——フォーセット王国属州ベルガルキー王都クルロス王城付近。
アドルフ・リンディ達が奇しくもダフロイト上空へ姿を現し雪竜王の直上で思案に暮れ、惨劇の現場——クロンデルの花園を足早に立ち去ったギネス・エイヴァリーが道すがら、戦場に惨劇なんて上品な言葉は存在しない「あるのは結果だけです」とトルステンを嗜めた頃、奇妙な取り合わせと云ってよいだろうアッシュ・グラントとギャスパル・ランドウォーカーの二人組の姿は王都南東区画から王城——つまり、王都中央へ向かう道程にあった。
「おいおいおい、女王様は生きてるんだろうな?」
元大盗賊ギャスパル・ランドウォーカーは、すっかり黒く爛れて硬質化した南東区画の小高い丘を、更にどす黒い血で染め上げていた。
たった今、水平に振り払った黒鋼の短剣が斬り飛ばした<屍喰らい>の頸で——屠った数は——三十を数えた。
繊細に丁寧に几帳面に頸を斬り落とす大盗賊の横では<宵闇の鴉>つまり、アッシュ・グラントが黒鋼の大剣を振るい、ギャスパルの言葉を耳にする頃には五十の<屍喰らい>の胴体やら四肢を斬り飛ばした。
ギャスパルが訊ねたかったのは黒々とした腐った血の軌跡の隙間から見え隠れした、崩れ去った王城の住人は生きているのか? と云うことである。
「どうだろうな? だが、アイツらに限ってそんなヘマはしないだろ」
それがアッシュの答えだった。
遥か北の地へ顕現したヴァノックが放った死の光線は、軌跡へ爛れた死地を造りながらサタナキア砦を狙ったものであった。しかし、そこへ居合わせた野伏と魔導師がそれを屈折させると、<
アッシュの云う
猛攻の小休止とでも云うのだろうか。
王都へ二人が足を踏み入れるやいなや、どこからともなく溢れかえった<屍喰らい>の気配がまったく感じられなくなった。
気がついてみれば、激しく鼻の奥を突く血の腐臭が風に吹かれ南へ流れていくと、<
「ひでえ臭いだな」ギャスパルが口にした感想は、それだけではなく、知っていることを吐けとアッシュに云うようにも聞こえた。実際、ギャスパルの顔を見れば、鷲鼻の上に浮かんだ双眸は、先ほどよりも鋭く細められているように思える。
「そうだな。ヴァノックが放ったアレは……」
「なんだよ?」
「例えばだ」アッシュは黒鋼の大剣をギャスパルへ向け言葉を続けた。「
「おう」ギャスパルは相槌のすぐ後「物騒なもんをむけんな」とアッシュの大剣の腹を押し、払い除けた。
「精錬できる鍛治師が少ない——やりきった鍛治師は、暫くすると血反吐を吐いて死んでしまうからだ。なんでだか知っているか?」
「んなこたあ、知らねえよ。それとこの臭いに何の関係があるんだ」
ギャスパルは小さく突き出た黒岩に足をかけ、遠くに見える崩壊した王城を眺めると唾を吐き捨てた。くだらない質問に苛立っていると云ったところなのだろう。黒く爛れた黒岩が造る道——と云うには無骨すぎる道が王城へ続いているようには見えない。
「玉鋼が精錬の過程で黒鋼へ変質するとき……もっとも、あらゆる物質はそうだが、大きな力を外へ放出する。炉の中にあるから、それは鍛治師の目には見えないがな」アッシュは、そういうと黒鋼の大剣で足元の岩盤を叩いた。
「だから、それが何の……。ちょっと待てよ。いま変質と云ったか?」
「ああ、そうだ変質だ。この黒岩のようにな」
「鍛治師が魔術を使うなんて話は知らないぜ」もっともな話だ。鉄を鍛え研ぎ澄まされたものへ敬意を表し別の名で呼ぶのとはわけが違う。変質と云えば、質そのものが変わったこととなる。それはもはや、魔術や魔導の類だ。それにしたって事例としては耳にすることは少ない。
「そうだな。だが、この世界では起こりうる現象で、その過程で発生する力を知りたい<外環の狩人>がわんさか居る」アッシュはギャスパルに並び、同じように崩れた王城へ目を向けた。それに元大盗賊は大きく肩をすくめ「だから、いったいなんの話だ」とアッシュを促した。
「外環で同じことをすれば、自分達が死ぬことになる。だから、リードランで別の理由を与え行わせている。もっとも、黒鋼の使い道はリードラン独自のものだがな……。それでだ。その力が放出するとき、この嫌な臭いも付き纏う。鍛治師は、その力と臭いにあてられ命を削り逝ってしまう」
「ってことはだ。それと一緒のことがこんな規模で起きたってことか?」ギャスパルは険しい顔をすると、あたりを見回した。暗灰色の靄が所々に揺蕩っているが、概ね辺りは黒々とした爛れた岩が剥き出しになり王城へ続く道を、そこはかとなく示している。アッシュは「ああ」と短く云うと、この岩は黒鋼ではないが、物質が変質したものだと補足をした。
ギャスパルが気にしたのは足元の黒岩で一儲けをしようという腹づもりではなく、その理由だった。狩人がリードランの鍛冶屋を利用し何かをさせた。アッシュの云いぶりでは、ことさら黒鋼の精錬だけがそうではないのだろうが、とにかくリードランに生きる人間は、何かしら、知らぬ間に狩人から使命を与えられている——そんなことを示唆している。そして、それであれば、自分の存在意義という疑問にたどり着くのだが大盗賊の用心深さは、まずは目先の危機を探った。
「この臭いを嗅いでいる俺達も死んじまうのか?」ギャスパルは顔をはっとさせると、アッシュの横顔を覗き込んだ。
「大丈夫だ」極々短いアッシュの答えにギャスパルは鼻を鳴らしたが、抱いた疑問への答えは先送りにした。いや、そう遠くない未来で答えは自ずと得られるだろうと踏んだ。「だったら、ちゃっちゃと用事を済ませにいこうぜ、宵闇の」
※
アッシュ・グラントとギャスパル・ランドウォーカーの奇妙な二人組がクルロス王城への道を爛れた黒岩に阻まれ仕方がなく、地下水路へ潜り、ミラ・グラントとジーウ・ベックマンが湖畔でランドルフ・ラトベリエと端無く出会った頃、戦役の裏舞台を風のように流れる二人の狩人、ギネス・エイヴァリーとトルステン・ルエガーはクロンデルの花園を足早に立ち去ると戦火の広がる内区を横切り、北商業区画二十二番砦を目指した。
二十二番砦は丘の上へ更に張り出した崖に位置することから、見張りの尖塔に陣取ればダフロイトの東側半分は大凡見渡すことができる。ギネスはそこへ急ぎクロンデル老が死に際に感じた違和感を確かめる必要があるとトルステンへ云ったのだ。
「酷い惨劇ですね、ギネス……」
小径に家屋の屋根、足の着けるところならばどこでも利用をし、風の速さで目的地へ急いだトルステンは過ぎ去っていく惨劇の光景に目を奪われると、隣を走るギネスへ感傷的に云った。
「今に始まったことではないでしょう。私達はいつだって非現実から現実へ死をばら撒いた。違いますか? その時もそうですが、あるのは結果だけです。吟遊詩人のように上品に云ったところで結果は変わりません」
ギネスは丸鍔帽子の奥へ鋭く瞳を輝かせた。ギネスが云いたいのは、それがリードランでなのか現実世界でなのかの違いなだけではないのか? と云う禅問答を投げかけられているのだとトルステンは思っている。
そしてその答えは「その通り」なのだが、現実味のない死を目の当たりにし感情を放っておけば、いつの間にかに亡霊に追い立てられるような気がするようになっていたのだ。だから、トルステンは可能な限り言葉を発するようにしている——苦虫を潰すような顔で。
「トルステン。待ってください」静かな声でギネスが云った。
無慈悲にも想える丸鍔帽子の魔導師は燃え盛る家屋の屋根で足を止めると、比較的に狭い通りで繰り広げられた小競り合いへ視線を落とした。トルステンは「何を?」と怪訝な表情で魔導師の視線を追いかけた。
視線の先では血飛沫があちらこちらで立ち昇ると、それに合わせ人間の断末魔があがった。金属を引きちぎる——恐らくは甲冑だろう——鈍さと鋭さが混ざった耳障りな音。鈍い何かを砕く音、肉が焼け爛れる臭い。そんなものが断末魔の合間を縫い合わせるよう二人の狩人へ届いた。
「あれは……」トルステンは唖然とした。
数体の
惨劇の臭いに音の出どころはそこだ。
アークレイリの騎士は牙旅団と剣を交えれば良いのか、それとも
少し離れた場所では、牙旅団の剣術士と刃を交えたアークレイリ青竜騎士団の騎士が馬上からの剣戟の合間に背後から迫った
もっとも、
「地獄……の光景ですか……これは?」
「どうでしょうね。こうなってしまっては我々だって判断を誤るし、だったら自分の命を護る。それは普通のことです。でも……」
トルステンはギネスが制止の声を挙げた真意をはかりかねた。
あれだけ現実的で冷徹に任務を遂行する魔導師が足を止め、言葉を止めると両拳へ緑の輝きを灯し「人の争いに乗じて暴利を貪るような輩は許せませんね」と静かに云ったのだ。
どうだろう。その言葉はどの陣営に向けられたのかは、察しはつくのだが、だがそれでもギネスがそう云い屋根から飛び降りたのに野伏は驚きの表情を浮かべ、同じく飛び降りた。「相手を間違えないでくださいよ。駆逐するのは
遅れて通りに足を降ろしたトルステンへ魔導師が<言の音>を書き殴り、注意を促した。野伏はそれに幾許か誇らしげな顔で答えた。「わかってますよ、そんなこと!」
※
ギネスとトルステンは結果的に二十の
それにトルステンは顔を曇らせながらも、懐にあった幾つかの霊薬を小隊長へ手渡し「南の軍事教会へ」と手短に云った。ここまでの道すがら、未だ軍事教会には魔物の手は伸びていなかったように思う。
そうこうするうちにギネスの白い影が豆粒ほどになったのに、トルステンは慌てて追いかけると、魔導師が目指した二十二番砦へ辿りついた。
すでに戦線は市街地奥深くまで上がっており、北東外壁に沿ったこの地区では警備隊のなかでも比較的に歴の浅い戦士達が掃討戦を繰り広げていた。それもあってか砦は不自然と想える程に静かで、遠くに聞こえる戦火の音がまるで幻聴のように感じる。尖塔に昇ってしまえば、その感覚はもっと顕著なものとなった。
「嫌になりますね。現実という言葉がこうも空虚に想えるのは」愚痴のように溢したのはギネスだった。「リードランがってことですか?」トルステンは不思議そうに訊き返した。
「いいえ。これは画面越しに見る戦場。そうは思いませんか? 画面という衝立越しにみた世界。それは虚像とも云えます。が、認識してしまえばそれは現実。そうやって私達は人の命を奪い、苦く腐った想いだけが心へ残り過去に追い立てられる」
ギネスは気分を損ねたことを隠そうともせず、言葉の端々へ溜息を落とすと尖塔から北西を眺めた。トルステンはそれへ「すみません」と云ったが、その言葉がギネスに届いていないことを、魔導師の横顔から察している。一陣の風が吹いた。いや、どうだろう。風が転げ落ちて来たと云えばよいのか。その風が吹くとギネスは左手で、こめかみを押さえ云ったのだ。「次元が歪んだな」と。そして何度か、こめかみを軽く叩くと「三人もいっぺんにシンクロするなんて非常識だ……」と続けたが、最後には言葉を濁した。
ギネスが視野を合わせたのは北西に位置する二十九番砦。通称<アスタロト砦>にだった。
それは魔導師特有の業ではなく、狩人特有の技能だったからトルステンはギネスに倣い同じ方角へ視線を送った。するとどうだろう、クロンデルの花園で感じた突風は十中八九、アオイドス——白の吟遊詩人が放った魔術を組み合わせた大魔導によるものだと予測はしていた。
だから、いま大鉄鎖に縛られ巨躯を震わせているヴァノックの姿がその証左であることは容易に理解できた。すでに別の狩人がヴァノックの頭部を目掛け跳んでいる——恐らくあれは、ショーン・モロウだ。彼の狩人の存在はギネスから聞き及んでいる。だが、ギネスの云った次元の歪み。その根拠はと、視野を拡大をしてみたり引いてみたりをしたのだが、一向に理由に辿り着けなかった。「次元……ですか?」トルステンは、また不思議そうに訊ねた。実際のところギネスに訊ねるつもりはなく、そこはかとなく口から溢れたというのが正直なところだが。
「ヴァノック直上。三名のシェルを確認」ギネスは冷ややかに云った。それはトルステンへの答えではない。極めて質素な任務上の識別子のようだ。「うわ。本当ですね。あれは一体……あ、アドルフ?」トルステンは思わず溢した名前に慌てるとギネスの顔を覗き込んだ。
それにギネスは眉をひそめ「あれが、例の?」と、鋭くトルステンへ訊ねると「いずれにせよ、やることは決まっています」と、トルステンを他所にひとりごちた。
「ギネス。それでは本当に?」トルステンはそれに、恐る恐る訊ねると、随分と不安な表情を浮かべた。
「ええ。ショーン・モロウにこれ以上嗅ぎ回られるのは、
ギネス・エイヴァリーは、冷徹に、冷然に、冷酷に判断を下した。
別段、それはトルステンがそう訊ねたから、判断をしたのではない。だから、それに責任を感じる必要はないのだと云う風に、自身の都合を付け加え答えた。
いつだってそうなのだ。正義。大義。道義。そのような、人が定めた価値観は、判断という二分性を伴った時に結果を二つ残す。充足と後悔。そしてそれは同時に個別に存在する。後者を恐れ判断を曖昧にすれば、結果は必ず後者を導く。ギネスはそう想えばこそ、後者をトルステンに抱かせたくはないと、いつだって冷徹に判断を下す役を買って出たのだ。きっとそれは偽善で欺瞞で詭弁だ。わかっている。どんな戦場にも優しさなんてものは存在しない。あるのは結果だけだ。
尖塔から北西を指し示すよう左腕を前に突き出し、右腕を脇に引き絞る格好を見せたギネスは思いを馳せるよう目を閉じた。トルステンはそれに、顔を背け視界の外で強烈な蒼色と緑色が発光するのを感じ取ると、ぎゅっと目を強く閉じた。
※
アドルフ・リンディ。ライラ・リンパル。レジーヌ・ギルマン。
以上三名がダフロイト上空へ姿を現してから刹那の間に、地上でのたうちまわるヴァノックへの距離が随分近づくと、いよいよアドルフ以外の二人は慌てた様子を見せ、つい一拍前に「どうするの!?」と、呑気な野伏へ同時に詰めたのだが「ねえ!」と、気のない返事をしたアドルフへ息を合わせるように叫んでいた。
アドルフは慌てる二人を他所に、相変わらず背を地上に向け落下を続け、ほんの少しの間、何かを考えていたようだが突然に身体を素早く反転させると、恐らく南東の方角へ顔を向けた。すると、ようやく慌てた素振りを見せたアドルフは——それが、地上もしくは雪竜王への激突による絶命を想定してなのかは別として「レジーヌさん! やっぱり<浮遊>の術式を準備してください!」と叫んだ。
「は!? あんた何云ってるの? どこに地面があるってのよ!?」
「急いで! 魔力を伝える物質があれば良いのですよね?」
「そうだけれども! あんた、空気も物質ですとか云っちゃうクチなの? 馬鹿なの?」
「馬鹿は馬鹿ですけれども! ちょっとした賭けになってしまいますが、ヴァノックからもの凄い煙が昇ったら、そちらに向けて術式を展開してください!」
ライラ・リンパルはそのやりとりにとうとう諦めたのか、目を閉じると「ねえ、痴話喧嘩は良いから……その賭けの勝率はどうなのよ?」とアドルフへ、ほとほと呆れた様子で訊ねた。だが、アドルフは何故だか、その言葉へ期待を感じたとでも云うのか「大丈夫です!」と、はつらつと声を張り挙げ答えていた。
「来ます!」
やっぱり、期待通りとでも云うのか、ご覧あれとでも云うのかアドルフが声を挙げると、先程、視線を投げた南東に強烈に光り輝く蒼と緑の大渦が姿をみせ、瞬時にそれは点へと収束すると<アスタロト砦>へ光線を延ばした。
アドルフの予測では、その光線はヴァノックを瞬時に貫く筈であった。そして、野伏の予測の終着点は大地がそれにより急速に
だが、放たれた光線は確かに砦まで軌跡を描き、そこに至るまでの障害物——燃え盛る炎に家屋、見張りの尖塔——を蒸発させたのだが、先端の行先が徐々に変わっていっているように見えたのだ。何かを追いかけている風にも見えた軌跡の先端。その先にはヴァノックへ到達するまでの最後の一枚の障壁があった。
それは、大鉄鎖に引き摺り降ろされたヴァノックの頭部を目掛け跳んだショーン・モロウの姿であった。