「緊張感のある均整を体現する」とでも云うのだろうか。
それは、アークレイリ王城「ヴァルモラ」の謁見の間を眺めた感想だ。
白亜の大理石が眩しい謁見の間は、謁見者が王を拝謁する「謁見の下段」まで続く「主君の廊」つまり、王座までの道が中央に横たわる。北に四柱、南に四柱の白亜の巨柱が廊の天井を支えている。
王座が鎮座する「王の上段」では、四柱が大きく丸く上に張り出した壁と天井を支えた。その天井はと云えば、北の地に語り継がれる創世の神話が描かれ、神代の英雄達がその中央真下へ位置する王座を見降ろす構図となっている。つまり、神代の英雄達は代々のアークレイリ王を見護ると云うわけだ。
かたや「主君の廊」の天井には北の地に育まれた自然や市井、文化、そのようなものが王の威光に護られる様子が描かれた。
「王の上段」に煌びやかかな姿を吊らせた多灯式の吊下げ灯は、時間となれば魔術師が魔力を注ぎ点灯をするが、今は奥の間の先に広がる庭園から陽の光が注ぎ込む時間帯だ。自然光が「謁見の間」の光源となった。
謁見の間に敷き詰められた白亜の大理石は、あちこちから取り入れられた陽の光と、落とされた影を一身に受けると、息を呑むような荘厳な空気を作り出した。
軽率に口を開き場を穢す言葉を吐こうものなら研ぎ澄まされた空気に舌を切ってしまうのではないかと思えて仕方がない。
緊張感のある均整の正体とは、そんな息を呑むようで、下手をすれば身も呑まれてしまうのではないかと感じる「謁見の間」の雰囲気だ。
それであるから謁見の間へ騒々しくやってきた黒竜騎士団団長リル・ルケア・ガラドールは「謁見の下段」で片膝を付き、王座へ座した国王ヴィルヘルムに頸を垂れ静かに口を開く許しを待つよう努めた。
しかし、急いだこともあり心臓が早鐘を打ち、息も上がっている。呼吸を整えようとするのだが、耳に騒々しく自分の息が聞こえると、更に息が騒々しくなる。リル・ルケアは新鮮な空気を求め、静かに鼻から息を吸い込んだ。すると胸が膨らみ黒色の鎧が、少しばかり音を立てた。ほんの小さな音であったはずだ。
だが、どうやら王座の傍に佇む宰相のマヌエルの耳にその音は届いたようで、初老の宰相は頭髪の白と同じ色の眉を微かに動かすと「黒竜。白竜が動いたか?」と、黒竜団長へ開口の赦しの言葉を投げかけた。
騒々しく緊張の静寂を破った咎を問うよりも大切なことがある。
それは、ベーン公爵アスベリクの急死からその先、宰相と反目を続けた現白竜騎士団団長アルベリクの動向についてだった。
白竜団長はマヌエルが打ち出した<北海政策>つまり、北の海賊島との和平交渉を軸とした貿易海路の安全保障の締結に対し、気高きアークレイリ王国が蛮族に屈するかと喰ってかかると<海賊島殲滅作戦>を立案し、採択の寸前まで豪腕を振るった。だがしかし、それは南の情勢を鑑み不適切だと国王ヴィルヘルムの王命が下され——却下された。
「朕は各国との和平を望む。故に悪戯に戦端を開き、リードラン各国との不和の火種を燻らせるのは本意ではない」と、国王は耳の傍へ宰相の顔を見ながら王命を下したのだ。マヌエル宰相はこれに「今は北に兵力を割く時期ではない。壁が薄くなれば、それだけ我が王国の内情が透けて見えるというもの」と、ごもっともな論を付け添えた。
エステルの政略結婚が強引に進められたのは、この少しの後の事だ。
マヌエルの遠縁ではあったが、宰相の腹心と囁かれた男の名が候補に挙げられた。そしてエステルは公にはされなかったが家を出奔然と館を後にすると、世界各国を巻き込む騒動の中へ姿を現したのだ。
これに国王は「看過できぬ」と言葉を荒げたが、マヌエルはヴィルヘルムの手綱を巧く捌くと「いっときの損失で膿が吐き出せるのであれば、一度は泳がせましょう。利するのであれば良し。害するのであれば、爵位を剥奪し財を収奪。二度と王家に反目するようなことがなきよう、躾けるのがよろしいかと」と耳打ちをしたのだ。
※
黒竜団長は精悍な顔立ちへ二つの紅玉を浮かべ爛々と輝かせたが、口は引き攣り額に大きな汗の粒を垂らし「お察しの通り」と、にべもなく短く答えた。そして、額へ張り付いた少々強つく赤髪を煩わしそうに左右にどかしたが、それは流れてくる汗が鬱陶しいというのもあったのだろう。
太い籠手の指では上手く拭うことは叶わなくリル・ルケアは苛立ちを顔に浮かべた。
「当然のことながら、青のも付き従っているのだろう?
そうだな。二万もの軍勢を動かし威力偵察とはならぬだろうな。
黒竜の。白竜がローブ・ヴォラントを超えたのなら背後から彼奴等を逆賊として討て。私はこれから世界会議へことの顛末を伝え、そうだな、連邦あたりの協力を取り付けようか。東も西もアルベリクの息がかかっているだろうからな。
ああ、それにだ。これに乗じ魔術学院のマグナスが、公王を焚き付けるだろうよ。奇妙な梟を飼っているそうだぞ……」
マヌエルは短く鼻の下へ蓄えた白髭を触りながら、跪くリル・ルケアを見下ろし云った。どうやら
「不満か? 麗しの白竜が堕ちるのは……見るに堪えかねるか?
黒竜の。万が一だ。白と青が堕ちるのであれば、竜を冠する騎士団は黒竜のみ。貴君の双肩へ王国の未来が託されることとなるが、どうだ次代の元帥? 案ずるな。それはまた別の画だ」マヌエルはそう云うと、喉の奥で小さく笑い咳払いをした。「さあ、黒竜騎士団団長リル・ルケア・ガラドールよ」と、目配せをし「陛下……」と深々と頭を垂れた。
「うむ。朕が望まぬ所業は、すべからく排除せよ。白竜、青竜、共に堕とす必然を見極めたのなら、速やかに断罪、遂行し頸を持ち帰れ」
国王ヴィルヘルムは豪奢で重厚なローブの中で足を踏み鳴らし、静かに命を下した。
厚物革の上質な靴の立てた乾いた音が謁見の間に鳴り響き、国王の苛立ちを代弁するように感じるとリル・ルケアは「御意のままに」と顔を引き締めた。
これは、形式はどうであれアルベリクへの死罪が下されたのと同義である。リル・ルケアの引き締められた顔の奥には「明日は我が身」の文字が見え隠れした。
※
「ってーなー!」
ダフロイト警備隊員の中でも珍しく、両刃の
クリストファー隊はランドルフの指示通り北から迫るアークレイリ軍を牽制し、可能であれば北大門の外へ押し返す必要がある。その為には
それであるから、クリストファー隊が率いる<牙旅団>は中隊単位で魔術師が施す<精神の回路>で精神を繋ぎ合わせると、思考のみで手信号以上の情報伝達を行う準備をした。警備隊本部から眺めた北の空は朱色に染まっている。急がねばならない。
通常であれば、それなりの準備が施され精神の繋がりを得るのだが、緊急時は乱暴に、一方的に、不躾に頭の中へ接続をするものだから針を刺されるような痛みを感じる。
キルドラン曰く、何も配慮がされない回路は脳味噌が鋭く痛むのだそうだ。
声を介さずに言葉を交わす。
これは実際のところ、聴覚に作用するのではなく発語者の意思が皆の頭の中へ鋭い煌めきとともに、聲の型を浮かべるのだ。狩人達の念話とは異なり、回路へ接続した者は聲を観るわけである。故に言葉が多ければそれだけ負担がかかる。少なからずキルドランはそうだ。
「我慢しろキルドラン」
クリストファーもそれなりに痛みを感じているのだろう。片目を幾許か細め、額に皺を作ると数頭後ろで騎乗をした大男に声をかけた。キルドランはそれに、やはり片目を閉じ額に皺を作ると人差し指を突き上げ何度か折りたたんで見せた。それは<了解>の合図だ。
(キルディは蚊に刺されても痛いっていうぜ隊長)
精神の回路が確立すると真っ先に軽口を叩いたのは弓術士のゼルだった。フリンフロン出身のゼルは藍色かかった黒髪を後ろに掻き上げると軽兜を被り面頬を勢いよく降ろした。それにキルドランは鼻を鳴らし、やはり兜の面頬を降ろすと背中にかけた戦斧を手に取った。
魔導師のトルデリーゼとクラリッサは術を施したルカとエミール、ヨナスへ(接続完了、ありがとうございます)と淡々と云った。トルデリーゼとクラリッサはガライエ砦の吸血鬼騒ぎと大崩壊を生き延びた歴戦の猛者であるはずだが、任務に出るといつでも緊張をするのだそうだ。だから、粛々と業務をこなすように回路の確立を伝え、いつも通りにやれば良いのだと心に云って聞かせる。
(ジルハードさん?)
不安げな声を挙げたのはクリストファーの横に並んだイングリットだった。
ジルハードの接続完了の声が聞き取れず確認をしたのだ。
すると、どうもキルドランの鼻息に掻き消されていたようで(完了しいてる。感度良好ぉ)と憮然とした声が聞こえると(悪いな、俺は意思が弱いんだ)とジルハードは皮肉で追い打ちをかけた。(すみません、鼻息があまりにも大きかったようで)イングリットは申し訳なさそうにそれに返した。
(お前ら少しは緊張しろ。命が幾つあっても足らないぞ)
クリストファーは、イングリットの返しに一同が笑いを挙げると一喝し、右拳を肩の位置へ持ち上げた。それは出撃準備の合図だ。
それにクリストファー隊は沈黙すると、魔導師達は一斉に<言の音>を紡ぎ、魔術師達は<魔力の殻>を施した。そこらじゅうで緑と青の輝きが小さく巻き起こり、隊員全員へ魔力の恩恵が行き渡ると、クリストファーは掲げた拳を開き五指を揃え前に小さく振り下ろした。出撃の合図だ。洗練された警備隊の行動様式は騎士達の仰々しい作法とは異なり実に無駄のない実用的なものだ。
(天秤の加護を)クリストファーの声が<牙旅団>全域に響くと、隣り合った隊員同士が籠手を打ちつけ合う音が響いた。
※
(会敵まで直進、十区! 白竜の姿がないぞ、先陣は青のボンクラだ!)
(左翼展開、狼出すの忘れるな!)
(しんがりに白竜がいないか確認しろ、鴉をとばせ!)
魔物の類は黙っていても狩人共が狩ってくれるとランドルフは云っていた。それはクリストファーも承知をしていた。だから<アスタロトの足跡通り>を北上する牙旅団は行軍の妨げとなる魔物に的を絞り斬り伏せ、撃ち抜くだけに留め、最大戦速で街道を駆け抜けた。
旅団の後方から緑に輝く数羽の鳥が翔び立った。
それは、魔導師達がアークレイリ軍の構成を改めて確認をする為に飛ばした<鴉>の姿だ。第一斥候の報告によれば先陣にはアルベリク元帥の姿は無く、青竜騎士団団長アイロスの姿が確認できたそうだ。それに、そこはかとなく違和感を感じたクリストファーは第二斥候へ鴉を敵軍奥へ飛ばすよう指示をしたのだ。
左翼を駆けたキルドランとゼル、ルカ、トルデリーゼの小隊からは青色に輝く狼が数十頭飛び出すと西に広がった内区・貴族区画へ姿を消した。この魔力の狼達はルカの制御下で、逃げ遅れた貴族達を守護し南西に広がる西工房区画へ脱出する助けをする。魔力の狼達は貴族の避難が完了すれば北東へ駆け抜け北側からアークレイリ軍の背後を襲い撹乱する役目を担うこととなる。
(敵最前列を捕捉! 戦線確認! <拳>とやりあってます!)
(よし! <拳>と合流するぞ。奔流準備! 魔導師は身体強化の上書き忘れるな!)クリストファーは斥候の報告を受けると五指を揃え腕を振り上げると次には人差し指と中指を揃え他を畳み、最後には拳を作った。
旅団はそれに行軍の速度を若干落とすと、戦線へ突撃する間を計った。クリストファーは次に人差し指を立て、頭上でクルりと回した。(的はピカピカしてるんだ、味方に当てるなよ!)クリストファーは勢いよく腕を振り下ろし、次には水平に上げた腕を前後に動かし旅団を送り出す仕草を見せた。
後方から幾重もの蒼く輝く軌跡が北に伸びた。
戦場でこの輝きを目にするものは、罵りと畏怖の声をあげる。魔術が産み出す魔力の輝きは戦場では死の呼び水のようである。
生活に溶け込む魔術とは視点を変えれば殺戮の力となる。人類は破滅の力との同居を選択したのだ。それが過ぎた力であるのか、どうなのか検討もされず技術は戦場で試され、戦果をあげ、恐怖と畏怖の連鎖を産み出し、今も尚、世界を破滅に導く研究が公国の魔術学院で行われた。当の研究者達は世界を活かすためだと鼻息を荒くするのだが。
北へ延びた無数の蒼の軌跡。
その眼下では数百の牙旅団が無言で疾駆した。
蒼く照らされた無数の死神が、漆黒の軍馬に跨り向かって来る。アークレイリ軍の目にはきっとそのように映った。
※
(奔流来ます! <牙>が南から戦線へ合流!)
(やっと来たか! ぼさっとするな弓は昇れ! 他は中央を開けろ!)
<拳旅団>を率いたサーベンスは塔役——常に戦場を見渡し戦況を伝える隊員——が送った
戦端を開き激突したのは猪突猛進をする北の騎士やら戦士やらで、その数も多い。街道を南下するアークレイリ軍を真正面から受ければ、糞詰まり、敵軍は街道を外れ東西に分散をしてしまうだろう。<拳旅団>は市街地戦を専門としたが、実際のところ今はその分散が厄介だった。三大隊その数二千五百で、雪崩れ込んできたアークレイリ軍五千を——三千程は北の平原へ陣を展開中とのことだった——押し留め撹乱する必要があったのだから、仕方がない。
しかし、東西へ分散をした北の蛮族は<盾旅団>の大弓隊が掃討する筈であった。あの<
だからサーベンスは(ボリス達が退屈しない程度に力を抜け)と隊員達へ通達をしていた。
サーベンスの号令と手信号の確認をした弓術士達は魔術師達がはった<糸>に身体を預け街道沿い左右に建ち並ぶ建物の思い思いに飛び移ると、風の速さで屋根を走り抜け、アークレイリ軍の隊列ど真ん中へ着弾をした<奔流>に合わせるよう、無数の矢を浴びせた。
残された隊員達は器用に軍馬を操ると<奔流>が着弾をする脇を擦り抜け、頭上から降り注ぐ矢の雨から逃れた敵の頸を斬り落とすことに専念をした。
混戦の様相を呈すると魔導師達は短剣を抜き放ち、剣術士達の背後を護り、魔術師達は遠距離の術式を操る者以外は、前線へ躍り出ると小振りの杖を振るい、魔力の矢で比較的に軽装な敵の胸や脚を撃ち抜いた。
※
「ダフロイトの戦士は皆、死神か何かなのか?」
宣戦布告の興奮冷めやらぬアイロスは、いざ警備隊と激突し剣を斬り結ぶと次第に現実に引き戻された。
無言で軍馬を駆る敵の指揮官は見慣れない手の動きだけで指揮を執り的確にアークレイリの騎士に戦士達を沈めていくのだ。その様は、どうだろう、まるで地獄から這い出た戦士が得体の知れない術で意思を統べ連携をしているように映った。これが桃源郷でぬくぬくと過ごした戦士だとは到底思えない。
青竜の眼前で火花が散った。
「よくやった、ドーグラス」アイロスは軍馬を並べた白竜の騎士が、たった今、青竜団長の左脇へ放たれた剣を撃ち落とすと賛辞を口にした。そして、眼下で身体を開いたダフロイトの剣術士の頸を跳ねると「盾持ちを前に出せ! 押し返せ! 何としても中央に取り付くのだ!」と声を荒げた。
アイロスは盲目的に中央地区の城塞を落とそうと躍起になった。「中央を落とし、兄上を呼び込むのだ。悪魔を焼き払って戴くぞ」
だが、アイロスの思惑は、付き従う軍の面々にとっては現実的とは思えない代物だ。
北大門を突破したものの中央へ取り付くには、そこから二十程の区画を超えなければならない。北内門が遠くに見えはするが、押し寄せる警備隊に加え方々で狩人達が魔物を相手取り大立ち回りを見せている。
これに巻き込まれる自軍も少なからずある状況は——くんずほぐれつの戦いと云えたし、その中をこれ以上深く進軍するのは自殺行為とも云えた。
それに、そのうちに<サスカチュワン砦>からフリンフロン軍が合流するだろう。元帥カイデルは全軍を市街に投入をするような愚か者ではない。必ず半数以上を北へ回し、半数以上を市街へ投入をした野蛮人を挟撃するだろう。
幾度か白竜騎士団から「竜の咆哮が再び轟けば軍の壊滅は必至。北の平原——陣へ敵を引っ張り出して叩きましょう」と具申をするが、アイロスは「竜の咆哮は我が軍には影響しない」と根拠に乏しい言葉を並べた。そしてどの言葉の最後にも「我々は白竜の加護を得ているのだ、奮起せよ」と付け加えたのだ。
「青竜の
オズヴァルド・グローハーツは、八人目の敵の頸を跳ねると白の飾りを冠した兜を投げ捨て叫んだ。「リキャルド、残存はどれ程だと思う?」
そこらじゅうで繰り広げられた混戦は剣戟の音に、魔力が爆ぜる爆音、怒声、悲鳴、獣の咆哮、そう云った音で辺りを満たした。だからオズヴァルドは、リキャルドの甲冑の首元を引っ張り顔を近づけ、聞こえるよう殊更に叫んだ。
引き寄せられたリキャルド・サーベイは面頬を乱暴に上げると「市街に入った白竜は五十だったが、どうだろうな!」と叫び返した。
「俺たちが押しているように思えるが、どう——」オズヴァルドはリキャルドへ、どう思うかを訊ねようとした。
しかしその言葉は落とされ、代わりに聞こえたのは青竜騎士団が率いた騎馬大隊のど真ん中で爆ぜた魔力の奔流の爆音だった。「どうもこうも無いぜ! やられたな。見ろ!」リキャルドが指差した先に在ったのは家屋の屋根を疾走する弓術士の小隊が魔力の硝煙に隠れ、どんどんと頭上から緑に輝く矢を射かける光景だった。
「くそ! 魔導——武技幻装か!」オスヴァルドは狩人が討ち漏らした
「おい、何処へ!」
「このまま、おめおめと射抜かれて針鼠になるわけにはいかないだろ!」
「前線を離れたら——軍規違反に……!」
「リキャルド、俺たちが剣を捧げたのは軍にじゃない。国王に、だ」オズヴァルドはそう云うと軍馬をぐるりと回頭させ矢の雨から遠ざかるように御した。「そうだろ? 俺に考えがある! ついて来い!」
混乱の坩堝でどれ程の同胞が気付くか。それは賭けに等しかったが、オズヴァルドは鞍から小振りの弩弓を掴むと夜空に向け石矢を放った。
矢尻の箇所へ仕込まれた<音鳴り石>が甲高い音の尻尾を伸ばした。「集結の合図。
オズヴァルドは必要以上に飾られた鬣の外套を脱ぎ捨てると「死にたくない奴は付いて来い! ついでに武勲を挙げるぞ!」
※
「うおおおお!」
沈黙の戦陣の中、大声を張り上げ戦斧を頭上で振り回したキルドランは、大木のような右腕を馬上から敵戦士達に向け力一杯に振り下ろし頭をカチ割ると、面頬の目出しから覗く黄金色の小さな瞳を輝かせ、戦斧を振り上げる軌跡で続いて二つの頸を跳ね飛ばした。
それは〈牙旅団〉が〈拳旅団〉へ合流をした先触れとなりアークレイリ軍は「敵増援! 増援! 推定……せ、千!」と慌てふためいた。もっとも、その目算はキルドランの雄叫びに怯んだ北方戦士が誤ったものだ。
全隊を投入しては街道で身動きが取れなくなり、後退もままならなくなってしまう。クリストファーはそれを予測し東へ一個、西へ一個と大隊を向かわせ北を回らせるよう指示をしていた。裏をかければアークレイリを挟撃できる。そう踏んだのだ。
エミール達、魔術師が先に放った無数の〈魔力の奔流〉は、破城のために組まれた大規模術式ではなかったが、威力は十分であったし、〈拳〉の弓の追撃は更なる損害を与え敵軍の騎馬大隊のどてっ腹へ風穴を開けた。
そうして、分断された敵軍へ——猟犬然に、けしかけ陣を立て直す機会を奪ったのは、ぽっかりと空いた空間へ雪崩込んだ〈牙旅団〉であった。
左右に敵軍を眺めた<牙旅団>は、北へ蒼の鬣を施した外套の騎士団を目視した。
(本当に先陣は青の間抜けだったな)
クリストファーは騎馬の敵戦士を次々に斬り伏せ、軍馬を寄せた<拳>のサーベンスへ聲を送った。
ルカは西へ放った魔力の狼を御したが、サーベンスを視界へ捉えると、しっかりと仕事をこなしていた。サーベンスとクリストファーが籠手を合わせ音を鳴らす頃には、<拳>の<精神の回路>へ、自分達が確立をした回路の接続を完了していた。
(相変わらずルカは仕事が早いな)
(ああ、それでいて料理も上手いときている)
(なんだ、そんなことを云っているとイングリットに、どやされるぞ)
(サーベンス大隊長、そう云う私語の聲を流すのは、ご遠慮ください。脳がしんどいです)
最後に苦言を投げ込んだのは、サーベンスの背後に迫った敵戦士の頸を跳ばしたイングリッドだった。あまりにも華麗な剣捌きにサーベンスは肩を竦め、ひゅうと口を鳴らした。(助かったぜ、栗鼠ちゃん)
クリストファーがそれに苦笑をすると憮然としたイングリットは(次、来ます)と左手から駆け込んだ敵戦士を斬り伏せ(ご命令を、犬面の大将)と、この場で主となる指揮を執るクリストファーを促した。サーベンスは、もう一度口を鳴らすと「くわばらくわばら」と小さく声を挙げた。
(魔術師は殻を展開!
上の弓術士達はゼルの指揮下で動け! アイロスの進路を撹乱しろ。長距離隊は<魔力の奔流>の準備が出来次第、ぶっ放せ。他は俺とサーベンスに続け! 耳栓をもう一度確認しておけよ! ヴァノックが叫んだらイチコロだ)
クリストファーは<アスタロト砦>へ目を向けた。
思った通り雪竜王ヴァノックは六翼を大きく上下に動かし、砦の尖塔から飛び立とうとしていた。そこへ向かう白い影が目に映った。白い影は屋根を素早く翔ぶように動くと、ぐんぐんとヴァノックへ接近をした。(あれは……白の吟遊詩人か?)