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Ragnarok#2_収束





 乃木無人。人工知能分野のエキスパートである彼が産学連携を条件に人工知能科学センターを学内へ設立したという話は記憶に新しい。


 国土交通省主導で押し進められた<スマート・トラフィック・プロジェクト>は、乃木無人の父——乃木希次の死後、息子の無人に引き継がれたのだが、プロジェクトのカットオフ直前で致命的な事故に見舞われた。


 第三次世界大戦以前に世界を襲った未曾有のパンデミックを切っ掛けに可決された特殊健康維持法案では、野外施工に従事する技術者の労働日数の制限、稼働時間の制限、人的密集度の制約を設けることとなった。

 これに猛反発したのは、主にインフラ——交通網の開発整備を取りまとめるゼネコン各社であった。可決された法案を額面通りに受け取れば、純粋に人工にんくの倍増、それにあわせ圧倒的な人手不足、工期の長期化が目に見えていた。そこで国有事業として発足されたのが<スマート・トラフィック・プロジェクト>であった。

 つまりそれは、人間が野外で作業をせずとも高度な人工知能を有したアンドロイドが、実務を肩代わりすることで、労働生産性を飛躍的に向上し人間はそのオペレーションに徹するといった方法メソッドを確立しようというものだ。

 しかし、この計画には幾つかの問題を孕んだ。

 その一つが、実務を人間がこなさない事による所謂<経験値>の低下だ。つまり、技術力の発展に寄与する実務経験の欠如から、技術発展が望めなくなる可能性があるということだ。

 技術大国である日本にとって、これは大きな痛手となる。資源に乏しい島国がこれまで世界を相手にできたのは、洗練された技術と豊富な経験が、その要因の一つであると云って良い。

 そこで招聘されたのが、乃木希次の妻、乃木寿子であった。

 行われたのは、彼女の脳科学分野での知見を礎に、アンドロイドの<経験値>を追体験することで<経験値>を脳へ刷り込むという実験であった。

 しかし、その実験は乃木寿子の謎の失踪により頓挫し、夫の希次の死去はその直ぐ後であった。残されたのは若くして両親の功績をアシストした乃木無人と、常人では理解の及ばない膨大なプログラムやデータの山であった。

 その乃木無人も幼少期に難病に冒され一時は、その所在が不明となる空白の期間があったと聞くが、希次曰く「特殊な病院に隔離されている」と説明し、当時囁かれた乃木無人死亡説を当時、真っ向から否定をした。実際、乃木無人はいつの頃からか姿を見せ中学、高校と学生生活をおくっている。もっとも、その大半は希次や寿子のサポートを行うことをしていたのだから、普通の学生生活かと云えば、それは違った。

 そして母の失踪、父の死去を経験した乃木無人は二人の意志を継ぐべく、大学への進学を諦め国有事業プロジェクトの推進へ従事した。


 無人は母が推進した脳へのフィードバック実験、実用化に懐疑的であった。

 理論上は成立するものの、扱うものに壁があったのだ。それは巨視、つまり現実世界での法則と、微視——電子、原子や分子、素粒子の法則には決定的な差異があり、そこには大きな揺らぎがあるということだ。

 モルモット実験では、ある一定の成功を収めてはいたが、高負荷なフィードバックでは途端に小さな脳を焼き切ってしまう。ともすれば、体から煙をあげ、発火を誘発するようなこともあったのだ。

 そんな背景もあり、無人はプロジェクトの最後の最後で<経験値>フィードバックの実装を拒み凍結をする決断を下した。しかし、それは超法的な圧力に晒され、実用化前の受け入れ実験までステージが押し上げられた。つまり強行されたのだ。


 致命的な事故とはそれであった。

 受け入れ実験に参加をした技術者の一人が脳を焼き切り絶命したのだ。マスコミ各社へ報道規制がかけられ事実は隠蔽されようとしたものの遺族側がSNS上へ、事実——技術者が謎の失踪と最初は云われたが——を告発をしたことにより、実験の失敗——技術者の死が明るみに出ることとなった。世論が国政に牙を剥いたのは想像に難くない。

 その矢面に立たされたのは、乃木無人であった。

 それまで無人が積み重ねた功績を依代に、英雄だ天才だと讃え日本の、いや、世界の未来を変えてくれと熱望した世論は姿勢を一変し、悪魔の所業だ、殺人犯だと日夜、乃木無人を責めたのだった。


 無人が実験凍結の決定を下した事実は、固く閉ざされた扉の向こうへ隠され、ないがしろにされ、うやむやにされ、剥き出しの悪意に晒された無人は、次第に心を折った。

 そして、突如<スマート・トラフィック・プロジェクト>から姿を消した。

 しかし乃木無人は、それから五年後——米国ニューヨークに姿を現した。

 アーカムメトリクスの高級所員としてだ。

 それからというもの、アーカム社の挙動は慌ただしく、乃木無人を迎えた翌年には乃木坂の爆心地を買収し本社機能を移転、乃木無人もそれに合わせ日本へ帰国を果たすと途中放棄をしたプロジェクトを完遂させた。


 、乃木無人は、自身の研究で人体には関与しないことを、幾つかの約束の一つに、アーカムメトリクスで人工知能開発に従事し、アンドロイドいや、デミヒューマンを産み出した。だが、完遂されたプロジェクトでは人体へのフィードバックは実装されなかったのだ。


 無人が提示した幾つかの約束のもう一つが、茨城県の某大学との産学連携であった。同姓の優秀な人工知能技術者——乃木葵との協業を望み、その姿勢は、無人自身の知識や技術を若い世代へ残そうとしているように映ったそうだ。

 だがしかし、密かに囁かれたのはこうだった。

 新しい世代へ自分の全てを残し、乃木無人は命を断とうとしているのではないか? もしくは、何処かへ姿を消そうとしているのではないか? と。





 ——茨城県某大学人工知能科学センター。


「はい……向こうでは戦争が起きようとしています——」

 無機質で純白で——颯太が意図せず造った血溜まりはあったが——寒々しい印象の部屋に颯太の困ったような声が響き、物々しい事実を告げた。勿論それはリードラン、仮想世界での話しではあるが、どこか重々しい。


 言葉と言葉の合間へ、ひっきりなしに首を突っ込んでくる部屋中に設置された機器の駆動音。コッコッコッと鳴るのは随分と古びた骨董品と呼んでよいであろうハードディスクが狭苦しく動く音だ。それに対照的なサーッと随分とスマートな音を鳴らすのはハードディスクではなく、所謂フラッシュメモリを冷却する水冷ファンの駆動音だ。


 そんな音が、陽菜の次の言葉までの隙間を埋めようとするのだが、颯太にとってそれは、なんとももどかしい時間を意識させる仕掛けのように思えてしまいそれを意識してしまう。

 「リードランでの死は現実の死である」というアッシュの言葉は、戦争に参加した<外環の狩人>が剣で斬られれば、魔術で焼かれれば——現実世界での外傷の再現性がどれ程かわからないが、肉体にも影響を及ぼすと云うことを意味し、下手をすれば死に直結をする。その事実を述べた颯太は、自分が何かをしたわけでもないのに、得体の知れない緊張感に襲われたというわけだ。

 颯太は固唾を飲んだ。「——先生もそこに居ます。が、連絡がとれなく……」


「そう。だったら私の先輩もそこに居るってことね」

「先輩——ですか?」

「ええ。クレイトンで見たでしょ? 無駄に二刀で格好をつけたオジさん。あれでイケてると思っているのよ? まったく変なのにね。そう思わない?」と陽菜は苦笑し続けた。「さっきから連絡が取れないの。もう戦争が始まっているってことかしら?」


 陽菜の苦笑に誘われ颯太も頬を緩めたが、続けられた言葉に「それは僕にもわかりませんね……」と、イケているかどうかの回答は、どのみち必要ないだろうと眉間に皺を寄せ軽く首を傾げた。

 最初の質問は、陽菜の中には揺るぎない答え、いや、事実がある。イケてない。と、いうことだ。陽菜の口調から颯太はそうと感じ、触れはしなかった。そんな空気ではないというのもあるのだが。


「仮に——」陽菜は大窓硝子に手をあて云った。「——その戦争にね、私達みたいな狩人が参戦したらどうなるのかしら」

 できるだけ、それは考えないようにしていた。

 颯太はアッシュに投げ飛ばされ、何が起こるか体験済みだ。万が一だ。ミラ・グラントが気が付かなければ、ジーウが癒しの術を施さなければ、どうなっていたか。

 颯太は身震いをした。「他の狩人も同じ状況であれば、致命傷を負えば、おそらくは——」


「死んじゃう?」陽菜の言葉は刃のようだった。

 颯太は、言葉の刃を喉元に突き付けられたように感じ、こちらを見ない陽菜の横顔をおどおどと見つめ固唾を飲んだ。

「——デバイスにダウンロードされた緊急メディカルプログラムの新しいパッケージは恐らくリードランでの魔導と連動しています。もっと云うと、リサイクルプログラムは魔術に対応をしているはずです。確証はありませんが、きっとそうです。ですので、リードランで魔導の治療を施されれば……頸が繋がっていれば大丈夫な筈です」


「そお」陽菜は自分の横顔を刺した怯えた視線に気が付いてはいた。だが、それを払拭するよう、笑顔で安堵させる言葉をかけるつもりは、更々なかった。「魔術とリサイクルね。SDGsが聞いて呆れるわね。じゃあ、致命傷を負った場合、魔導による治療をうけなければ死ぬってことよね。そう。そもそも、何でかは分からないけれども痛覚は——だいぶ抑えてあったけれど、感じていたわよね。そこが謎だけど——そう。うん、そうなのね——」言葉の最後は、自分へ云いきかせるようにした陽菜は何度か辺りを見回し再び颯太を、真正面から視線に捉えた。「それで、白石颯太。あなたはどうするの? 戻って恩師を助けに? 下手をすれば死んでしまう世界へ身を投げ打つつもりはあるの——それとも、そんな気概はない?」


 突然と飛躍した話を繰り出した、この女性は警察組織の人間の筈だ。

 国民の安全を護るべく職務に従事するのではないか? だが、投げかけられた言葉を頭で何度も反芻するのだが「先生を助けるのに死ぬ覚悟はあるの? ないの?」と、颯太にはそういう風にしか聞こえないし、到底、身の安全を保証してくれるような空気でもない。

 言葉の裏に潜む「私は行くけれどね」といった雰囲気と、部屋に広がった惨状へ興味を持つそぶりもなく淡々と話す彼女に颯太は眉をひそめ「——あの、高木さんは、その——本当に警察の方なのですよね?」と、思わず口を突いた。


「警察?」陽菜は目を細めた。

「そうね——警察は私達の後始末をしてくれるわね。私達は——ドブ板を鼻面でさらう警察犬——いいえ、猫かしら? 可愛いでしょ?

 でもね、どうにも汚らしい鼠は私達の判断で喰い殺してよいの。間違い? ええ。その判断に間違いがあれば、私達も死んでしまうわね。だから、なのか? と訊かれれば答えはノーよ。あまり私達に都合の良い期待はしないほうが良いわ。あなたを『この子を助けてあげてください』って交番へ連れていってあげるわけじゃないから」


「ああ——つまり……」

「つまり? 保護はするけれど、それは私達に協力すればって話。協力しないのなら、一連の失踪事件、乃木無人失踪も含めてね、その被疑者として警察へ引き渡す。それが一番の保護だもの」

「ひ、被疑者ですか——僕が?」

「あら。大丈夫よ。被疑の間は罪は確定していない。犯罪者ってわけじゃないわ」

「いや、でも……」

「そう呼ばれるのが嫌——お父さんが怖い?」

「父は関係ないですよね……」

「そうね、関係ないわね。でもあなたのお父さんは厳格な経営者なのでしょ? 息子のあなたが警察のお世話になったとしたら——どう思うのかしら」

「ちょっと待ってください」父にと云うよりも母に迷惑をかけることへ少しばかりの罪悪感を感じた颯太は、今にもどこかへ連絡をするようにした陽菜を制した。

 とは云ったものの、この罪悪感は突然降って湧いて出た、身に覚えのない——というと嘘になってしまうが、罪を突きつけられ覚えたものだ。だから、陽菜を制止した颯太の表情は随分と強張っていた。引きつっていたと云っても良い。

「何?」陽菜は、颯太が顔を強張らせ挙げた手を見つめ、ほくそ笑んだ。


「リードランで何があったかは教えました。

 これ以上の協力というのは、つまりリードランへシンクロして高木さんに協力をするということですよね? それには先生の協力も必要と……そうしないと、なんでしたっけ? 薄気味悪い宗教家に殺されるんでしたっけ……」


「そうね。そうなるわね。

 だって、って怪しいもの。経歴も出生も何もかも。そんな彼女には協力をしている。そうよね? だったら、話を訊く必要があるわ。乃木葵に白石颯太。それに、フー悠然ヨウラン——ジーウ・ベックマン。だったっけ?

 んで、先生に連絡が取れないのなら向こうで話を聞かなくちゃってこと。蒲田に行っても仕方がないわ。それで、その為には向こうで起こる戦争をどうにかする必要がある。だって、考えたくもないけれど——」





「たっく。あの馬鹿、何やってんのよ……」

 とっぷりと陽の暮れたキャンパスの並木通りを小走りした三好葵は、人工知能科学センターを目指した。暑季の間は異常な湿気を孕むこの辺りに長居するのは得策ではなかったし、何よりも、点々とした外灯が薄暗く背後に伸びた並木道を、ぼうッと照らすから、先程から感じる人影に恐怖を感じる。

 恐らく、その人影の存在は気のせいではないだろう。

 どこか心の底を覗かれているのか、無作法に撫でられているような視線を複数感じるのだ。

 三好は、まあ私は可愛いから仕方ないかと臆面もなく、なんだったらその言葉を小さく口にした。


 それにしても許せないのは、白石颯太だ。

 自分から食事に誘い日程まで決めたのにも関わらず、それをスッポかしたのだ。これまでにも、そういったことはあったが、大体は「のっぴきならない理由」で、自称絶世の美女との約束をスッポかしている。そして、今回の理由——云い訳は、三好にも察しがついていた。

 スマートデバイスの異常だ。

 三好のそれも手首を侵食し外せなくなったのだ。きっとこの原因を颯太は知っている。それを一番に知らせないのが許せない。私に何かあったらどうするつもりなの? あの優男は。


 そう思えば、ではこの現象な何なのかと、興味本意にダウンロードされた見慣れないプログラムを実行すると眼前に、眩い光球がふわふわと浮かぶ始末だ。

 三好はそれにすっかり焦ると、颯太の行方を追いかけると、彼が人工知能科学センターに入館したきり退館の記録がないことに気が付いた。だから、父に頼み社用車へ臨時の運行プログラムを依頼すると大学に車を飛ばした。著名な建築家である父は随分と娘に甘い。


 しばらくすると——背後の奇妙な気配が気にはなったが、産学リエゾンセンターへ到着し逃げ込むように入館をした。受付のチェンバーズからは「あと二時間で閉館時間です」と釘を刺され「わかったわ」と被せるように云うと、お決まりの文言をご苦労様と心中で皮肉った。


 三好は屋内のサインを一切確かめることなく人工知能科学センターへ一目散に向かった。

 ソリッドな紺色で柔らかめの素材でできたワイドパンツへ合わせたトップスは、とろみのある真っ白な生地の長袖のカットソーという格好の三好は、スウォッシュのスニーカーを踏み鳴らし一段抜かしで階段を駆け上った。

 だからなのか目的の階の踊り場に出る頃には薄らと汗を滲ませ、自慢のふんわりとした茶髪は少しばかり重さを感じるようだった。三好はシャツの袖をまくりフロントの第二ボタンまでを外すと「もう!」と、髪を後ろで一本に結き、両開きの自動ドアの前にたった。ドアにはシンプルに「人工知能科学センター」と書かれている。ここが目的の場所だ。





 ——リードラン永世中立都市ダフロイト北。

 聖霊の棚田近隣。


 それから幾度となくダフロイトからの斥候を遠くに確認したアークレイリ軍であったが、それを気にする様子はなく専守防衛の軍は鼻から相手にしていないといわんばかりだった。

 しかしそれは、その報告をしたダフロイト斥候隊の怠慢だ。実状は大きく異なっている。先に姿をあらわした白外套の魔導師は、こともあろうに元帥アルベリクを連れて来いと、青竜騎士団団長アイロスへ云うと彼の逆鱗に触れたのだ。

 しかしだ。魔導師は頸を落とされるどころか、アイロスを馬上から引き摺りおろすと「耳がないのか」と、団長の右耳を削ぎ落としたのだ。

 そして破竹の勢いで進軍を続けたアークレイリ軍は、足並みを止めたのだった。



「これをやったのはお前か魔導師?」

 アルベリクは先頭を征く青竜騎士団が歩みを止めたことに苛立ちを覚え、軍列中央から単騎、馬を走らせた。大きく騒めく塊を見つけると颯爽と躍り出ると、実弟アイロスが大兜を脱ぎ蹲る姿を見たのだった。よく見ればアイロスは右耳を押さえ呻き声を挙げている。そして、月明かりに照らされた街道は、アイロスの垂れ流した鮮血に汚れた姿を見せた。

 これに目を細めたアルベリクは下馬をすると、そう云うと片手剣を抜き放ち、鋭く切っ先を魔導師の眼前に置いた。

 白外套はそれに「おお、お前が白竜か。名は確か……おお、そうだ。アルベリク。アルベリク・シュナウトス・フォン・ベーンだな」と嘲笑めいた口ぶりで魔導師よりも頭二つは大きなアルベリクの顔を見上げた。


「答えろ、翁。お前がやったのだな」アルベリクは白外套が右手に握った片手剣へ視線を落とした。


「ああ。お前の弟は——どうにも頭が悪いようでな。いくらお前の居場所を訊いても答えなんだよ。故に飾りの耳は必要なかろうと親切にも斬り落としてやったというわけだ。贅肉は害、故にな」

 白外套は、そしてカサカサと笑った。

 アルベリクは「そうか」とたった一言を云うと稲妻の早さで剣を横薙ぎにした。しかし、せせら笑う白外套は煙のように姿を消すと「まあ落ち着け」とアルベリクの背後をとり左腕を捻り上げたのだ。

「ウグッ」と苦悶の声を挙げたアルベリクを助けようと数名の騎士が駆け寄り抜刀をするが、アルベリクは青竜の騎士達に「やめろ」と制止した。恐らくは騎士達の次の挙動で腕は斬り落とされ、胴は布のように切り裂かれるはずだ。アルベリクも馬鹿ではない。白外套の身のこなし、得体の知れない魔力。そういったものに身の毛がよだつ想いを抱いていた。


「お前は幾分か賢いな。いいぞ白竜」白外套は更にアルベリクの左腕を捻り上げると続けた。「一つ提案だ。お前が戴く白竜の名をそのままに、この軍隊を勝利に導く気はないか?」



 ※



 ——永世中立都市ダフロイト。


 かつての桃源郷は先の<大崩壊>を経験すると、評議会はこれまで<世界会議>に保証された自治権は、ややもすれば瓦解しいよいよ身の振り方を世間へ喧伝しなければならない時期がやってくると考えた。そして、その身の振り方というものは、復興期に多大なる支援で、屋台骨を支えたフリン・フロン王国への帰属。その噂は都市中で囁かれた。

 現在、北の聖霊の棚田で足踏みをするアークレイリ軍は「エステル・アムネリス・フォン・ベーンをフリン・フロン王国から奪還する」と大義名分を掲げダフロイトの通過を迫っている。穏便に。とは行かぬものものしさに評議会は簡単に、かぶりを縦に振ることはなかった。

 これは過去に定められたダフロイトの大きな使命の一つだ。

 北の蛮族と南の四諸国の軍事衝突を回避するための役割。緩衝地帯としての機能。そういったもの。それをこなすが故に桃源郷は永世中立都市として権利を護られている。

 だが、現状を見渡せば、国家に多大な影響を誇るとはいえ、国軍を統べる元帥とはいえ、一貴族が国王の勅命でもない侵略戦争まがいの軍事行動に出る情勢を抱えた、云ってみれば蛮族の国が永世中立の権利を脅かすというのであれば、黙ってそれを見過ごすわけには行かない。それがダフロイト評議会の姿勢だ。


 故に評議会の三賢人は寄せられた義援金や<外環の狩人>の血盟から納税された税金といったあらゆる財を開放することを宣言し、リードラン有数の血盟や戦士ギルド、教会に魔術師ギルドへダフロイト防衛の要請をかけた。

 アークレイリを通過させてしまえば、世界は再び戦乱の時代を迎えてしまう。

 それだけは避けなければならない。


「ひゃー。狩人ってこんなに居るんだ。でもそっか。把握しているだけでも二千万はくだらないんだもんな」

 新設された石造の警備隊本部の屋上から中央広場を眺めたショーン・モロウは額に手を掲げ続々と集結した<外環の狩人>の軍勢に、戦士達の姿を眺め感嘆の声を漏らした。


「二千万?」それに返したのは白の吟遊詩人アオイドスだった。ショーンと肩を並べ、やはり集結しつつある軍勢をぼんやりと眺めていた。

 結局のところ、ショーンのあやふやな口調にまるめこまれたランドルフは「アッシュは白銀の魔女に捕われたエステルを助けに南へむかった」という当たらずとも遠からずな情報を評議会へ報告し、迅速にこの招集を具申した。


「ああ。本当はもっとだけどな。

 正確な数字を引っ張り出そうとしたのだけれど機密情報扱いでね。みたいな犬には開示されなかったよ——」

 復興の際には多くのフリンフロンの技術者が主に城壁や家屋の修繕や改修、または更地へ新たに家屋を建てるといったことに携わった。だから。と、云って良かったが被害の少なかった地域は古き良き木造のダフロイト様式が残されたのだが、被害が甚大であった地域には石造を主とした、フリンフロン様式の建物が多く広がった。その様相はショーンがそう云って見下ろす中央広場を中心に北から南の一本筋はそうであり、東と西には多くの古き良きダフロイトの景観が幾許か残されているといった具合だ。「——しかし綺麗にど真ん中をやられたんだな」とショーンは半ば感心するように、その景観の異様さに言葉を漏らした。


「ねえ、ショーン・モロウ。ライラという娘とあなたは、本当のところはどこまで知っているの?」

 アオイドスは横目にショーンを見ると云った。

「どこまで?」

「ええ。リードランのことを、どこまで知っているの? それにで何が起きようとしているのか。それはどこまで把握しているの?」

「さあね。俺達は真面目なんだ。だから罪もないが殺されるのを未然に防げるなら防ぐ。ただそれだけだよ先生」

 喰えない男。アオイドスはショーンを見透かしてやろうと思うのだが、どうにそう云った駆け引きの技量は相手の方が一枚も二枚も上手のようで、ショーンの答えはアオイドスの知りたい答えの先を云い当てるようだ。

 もっともそれは逆説的に、事柄の過程——アオイドスが求めた答えは自分で考えろということだ。そう——ショーン・モロウは喰えない男なのだ。


 それに——ショーンが云う人間とはどこまでの範囲なのだろうか。それすらも、どこかぼやけたているように思うのは、アオイドスがアッシュ・グラント——乃木無人と関わっているが故のことだと理解はするが、だが、心のどこかでショーンの想いを訊いてみたいとも思ってしまう。その範囲にはアイシャやグラド、ミラは含まれているのだろうか。


「そう——職務に真面目なのは良いことね……」だが、アオイドスはそれを訊くことはしなかった。まだ、その刻ではないように思えたからだ。


「いやいや。違うよ先生。自分に真面目ってことだ。

 職務はね、あくまでも方法だ。正義の味方ってわけじゃあないけれどな。護れるものは護りたい。俺達の流派は——戦争が産み落とした影だったが、爺さん達も常にそうだった。たまたまそこに戦争があった。それだから爺さん達は戦争に身を置いて死ななくても良い人間を護った。

 俺達の場合は、そこにあったのは——わかるだろ?」


「流派? 武道かなにか?」アオイドスは、ショーンが語った理由へ、かぶりを振ると「流派?」と初耳の言葉が気になり訊ねた。警察機関の人間であることは承知していたが、それが流派で語られることはないだろう。だがしかし、またしてもアオイドスが求めた答えは返って来ることはなかった。


 北の空に異変が生じた。


「ああ、そんなもんだ——ってオイ。なにか感じないか? ——」

 ショーンは膨れ上がる気配を感じると、慌てて北の空を見上げた。

 そして、そこに認めたのは白く輝く半球体であった。

 アオイドスはその気配と似たものを感じたことがあった。それは大崩壊を引き起こしたアッシュが産み出した<世界の卵>。その現象が収束する際、<世界の卵>は周囲のあらゆる物を飲み込み大穴だけを残して消え去った。そして、そこに残ったのは記憶を無くしたアッシュ・グラントと聖霊ロアの加護に護られたエステルだった。もし、あれがそうであるならば、球体が消えて無くなった跡には、何が残るのか。「——おいおい、なんだよありゃ」


 膨れ上がった白い半球体は、いよいよ夜空を白けさせると、まるで突然に陽が昇ったのではないかと錯覚させる程になった。

 これには、中央広場に集まった軍勢の面々も騒ぎだした。

 とりわけ驚きの声を挙げたのは、ネイティブ達であった。口々に「またあれが起きるのか?」と云うが、別の声は「いや、あのときは黒の球体だった」と、その差異を口にすると「あれは我々を祝福する神の鉄槌がアークレイリの蛮族を撃ったのだ」と魔導師の説法もよろしく都合の良い解釈を垂れたのだ。


 だがしかし——そのどれも的を得た見立てではなかった。

 白く輝く半球体は空まで届くと、次には人々が身を強張らせる程の寒波を撒き散らすと、この季節には似つかわしくない雪を降らせたのだ。正確には吹き荒ぶ風の中の水分が凍え、そのように見えたのだ。


「あれは……まさか——」

 ——白竜は猛り狂い災厄の竜を呼び出すでしょう。世界の鍵は紫紺の沼の奥深く。地下大空洞で焔の傍で眠る——。白の吟遊詩人はアドルフが口にしたメリッサの残した言葉を思い出した。災厄の竜。この地でそれを表すものはたったひとつだ。

 雪竜王ヴァノック。

 アオイドスとショーンが見上げた夜空に見えたのは、おそらくそれであった。白く輝く半球体は次第に姿を変えると、氷雪混じりの風を纏った竜となり今では、六枚の翼を大きく広げながら長い首を弓形にもたげていた。


「——ヴァノック」アオイドスはその名を口にすると、どこか薄らと笑っているように見えた。「おいおい、何が楽しいんだよ。ヴァノックって云えば雪竜王だろ? アッシュ・グラントが斃したんじゃなかったのか?」ショーンはアオイドスの顔を覗き込むと、どこか困ったような顔をし「たはは」と笑いながら云った。


 ヴァノックらしき竜は、弓形に構えた首が反ることのできる限界をむかえると、大きく息を吸い込んだのか、目視できるとは云え距離としてはまだだいぶ遠くに在るのにも関わらず、ゴオオオオオオと轟音を轟かせた。


 竜の息ドラゴンブレス

 四翼のオルゴロスのそれは、吐かれた途端に全てを腐らせ、そこから木々や草花を産み出したと云う。無翼のエキトルのそれは嵐を呼び、あらゆる事象を世界の果てへと押し流し新たな理を導くのだそうだ。そして、六翼のヴァノックのそれは、世界の王に与えられた使命ゆえに吐かれれば、凍えた焔で大地を凍えさせ焼き払う。そして、生きる資格のない者は射出音にでさえ命を奪われるのだそうだ。六翼に与えられた使命とは、空と大地の監視。大地に放たれた第四の獣が暴挙に出た際の粛清。

 つまりそれは罪を犯したの抹殺だ。

 何をもってしての罪なのか。それはヴァノックに委ねられ、その執行は、今まさに吟遊詩人が目にする竜が吐き出した竜の息ドラゴンブレスで行われる。


 北から放たれた凍てつく焔の光線はダフロイトを掠め南西に伸びて行くと、大地を凍えさせ焼き払った。死を招く轟音もその後を追いかけた。ダフロイト上空を掠めた轟音は、掠めたとは云うが街中を揺らすほどの轟音で、南西へ向かった惨状を目にするアオイドスとショーンは堪らず両手で耳を塞いだのだ。


「おい! しっかりしろ!」

「駄目! 復活しないよ!」

「助けてくれ……!」


 轟音が過ぎ去ると中央広場へ次第に悲痛な声が飛び交うようになった。ショーンはそれに気が付くと、かぶりを強く振りながら気を奮い立たせ屋上から広場を見降ろした。そこにはバタバタと斃れていく<外環の狩人>やネイティブ達の姿が広がっていた。

 ショーン——森山結斗は、先ほどから確かに身体の気だるさを覚えていた。だが、それはきっと一連の外典教会アポクリファとの悶着があったにも関わらず、無理を押してシンクロをした影響だと思っていた。

 それとこれが結びつくとは思えなかったが、実際に森山が受けたダメージにも違和感を感じていた。普段であれば、これくらいのことであれば造作もないことのはずだ。


 眼下で斃れた人々。

 狩人であれば、生命力が削られ底が尽きれば一度はリードランから姿を消す。

 森山は目を疑った。絶命したように斃れた狩人は幾ら時間が経っても姿を消すことはなかったのだ。つまりだ。森山——ショーン・モロウが受けたダメージは、森山結斗の肉体でも実際に受けているということではないのか。だからヴァノックが放った竜の息ドラゴンブレスの射出音に耐えられなかった狩人——魔力量が軒並みに低い戦士を中心に斃れると、ダメージがリードランでの致死量に達した者は……。


 ショーンの傍で、眼下に広がる惨劇をアオイドスは眺めていた。やはり、どこか笑いを浮かべているようにも見えるのだが、しかし、そこはかとなくそれは満足げな表情にも見えた。それにショーンは怪訝な表情を見せ「なあ、先生。何が起きている? 全部話してくれ」とアオイドスに向き直った。


「ショーン。

 どんな結果になったか解らないけれども、でもね、これだけは云える。アドルフはとある作戦に失敗をして、アッシュは全てを取り戻した。

 そして決断をしているはず。その決断がどんなものだったかと云えば、それは解らないけれど、とりあえず人類は首の皮一枚で助かったということ。でも。その決断が導く未来は、この後も私達に良いものであるかどうかは、それもまだ解らない」


「なんだよ、その無い無い尽くしの話は。阿呆にも解るように説明してくれ」




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