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第53話 クリスマスのない世界


 昨晩、レヂ公国から戻って泥のように眠り、目覚めた時にはお昼時さえとうに過ぎていた。

 枕元にいた二匹の使い魔達に、おはようと声をかけ撫でてから投げ出したままのスーツケースを片付ける。


 レヂ公国で彼と――アヤセと過ごしたのは、三日だけ。


 たった三日しかない旅路だったが、いろんなことがあった。

 彼が買ってくれた謁見用の黒のワンピースと紺色のジャケットを眺め思い出に浸りながら、唯舞はほんの少しの淡い気持ちと共にそれをクローゼットに片付ける。



 "唯舞いぶ"



 そう呼んでくれるようになったアヤセの声は今も耳朶じだに残っている。

 最初近寄りがたかったアヤセが、この旅を通してかなり柔和になったのはきっと気のせいではない。

 今までの彼だったら唯舞を慰めたり、ましてや触れてくることなどしなかったはずだから。


 思えばこの世界に来てまだ二ヶ月も経っていないのだと気付いた唯舞は、モニター表示されている壁のカレンダーに目をやった。


 12月ももう終盤。

 日本の年末といったらクリスマスからのお正月が一般的だが、ミーアによればこの世界にクリスマスの概念はなく、年末年始が一番盛り上がるらしい。



 (そっか。今年はクリスマスがないんだ……)



 いつもは家族や友人、恋人と過ごしていた、海外とは少し意味合いの違う日本特有の特別な日。

 家に帰れば必ずといっていいほど父親がクリスマスケーキを2ホールも買って来ていたことを思い出して、唯舞は小さく笑みを零した。


 毎度呆れ気味の母をよそ目に、行儀は悪いが、余ったケーキはスプーン片手に直接ホール食いをしていた父と弟は物凄い甘党だったのだ。

 ちなみに父は、胃薬のお世話になるまでが毎年恒例のワンセットである。


 去年のクリスマスは大学時代からの恋人と過ごしていたが、仕事に忙殺され、会うことはおろか、連絡さえ途絶えがちになってからは自然と距離が離れて別れてしまった。

 元々感情表現がうまくない自分は恋愛には向かないのだろうな、と悟ってからは色恋からも足が遠のいたように思う。


 恋人と別れたのは今年の6月だ。

 半年前、と思えばさほど時間は経っていないようで、異世界に来た今となってはもう遠い過去の話である。


 クリスマスがないことに寂しさと物足りなさは感じるが、以前ミーアと市街に買い物に行った時には街はすでに年末年始――この世界では年の終わりヤーレスエンデというらしい――に色めきだっていて。

 華やかな空気の中、カラフルなオーナメントや妖精モチーフの飾りがたくさん並ぶ店頭には、多くの人がそれを買い求めに訪れていた。

 年の終わりヤーレスエンデの訪れに顔を綻ばせるこの世界の人を見て、いかに待ち望まれている行事なのかがよく分かる。


 そういえばあの時もアヤセが一緒にいたんだな、とふと思い出して唯舞はほんのり表情をやわらげた。

 ミーアに呼び出され、不満げなまま荷物持ちとしてやってきた彼を当時はびっくりした気持ちで見ていたけど、身内認定された今ならまた違った気持ちで楽しめるかもしれない。


 あの時にミーアから言われたアヤセの扱い方とやらはまだよく分からないが、今の彼なら唯舞をそう邪険にすることなく接してくれることはなんとなく想像がついて、現世を思い出してしんみりしかけた気分はすっかりなりを潜めた。


 そんな思いで迎えた翌日12月24日。

 唯舞の考えは予期せぬ形で覆され、忘れられない日へと変貌するのだ。




 *




 「……え? 今日、他のアルプトラオムの方が戻ってこられるんですか?」



 偶然リアムに出くわした朝。一緒にカフェテラスへ行くことになった道中で唯舞は初めてそれを知った。

 雪も舞い散るザールムガンドの朝は寒く、寒さが苦手な唯舞はたった5分の距離でも可能な限り外に出たくない。

 だから今までも朝のカフェテラスには出来るだけ行かなかったのに、レヂ公国から帰ってきたばかりの空っぽの冷温庫が無情にも朝のお散歩を唯舞に突き付けてくる。

 仕方なしに一階のホールで道連れのリアムを発見して、苦行の寒空の下に飛び出しての新情報だった。



 「そっか、イブさんは聞いてなかったんですね。今日の夕方には帰ってくるみたいです。改めて自己紹介はすると思うけど、カイリ少佐にオーウェン大尉、それに僕の先輩にあたる管理官のランドルフさんの三人。会うのは初めてですもんね」

 「はい」

 「少佐と大尉は大佐の士官学校からの仲良し三人組……というか完全に悪ガキ三人組ですね! 三人揃うとほんと碌なことしないんでイブさんも覚悟しててくださいよっ」



 そう忠告してくるリアムに苦笑して、寒空の下、ようやく辿り着いたカフェテラスの入り口を二人はくぐった。


 ――仲良し三人組。

 そう言われて、もしかしてそのカイリとオーウェンがエドヴァルトと同じようにと親しかったのかもしれない。そう思ったら、少しだけ胸の内が複雑になる。



 (……深紅みくさん)



 今度話すと消えていったエドヴァルトの姿を、あの日以来唯舞は見ていない。



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