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Ragnarok#5_ドレット・レイド・ランブル





「馬鹿野郎! フードを降ろせ! 素人じゃねえんだ!」ダフロイト内区ないく睥睨へいげいする中央城塞に怒号が響いた。


 永世中立都市ダフロイトは大きく十三の区で構成され、そこへ大小様々な四十三の街がひしめき合う。魔術や魔導を巧みに組み込んだ部隊運用で知られるダフロイト警備隊は十三区のなかでも外区がいくと呼ばれた東西南北の外壁内に区分された八つの区の城塞を拠点としている。

 警備隊本部は、所謂「中央」と呼ばれた地区に設置されたが、ひときわ大規模な中央城塞はダフロイト防衛軍の拠点として機能をする。警備隊隊員の多くは、その理不尽に中央城塞を「お飾り砦」や「学舎」と揶揄した。


 何をもってして理不尽か。

 ダフロイト防衛軍とは永世中立権を維持する為に設けられた専守防衛の戦力である。だが、そもそもこの永世中立は世界会議の後ろ盾——<北海の和約>の上に成り立っており他国の干渉を受けることは皆無と云ってよい。故にダフロイト防衛軍とは、内戦に明け暮れる南のフォルダール連邦諸国あたりからは、安全な場所で行われる「騎士ごっこ」だと云われる程、実戦経験に乏しいのだ。

 かたや警備隊はダフロイト市中十三の地区と壁外周辺の警備、警戒、哨戒を担い、数年前にダフロイトを襲った<大崩壊>の際、壁外に群がった屍喰らいや、人喰い鬼オルグ土鬼ノームといった魔物を相手に大きな戦績をあげた。つまり、実戦経験を糧に研鑽を積み上げダフロイトの平和を磐石なものとしているわけだ。

 だが、ダフロイトの守護神——警備隊の本部は中央に置かれてはいるものの商業区画の端で申し訳程度に佇んでいる。併設された練兵場は猫の額ほどの広さだ。どこでも実務をせっせとこなす者の職場は窮屈ということなのだろう。

 故に「理不尽にも程がある」——と、警備隊隊員達は思うわけだ。


 城塞に轟いた怒号は東地区の警備を任されたクリストファー大隊所属の警備隊員のものであった。

 北大門のはるか北に広がる棚田へ約二万のアークレイリ軍が集結しつつあることが、斥候隊の報告で明るみになると、評議会三賢人が発令をした全軍全隊による領域横断作戦に基づき中央城塞へ警備隊も集結をした。

 そして、城塞の主人達を怒鳴りつけ理不尽の憂さを晴らしている。


 こうして防衛軍は夜行軍、夜戦を想定しての装備で集結をしたのだが、はるか遠方とは云え目視された敵前で角灯を炊くなどというのは、敵へ位置を知らしめているようなものだ。例えそれが自軍陣地であっても、魔力の奔流を撃ち込んでくれと云っているようなものである。それであるから、防衛軍が練兵場へ集結した際、最初に行なった仕事は「角灯のフードを降ろす」ところから始まった。





「お飾りとはよく云ったもんだよ」集結をした警備隊員や、騎士然とした防衛軍を見下ろしたクリストファーは片目を細めた。

 ——右目はいつでも閉じられている。

 数年前、ガライエ砦での吸血鬼掃討戦で、眷属の血を右目に浴びると侵食を防ぐため自ら右目を抉り取ったのだ。それ以来、黒革の眼帯は手放せない。

 その傍に佇んだイングリットは大隊長の言葉に「なぜ防衛軍なんて必要なのですかね?」と尤もらしい質問を口にした。そして、北から吹き付ける冷え切った夜風に、ブロンドをたなびかせクリストファーの眼帯を眺めた。


「それは建前の話か? それとも実質的な——この場での必要性の話か?」クリストファーは軍隊を見下ろす視線はそのまま、にんまりと笑い彼女へ答えた。

「どちらもです」

「前者であれば、子供を戦地に送りたくない貴族達の駆け込み寺。後者は、その子供達が危ない目に遭わないよう事前に脅威を排除するという、俺たちの仕事の種だな。そういう意味では今回はあいつらを邪魔にならないよう、ここに留めて俺たちが最前線で敵を排除する。そうして給金を頂戴すると。そういうわけだ。ん? 納得いかないか?」

 クリストファーはそう云うと、憮然としたイングリットの陽に焼けた顔へ目をやり、やはり笑って見せた。



※ 



 雪竜王が放った竜の息ドラゴンブレスが北壁を掠め遠くへ軌跡を描いたのは、その刻だった。冷たかった夜風は、凍てつく死の風の様相を見せ、軌跡を追った轟音はクリストファーとイングリットの脳を震わせ失神寸前まで追い込んだ。

 青白い軌跡は電磁線を巻き上げ、その後を追った爆炎は身を焦がす風を巻き上げると、遥か遠くに見える北壁の一部と大門を吹き飛ばし、大小様々な瓦礫を街並みに降らせた。

 咄嗟にイングリットを庇うように抱き寄せ身を屈めたクリストファーは「大丈夫か」と確認をした。「はい、ありがとうございます」とイングリットは浅黒い顔を少しばかり赤らめ答えると「もう大丈夫です」と、素っ気なくクリストファーの抱擁から逃れた。

 フォルダール連邦ソルダール国ノーフォリア出身のイングリットは、南方に多い彫りの深い面立ちでななく、どちらかと云えばフロン人のように薄く顔が小さい。だが、大きな目は南の血筋を如実に表している——そのためか浅黒い小さな顔で大きな茶色の瞳が動くと、何かの小動物を思わせた。


 だからなのか。と、イングリットはこの有事にあらぬ理由で再び憮然とした。「自分の身は自分で守れます。そういうのは色々と勘違いさせることになるので控えてください」イングリットは竜の息ドラゴンブレスの後を追う、今では生暖かい風に揺られたブロンドを押さえつけ、クリストファーの、彼女を見上げる視線から逃れるように顔を反けた。


「あ、ああ。すまん。悪かったな。そんなつもりじゃなかったんだ。それよりも——あれを見ろ……竜か?」

 それよりもってなによ——胸中、毒づいたイングリットはクリスファーの指を追いかけた。そして目にしたのは、六枚の翼を大きく広げ翔びたった蜥蜴、いや、大蛇のような姿だった。そしてそれは山よりも巨大であった。「あれは……雪竜王ヴァノック?」





「皆、恐れるな! あの御姿こそ我々誇り高きアークレイリの象徴! 雪竜王の御姿なり! アルベリク元帥が御神体となり勝利を導く! 鬨の声を夜空へ轟かせろ! 我々の気高き血筋を穢し、蹂躙せしめる輩に鉄槌を降すのだ!」


 青竜騎士団団長アイロスは、すっかりと月明かりが遮断された街道で剣を掲げ、お得意の仰々しさで叫ぶと夜空を見上げた。

 顔を覆いたくなるほどの風が頭上から吹き荒れ地面を叩く。目を細めたアイロスの視線の先には、奇妙に白く輝く竜の姿があった。

 竜の巨躯が飛翔する。王都の学者達に云わせれば、それは不可解なものなのだそうだ。巨躯がどれほどの重量なのか。それは判らないが、とにかく山を浮かせる程の浮力を得ようと思えば——ましてや、垂直に昇っていくようなことは、それ相応なの翼が必要である。だから学者先生達は口を揃え「魔力で翔んでいるのだ」と云い、翼の力動には翔ぶ以外の意味があるはずだと、うそぶくのだ。


「なんであれ、翔んで行って敵を蹴散らしてくれるのなら——なんでも良い。それが兄上の選択であるのなら付き従うまで……」


 雪竜王の姿がだいぶ夜空へ遠のくと、月明かりが薄暗い街道に戻ってきた。

 アイロスは改めて周囲を見回し、広がった惨状を目にすると苦虫を潰したような顔をし「酷いものだな……」と、後方を確認した。「生き残ったのは……八千程か」


 アイロスは惨状のなか馬を走らせ、各師団師団長の生死を確認すると、檄を飛ばし崩壊寸前であった軍団を纏めあげた。しかし、残存兵力の殆どは魔術師師団、魔導師師団、大弓隊に槍兵、砲撃術師隊といった中遠距離の兵力が中心で、突撃の要となる騎士団に歩兵師団はほぼ壊滅状態であった。


「兄上。ご加護を」

 アイロスは、この状況下でも、空を翔ぶアルベリクへ助けを求め、あまつさえ願いは聞き入れられると信じている。残された白竜騎士団、アイロス麾下青龍騎士団の面々は、月明かりに照らされたアイロスの表情に戦慄を覚えた。アイロスは笑っていたのだ。「突撃!」


 馬上で白刃を振り下ろし死地への号令を放ったアイロスは、軍馬の脇腹を興奮気味に蹴り先陣を駆けた。遠くを雄大に翔ぶ白竜の後を追いかける姿は、月光の下、兄に置いて行かれまいと懸命に駆ける少年のようであった。




 謎の飛翔体による砲撃で北大門及び北壁左翼に甚大な被害。

 アスタロト砦壊滅。

 アークレイリ軍の進軍を確認——先陣を切るのは青竜騎士団。

 飛翔体は崩壊したアスタロト砦上空で旋回を繰り返し、散発的に突撃を繰り返す各血盟旅団への応戦を強いられた。それが、一定の足止めにはなっている。


 これは警備隊本部で指揮を執るランドルフの耳へ届けられた情報の一部だ。

 謎の飛翔体。

 先程、外で出会したアオイドスから手短に説明をうけている。十中八九あれは白竜——雪竜王ヴァノック。もしくはそれ相応の竜だ。白竜が放った<竜の息>は、八つの外区のうち北西に広がる北壁左翼区画の壁を薙ぎ倒し北大門を大地の藻屑と化した。数年前は、イカれた解放戦線軍将軍が放った<魔力の奔流>に破られ、今度は<竜の息>だ。「これのどこが永世中立だ」とランドルフは毒づき、机を強く叩いて見せた。


 北壁左翼と北壁右翼に挟まれ中央へ伸びる街道。通称<アスタロトの足跡通り>には、左翼を護ったアスタロト砦が崩壊した影響か、魑魅魍魎も押し寄せアークレイリ軍との接敵を前に、既に苦戦を強いられている。

 防衛軍を向かわせると胸をはった防衛軍総大将にランドルフは「中央の護りという重要な任をお願いしたい」と、体よく「騎士もどき」を中央砦へ押し込め、その替わりに腹心とも云えるクリストファー隊を警備隊本部へ呼び戻した。

 今の所、散発的とは云え一騎当千の<外環の狩人>の血盟の幾つかが<アスタロトの足跡通り>で魔物を相手にしているとの報告も受けていることから、クリストファーにはアークレイリ軍迎撃の指揮を執らせるつもりである。


「クリフ、儀礼は必要ない。こちらに」

 対策本部となった警備隊総大将執務室に駆け込んできたクリストファーへランドルフは、地図を見ろと大机にトントンと指を降ろした。「大将、あの竜はなんですか?」クリストファーは軽鎧をガシャガシャと騒がしく鳴らし大机に駆け寄った。そうしている間に何人もの斥候隊員が逐一状況を報告にあがり、駆り出された司書官達はそれを、小さな羊皮紙に書き留めると「失礼します」と地図に貼り込んでいった。どの区画で何が起きているかを知りたいと云ったランドルフの要望へ司書官達は最大限に応えている。


「白の吟遊詩人曰く、あれは雪竜王とのことだ」と、総大将は北大門に程近い<アスタロト砦>を指差した。「今は狩人の血盟隊がここで足留めをしてくれている」

「まさか……本当に……ヴァノックなのですね」

「そうでなければ、それに類する何かだ。何にしてもあれは私たちの死神。斃すべき相手だな」

「吸血鬼の次は竜ですか——ダフロイトは呪われているんですかね?」

「どうだろうな。急造された桃源郷——人の欲望に輝かされ、落とされた影に澱みが溜まり、それは溢れかえった。そのツケかも知れない……」

「また、詩人みたいなことを……」

「そうか?——飛翔体の呼称を<ヴァノック>に確定、全軍に通達! 動揺するなと伝えてくれ」ランドルフは駆け込んできた斥候隊員の一人を捕まえ、そう云うと「頼んだぞ」と肩を強く叩いた。

「と、ご報告します——」戦況が目まぐるしく変わる状況にクリストファーは顔を引き締め姿勢を直すと<竜の息>の咆吼から逃れた全隊の状況を伝えた。


 ダフロイト警備隊は大きく三旅団で構成された。

 クリストファーが所属する<牙旅団>は主に壁外での任務が与えられ、斥候隊の多くはここから捻出されている。かつてランドルフが大隊を率いたのはこの旅団だ。今では、その後釜をクリストファーが受け継いでいる。

 三大隊が生き残り大凡千五百の隊員が、内区の所謂<貴族街>と呼ばれた区画まで登ると、ひとまず慌てふためく貴族達の沈静化にあたっている。


 <盾>と呼ばれた外壁、内壁の守護をする旅団は大凡二千が生き残る。<盾旅団>四個大隊は二手に別れ北壁右翼、左翼の壁に向かい進軍中だ。


 そして市街地戦で真っ先に狩り出される<拳旅団>は大凡三千、こちらも四個大隊が稼働可能であった。そのうち一個大隊は南内門、大門を抜け南に位置する<サスカチュワン砦>へ向かいフリンフロン軍を誘導する任についた。恐らくは数刻もすれば、フリンフロン軍は南大門に到着するだろう。フリンフロン軍進軍の如何は、評議会からランドルフが一任されている。この決裁権はランドルフが評議会からもぎ取ったものだ。判断が遅れればダフロイトは壊滅すると、迫真の演技を見せ説得をしたのだ。


「それで、防衛軍はどれほど残った?」

「中央砦で最重要任務に就かれている最高の騎士——」

「クリフ、気持ちはわかるが、時間が欲しい」

「——すみません、約半数は残っているかと」

「半数? そんなに——」

「死傷ではなく——しょんべん——失礼。心を折ったのが約半数で……」クリストファーはそれに肩を竦め苦笑いをした。「そうか、ならばよかった。しかし……防衛軍の、はよくもまあ、北に防衛軍を派遣すると胸を張れたもんだな。知っているのか?」ランドルフは険しい顔とそれ相応の声でクリストファーへ囁いた。つまり、防衛軍総大将はその事実を知っているのかと訊ねた。「知っていてアレなら、相当の豪胆ですね——いいえ、現場はだいぶ混乱をしておりましたので」とクリストファーは、残された片目で、本来であればランドルフが着く椅子に踏ん反る煌びやかな銀の軽装備に身を包んだ優男へ鋭く視線を投げた。


「そうか。なら良い。

 クリフ、お前は<牙>と<拳>を率いてアークレイリ軍を牽制。フリンフロン軍の到着まで持ち堪えてくれ——私も後から合流する。

 魔物とヴァノックの相手は血盟に任せるんだ。くれぐれも<竜の息>に呑まれるなよ。全隊員に耳栓をさせて手信号での伝達と、魔導師中隊の近距離念話で指揮を執るんだ。いいな。<盾>は市街に残していけ」ランドルフの指示を復唱したクリストファーは最後に足を踏み鳴らすと踵を返し、執務室を後にした。「クリフ、死ぬなよ」





 途中、ランドルフと出会し、飛来した竜の正体を伝えた白の吟遊詩人は<アスタロトの足跡通り>へ躍り出ると、拠点持ちの血盟(ダフロイト別荘区画に屋敷を持つ狩人の血盟)が、雪崩れ込んだ魔物と線端を開いているのが判った。


 巨魔トロルを飼い慣らした人喰い鬼オルグの氏族に、どさくさに紛れ人を攫おうとする土鬼ノーム。崩壊した北の砦に神話の姿を見せた竜。その魔力に誘われ姿を顕した鉱石喰らいドゥエルガルは数体の土塊巨像クレイ・ゴーレムを使役し北の棚田の向こうから来襲した。もはやこれは人間のではない。アオイドスは、その光景に戦慄を覚えた。「竜の攻撃には細心の注意を払って! あれは、あなた達が相手にできる代物じゃないわ!」だから、アオイドスは血盟所属の狩人にそう、声をかけながら北の砦へ急いだ。早ければ、ショーン・モロウがヴァノックと接敵しているはずだ。


 白の吟遊詩人は通りから北壁左翼三十番地区から北上し<アスタロト砦>へ向かおうと、小路へ駆け込もうとしたが、鉱石喰らいドゥエルガルの一団に苦戦をした狩人達を発見すると、加勢をした。

 鉱石喰らいドゥエルガルとは神話の時代、人間に故郷を追われた古種族であるドワーフの一氏族が地下へ潜り、魔力にあてられ闇に堕ちた姿だと伝承に残されている。大変希少な存在であるが、在り方そのものは悪と成り果てた。だが先祖の血筋は、なみなみならぬ鉱石への欲求を絶やさず、今でも鉱石喰らいドゥエルガルの多くは希少な鉱石を蓄え強力な武具を鍛える。もっともその武具の多くは呪われ、それを扱うには、それ相応の代償を必要とした。


鉱石喰らいドゥエルガルの武具を奪っては駄目だって、知らなかったの?」左に節くれた樫の杖、右に片手剣を振るったアオイドスは、たった今斬り伏せた鉱石喰らいドゥエルガルの血を払い、右腕を真紫に変色させた戦士の前で跪いて云った。

 おそらく戦士の足元に転がった黒鋼の短剣は鉱石喰らいドゥエルガルのものだったのだろう。戦利品としてそれを奪った戦士は、立ち所に呪われたのだ。


「そんなのは初耳だ」戦士は身体を震わせアオイドスが触診をするような様子を心配そうに目で追った。「寒気を感じる? いいえ、そうではなくて本体がって話」アオイドスは、かけられた呪いが<骨凍え>であると判断をすると、呪いの効果が現実世界でも発揮しているのかを訊ねた。最悪は右腕が壊死してしまう。

「ああ、身体の震えが止まらない」戦士は弱々しく云うと「どうなってるんだ。助けてくれ」とアオイドスの肩を強く掴んだ。


「そう。ならもう気を付けることね。

 暫くはリードランへシンクロしない方が良いわ。表向きには規制されているんでしょうけれど、あなた達はついついシンクロしちゃう。なんで?」

 吟遊詩人は手慣れた様子で<解呪>を戦士へ施すと、なぜリードランへ来るのだと訊ねた。だが、戦士は素っ気なく「そんなの、勝手だろ」と恩人のアオイドスの手を乱暴に払い返したのだ。恩を仇で返すような言動にアオイドスは、少なからず腹を立てたが「本当に死にたくなかったら、一旦帰りなさい。お仲間にもそう云って」と外套を翻し<アスタロト砦>への道を急いだ。


「そんなこと言って、あんた! 竜の財宝を独り占めしたいんだろ!?」

 馬鹿げた言葉がアオイドスの背中を追ったが、吟遊詩人は「だったら、そこで死んでればいいわ」と風に言葉をかき消されるほど小さく吐き捨てた。





 三十番地区から北上し二十九番地区への境界壁が見えると、アオイドスは足を止め西の監視塔と境界壁をつなぐ胸壁に飛び移った。眺めれば、広大なダフロイトを監視する四つの塔は健在のようで、目を凝らせば西に見える塔には、既にダフロイト警備隊<雪女神の盾旅団>、通称<盾旅団>の弓術士小隊が大弓で眼下の魔物を射る姿を目にできた。その後ろには数名の魔術師が控えている。<鷹の目ホークアイ>とはよく云ったもので弓術士を援護する魔術師たちの術は、弓術士の目にすべからく敵性を映し出し、的を外すことはない。


「あっちは大丈夫そうね。それで問題はと——」

 吟遊詩人は片手を額に掲げ北に向けた目を凝らした。何度かの瞬きが視界を変え、まるで望遠鏡を覗くかのように遠くの砦の様子をアオイドスに見せた。


 かつての<アスタロト砦>は、竜の尾と鉤爪や焔により姿を変え、黒く焼け爛れ、今ではその黒色は白竜の存在を際立たせた。

 月明かりに照らされた白鱗は仄かに青白く輝いたかと思えば、竜の足元は黒々とした砦の肌を写している。その様相はまるで闇から這い出た竜の幻のように見せたが、白竜が首を仰け反らせ、六翼を大きく広げると、ああ、あれは現実のものなのだと現実に引き戻される。

 仰け反らせた首が大きく膨らみ吐き出された焔の撒き散らす熱風が、そうするのだ。

 先に放たれた<竜の息ドラゴンブレス>と比べ、吐き出された焔は性質も火力も異なるようであったが「まずいわね」と漏らしたアオイドスの云う通り、砦に集結しつつあった、数多くの血盟隊が焔に焼かれ丸焦げになったのだ。あの状態がそのまま、現実世界でも再現されているのだとすれば——。


「こりゃおおごとになってきたな先生」

「あら、てっきり丸焦げの中の一人になっているかと思ったのに」

「つれないこと云うねー。

 人喰い鬼オルグと一戦交えてきたら遅れちまったよ。それで? あの馬鹿共は、やっぱり人の忠告を聞かないか。まあ聞く義理もないけれどな」

 いつの間にかにアオイドスの横に立ったのはショーン・モロウだった。

 ヴァノックへ接敵するまで、ほうぼうで繰り広げられた戦闘に加勢しては<外環の狩人>へ、一度帰れと云って回ったそうだが、まるっきり相手にされなかったそうだ。それでも、拾える命を拾い、ようやくここにまで辿りついたと云うわけだ。

 吟遊詩人を見つけたのは、まるっきりの偶然で「生身だと、しんどそうで。身体強化をお願いできないか?」と、精悍な顔立ちへ器用に愛想の良い笑顔を浮かべると、黒髪を軽く掻いてみせた。


「自分でも覚えておくと、なにかと便利よ?」と、吟遊詩人は腰に下げた携行ポーチから<ルトの液>が詰められた小瓶を取り出すと、ショーンの背中へ<言の音>を書き殴った。描かれた文字は緑に輝くとショーンを包み込み、沸き立つ煙——湯気のような——を昇らせた。「おお、快適、快適」ショーンは浅黒い顔に一際白い歯を見せ微笑み「ありがとうな先生」と、気安く吟遊詩人の肩を叩いた。


「大学の先生は苦手なんじゃないの?」アオイドスはそれに眉を顰めた。

「そうだな。でも美人は大好きなんだぜ。だから相殺して普通ってところだ」

「……あなたの相棒も大変ね……」

「そりゃどう云う意味だよ……って、本当に不味いな。あんなに死なれたら、外じゃもうニュースになってるんじゃないか?」

「それこそ、どういう意味?」

変死体が発見されるのは少し先だと思う。

 でもな、インフラ関係のオペレーターにパイロット、高級官僚の息子に娘、そんなのにも配られているんだよ。百や二百じゃない。

 なんだったら、その数はアーカムに選ばれた数千万人だ。もっともそれが皆んなリードランにシンクロしているとは思えないがな」

「スマートデバイスのこと?」

「ああ。その選ばれた中に俺も陽菜ちゃんも、入ってるわけだけれどな」

「——もしかして。

 あの中に転がっているのが航空機やメトロのパイロットだとしたら、直ぐに発見される可能性があるってことね。まあ高級官僚の息子でもそうか——そう云うのには敏感ですもんね」

「そう云うことだな」ショーンはそう云うと「ちょっと待ってくれ」と何やら瞼を閉じ、ぶつぶつと独り言を口にし始めた。アオイドスはそれを、ショーンの相棒へ連絡をしているのだと察すると、もう一度、北に目を向けた。


 白竜は再び首を膨らませ、今まさに突撃を開始した狩人隊へ焔を浴びせようとするところであった。「もう!」アオイドスはそれに言葉を荒げると乱暴に杖で胸壁を突き、術式を展開した。


 吟遊詩人の頭上へいくつもの円環の術式が展開され、それはぐるぐると高速に回転を始めた。その数は十二。白竜が首を仰け反らせ更に膨らませる頃には、回転速度が頂点に達した。頃合いとばかりにアオイドスは白竜が焔を吐き出す直前、樫の杖を北へ大きく振るった。

 杖の動きに合わせ術式から放たれた魔力の奔流は、目にも留まらぬ速さで尾を伸ばすと、砦に到達する頃には青白い魔力の十二の巨槍となり白竜の顔面を捉えたのだった。あたりに轟音が鳴り響き、白竜は意識外からの不意の攻撃に憤怒の咆哮を挙げた。


 ヴァノックが挙げた憤怒の咆哮はダフロイトを駆け巡った。

 アークレイリ軍との会敵前だと云うのに苛烈を極めた<アスタロトの足跡通り>の前哨戦。そこは最も咆哮の影響を受けた。咆哮は<竜の息ドラゴンブレス>が響かせた轟音と同様に、生きる者の心を折り、魔力を練れない者の命を奪ったのだ。それは、人間であろうと魑魅魍魎——魔物であっても同様。<アスタロトの足跡通り>は今や、死屍累々の山があちこちに築かれた。


「おいおいおい。また凄まじいのが出たな」誰かとの連絡が終わったのか、待たせたなと云ったショーンは「ひゃー」と惚けた声を挙げたのだが、表情は至って真剣だった。

 アオイドスはそれに「こんなことに……」と声を窄めたが、ショーンは「いいや、先生のせいじゃないだろ。それよりも、狩人が引かないってんじゃあ、さっさと大蜥蜴をぶっ殺さないとな」と舌舐めずりをした。





 ダフロイト中にヴァノックの咆哮が響いた、その刻。

 ようやく先陣を征くアイロスはダフロイトの北大門を捉え、神々しく首を天空へ伸ばし六翼を広げたヴァノックの姿を目にすると剣を掲げ叫んだ。「あの咆哮こそ、アルベリク元帥からの突撃の合図! 鬨の声! さあ征くぞ我々の勝利は約束された!」


 崩壊した北大門の瓦礫をもろともせずアークレイリ軍が雪崩れ込む頃には咆哮の影響は霧散した。先陣を駆けるアイロスが目にしたのは<アスタロトの足跡通り>に築かれた人や魑魅魍魎の死屍累々で、それに怪訝な表情を落とした。「魔物だと? ……兄上が呼び寄せたと云うのか?」


 右手を見れば、少しばかり離れた小高い丘に築かれた<アスタロト砦>が無惨に破壊され、見る影もない。崩れかけた尖塔には、今でも「あれは兄が天啓を受けた姿だ」と信じてやまない白竜の姿がある。戦禍の轟音が聴こえるのはそちらの方からだ。恐らく、尖塔の下では、不遜にも兄に刃を向ける有象無象が群がっているのだろう。

 本来であれば、その場へ馳せ参じ蹴散らすところだが、今はそれよりも、兄がもたらした好機を無駄にするわけにはいかない。


「聴け! アークレイリ王国はこの日、この刻、この言葉をもってフリンフロン王国へ宣戦を布告するものなり! 先ずは永きに渡り簒奪された我らが国土、我らが桃源郷ダフロイトをあるべき姿に戻そうぞ!」


 アイロスは雄々しく叫び、酔いしれた。そして自惚れに駆けた。

 兄の言葉を代弁した。その兄は我々を背後から後押しをしてくれている。そうだ。これはアルベリクが自分を認め託した使命なのだ。

 再び放たれたヴァノックの業火を背にアイロスは、またぞろ気味悪く口を三日月に歪めた。その頃、南大門を抜けたフリンフロン軍はダフロイト警備隊並びに防衛軍と合流を果たし、いよいよ南内門へと迫っていた。


 両国軍主力が激突するのは、この数刻後のことである。


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