(またか……まあ、最近じゃ珍しくもないけど……)
輝真は黙ってレモンサワーに口をつけた。美味しいとは思えないがビールより不味いとは感じないだけで今の輝真にとってはありがたかった。
「本気も本気。オレはもうなあ、こんな生活うんざりなんだよ」
「それにしたって、お前。攻略士って命がけなんだぞ」
「んなこたあ百も承知よ。だけどなあ、この生活から抜けられるってんなら、ダンジョンやらに潜ってバケモンと戦うぐらい、オレはやってみせるぞ?」
隣の席で暑苦しく意気を語る男は安酒が似合う風体だった。
「そうかそうか、まあ落ち着けって」
暑苦しい男の同僚か知人らしき男は苦笑いを浮かべている。
「オレは落ち着いてるってんだよ。真剣なんだからよ」
「分かった分かった、別に止めないけどさ。適性があるかも分かんないんだし」
「ああ、あれだろ? 五千人に一人ってんだろ、適性があるってのは」
「知ってるなら、まあいいさ。物は試しだ、ビッグサイトに行ってみたらいい」
「次の休みに行ってやる。オレには適性があるってな、なんかそんな気すんだよ。オレの人生変わるぜえ?」
根拠の欠片もない自信を見せる暑苦しい男の扱い方を、苦笑いで聞いている男は心得ている様子だった。
「しっかしなあ……モンスターがいるダンジョンなんかに潜ろうなんて、とてもじゃないけど思えないな、俺は」
「オレはなあ、やってやるんだよ。ダンジョンでなあ、人生イッパツ逆転してやんだよ……!」
最近よく聞く与太話だと輝真は思った。
今年の春に突如として出現した異空間へのゲートと、ゲートの中に存在するダンジョン。
ダンジョン内に湧くモンスターを倒せば、国が高額で買い取るというアイテムが手に入る。
適性があって攻略士になれば、一攫千金も夢じゃない。
失われた三十年と表現される長すぎる不景気に、コロナショックに円安と物価高。働き盛りの世代は就職氷河期に急増した非正規雇用で苦しみ続けている。
今の日本には人生を逆転したいと願う人間が溢れていた。
昨日までの輝真なら聞き流していた珍しくもない与太話だったはずが、今の輝真の胸には引っ掛かる何かがあった。
人生を逆転。
陳腐すぎる言葉を、輝真は昨日までと同じように笑い飛ばすことができなかった。
自分の心境の変化に戸惑いを覚えた輝真の脳裏に、洋香の笑顔が浮かぶ。
あの笑顔が俺に向けられることは、もう無い。
洋香の笑顔の先に、今いるのは悠人だ。
寂寞と虚無とに襲われた輝真は反射的に立ち上がった。
ここは俺の居場所じゃない。
同時に失った恋人と親友の面影から逃げるように輝真は居酒屋を出た。
座って一息つく場所すら失ったように感じた輝真は、ふらふらと吉祥寺という慣れ親しんだはずの街を彷徨った。
輝真がサンロード商店街のアーケードに入った時、スマートフォンがメールの着信を報せた。
応募した小説新人賞の運営事務局からのメールだった。
「厳正な審査の結果、御応募頂いた作品は落選となりました」
何度目か数えることさえやめてしまった落選を知った輝真は、落選の文字をしばらく見つめてからメールに添付された評価シートのファイルを開いた。
酷評だけが輝真の胸に突き刺さった。
「主人公に魅力がない。設定や展開がありきたり。文章が稚拙でリズムも悪い。人物描写が浅く感情移入できない」
バキッと何かが折れる音を輝真には確かに聞いた。
輝真が書いた小説を最初に面白いと言ってくれたのは、洋香だった。
洋香はもういない。
(励まし続けてくれた洋香を、裏切ったのは俺だ)
後悔よりも自分への強い怒りが輝真の中で込み上げる。
自分に向けた怒りだけを脚に伝えて、輝真は木造アパートへの帰路を歩いた。
自室に戻った輝真はすぐさまパソコンを起動し、検索バーに攻略士と打ち込んだ。輝真はそのままの勢いで攻略士を管轄する特異空間対策庁の応募フォームに必要事項を入力した。
明日の予約を済ませた輝真がよろよろと立ち上がる。
(こんな見込みがない賭けしか残ってないんだ。ただの逃避だったとしても、何もしないよりは……)
自嘲の笑みを浮かべることさえ上手くいかず、輝真は表情を歪ませたままベッドに突っ伏して目を閉じた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌朝。輝真は江東区有明にある東京国際展示場、通称ビッグサイトを訪れた。
平日だというのに多くの応募者で広いはずの会場はごった返していた。
何度か訪れたことのあるイベントの時に感じた「お祭り」の昂揚がない人混みは、輝真に不安を強いる気味の悪い熱気を孕んでいた。
空港にあるようなボディスキャナーのゲートをくぐり、警備会社のスタッフによる手荷物検査を済ませた輝真は、予約番号と免許証による本人確認を経て待合スペースへと通された。
大量の折りたたみ椅子がドミノのようにずらりと並んだ待合スペースで輝真が待っていると、若い女性の事務員に呼ばれて個室ブースへと案内された。
「本日はご応募ありがとうございます。まず適性の有無から確認させていただきます」
何千回と繰り返したマニュアル通りといった口調を隠さない事務員が、机の上に置かれた薄い石板を指差す。
輝真には解読できない楔形文字のような模様がびっしりと刻まれている石板だった。
「この石板に右手を乗せてください」
指示に従って輝真が石板に右手を乗せる。
輝真の右手が触れるのと同時に、石板が明るい紫色に発光した。
最低限の作り笑顔を浮かべていた事務員の表情が一変して真顔に変わる。
「柘植輝真さん。あなたには、攻略士の適性があります」