎先行しサタナキアへ到着をした。馬を進め砦に入ったジーウは周囲で同じように身体を投げ打ったエルフ達を脇目にみると「エルフ?」と怪訝な声で怪訝な表情を見せたが、それよりもとアドルフを抱え起こした。
「ジーウさん、今のは? この重圧は……」
アドルフは未だ得体の知れない重圧を感じはしたが、先よりも緩やかになった拘束の中なんとか身体をもたげ苦しげに云った。ジーウはそれに、肩を竦めると「私の……師匠の予想が的中してるならアッシュさんが覚醒してしまった影響……かなー?」
はは……と苦々しく笑ったアドルフは「随分と軽い感じですね……」とジーウに身体を預けながら返したのだが、顔をハッとさせると「ジーウさん!」と声を張り上げた。ジーウもそれに無言でかぶりを振り「立てる?」と野伏の背中を押し、そして横たわったエルフ達を一箇所に移動をさせると<魔力の障壁>を展開した。
「アドルフ君! 私これ専門外なんだけど!」とジーウが叫び、次には膨大な魔力を練り始めサタナキア砦中庭に充満をさせたのだ。
二人が察知したのは先ほど感じた目に見えない重圧ではなく、はるか北東に感じる破壊と創造の力——それは神代の魔力と云って良かっただろう。世界は今の形を得るまでは揺らぎの中にあり、その揺らぎこそが破壊と創造の根源であり源泉だったという。そこへ流し込まれた想いは姿を得ては創造され、願われれば姿を崩し揺らぎに還ったという。まさに破壊と創造。神は——人はそうやって世界をこねくりまわした。あくまでも、それが真実であるかどうかは、それこそ
ジーウが見上げた夜空に小さく青白い不自然な球が見えた。北東にだ。それは星の輝きでもなく月のそれでもない。
「ちょっとこれ、どうなってるのよお!」
混乱をしている風であった。が、おどけて云うジーウの的確な判断に「流石ですね」と内心云うと「ジーウさんなら余裕でしょ?」と、今度は口にし笑ってみせた。
「あなたの為にやってるんじゃないんだからね! ——これで合ってる?」
「何がですか……」
「ツンデレ」
「……違うと思います……もっとまともな日本文化を学んで下さいよ。しかもこっちじゃ意味ないですからね?」
前言撤回。毎度毎度こんな調子に引っ張り回されるイカロスを気の毒に思ったアドルフであったが、呆れ顔を引き締めジーウの眺めた空に目をやった。あの輝きは——ダフロイトで見たそれよりも、シラク村で見たそれよりも、混沌としているように感じた。明確に口にできる理由はなかった。
でも、アドルフはそれがとある英雄譚で語られたものであると直感した。いや、さもすれば符号したのかも知れない。シラク村で自ら口にしたではないか。そうだ。<宵闇の鴉と雪竜王>で語られた雪竜王ヴァノックが放った大地を凍てつかせ、そして焼き払った混沌の焔。六翼は天誅を下し四翼は許しを与える。しかしその竜達は等しくアッシュ・グラントの手で屠られているはずだった。
アドルフは大きく息を吸い込むと、懐から一つの硝子玉を取り出した。それをポンと掌で弾ませ「アオイドス——使わせてもらいますよ」と小さく、どこか恥ずかしげにした。
「アドルフ君、いまなんて? 師匠のこと名前呼びした?」
「いいから、ジーウさんは黙って魔力を展開してください! きっついのが来ますよ!」
どこかニヤけたジーウが放った言葉にアドルフは顔を酷く紅潮させると、羞恥心を覆い隠すよう口悪く云い返した。そして力強く硝子玉を地面へ叩きつけると両腕を大きくガバっと開き、次には交叉すると右腕を前に突き出したのだ。
激しい破砕音の後、硝子玉から青い輝きが溢れ出し幾つもの円形の幾何学模様が飛び出し野伏の前へ展開をした。アドルフはそれを突き出した右手で素早く、正確に拾い集めると複雑な幾何学模様に組み上げる。
それはほんの僅かな間。
刹那に組み上げられると野伏が叩いた両掌の音を合図に空間に満たされたジーウの魔力を吸い込み始め、最初は小さな半円に、次第に砦を包みこむ程の青く輝く半円球を創造したのだ。
「うわー。綺麗ねえ! プラネタリウムみたい!」
ジーウは見上げた夜空が薄青の膜に包まれると、ついつい現実世界の言葉で感嘆の声を挙げた。目に映った光景は幾重もの幾何学模様が、まるで夜空に浮かぶ星座のようであったし、ゆっくりとそれは流れている。
周囲で不安に震えたエルフ達——アラグルでさえも——は、それに不安の声を漏らし、そしてジーウが発した言葉に、まるっきり理解が及ばず更に不安の色を濃くした。なにせ彼らには現実世界の言葉は雑音のように聞こえてしまうのだから仕方がない。
「来ます! 反らせられるかわかりません! ジーウさんもっと魔力を!」
「もーう! さっきご飯食べたばっかりなのに! 今度ラーメン奢って下さいねー」
「わかりましたから! 早く!」
※
——東京・乃木坂。アーカムメトリクス本社施設。
どこまでも純白の部屋では十数名の白衣の男女が皆一様に慌てた様子を見せ、設置されたやはり十数台のモニターの前を行ったり来たりをした。
その様子から緊急事態であることがわかった。
それもそのはずであった。
今や国政に大きく関わる仮想世界が展開されたサーバー群に緊急事態を知らせるアラートが上がったのだから仕方がない。それには天候スケジュールを弾き出す大規模システムも含まれ、その混乱は更に拡大したのだ。
その混乱の中、ただ一人落ち着きを払い佇んだ男がいた。
背はそれほど高くなかったのだが、随分と細身であるから実際よりも背が高く見受けられる。きっと、くるぶしまである白衣もそれを手伝った。男は白髪で随分と痩せこけていた。見た目を額面通りにとるのであれば、五十後半といったところだろうが、それは間違っている。
鋭く細い目は少々翳りを見せ、日本人よりも幾分か高い鷲鼻にも皺が見受けられた。しかし彼は、乃木無人と同年齢。つまり今年で四十一を迎えた、クロフォード・アーカムその人だ。
かつて、第三次世界大戦で英雄に祀り上げられた
「シュメールとエッダはどうなっている?」
クロフォードは少し咳き込みながら落ち着きのある声で、コンソールと睨めっこをした女性スタッフへ声をかけた。女はそれに緊張したのか、上擦った調子で「現在チェンバーズへインストール済みのオリジナルは安定。グロースフェイズにある個体は隔壁に退避しました……」と、クロフォードを背中に答えた。だがしかし、その言葉尻にクロフォードは目を細め少しの沈黙のあと「それで?」と続きを促した。
大凡のことは知り得ているのだ。
彼の娘のメリッサ・アーカムは幼少期に特定指定難病に冒されると不思議な力を獲得したのだそうだ。それは、ほんの少しの事象を、手がかりを知ることで現在であろうと過去であろうと、その過去や未来を特定、予測するものなのだそうだ。まるでそれは神の慧眼のようであったし、世界の事象がもし積み重なった時間の塊、つまりデータベースのような構造をしているのだとしたら、そこへ自由にアクセスし検索をするようなのだ。
かたやクロフォードは、やはり幼少期に特異な能力を獲得をした。それは驚異的な演算能力。あらゆるプロセッサのマシン語を
メリッサが見通した過去や未来、とくに未来に至っては確定をしない事象であったが、あらゆる可能性を演算し確実性をクロフォードが裏付けることでそれは「真実」に変わったと云ってよかった。もっともその事実は巧みに隠蔽されこれを知るのは
とにかく、そのような背景はある程度の水準でアーカムメトリクスの所員も知り得るところであり、クロフォードが「ある程度のことは知り得ている」のだと理解をする。だから、声をかけられた女性スタッフは緊張を隠せないでいるのだ。
シュメールサーバー群とエッダサーバー群の異常事態。
それは、
クロフォードはそれを察してか、骨張った手を彼女の肩に置くと「暴れているのはローカルブロックだ」と小さく云うと、続けて彼女へ各サーバーからチェーンを繋ごうとする挙動にダミーブロックを割り当てて隔離すること指示し「できるな」と、彼女の小さな肩を軽く叩いた。
しかし事態はそれで収まる気配はなかった。
次々に上がってくる報告は主にリードランサーバーのものであった。
「未開拓領域の一部がアクティベート。南米、日本がリンクします」
「フロントエンドセキュリティーが内部のAIにハックされました。退避済みの個体をリードランへ顕在化。監視システム、ヴァノック現出」
「ユーロのアクティベーションレベル上昇。このままですとスマートデバイスを介し事象変換が誘発される可能性があります」
クロフォードは最後の報告に眉を顰めた。
それは少々都合が悪かった。リードランへシンクロをする殆どのユーザーはアーカムメトリクスの
クロフォードが乃木無人をアーカムメトリクスへ参画させる際に出した条件は、乃木無人が育てた仮想世界へどのような出資もすると云うものだった。そしてそこには、クロフォードが世界に隠匿し開発を進めた三台の超量子コンピューターをバックボーンとすることと、仮想世界の版図は可能な限り現実世界に近しいものとして欲しい。ということだけが要求された。乃木無人はそれを承諾しリードランの開発に心血を注いだ。無論、スマートデバイスを通じてリードランでの体験を人体へフィードバックする計画もそこには盛り込まれていた。
それはメリッサの難病をなかったことにする為のプロセスだと乃木無人は言い含められていた。つまりリードランで病理を取り除いた情報を人体へフィードバックし、現実世界のメリッサから病理を取り払うという計画だ。
「メリッサか……」
クロフォードはそう云うと踵を返し純白のコンピュータールームを後にした。
※
鳥籠。
それは通称であり侮蔑の言葉であった。
メリッサ・アーカムが十一歳の頃から住まう閉鎖区域のことを指し、アーカムメトリクスの所員達はそう呼んだのだ。大事に大事に愛する小鳥を飼育する為の鳥籠。部屋というには広すぎる国立競技場ほどある施設は外壁も内壁もシリカガラス繊維で造られた純白のタイルで狂おしい白の空間を造り上げていた。千二百度以上の熱にも耐える建材で築かれた施設は、このまま宇宙に放り出しても大気圏で燃え尽きることはない。
そんなだだっ広い空間のど真ん中には巨大な黒い棺桶とも思えた建造物が三つ設置され、周囲にさまざまなケーブルを伸ばしている。ケーブルからはゴウンゴウンと鈍い音がするものの直結をした棺は至って静音で、シーシーと何かを滑らすような音を鳴らすだけであった。その三つは扇状に並べられているのだが、孤の内側にはシリカガラス繊維で造られたのであろうキングサイズのベッドが置かれていた。
それは異様な光景であった。
三つの漆黒の棺桶に見下ろされるように佇む純白のベッドの主人は横たわってはおらず縁へ腰を下ろしていた。やはり純白のワンピースを着た銀髪の少女。少し青みがかった銀髪は、ほんの少しの重みをみせ少女の俯き加減に合わせ下へ流れた。光の加減なのだろうか。銀髪の中に青や濃い灰色を規則正しく見せ波打つ様子は、枯山水の美しさを彷彿させた。
しかし、大いに違和感があった。
その正体は彼女の背中から突き出た十二本の黒い突起物と、そこから伸びた黒灰色のケーブルだ。ケーブルは幾つかの機械を経由し三台の棺桶に接続されていた。頚椎あたりから生えた突起物の先端は常に明滅をした。緑であったり青であったり、時には赤へ色を変え明滅をする。
少女はベッドの縁に腰をかけたまま眠っているようだった。その証拠に施設へ駆け込んできたクロフォード・アーカムに気が付く様子もなかった。息を切らせ駆け込んだクロフォードは少女の前に立つとゆっくりと跪き、彼女の膝へ両手をかけた。
「メリッサ。起きているかい?」
少女から返答はなかった。クロフォードはそれに悲しげな表情を浮かべるともう一度小さく「メリッサ」と声をかけたが、やはり同じであった。それにクロフォードは下からメリッサと呼ばれた少女の顔を覗き込むと小さく微笑み——彼女の膝の間へ顔を埋めた。
「ああ、メリッサ。お前のことはモニタリングできない。だから、そっちで何をしているのか教えてくれないか。シンクロレベルを上げているのだろ? 何を取り込もうとしているのだ。教えておくれ——まだその時期ではない。それにお前と波長のあう個体はまだ居ないはずだろ?」
クロフォードはそう云うと顔を上げた。
そして一度。
二度。
白磁のように透き通った色白のメリッサの
その時だった。
メリッサから突き出た突起物のすべが赤く明滅をすると、半円球の先端がほんの少し持ち上がったのだ。突起物本体と先端の隙間からプシューと鋭く音が漏れると、クロフォードは我に返りハッとすると慌てた様子でメリッサの右手首に視線を落とした。
メリッサの右手首に巻かれたスマートデバイスが明滅をしていた。
クロフォードは咄嗟に、メリッサのスマートデバイスの画面を叩きコンソールを呼び出すと目を大きく見開いた。
そこには「Warning: Brain Reverse Engineering|Ester_Been」と表示され、横には赤髪のそばかす顔の女性の姿がモデリングされた。
※
——サタナキア砦。
はるか北東から放たれた神撃の一閃は王都フロンを掠め——破壊をし——アドルフとジーウが予測したよりも早くサタナキアを直撃した。しかし、アドルフが張り巡らせた魔力の障壁——アオイドスが封じた強力な魔力による術式を開放したのだ——は間一髪のところで構築が間に合い、ジーウが満たした無尽蔵の魔力の媒介も一助にそれを弾くことに成功をした。だがしかし、無力化には及ばず死を呼び込む光線は北西に逸れると、ベルガルキー王都クルロスへと矛先を変え、そこまでの軌跡に存在する全てを薙ぎ払ったのだ。大地を穿った光線はサタナキアからクルロスまでを一本の死の道でつなぐと、不気味に残響し宙へ霧散した。
本当のところは、アドルフは光線を天空へ向けたかったのだが、予測よりも到達が早かったことも、ジーウの充填した魔力量が間に合わなかったこともあり、それが叶わなかったのだ。撃ち抜かれるところをアドルフも全開で魔力を出し切り、
恣意的であったようには感じたが、ほんの一瞬、別の意志が働いたように思った。だから「アドルフ君すごーい」と惚けた声を挙げたジーウのそれが、心の隅を曇らせついつい一瞥する視線を冷たくした。
光線の餌食になるのを偶然にも間逃れたジーウ魔導師団が砦へ到着をし始めると、ジーウはきびきびと指示を飛ばし横たわったエルフ達の介護にあたらせると共に、陣形を整えるようにも云った。
それを脇目にアドルフはたった今大地に敷かれた、燃え盛る死の道を呆然と眺め「アオイドス——本当にこれでよかったのかな」と小さく溢した。何が正解だったのかなんてわからない。ただ今、眼前で起きていることは——きっと良くないことなのだ。漠然とアドルフはそれを感じていた。仮想世界での出来事。普通であれば娯楽の一環。だけれども、大学で乃木葵と出会ってから、その認識は変わった。この先に何が待ち受けているのか想像もできないが、アドルフはだからこそ、その得体の知れないものに畏怖したのだ。それはアッシュ・グラント——乃木無人にしてもそうだった。彼は仮想世界の住人を「人」として扱っていた。いや、その云い方は適切ではない。人として接してきた。
では一体、自分は大学で何を学んできたのだろうか。
ヒトの造り方。いや、もっと根本的なことなのだろうか——。だが、それは禁忌だ。人が人としてある限り到達してはならない叡智のはずである。だとするのならば乃木無人は——。
※
——サタナキア砦。地下大空洞前の横穴。
「アッシュ。大丈夫?」
アランとの最後の刃を交え見事、宵闇の英雄の頸を斬り落としたアッシュであったが、塚人の姿へ戻ったアランが霧散するまでの間、理由のわからぬまま嗚咽を漏らしたのだった。しきりに「すみません」と嗚咽の隙間に言葉を縫い込み、首を垂れた。
ミラは、そんなアッシュを心配し背中をさすり声をかけたのだ。
ミラにとって随分と広い背中であった筈だ。
シラク村からの旅の途中で我儘を云い背負ってもらった時も広くて厚い背中を感じていたものだ。片頬をあて「羨ましいでしょう」とエステルを揶揄ったことだってあった。旅の間に運悪く——どちらが運が悪かったのかは別として——野党に襲われたときだってこの背中は自分の前に悠然とそびえ立ちミラを護った。ミラはそのうちに、その姿から強さや優しさ、時には厳しさを学んだ。
その背中はミラが憧れた背中だった。グラドとアイシャが育ての親ならアッシュは羨望の眼差しで見上げる兄であり、相棒だ。
だから、眼前で咽び泣くアッシュの背中が酷く寂しく思えたのだ。こんな想いを抱くのは初めてだった——アオイドスにだって感じたことのない感情だ。
「アッシュは頑張ったよ。大丈夫。だから、ね。もう帰ろう——エステルのところに帰ろう」ミラもいつの間にかに大粒の涙を零しアッシュに云った。見ていられなかったのだ。
そして別の声がした。暗がりの向こうから、声音の端々に忌みを孕んだ乾いた声が嘲笑を滲ませ薄らと。
「宵闇の鴉。いみじくもお前はお前の譚をなぞり最初の地で最初の仲間を斬り捨てた。気分はどうだ? 上々か? 儂も儂とて苦渋を舐めながらこの筋書きを書き綴った身であるからな、喜んで貰えたなら報われるというものよ。さて、どうする。そのまま闇に足を運べば<世界の焔>の祭壇だ。かつてのお前がオルゴロスに護らせた<原初の海>への結節点だ。お前が望めば——ことの真相も、お前が後生大事にした——おっと、それは扉の向こうを見てからのお楽しみだったな。まあ良い。全てを知りたいければ、扉をくぐれ。そして絶望と怨嗟に塗れ真実を目の当たりにし選択をするのだ」
声はすぐに闇に溶けて聞こえなくなった。
「アイザック・バーグ……」
必死に相棒の背中をさすったミラの小さな手をとったアッシュは、もう嗚咽を漏らすことなくそう溢した。その声は重かった。奥歯を噛み締め腹の底から漏れ出た怒りの声——ミラにはそう聞こえた。
アッシュは静かに立ち上がると外套を翻し狩猟短剣をしまい「僕は行くよ」と暗闇の向こうを見据えミラの黒髪を撫でつけた。
「わたしも……」
「ダメだと云っても……」
「うん、ついていく。だって私はアッシュの相棒だもの。それにまたアッシュが泣いちゃったら、慰めてあげる人居ないからね」
ミラはそう云うと、エヘヘと笑みを浮かべアッシュと同じ漆黒の外套を翻し魔術師の杖を突き出し先端を輝かせた。
同じ黒髪。
同じ黒瞳。
同じ黒の外套。
違うのは背丈だけだ。
生きた世界が違うと云われた。
だけれども聖霊ロアはシラク村でミラにこう云った。
「微細な異なりは太極においては意味を成しません」
それであるならば、どこに居たってミラにとってアッシュという存在は大切なものであり——それが父親でないとしてもだ——何時の日かやってくる別れ道までは、歩みを共にする相棒なのだ。
「行こう」
二人は声を揃え、横穴を進んだ。