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Ragnarok#13_拝啓、戦場の狂気達②





(先輩! お願いが!)

 白の吟遊詩人が大魔導を放ち引き摺り降ろした蒼白鱗の不気味な大蜥蜴——いや、大蛇と云ってもよいだろうそれには核が存在し、打ち砕けば消滅する。アオイドスはそう云ったのだが、その核とやらはリバーシーの駒ほどなのだそうだ。あの白の淑女は平然とそれを砕いてくれと云った。俺は透視能力なんてもんは持ってないんだぜ。勢いよく雪竜王の腕を蹴り跳び出したショーン・モロウは内心に吐露をしたが、であれば「そんなもの頭から斬り刻んでいけば、そのうちに見つかるだろうよ」と、そう腹を決めると、二振りの片手半剣をもう一度平行水平に構えると大きく身体を捻った。


 そこに至るまでの刹那。

 ショーン・モロウは幾つかの「揺らぎ」を感じたものの、先ずは眼前のヴァノックを屠ることに集中をしよう。そうも決めていた。砦の中庭で雪竜王を大地に縛り付るアオイドスの気力もそうそう保たないだろう。これだけの魔力を変換し持続させるのには相当な体力が必要だ。

 美女というものは往々にして体力はなく屈強な男の手助けを得る特権を有している。これはショーンの持論だ。そして、いましがた頭に響いた声——念話は、その対極にいる美女は美女だが、野生的なそれの印象のライラ・リンパルのものだった。

 この念話が届くのであれば、たくましい彼女はリードランへ来ている。


(ライラちゃん、どこに居るの? お仕事は?)

 ショーンは決して、優雅に跳んでいるわけではなかったが、不気味な蒼白鱗を斬り裂くため、身体を捻り体勢を整えると惚けた様子でライラに答えた。それとは裏腹に鋭く周囲に意識を飛ばしたが、彼女らしい気配は感じられない。


(えっと。上です)

(上? 空ってこと?)

(そうです。目下、ヴァノック直上からそちらへ目掛け急降下中です)

(なんでまた!)

(ですので、その竜を打ち上げてもらえますか? もしくは地面を投げてください)

 突拍子もなく無茶で無理なライラの依頼にショーンが呆れると、その隙を突いてか、そうでないかは判らなかったが、ヴァノックの背から生えた六翼のうちの一枚が、ヒョオオンと音をたて剣術士との間へ割って入った。


 先ほどまでは羽衣のように揺ら揺らとした翼は突然にシュッと硬質化したような印象を見せると頭部を覆い隠した。

 ショーンは同時多発的にコロコロと動く動向に面食らったが、それでもヴァノックの動作に幾許かの疑問を持った。自分が放った殺気はヴァノックの気味の悪い全身を捕らえていた。それに反応をしたのであれば、もっと他の防御動作を取ったのではないか。

 だがしかし、(そんな無茶言わないでよ!)とライラに返しはしたが、そうも云っていられない。縛り付けることに専念をする白の吟遊詩人には悪いが——ヴァノックを下から突き上げれば、ライラがなんとかするはずだと信じ、雪竜王の頭部を覆った翼に撃ち込みを入れると、一旦地面に足を降ろすため身体を畳み込んだのだ。


 その瞬間だった。

 それまで剣術士の身体があった緊迫した空間へ蒼とも緑とも云えない光線が滑り込み、爆音と共にヴァノックの一翼を貫いた。

 ライラを助けるため、方針転換することに躊躇をしていれば貫かれたのはおそらく自分だ。ショーンは地へ足をつくまでの落下のひとときにそう想うと、双眸を鋭く南東へ向け狙撃手を確認するが、思いのほか落下速度に勢いがついているのか、はたまたは別の理由なのか、翼を貫通した光線に頭部をも貫かれたヴァノックの絶叫と共に大地が迫り来るような感覚を覚え直ぐに衝撃へ備えた。だから狙撃手の姿を確かめることはできなかった。いや、正確には視界から消えたと云って良い。


「こりゃ一体、どう云うことだ!? ライラ!?」

 ショーンが誰ともなく叫び訊ねたのは、あわや自身を貫こうとした光線のことなのか、それとも視界が突然に変わったことへなのか、はたまたは相棒の所在についてなのかは判らない。しかし、兎に角。もんどり打った雪竜王の尻尾の横殴りを器用に避けたショーンの姿を確認したアオイドスは「判らない!」と大声で答えると続けて「ごめんなさい、もう魔力切れ」と片膝を地につけた。

 同時に踠き苦しんだヴァノックが鱗という鱗の隙間から、猛烈に湯気のようなものを噴出すると、更に絶叫し巨躯を打ち鳴らした。それもあってか砦本丸も周囲の建造物も殆ど見る影もなく崩壊し、もう身を隠す場所が殆どない。アオイドスは「不味いわね」と一言漏らし、着地をしたショーン・モロウが二振の剣でヴァノックの腹を斬り上げる姿を呆然と眺めた。



「レージヌさん!」

 その声はアドルフからの合図だ。

 南東から瞬時に伸びた光線を確認したアドルフは、それが何だったのかを判っている風の様子であったし、今しがたライラが「先輩に地面を投げてくれ」と頼んだと云った。もっともその頼みが実現するとは到底思えなかったが、どうだろう。アドルフの合図の直ぐあと、耳をつんざくヴァノックの苦痛に歪んだ絶叫と、アドルフが示唆した「凄い煙」が勢いよく立ち昇ると、何かの錯視なのだろうか、急激に地表が迫ってくるではないか。

 レジーヌは「もう!」と、仕方なさそうな一声を挙げ、術式を三つ展開すると、極めて正確にヴァノックの鼻面、右肩付近、尾の付け根らしき箇所へそれを投射した。


「なんだか良く判らないけれど! あんたは鼻、ライラさんは右肩、私は尻尾! そこを目掛けて降りて! いい? 撃ち込むなら着地をしてからにして! 地表から遠いから術式が安定しないの!」

 魔術学院を手玉に取る自称、絶世の美女で優秀な魔術師は、たった今展開をした術式について指示を下すと「一体、この煙はなんなの!?」と吐き捨て「見えるわよ!」と青く輝く術式を杖で指し示した。


 三人はそれまで、可能な限り身体を平たく降下をしたのだが、レジーヌの指示に合わせ器用にくるりと足を下に身体をたてると着地に備え魔力を練り込んだ。<浮遊>の術式は恩恵に預かる側にも魔力を必要とする。謂わば魔力の反作用で地表からの浮遊を可能にする。

 レジーヌはこれをクレイトンで実践し、たったいま三人の視界に飛び込んだ、雪竜王の腹を斬り上げたショーン・モロウの助力となった。


「ちょっと、あんた! 人の話を聞いてたの!?」

 叫んだのはレジーヌだった。

 ライラが一足先にヴァノックの右肩でフワッと身体を浮かせ、地表へ降り立ったのは目視ができた。が、ヴァノックの鼻面を目がけた野伏に目をやると、彼は二振の黒鋼の短剣——所謂、野伏の短剣だ——を呼び出し硬く握り、何やら<言の音>を口にし身体を緑色に輝かせたのだ。そして、上半身を捻り込むと、こともあろうか全身を回転させた。


「大丈夫です!」アドルフは云った。

 何がよ! レジーヌはそれを言葉に出来なかった。アドルフは器用に落下速度を調整し、二人が万事安全に地表へ足をつけるのを見届けるつもりだったようで、だから、レジーヌはアドルフが到達する前に尻尾へ到着をすると、体勢を整えなければならなかったからだ。





 アッシュ・グラントとギャスパル・ランドウォーカーの二人は崩れ去った王城を目掛け足を進めたのだったが、爛れた黒岩が反り返った一本道は次第に険しさを増すと吹き溜まりという吹き溜まりへ暗灰色の靄が溜まり、淀み、<屍喰らい>の類の魔物が、やはり吹き溜まっているのがわかった。この後の闘いを想定すれば力は温存しておきたいところだった。

 ギャスパルは、その光景に「どうする? 蹴散らす気か?」と、大盗賊が望む答えを口しろよと云わんばかりの、にやけた顔を見せた。アッシュはそれへ鼻を鳴らすと「何か案はあるのか?」と、この面倒なやりとりをさっさと終わらせてくれと、眉をひそめる。


「ああ、あるとも。こっちだ」

 ギャスパルは、そうこなくてはとアッシュの肩を叩くと「さっさとしろ」と嬉しそうに張り出た黒岩の小高い崖から飛び降りた。行く先へ視線を送れば、恐らく向かう先は市街地の中を通る幾つかの用水路の一つへ向かっている。ギャスパルは地下水路を通るつもりなのだ。


 ——フォーセット王国属州ベルガルキー王都クルロス王城地下水路。


 地上とは打って変わり地下水路は、随分と暗く湿っていて、静かなものであった。

 足元では未だに水が流れる弱い音が聞こえたから、地表の惨状は本当に死の光線が蹂躙した一本道だけに留まっているのだろう。それでなければ、流れるものが糞尿が垂れ流された汚水であったにせよ干上がって、この音を耳にすることはできないはずだ。死の都というにはまだ猶予はありそうだ。

 だが、そうは云ってもだ。地表で感じた臭いとはまた異なる異臭にギャスパルは「糞臭えな」と云ったが、アッシュは「お前が連れてきたんだろ」と周囲に充満する空気を確かめるよう鼻を突きだすと「死ぬことはない」と云い放った。そして、狩猟短剣を取り出し柄頭を軽く叩くと<魔力の光源>を呼び出した。自分達の前を照らし出しのだから、これで足元をすくわれることはないだろう。


「便利なもんだな」ギャスパルは光の球を短剣で突きながら、心底云った。「だけどよ、背後は真っ暗になるぜ。お前ら、暗視は使えないのか?」と、大盗賊は不安げに続けたが「大丈夫だ、安心しろ。その変わりお前は暗視を使うな。いざってときに目をやられるぞ」とアッシュに諭され、憮然と「へい」とアッシュの先を歩いた。

 ギャスパルが云うには、この用水路には、幾つかの隠し扉が設置され、そのうちの一つは王城の地下備蓄庫につながっているのだそうだ。何故、盗賊のギャスパルが宝物庫ではなく、食料などの糧が備蓄される冷暗な倉庫への道を知っているのかは、不思議に想ったがアッシュはただただ短く「わかった」と、ギャスパルの後に続いた。


 どれほどの時間を歩いたのだろう。

 アッシュが先ほど、ボソボソと「ヴァノックが……」と独り言を口にしてから、だいぶ時間が経ったように思う。暗く陰湿で重苦しい空気の中では時間の経過が異常に早くも感じられるし、何か思い当たる節を起点に慮ろうとすると、随分と時間は遅く流れているように感じられた。

 ギャスパルはクルロスの盗賊ギルドの輩との遭遇戦を予測していたが、それも起こらない。どうも不自然に安全に足を進められることにギャスパルは「おかしいな」と呟き顎をさすった。「なんだ、迷ったのか?」とアッシュに云われたのだが「いや、この状況で盗賊にも鼠一匹にも遭わないなんてな」と、やはり顎をさすり、ギャスパルは一旦足を止め、周囲を警戒する素振りを見せた。


 するとギャスパルは足を止めろという風に腕を肩まであげると、口元へ人差し指を当てた。息もするんじゃねえ。まるで、そんな無茶も要求をしているようにも見えた。アッシュは、それに従い足を止めると軽く手を前へ振り出し<魔力の光源>をゆっくりと、前へ進めた。


「なるほどな。この非常時に騒つかねえ地下水路ってのは、なんかあるってもんだぜ。なんだ、ありゃあ……」


 二人の前へ広がる、ねっとりとした薄気味悪い暗闇へ地下水路が飲み込まれている。きっと二人が立ち止まった地点の先は右に折れ、またその先へと続いているのだ。それは光源がゆっくりと前進をすることで顕になった。だが、そこに特筆すべき特徴はない。では、ギャスパル・ランドウォーカーが云った「なんか」とは何か。

「ああ、そうだな。随分と趣味の悪い通行人だ——」アッシュの飛ばした光源がゆっくりと突き当たりの壁を照らす頃に「なんか」は姿を現した。


 それは水路の曲がり角からゆっくりと姿を見せた。

 それは二人だ。

 一人は真っ黒な女性用頭巾ウィンプルを被り、やはり真っ黒な修道着を着た女だった。首から下げられた銀細工から、その女がメルクルス神派の魔導師であることがわかる。それだけであれば、避難をするために女魔導師が地下水路へ逃げ込んだのだと騒ぎ立てるようなことではない。アッシュとギャスパルの二人であれば尚更。しかし、ギャスパルは戦慄したのだ。


 光源が女魔導師の全身を照らすと、遅れるように、いや、ゆっくりと手を引かれ背の低い子供も姿を見せた。子供——らしき者の背は女魔導師の腰辺りまであった。二人共に血に塗れ、魔導師の女性用頭巾ウィンプルから覗く顔は青銅のような肌をしていた。血の気もなく、ただただ落ち窪んだ眼孔に赤黄色の玉を浮かべたような双眸は、対峙したアッシュとギャスパルの向こうを見ているようで、まるで趣味の悪い人形のようにも思えたのだ。


「——吸血鬼の眷属。アイツらがまだ生きている証拠だ」

 アッシュは静かに黒鋼の大剣を構えると「コイツらは暗闇に紛れるぞ、気をつけろ」とギャスパルの一歩前へ踏み出した。





 雪竜王が何度目かの絶叫を天へ轟かせたのは、ちょうどアッシュとギャスパルが吸血鬼の眷属と対峙した頃であった。

 その絶叫が挙がったのは、たった今レジーヌ・ギルマンから苦情じみた言葉を投げられたアドルフ・リンディが雪竜王の鼻面へ浮かんだ術式のすぐ横へ黒鋼の短剣を叩き込んだからだ。ヴァノックの巨躯が動くたびに色を変えた鱗の大きさは、よく見ればちょっとした子供程もある。だからアドルフはそこまで精度高く鱗の合間を狙わなくとも、ヴァノックの肉へ刃を叩き込めた——雪竜王が絶叫するくらいは損傷を与えることができたというわけだ。


「アドルフ!」

「ライラ!」

 突然に、唐突に上空から姿を現した野伏と剣術士の名を叫んだアオイドスとショーンが、ヴァノックの巨躯がのたうち回るのを背に地表へ足をつけた三人の元へ駆け寄ると、最後に着地をしたレジーヌは「私も居るんですけれど?」と憮然とした。だが、そんなことを云ってもいられない状況であるのは、魔術師も承知であったが、その場に居合わせた面々へ<魔力の殻>を張ると「どういう状況なの?」と説明を求めた。


 その頃には白濁とした煙を、先ほどよりも激しく巻きあげる雪竜王の様子に変化が見られた。最後の絶叫のあと激しく巨躯を、あちらこちらに叩きつけたヴァノックであったが、もう一度もんどりうつと蛇がとぐろを巻くように身体を静かに丸めたのだ。

 それはないだろうと面々はその光景を見たのだが、その様子はまるで眠りについたようにも思える。


「何はともあれだ。一旦引いて体勢を整えるぞ。そこで説明をする」

 そう云ってレジーヌ・ギルマンへ片目をつむったショーンは魔術師の肩を叩くと「助かったぜ、レジーヌ」と、その場を駆け出した。向かったのは、破壊を逃れた砦東に見えた見張りの塔だった。


 ライラは片膝をついたアオイドスへ視線を落とし「本当そっくりね」と溢すと、さっと器用にアオイドスの脇へ腕を滑り込ませ吟遊詩人を背負った。随分と手慣れた様子のライラにアオイドスは目を丸くしたが「ありがとう」と自分の今の格好に気恥ずかしさを覗かせたのだが、一方のライラは「気にしないで、仕事だから」と、吟遊詩人が抱いた気恥ずかしさを不躾に払うよう、静かに返した。


 すっかりと東の見張りの塔の近くまで走った三人を見たライラは、もう一度、とぐろを巻いた雪竜王ヴァノックの姿へ一瞥をくれると「しっかり掴まって」と、三人の後を追った。




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