北では恐らく市街地へ突入をせず、陣を敷いたアークレイリ軍と東から回ったであろうフリンフロン軍が激突をしているのだろう。そうだとわかる戦火の音が、ショーン達が身を隠した見張り塔からもよく聞こえた。南からは、身の毛がよだつ獣の咆哮に激しい爆発音、悲鳴に怒声、そんなものが聞こえた。きっとそれは北から東から流れ込んだ魔物とアークレイリ軍を相手取った、ダフロイト警備隊とフリンフロン軍主力の激戦の音だろう。
義憤に駆られた——とは、云い難い<外環の狩人>達は、魔物の頸を狩るのに必死だろうから、実質上、防衛側は人間を相手にすれば良いはず。であれば、恐らく問題はない。もっとも、狩人で命を落とす輩が出てくると、それはそれで問題だが、今のこの状況ではそうも云っていられない。警告は充分にしてきたつもりだ。
ショーンはそんな想いを巡らせると、尖塔の階段を足早に駆け降り、階下でいっとき休息をとった四人の元へ戻った。「此れのどこが世界のため、お国のためってんだろうな。俺には関係ないけどな……」
※
「さて、あの糞みたいな格好をした竜はいつまで、
ショーンは壁に背を預けアドルフの介抱を受けるアオイドスへ視線を落とした。アオイドスはそれに肩を竦め「昼食までには目を醒ますのかしらね?」と苦笑した。
アークレイリ軍の夜襲から、だいぶ時間は経っていた。
夜も明け始め、帷は明るい蒼に溶け込んでいる。
「なら、朝飯はお預けだな。早いところ叩いて終わらせようぜ」
ショーンは片手を軽くひらひらさせ、小窓に寄ると中庭でずっしりと丸まった雪竜王の姿へ再び目をやった。
呼吸はしているようだ。
巨躯が上下するたびに鱗が白や蒼、はたまたは透過するように様変わりをしていく。顔はすっかりと丸まった身体に隠れており見る事ができない。
ショーンの身体、一つ上へ迸った光線が、ヴァノックの翼を貫き、竜の顔面をも貫いたのをショーンは見ていた。
あの光線が誰が何のために放ったのかは、今は置いておくとして、竜という輩は頭を吹っ飛ばされても生きているのか? ショーンはそう心中に想うと、アオイドスが云った雪竜王の核とやらのことに思い当たると小さく「うーん」と消え入るよう溢し首を傾げた。
「ところで、あの雪竜王ってのはなんなんだ? 話には聞いていたが、実際、竜なんてものを見るのはこれが初めてなんだが」ショーンは、誰に訊ねるというわけでなく、独り言のように溢した。「竜は、竜よ。ドラゴン」それに返したのは、いつの間にかにショーンの横に立ったレジーヌだった。ショーンは「そりゃわかっている。俺が訊きたいのは、竜に何か特別な意味があるのか? それともヴァノックが特別なのか? って話だ」と、相変わらず、雪竜王から目を離さず、そろそろ勢いが収まってきた白煙の動きも目で追いかけた。
「そういう意味なら、ヴァノックが特別ね」
アオイドスは治癒に専念をしたアドルフへ「ありがとうアドルフ」と声を掛けると、ショーンへ答えた。アドルフの肩を借りゆっくりと立ち上がると、ショーンとレジーヌから離れた反対側の壁へ背を預けるようにした。ライラはそれに眉をひそめ「どう、特別なの?」と、冷ややかにアオイドスへ投げかけた。
白の吟遊詩人は、ライラの視線の冷たさには先ほどから気がついていた。ショーン・モロウという男はリードランのことも現実世界のことも視野に入っている印象だが、冷たい視線を投げる剣術士からは、その印象は受けない。どちらかと云えば、現実世界へ重きを置くように感じられる。そうあるのが、当たり前なのだろうがアオイドスは、それに幾許か——淑女たるものの言葉ではないが「胸糞が悪い」と云った心象を彼女に抱いている。
嘗て。と過去の事にするには時期尚早だが、アオイドスが愛した男もきっとそう肌で感じるのだろう。だって彼は、初めて自発的に人間とコミュニケーションをはかった、所謂スーパーAIを前に「この
だが、今の乃木無人——アッシュ・グラントの行動は、その点においてはブレはないのだろう——それが、吟遊詩人の想うところへ辿りつかなかったとしても——が、少なくとも自分、引いては人類へ敵意を剥き出しにするようなことはなかった。
自分へ治癒を施した野伏が合間に話をしたサタナキア砦での出来事に、アオイドスはそう訝しく想った。であれば、知りうることを語り、アッシュ・グラントの想いを確かめなければならない。
「そうね——。
あまり時間はないのだけれど、ヴァノックについて話をしておくと、あの竜はアッシュがリードランへ設置した監視機構。
それは全部で四つ。うち三つの役割は人間の監視、問題があれば解決をするというものよ。その一つがヴァノックだった——もともとリードランに人間は存在しなかったの。でも、とある理由から人間が放たれ、アッシュは人間がリードランを蹂躙することを危惧し、無翼のエキトル、四翼のオルゴロス、六翼のヴァノックにそれぞれ役割を与えたの」
アオイドスはそこまで一気に話すと、大きく息を吸いこみ面々の顔を見回した。ライラの表情は変わらずだった。その先を早く話せとでも云うようにも見えるのは、アオイドスの心情からかもしれない。だから、アオイドスは、あまりそれを気にする事なく言葉を続けた。
「でも——ショーンは対峙したことがあったわね……。
白銀の魔女。そう、彼女の奸計でヴァノックは、その在り方を狂わされ、アッシュの手で屠られた。これは、オルゴロスも同じ。屠られたと云っても、彼らが云うところの<原初の海>へ還されたというのが正解。つまり、このリードランから
アオイドスはここで片手を挙げた。アドルフが「アオイドス、それ以上は」と心配そうに云ったからだ。「大丈夫。今更よ。基本的な構造は一緒でも、ここはもう私の知っている世界じゃない。あなたも、だから私に云ってくれたのでしょ?」と、意味深に返した。
それにレジーヌが何かを云いたげにしたが、ショーンが「それで?」と、それは、そこはかとなく判っていると云うようにアオイドスを促した。
「……だけど、ヴァノックを復活させるにはリードランでは膨大な時間が必要なはずだし、その権限を持っているのは限られた人だけ。アッシュ・グラントか……予想するにあのヴァノックは、その誰かが復活をさせたのだろうけれど、準備をされていたのか顕現に要した時間は恐らく一瞬。それに、顕現したヴァノックは明確な意思を持っていたように見えたわ」
アオイドスが途中、言葉を濁したことにショーンは小首を傾げたが「その……初期状態じゃなかったってことか?」と、アオイドスへ暗に続けてくれと云った。ライラはそれに、明らかに不服そうに鼻を鳴らすとショーンを睨めつけたが、双剣術士は肩を竦め「細かいことは後でな」とライラをなだめた。
「ご推察の通りよ。
準備していた。という予想はオルゴロスが屠られたことに起因しているのだけれど、そこは事が済んだら、ちゃんと説明をする。いま、それを話し始めると、ややこしくなるから。それで、今の状況ね。
私の予想が正しければ、誰かが誰かの意思を媒体にヴァノックを顕現させた。つまり、リードランに質量情報をもった個体へヴァノックの機能を流し込んだ。簡単に云えばそういうこと——ね」
アオイドスはライラの顔色を他所にショーンへ云った。
「難しいことは、判らないが——取り憑かれたってことか?」双剣術士は、頭が悪そうに髪をガシガシと掻きむしった。
「解りやすく云えば、そう。
それであのヴァノックは……特異な顕現——魂の情報が共存をしたから、リードランの次元を少々歪めていた。でも、さっきの光線の直撃で、どちらかの情報が吹き飛んだ。だから、歪められた次元は基に戻った。そう、アドルフ達が上空から降下してくるとき、少しばかり無重力状態を感じたのではない? あなた達が三人いっぺんにシンクロして与えた歪みを相殺しながらだったから、局地的な無重力状態にはならなかったけれど。次元の歪みは重力に強く影響を与えるのよ」
「どっちの情報が吹き飛んだんだ?」と、本当に難しい事柄——重力がどうのと云う部分には触れず、外の様子を気にしたショーンは「手短に頼む」と云うふうに訊ねた。
アオイドスは、それに苦笑をすると続けた。
「恐らく、媒体にされた誰かね。でも、正確には判らない……でも、何れにしても、それは、干渉しあっていた魂の情報の解放を意味するわ。つまり、私の予測が正しければ……原初の雪竜王、誰の制限も受けていない雪竜王のご登場ってことになりそう。で、それは非常に不味い状況。あの竜がサタナキア砦を目指したら——制限を受けていないヴァノックは条件が揃えば現実世界へ顕現する可能性があるの……」
白の吟遊詩人の最後の言葉に、とうとうライラが「あなた、それ何を云っているか判っているの?」と語気を荒げた。それもそうだろう。あんな生物が現実世界へ雪崩れ込む可能性を飄々と口にされたのだ。普通に考えても、どう対処して良いか判らない。
ライラはアオイドスへ詰め寄ると、彼女の腕を乱暴に掴み「先輩!」と、何も口にしなかったショーンへ突き出そうとしたが、アオイドスは負けじと手を振り払い「だから、斃す必要がある! 話は最後まで聞いてちょうだい」と、珍しく声を荒げた。「捕まえるなら、その後にして。あなた達が何をどこまで知っているか判らないけれど、なんでも話してあげる」
アドルフはそれに目を丸くしながらも、ライラとアオイドスの間に割って入ると「二人とも、落ち着いてください!」と、こちらも珍しく声を荒げた。
遠くから、変わらず戦火の音が響いた。
見張りの塔の下では巻き込まれたダフロイトの戦士なのか、アークレイリの騎士なのかを救助する声も聞こえてきた。皆一様に「今のうちに!」と合言葉のように声を掛け合っている。
アドルフが荒げた声は、外野のそれを打ち消すよう見張り塔の小部屋へ静けさを招き入れた。ぽっかりと空いた静けさの隙間に、ハッと我にかえったアドルフは自然とアオイドスの肩を抱き寄せライラとの距離を取らせた。それに合わせるようショーンはライラの肩を引っ掴み「外の事も判っている。でも今は目の前の厄介ごとに集中だ」と静かに囁いた。
※
「それでだ」ショーンは面々の顔を眺めながら、仕切りの一言を口にすると「あの竜は動き出すってことで良いんだな? で、それを斃す必要がある」と、淡々と事実確認をした。
勿論、ショーンも問い質したいことは幾つかあった。ヴァノックを貫いた光線のことだ。だが、今の所
ショーンは言葉の最後に野伏へ目をやった。
アドルフはアオイドスの肩を抱き寄せたことへ、それはどういう事なのかとレジーヌに詰め寄られていたのだが、ショーンはそれに「本当、あの二人はそっくり姉妹みたいだな」と場違いな感想を溢した。
※
あれだけの脅威を振り撒いた雪竜王が、出どころ不明の一撃で沈黙をした。
たった一筋の光線にだ。もっとも最後の一撃は野伏の一撃であったが、決定打となったのはあの光線。
激しく白煙を巻き上げ、
ヴァノックとは自分達の視点からは、この一件の副産物にすぎない筈だ。云ってみれば、別の物事を形作る点の一つであって、ショーンにとってもライラにとってもそう。
ショーンを助ける意図で放たれた一撃であったのならば、自分達の視点で線を結び面となるはず。つまりそれは味方のはずで、この場にその姿があるだろう。
一般の狩人で、あれだけの出力を叩き出せるものが居たのだとすれば、ショーンはそのシェルを把握しているつもりだ。だから大凡の想定はできる。が、この場にシンクロをしているであろう、そのような人物は限られる。「まさかな……」
※
先頭を駆けるショーン・モロウの直ぐ後ろには、すっかりと回復をしたアオイドスが駆けている。彼女は塔を離れる前に面々へ<言の音>を描いていたから、自分の身体を包み込む緑の輝きは吟遊詩人の唄の効果だ。アドルフ・リンディはアオイドスの背中から目を離さず注意深く、その姿を追った。何かあれば、彼女を危機から護りたいからだ。
だが、野伏の横を駆ける魔術師——レジーヌ・ギルマンの言葉を借りれば「あの二人で何とかする勢い」であれば、アオイドスのことは気にせず、自発的に補助をするのが得策か? とも思った。しかしだ。それは、どこか歯痒い。現実世界で、あの二人は、乃木無人の家で一緒にシンクロをしている。
それが、そこはかとなくアドルフの心を揺るがすのだ。
塔から出る直前。
アオイドスはヴァノックの核についてをショーンへ話をしていた。勿論、それは面々にも共有する形ではあったが、聞き役の主人はショーンだった。
ヴァノックの現在の状況が「機能の塊となった躯体へ個性を獲得するため、云ってみれば眠っている状態よ」と説明をし「だから、核が完全に生成される前に跡形もなく消し飛ばせれば、それが一番良い」と提案し、その為には、横を走るレジーヌが以前に見せたと云う大規模魔術<浄化の外法>が有効だと、さらりと云った。
アドルフはそれに——胸の奥へ——違和感を感じるのだ。
それが歯痒さと云えばそうなのだろうが、その違和感に触れるたび、ショーンの背中へ目をやると「そこは、僕の居場所じゃないのか」と、口を一文字に縛る。
そして、両手に構えた黒鋼の短剣を、ぎゅっと握った。
※
レージヌ・ギルマンは「ちょっと待ちなさいよ!」と、ショーンとアオイドスに並ぶ勢いで駆けた。それにショーン・モロウは「あんまり、前に出過ぎるなよ! 術式を準備しておいてくれ」と叫んだ。
もう、すぐさまにも眠る雪竜王の前へ到着をする。その他の敵影はないとはいえ、他の目的のために動いている<外環の狩人>の存在が確信に至っていない以上、気を抜くことは許されない。レジーヌが浮遊しヴァノックを視野へ収めた途端に彼女を撃ち抜かれることだって考えられるのだから。
ライラ・リンパルはそのやり取りを目にすると野伏の横に並んで駆けた。
野伏の視線は吟遊詩人に向けられているようだが、どうも挙動がおかしい。時折、ショーンの背中を見たかと思えば、手持ち無沙汰なのか短剣を握りなおすような仕草も見せた。
大学構内でショーンと連絡を取ったときのことだ。
白石颯太と三好葵が痴話喧嘩をする合間に、あのいい加減な先輩が珍しく神妙な声で云ったのだ「本当は、合流してからが嬉しいが、難しければ判断は任せる。そこに居る二人を説得してリードランへ連れて来てくれ」と云ったのだ。その真意を、とうとう訊ねる間もなく同時多発的に日本を含め世界中で、例の連続焼死事件に交通網インフラの事故が報道された。
未だその真意は知らされてはいないが、ショーンが云った言葉の中には白石颯太——アドルフ・リンディ、三好葵——レジーヌ・ギルマン、そして乃木葵——吟遊詩人アオイドスの三名から目を離すなという指示が含まれているだろうと、ライラは考えている。
そうでなかったとしてもだ。
先程からアオイドスが奇妙にレジーヌから距離を取る行動も含め、横を駆ける野伏の機微へアンテナを向けておけば、先輩へまた一つ貸しを作れるだろう。と、ライラは考え笑みを浮かべた。「タイミング良すぎ。それに……先輩も何か隠してますよね」
思わず口から漏れたライラの言葉は、どうやら誰の耳にも正確には届かなかったが「ライラさん?」と横を駆けたアドルフの言葉に露出の多い女剣術士は少々、ギョッとすると「何でもない。ほら、お友達が術式の展開を始めたわよ。周囲を警戒。いいわね!」と、勢いで何かを掻き消すようアドルフへ雪竜王の尻尾の方を剣で指し示した。
※
アドルフがアオイドスから少し離れた雪竜王の尻尾付近に陣取ったのと、ライラがその真逆へ位置取ると、レジーヌは自分の真正面で仁王立ちをしたショーンへ「私、術式を展開したら動けなくなるから!」と、随分と威勢よく叫んでみせた。
「ああ、判ってるぜ大魔術師。ぶっ放してきてくれ」とショーンは返すと「お前さんが、ぶっ倒れたら背負ってやるぜ」と片手半剣の先を、ほら早くと小さく振った。
「よく云うわよ。吸血鬼のときはしくじったくせに」と、大魔術師と呼ばれ悪い気分ではないレジーヌは、無邪気な笑顔を浮かべると、少し離れてと手をヒラヒラさせた。
「判ってるさ。でも今回はあのときとは事情が違うんだ。本気でやるさ」
ショーンはレジーヌへ片目を瞑ってみせた。
合わせるよう双眸を閉じたレジーヌは、あのときのよう深く深く魔力の湖へ潜ると、とうとう術式を完成させ身体を浮かばせた。
「ついでに、魔物もやってやるんだから」
ゆっくりと瞼を開けたレジーヌは、小さく口にしたつもりだったが、どうもそれはショーンには聞こえていたようで「余計なことは考えるなよ」と苦笑した。
そして、その頃にはもうレジーヌ・ギルマンは雪竜王の直上へ到達し、大振りの杖を手に握りしめていた。
いよいよ大詰めだ。