絶望の淵で、もう助からないと諦めかけたその瞬間だった。
――ドンッ!
突然、ドアが大きな音を立てて蹴破られた。
「クソッ、どこのバカが俺の邪魔を――」
高橋啓介は怒鳴りながら立ち上がったが、振り向く間もなく、勢いよく蹴り倒された。
「ゴンッ」という鈍い音と共に、高橋は壁の隅まで吹き飛ばされ、苦しそうにうめき声を上げる。
その凛々しく冷たいシルエット、間違いなく瀬川達也だった。
胸が締めつけられるような思い。安堵なのか、苦しさなのか、複雑な感情が渦巻く。だが、体の中を暴れる薬のせいで、火照りと虚しさがさらに激しく私を襲った。
「達也…御曹司…?な、何を…」
高橋は苦痛でうまく言葉も出せず、顔から血の気が引いていく。
瀬川達也は冷たい眼差しのまま、さらに数発容赦なく高橋の急所を蹴りつけた。
「や、やめてくれ!壊れる!頼む、御曹司、許してくれ!」
高橋の悲鳴が部屋中に響き渡り、ついには白目をむいて気絶してしまった。
達也はゴミでも捨てるように高橋をバスルームへ引きずり込み、鍵をかけて閉じ込める。
そして、ゆっくりと私のいるベッドへ近づいてきた。見下ろすその目に、私の体は熱にうなされ、縛られたまま身動きも取れない。
全身を蟻に噛まれるような焦燥感、薬のせいで理性もどんどん溶けていく。
達也は冷たく口元を歪めた。
「そんなに我慢できなかった?先に高橋を誘って…。その必死な顔、ずいぶんみっともないな。」
唇を噛みしめ、血が滲みそうになる。やっぱり、この人は私を助ける気なんてない。ただ、虎の口から逃げて、狼の巣に落ちただけ…。
「こういうのが好みだったのか?」
彼の声は皮肉に満ちていた。
「お願い…お願いだから…」
もう制御できず、声も涙まじりに震えてしまう。
「何をお願いするの?俺に抱いてほしいのか?」
大きな手が私の後頭部を支え、顔がぐっと近づく。すぐそこに冷たい唇がある。
ただ満たされたい。焼けつくような空虚が、今にも私を爆発させそうだった。
「お願い…お願いだから…早く…」
彼もようやく異変に気付いたようで、目つきが険しくなる。
「クソッ、あいつ、薬を盛ったのか?」
もう思考は混乱し、目の前の美しい顔だけが鮮明に映る。ふと、七年前、鎌倉の湖畔での衝撃的な出会いを思い出す。もしあの時のままでいられたら、どんなに良かっただろう。
「達也…達也…」
体は縛られながらも、理性はすでに崩壊していた。私は彼の冷たい唇に自ら重ねる。あのなつかしく、そして致命的な香り。私はもう、とっくに彼という毒に侵されていた。逃れられない、解毒もできない。ただ、沈み込むしかなかった。
「達也…私…あぁ…」
「悪い子だな…」
体の熱は、激しい交わりのうちにようやく解放されていく。心の奥に七年間しまい込んできた「好き」の言葉も、結局この波に飲み込まれて消えていった。
時は苦悶と快楽の中で過ぎていき、窓の外には夜の闇が深く降りていた。
縛られていた紐はすでに解かれ、私は薬のせいもあって、達也に縋りつくように身を委ねていた。
すべてが終わり、熱が引いていくと、私は力尽きて眠りに落ちた。
――どれくらい眠ったのか。
かすかなノックの音で目が覚めた。
私は飛び起き、慌ててベッドサイドの灯りをつける。
隣を見ると、達也はまだそこにいた。珍しくぐっすり眠っていて、騒がしい音にも動じない。その横顔は、いつもの冷たさが抜け、少し柔らかく見え、乱れた髪が妙に色っぽかった。
さっきまでの激しさを思い出し、胸がドキドキし、顔が熱くなる。もう彼の顔を直視できなかった。
「コンコン…」
ノックの音は確かに続いている。私は急いで服を着て部屋を出る。
ドアを開けた瞬間、頭の中が真っ白になった。
そこに立っていたのは、瀬川拓真だった。
しまった…!こんな大事なことをすっかり忘れていた! 本当は高橋啓介を使って、拓真に見せるための芝居を打つつもりだった。だから同僚に今夜ここで私を見つけられるよう、それとなく知らせておいたのに…。
「拓真…私…」
言葉が出ない。
拓真は鈍い男じゃない。いつも穏やかな顔が、今は険しく歪んでいる。
「晴子、誰かにひどいことされたのか?」
「私は…」
私がうろたえていると、彼は私を押しのけて部屋へ駆け込んだ。
「やめて!入らないで!」
私は止めきれず、後を追うしかなかった。
大きな物音に、達也も目を覚ました。シーツがずり落ち、引き締まった上半身が露わになる。
「兄さん…!?」
部屋に飛び込んだ拓真が見たのは、まさにその光景だった。
私はその後ろで、呆然と立ち尽くすしかなかった。
しばし――
三人の間に、重苦しい沈黙が流れた。