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Killing Me Softly④





 赤毛の少女は膝を丸め青い雲の中で揺らいでいる。

 心地良く、暖かく、優しく包まれる感覚。

 誰しも産まれ出る前の記憶を持ち得ないのだろうが、おそらく今感じたなのだろうと少女は漠然と想った。

 少女は腹の辺りに鼓動するものがあることに気がついた。

 それも等しく暖かく、優しく、そして小さかった。

 少女はそれを愛おしいと感じ、膝を丸めいっそう優しく自身を優しく抱きしめた。上も下も右も左もわからない揺蕩う感覚。丸くぐるりと回り、頭が円環の軌跡を描いていることだけは少女にもわかった。


 気がつけば、いつしか足が地を得た。

 小さな赤毛の少女は、そばかす面に不安を滲ませ辺りを見回し、赤瞳は湿りを見せ涙を零しそうであった。

 地は灰色の海のようであったし、凪いだ風景は殺伐としたし、見上げれば鈍色の雲が広がり、隙間から万物を剥き出すと直ぐにそれらは、皮を剥かれ青い粒子となると雲に呑み込まれた。


 少女の瞳にそれは酷く悲しく映ったのだ。



 誰か居ないの?



 少女は心に叫んだ。声を出せなかったのだ。

 心の叫びに世界は呼応をすると最初に見せたのは禍々しく黒く巨大な剣を担いだ戦士の姿であった。

 少女はその姿を知っている気がした。朧げで儚くて愛おしい記憶の片隅で戦士は少女に頬へみかける。

 だが、名前は思い出せない。

 不安に怯えた少女は、か細い腕を伸ばし戦士の顔——肩まで伸びたぼさぼさの黒髪に、黒い瞳——に両掌を添え、記憶の片隅の残滓へ形を与えようとするのだが、それはついぞ叶わなかった。

 たどたどしい仕草に戦士は小さく笑うと何か口にしたように思ったが、少女はうまく聞き取れなく首を傾げ「なんて云ったの?」と、心に云った。

 戦士は何も答えなかった。

 すると目の前で戦士の姿に異変が起きた。

 皮がめくり上がり皮下の筋肉に血管、神経、なにかそのような物を露わにし——そして青い粒子に還った。少女はそれに目を丸くすると、力なく座り込み啜り泣いた。



 誰か居ないの?



 もう一度、少女は心に叫んだ。

 次に世界が見せたものは、白銀の髪の少女の姿であった。

 彼女は赤毛の少女が纏った純白の膝下まであるスモックに似たワンピースの裾を可憐に弾ませ灰色の海を軽やかに歩き、爪先に綺麗な波紋を踊らせ、赤毛のもとへやってきた。


「こんにちは」銀髪の少女は鈴を鳴らしたような声で云うと、優しくころころと笑ってみせた。

「こんにちは」赤毛の少女は、それに安心をしたのか、そう云うと驚きの表情をみせ両手を口にあてた。

 声を出せたのだ。

 そして赤毛の少女は「ここはどこなの?」と、おずおずと続けた。


「それは難しい質問ね。でも良い質問。ここは始まりの海。ぜーんぶの命と名のつくものの始まりの海。神様も悪魔も魔物も人間もあなたも。みーんなここから産まれたの——」


 銀髪の少女は赤毛に「どう? わかる?」と云いたげな表情を投げかけたが、きょとんとした赤毛のそばかす面を見ると、ころころと笑い話を続けた。


「難しいわよね? でも良い質問だから答えるわね——でもね、ここはその海を真似した別の場所なの。ごめんね。わかりやすく説明したかったから、遠回りしちゃった。安心して。ちゃんと帰れるから。さあ、もう危ないから手を繋いで行きましょう」


 銀髪は云うと、か細い腕を伸ばし赤毛の小さな手を取ろうとした。

「どこへ帰るの? あなたは誰?」

 赤毛は小さな手を、ひょいと引っ込めると訝しげに云った。

「どこへ?」とそれに銀髪は驚いた顔をみせた。

「うん。どこへ帰るの?」

 赤毛の少女は、いよいよ顔を曇らせ一歩、二歩と後ろへ下がった。

 何故だろう。

 赤毛には銀髪の可愛らしい笑顔に冷たいものを見たように思ったのだ。笑いなさい。そう云われ造った表情。笑顔を描きなさいと云われ、描きたくもない笑顔を歪に美しく描いたそれのよう。赤毛の少女は、そう感じると咄嗟に腹へ両手をあてるともう一度訊いたのだ。


「あなたは誰?」



 ※



 アッシュとミラが進んだ横穴は思いのほか暗く長く感じた。

 ミラが掲げた小さな魔力の灯りはどこか頼りなく闇に呑まれ足元を照らすのがやっとであるようだったから、恐らくそう感じたのだ。とはいえ、ミラの魔力ではそれが限界であるというわけではなく、横穴に詰め込まれた闇が、あまりにも濃いのだ。そこでは、きっとどんな灯りも頼りなく感じるだろう。


 小さな灯りに掻き分けられた暗闇が二人の背中を卑しくとぼとぼと跡をつけるようでもあったから、ミラは度々振り返り何も居ないことを確認をすると「ねえアッシュ……<暗視>に変えたいのだけれど……」とやはり度々云った。


 それにアッシュは「もう少し我慢しよう」と小さな大魔術師の不安を掻き消そうと、ミラの小さな手を力強く握った。随分とゴツゴツとしたアッシュの掌。ミラはいつだってこの無骨さに優しさを覚え、そうしてもらうことで——強くといってもほどほどに手を握ってもらう——不安は溶けてなくなる。だからミラは、不安なときはいつだってアッシュの手を自分から握りにいったのだ。それをアッシュも知っている。


 アッシュが云うには<暗視>の術式は突然の明かりに対してめっぽう弱く、酷い場合は目を潰してしまうのだそうだ。安心をしたミラはそれに、魔力をしっかり練っておけば大丈夫だと反論をするのだが、視界を取り戻す一瞬が死を呼び込むのだから気をつけるんだと諭され「わかったよ」と口を尖らせた。そして、もう一度ぎゅっとアッシュのゴツゴツした手を握り返した。


 どれほど歩いたのだろうか?

 さもすれば、それほど歩いてはいないのかも知れない。

 だが、か細い魔術の光が樫の木の大扉を唐突に照らしだした。


「アッシュ」

「ああ、これかな?」

 アッシュの背丈の三倍はあろう大扉は両開きのようであったが、押すのかも引くのかもわからない随分と乱暴なものであった。アッシュは何度か何節か何かを口ずさむと「僕では全部を見通せないな……ミラ、何か仕掛けがあるかわかる?」と、ミラに視線をおとした。

 アッシュの黒瞳がわずかに緑を帯びているように見えたが、直ぐにそれはスッと消えてしまった。きっとアッシュは魔導で大扉に何か——罠の類だ——ないかを調べたのだとわかった。だから、アッシュの問いにミラは「触っても大丈夫かな? だったら罠になるような術式があれば読み取れると思う」と返し、黒瞳を青く輝かせた。それは魔術を使う合図だ。


「それは大丈夫。接触は問題ないよ。押すのか引くのか。発動条件はそう多くないと思うのだけれど」

「うん」ミラは短く答え、樫の大扉へ右掌をあてた。

 しばらくそうしたミラは「ふぅ」と、一仕事終えた風に声を漏らすと「誓約ギアス」と云いアッシュの顔を見上げた。

 黒瞳はまだ青く輝いたままだ。

「ん?」アッシュはそれに頸をかしげ言葉を待ったが「ああ」と心当たりがあるように云うとミラの黒髪を優しく撫で回した。

「ありがとうミラ。よくできたね。ルーベルトとの誓約が必要ってことだよね」

 へっへーん。とミラは鼻の穴を広げ誇らしげにし「そうそう。だからこの扉がルーベルトの云っていた扉……」と腰に手をあてたのだ。どれだけの大魔術師であろうとミラはやはりまだまだ少女なのだ。どれだけ大人が羨むような力を持っていようが関係ない。欲しいのは愛情。ただそれだけなのだ。


「……アイザックが云った扉もこれだね」

 アッシュは目を重く鈍く鋭く輝かせた。


「アッシュ……そんな顔しないで。怖いよ」

 ミラはそれに顔を曇らせた。

 アッシュが輝かせた眼光は、射線上のものを全て斬り裂くように冷たい。いつからこんな眼差しをするようになったのだろうか。ミラは唯一、そんなアッシュが嫌いだった。

 人を人と見ない視線。

 人を物のように見る視線。

 ミラや仲間たちに向けられることは決してなかったが、万が一それを向けられたらと思うとミラは気が気でないのだ。ミラは、たった一度だけアッシュがそれをアドルフとアオイドス、ジーウへ向けたのを知っている。だから、そんなことを考えてしまうのだ。


「ごめんねミラ。もう大丈夫——」

 アッシュも自分がどのようかを知っていた。

 アイザックの忌々しい姿を、メリッサの偽りの表情——それが偽りだったかどうかは真相は不明だが——を、<外環の狩人>達が自分へ向けた不躾な視線を、それを思い出せば感情が暗く濁り奥深く潜っていく。するとそこには、白狼が身体を丸め赤黒い瞳でこちらを見ているのがわかった。そうすると感情の起伏は平たく薄く姿を変え一閃で全てを斬り裂く鋭利な線となるのだ。

 それは直ぐに表情に出ていた。アッシュ自身がそうだとわかる程、あからさまにだ。だからミラの声で我に戻ったアッシュはミラへ謝った。きっと怖がらせてしまったのだと察したからだ。


「開けるよ——」

 アッシュは戸惑い気味にミラへ云った。

 ミラはそれへ怪訝な面持ちをすると、扉へ手を伸ばしたアッシュを「待って」と引っ張り「どうしたの?」と訊ねた。このまま扉を開けさせてしまってはいけない。そうミラは直感したのだ。それが、そこはかとなく悪い予感であることも。


「バーナーズが……反応しないんだ」アッシュの答えは、ミラの直感を裏付けた。それが、どのように悪いのかは予想もつかないが。

「え? なにそれ?」

「そっか。ミラには——といっても誰にも詳しくは説明していないけれどね……僕の中には<七つの獣>、<憤怒>のバーナーズが封印されているんだ。と、いっても彼奴は別に悪さをするわけではなくてね。どちらかと云うと、彼奴の力を僕が借りている面も大きいんだ——心配しないで大丈夫。そう。アイザックや他の獣のように危害を加えてくるようなことはない。だから——どうだろう契約をしている……いや、それもちょっと違うかな。見守ってくれている……どうだろう、でも兎に角、問題はないんだ。でも——バーナーズの気配がさっきから全然感じられなくてね」


 ミラは口をあんぐりと開け目を瞬かせた。

 メリッサ——白銀の魔女はミラのことを獣の一つだと云った。だがミラ自身には当然のことながらその認識はない。だから、それが事実であろうとなんであろうと捨て置くことにしていたが、まさか獣の一つがアッシュの中へ潜んでいるという事実を本人の口から明言されると、なぜだか凄ぶる不安を覚え、胸のあたりが騒ついた。

 アオイドスは何も教えてはくれなかった。

 聖霊ロアもそうだった。

 二人とも口を揃え「自分の思うように生きろ」と云った。

 だが、自分の大切な存在の身が禍々しいものを抱えているのだと、それが自分と同種のものであると云うのならば、それを気にするなと云われても、そうはいかない。ミラは、それにはたと顔色を変え、そうかその判断も「好きにしろ」と云うことなのかと、どこか朧げに思った。


「そっか。どっか出掛けたのかな? アッシュは寂しいの?」

「まさか」アッシュは困ったように小さく笑った。

「だったら、いいじゃん。私が居るから」

「そうだね。僕には相棒が居る」

「そうそう。大魔術師? がいるから大丈夫」

 アッシュはミラの誇らしげな顔に微笑み「よし」と大きく息を吸い込んだ。「早く片付けてエステルのところへ帰ろう。終わったら大農園の皆んなも紹介するよ。きっとアイネとミラは気が合うと思うんだ」

「……誰その女?」

「え、お、女?」

 突然むすっとしたミラ。それにたじろいだアッシュは結局このときミラが、何に機嫌を悪くしたのかが分からず仕舞いだったが、もう一度「開けるよ」と今度はハッキリと口にし樫の大扉に両掌を当てた。


 樫の大扉に幾数千の青の繊条が輝いた。アッシュの両掌を中心に伸びた直線は樫の大扉の縁に到達すると折り返し複雑に折り曲がりながらアッシュに還ってくる。するとそれは両腕に繊条を映し出し全身を駆け巡ると、最後には胸の中心に集まった。

 アッシュの胸から青い閃光が扉へ放たれ——樫の大扉は中央から割れるよに内側に重たく音をたて開いたのだった。





 樫の大扉が開け放たれた先はどこまでも続く薄暗い岩場の空間であった。

 どれほどの高さがあるのか分からないが、所々に天然の石柱がぬらぬらと青や緑や赤の光を拾いながら頭上の暗闇へ伸びている。石柱が拾った光の正体は足元を複雑に走る円形や直線の繊条の輝きで、それらは青や緑に明滅しどこかに向かって走っているように見えた。赤の輝きはといえば、闇の岩場の空間の奥で小さく輝いた篝火のものだとわかった。

 よくよく目を凝らせば、篝火は設られた白石の祭壇で焔を揺らがしているようだった。

 その祭壇の前に人影が二つあるのがわかった。

 アッシュとミラは固唾を呑み、岩場の空間へ足を踏み入れた。

 騒がしい静寂。

 それが二人の足音を際立たせるから、鼻っからこそこそとする気のない二人は大胆に歩みを早めた。早くエステルの元へ帰ろう。その一心でだ。


 少し進むと随分と目が馴れてきた。

 ねっとりした闇の中で生き物のように這いずり回る青や緑の繊条は、二人の平衡感覚を奪っていたのだが、祭壇へ意識を集中をすることで大分、その感覚に馴れてきたのだ。だから今では、遠くからではただの影に見えた二つの正体がわかった。


 一つは純白の外套に身を包んだ魔導師——傲慢のアイザック・バーグ。

 一つは胸元を露わにした漆黒のドレスで着飾った赤毛の女。色欲のアレクシス・フォンテーン。

 その二人であった。

 獣の二人は下卑た笑いを浮かべアッシュとミラを眺めていた。


「誰、あのおばさん?」

 ミラはアレクシスに気がつくと、顔をしかめ吐き捨てるようにアッシュに云った。アッシュは「あの人も獣の一人。吸血鬼の始祖だよ。アレクシス・フォンテーン……痛ッ!」

 アッシュは十分に真面目に答えたつもりであったが、どうだろうミラはそれに再びムスっとするとアッシュのふくらはぎを蹴り付けた。理由は分からない。

 ともあれ二人は、歩みを進めると祭壇が随分と大きなものであることがわかった。白石の祭壇は良く見れば、頭上の暗闇の向こうまで何枚もの壁を伸ばしているようであったのだ。その壁は無数の細い線——まるで血管のように赤色の——が穿たれ暗闇の向こうから祭壇へ向かって赤を流し込んでいるように見えた。

 獣の二人に注意を払いアッシュは、その壁に穿たれた無数の線の赤を追いかけ、ミラもそうした。

 そしてはたと足を止めた。

 獣の二人の背後に人影を見たのだ。

 祭壇に寝かされた人影とそれに跨る人影だ。


「お久しぶりねアッシュ・グラント。野蛮な魔導師。いいえ、憤怒の宿主と云った方が良いのかと思ったのだけれど——アイザック、憤怒の気配がないようね」

 アレクシスが怪訝そうに云うと、傍に佇む魔導師に投げかけた。すると、背後から小さく艶かしい声が聞こえると更に顔を歪め、赤黒の蛇目でアイザックを強く睨みつけた。


「色欲の。何をそんなに苛立っておる。我が主人の悲願が叶うやも知れぬのだぞ。喜べど苛立つ理由などないだろうに……」

 アイザックはカサカサと笑うとアレクシスを小さく見上げ、フードに隠れた皺だらけの顔を露わにすると、両手の指を合わせ忙しなく動かし、また更にカサカサと笑ったのだ。

 アレクシスはアイザックのフードの奥に隠れた蛇目が笑っているのを見ると「虫唾の走る顔ね」と吐き捨てた。


「アレクシス……」

 アッシュは祭壇の下で足を止めると小さく赤毛の始祖の名を呼んだ。

「あら、あなたから名前を呼んでくれるなんて珍しいわね。それで何かしら? 明日のクルロスでの夜会のお誘いならもう先客がいるの。そこのおチビちゃんで我慢なさい」

 それにアッシュは酷く苛立ちを覚えたのか奥歯を噛み締め、祭壇をゆっくりと昇り始めたのだ。

 ミラは「待って!」とアッシュの外套を引っ張った。嫌な予感がしたのだ。今は見上げても祭壇の奥に目が届かない。しかし、先ほどから獣二人の背後から小さく聞こえる声に聞き覚えがある。そしてそれは——耳を覆いたくなるような不快さを覚えたのだ。

 獣の二人の後ろにも人が居るのだ。

 それは二人だ。

 魔術師のミラにはそれが誰なのか大凡の予想がついていた。魔術師は特別な術式を展開せずとも意識を集中することである程度の<遠見>を使える。つまり、遠くのものを見る力だ。望遠鏡を利用すれば更に手に取るように見えるが、この空間と距離であれば、その必要はなかった。


「色欲の。ここは任せて良いか? 儂は北の仕上げに行かなくてはならぬのだが」

「好きになさい」

「ゆめゆめ忘れるなよ色欲の。苛立つ理由はない。お前はめくりめく色欲に身を委ねれば良いのだ。丁度よいではないか。我々の主人が愉悦に溺れるさまなぞ、そうそう見られるものではないぞ」

 アイザックはそう云うと、背後へ視線を送った。魔導師が云った主人が愉悦に溺れた姿とはそこにある。だが、アレクシスはそれを追うことはなかった。「そんな悪趣味、私にはないわ」と顔を歪めると、アイザックがスっと姿を消すのを見送りアッシュへ視線を戻した。


「アレクシス……そこに居るのは誰だ」

 アッシュは更に眼光を鋭くした。

 アレクシスはその鋭い視線を受け止めると「嗚呼」と恍惚とした面持ちを見せ、口元から豊かな胸の双丘へ指を這わせ云った。

「それよ。それ。記憶を取り戻した——という訳ではなさそうだけれども、結局あなたはそうやって力の使い方を知らず不器用にするだけ。嗚呼、その乱暴な目——冷ややかな視線。ガライエで見せてくれたのはよ」


「答えてください」

 アッシュはミラの手を「<魔力の殻>を連続展開できますか?」とそっと囁き離すと、相棒の魔術師へ自分は冷静だと暗に知らせた。大丈夫だと。

 ミラは薄くかぶりをふると「できるよ」と杖を構えた。

 小さな大魔術師は術式を思い浮かべるだけで魔術を発動することが可能だ。その領域はどんな魔術も到達し得なかった領域。それを行おうとすれば、脳を焼き切ってしまう。

 ミラはだからと云ってそれを得意にしたことはなく、ごく自然のことだと振る舞うのだが、育ての親であるグラドとアイシャはそれに毎度ひっくり返るような驚きを見せたものだ。

 アッシュはごく自然にそうしたミラに「頼むよ相棒」と黒髪を軽く撫でた。そして、アレクシスの下卑た笑いとアッシュへの答えが耳に飛び込んできた。


 大丈夫だ。

 クレイトンではバーナーズの力を借りた。

 だが、あれから随分な修練も積んだ。

 ジーウとの闘いでもバーナーズの力を借りてしまった。

 あれは仕方がなかった。油断したのだ。

 だから大丈夫だ。

 今は相棒が背中を守ってくれる。

 僕はクレイトンの時のように無力じゃない。

 僕は独りじゃないし無力じゃない。






「そうね——メリッサとあなたのエステルよ」





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