神頼み——などと人々は云うが、実際のところ神などと云う超常の存在があったのだろうか? 多くの魔術師はそれを否定する。かく云う自分もその考えには賛成だ。
頼んだところで叶うわけではない。願うことで意志を新たに一歩を踏み出せる者だけが、その
だが、きっと。おそらく。たぶん、自分はその口ではない。神に匹敵する何かを確信すると、それに誓い
——小高い丘に立った魔導師は辺りを見渡し想いを馳せた。
数えるのが嫌になる程の
魔導師の記憶が確かであれば、数多の骸が転がる花園は、赤や緑、青の鮮やかな彩りを魅せ、こんなに陰鬱なものではなかった。
だが、今は違う。魔導師と野伏が到着した刻には、小花の殆どが美しい容姿を黒く濁らせ茎から身を落としていた。幾つかは花弁の端から青だったり赤だったりと色を残してはいるが、先に向かって黒く色を濁らせている。まるで、赤や青に染め上げる途中で終わってしまったようである。
自分が誓いを立てた者が、この光景を目にしたとしよう。何を想うのか。憐れむのか? 生者へこれを教訓とせよと云うのか? それとも嘲笑いこう云うのか?「愚かなこと」と。
※
「ギネス? 今なんと?」傍の野伏は、魔導師が溢した言葉を他の音に気を取られ聞き逃してしまうと、申し訳なさそうに訊き返した。
「いいえ。すみません、独り言です」気難しそうな魔導師は、金髪へ素っ気なく返した。随分と冷たい様子であったが、野伏はそれには承知のようで「そうですか」と魔導師の肩を軽く叩き「どうしますか?」と、背後へ視線を送った。
視線の先には力無く座り込む老婆の姿があった。
彼女は膝へ、やはり力無く横たわった翁の頭を膝へ乗せ何やら声をかけている。時折、大きく嗚咽を漏らすと何度も翁の額へ、自身の額を擦り付け身体を揺らした。「クロンデル……あなた……」
「そうですね。少々早いですが回収しましょう。レッドウッドの術式も回収しなければ……アイネが消えてしまいますね。急ぎましょう……。まさかあの竜が獣の成れの果てというわけではなさそうですし、博士の云うことが本当ならば
魔導師にしては珍しく純白の外套に身を包んだギネスだったが、頭巾を深々とかぶることはなく、替わりにかぶった大きな丸鍔の帽子の縁へ手をかけると、少しばかり目深に降ろし踵を返した。「いいえ。それは、いいですね……」
※
「なぜ……」
静かな足取りでやってきたギネスに面を上げた老婆は、たった一言そう漏らすと、すっかり黒ずんだ肌をしたクロンデルの額へ頬を寄せ「……私を残したのですか」と、苦悶の言葉を——はたまたは呪いの言葉を溢した。
「すみません。辛い想いをさせてしまいましたね」
ギネスは片膝をつき、もう一度「すみませんでした」と溢し、老婆の手へ合わせるようクロンデルの頬に手をやった。その二つ目はクロンデルに手向けた言葉だったようだ。
老婆はギネスの手を追いかけた。「夫は私に隠していましたが、もう限界でした。そちらで何があったのですか?」
ギネスは、老婆のよるべのない視線から顔を背けると「あなた方の言葉で云えば、世界の王の覚醒が早まりました。それに我々の女王が少々手順を繰り上げた。と、云ったところでしょうか」と、淡々答えた。
「相変わらず、煙に巻くような云いかたを」
答えを得たようで、そうではない。
老婆は、夫の死はそこにはなく、ふと視線を戻せば元通り、死は偽りであると幻想を求める。だが、ふらふらと目を泳がせたところで、そこに横たわるのは夫の死であった。
「申し訳ない。できるだけ理解して頂けるよう努めてはいるのですが……」
魔導師は不器用に答えた。
遥か昔に名をのこした学者は云ったそうだ。六歳の子どもに説明できなければ、理解したとは言えない。七歳だったか? いずれにせよギネスはこういう場面ではいつも、その言葉が朧げによぎり、自分はまだまだだと思う。
老婆はギネスの陰鬱な声音にかぶりを振ると「手順を繰り上げた。と、いうことは、役目はもう……」と、声を詰まらせ、ならば尚更、なぜ私を残したのかと続く言葉を呑み込んだのだ。
「判っています——」
ギネスの言葉に嘘はない。
老婆が口を一文字に縛り涙する、その使命を与えたのは自分達だ。クロンデルと老婆にも等しく人生が与えられ、その重さは自分達と一緒だというのに彼らの
だからこそ老婆へ手渡したい言葉があった。
乃木無人も、竜共にそうしたと聞く。それは、偽善で、欺瞞で、詭弁の言葉。罪悪感から逃れる憐れみの言葉。それを口から吐き出さなければ心を潰されてしまう。
ほらみたことか。やはり欺瞞だ。憐れみでもなんでもない。だが、それが人だ。今なら乃木無人の気持ちが判る気がする。
「——ロドリアに派生した、あなた方ドルイドの存在は想定外でした。が、そのお陰で魔導の研究が随分と進捗し現実世界での顕現方法も確立されたと云ってよいでしょう。個人的には感謝をしています。教会もきっとそうですね——少なくとも彼女はそうでした」ギネスはそう云うと老婆の骨ばった手を取り言葉を続けようとした。
「ギネス。それは……」金髪の男が言葉を遮った。
「ええ。それだって判っています」魔導師は老婆の手を優しく強く更に包みこんだ。「こんなものには正義も悪もなく愛も憎しみもありません。生への願いすら誰かの生を奪う」ギネスは、かぶりを巡らせた。「あるのは、この結果だけ」転がった骸の一つ一つに目をやると、最後に翁の傍で静かに姿を落とした赤の小花を手にした。「私は想うのですよ。こうなってしまえば、きっとこの花はもう美しい想い出の花ではいられない。この惨劇を語る哀しみの花なのです。そうです。そういう無味乾燥な結果しか残さないのですよ」
ギネスはどこか遠い目をすると傍に立つ男の顔を見上げ続けた。
「トルステン。
それは、あなたも知っているでしょ。
私達は誰かの悪でした。が、立場を、視点を変え表舞台へ立った途端に正義へ早変わりしました。私達がどれだけのヒトを宙から撃ち殺したとしても、どれだけ世界を焼き払おうともです。私達ではない新たな悪が産み落とされ、私達は英雄だと讃えられ——無罪放免です。
全部……争いの中に意味を失った価値。そうやって第四の獣は、ヒトは、あらゆるものの意味を喰らい尽くしていく——いいえ。無へ還す。ですかね」
「……」トルステンは言葉を詰まらせた。
ギネスの紡いだ言葉へ反論をする意味はない。
何故ならば、それこそが流転する意味そのものだからだ。智慧の大蛇が互いの尻尾を咥えた魔術学院の紋章のようにだ。意味はない。見る者がそれを与える。
トルステンはギネスがそうしたように、かぶりを巡らせ広がった死屍累々に目をやった。当たり前な話しで、その光景は悪の所業に映る。だが、それではコレに正義を見出す者があるのだろうか。
ギネスは
その呪縛が自分を染め上げる刻が来るのであれば、リリーは自分の頸を斬り落としてくれるだろうか——私が人の心を失い、命を刈ることに躊躇しなくなったのならば、直ぐに殺してください。でなければ本当に私は神を気取ったクソ野郎になってしまう——トルステンは過日に妻へ口にした言葉を思い出し、ギネスの顔へ再び目を落とした。
※
——ギネス達が到着する少し前のこと。
投げ飛ばされた花の翁は大きな音をたて家の中に転がった。「大馬鹿者!」
質素な椅子に机も翁と共に転がり、こちらは部屋の奥の棚へぶつかると、幾つもぎっしりと並んだ硝子の瓶を放り出した。割れてしまった硝子瓶から飛び出した黒い丸薬が、翁と耳を塞ぎ目を瞑った妻の周りへ飛散する。
「それは駄目!」丸薬を手に取った翁を老婆——翁の妻は大声で制止したが「花を頼んだぞ!」と翁はそれに耳を貸さずに、丸薬を口に放りこんだ。
剣術士のかぶりをカチ割った
翁が丸薬を噛むのと、咆哮した
外から聞き慣れた声が聞こえた。
殲滅! その言葉の後は聞こえなかったが翁はそれに「ベリアス、それでいい」と、双眸を開き眼前に迫った刃を拳で退けた。
双眸に浮かんだ瞳は緑色の輝きを激らせている。
それは、丸薬の効果だった。<ルトの霊薬>つまり、野伏の霊薬とまではいかないが翁が愛た小花達の恩恵を丸めた翁の霊薬は一時的に魔力を増強する。
だが、恩恵とは代償を要求をする。
いや、代償を支払い恩恵を選ぶ者への罰なのかも知れない。本来。人とは死へ向かい生きるようだが、意味という枷を得るが故にその足取りは重い。だが霊薬はその枷、人によっては牢獄と云ってよいだろうが、それを瞬く間だけ解放をする。そして刹那に命を燃え上がらせ魔力へ変換をする。
つまり、数多くの細胞を殺し魔力を創り出す。
魔力とは細胞——泉から湧き出るものであるが故に破壊された泉からは、もはや魔力は湧き出ない。
翁の顔色は今や黒土の粘土のようにどす黒く様変わりをした。
寝転んだままの翁であったが、前のめりになった
強烈な魔力の圧は腕を引き裂くようだった。
だが、花の翁は痛みに苦悶するが、気にすることはなかった。
素早く両掌を
※
「ギネス、あれを!」叫んだのはトルステン・ルエガーだった。
「間に合いませんでしたか!」アッシュ・グラントがサタナキア砦から姿を消す頃、ギネス・エイヴァリーはリードランに起きた異変を察知すると、急いでダフロイトへ急行していた。