久しぶりに、私は再び父の病室に足を踏み入れた。
聖心リハビリ病院に来る前に、以前あったあの匿名の振込が誰によるものか調べてみたが、結局何も分からなかった。
病室のドアを開けると、目の前の光景に思わず息を呑んだ。
藤原理恵と藤原優美、二人がそこにいたのだ。
私はすぐに警戒し、冷たい声で言った。
「何しに来たの?今すぐ出て行って。さもないと警察を呼ぶわ。」
理恵は薄く冷笑を浮かべて言った。
「私は自分の正当な夫のお見舞いに来ただけよ。あなたが警察?そんな資格あるの?あなたが私の夫を鎌倉の病院からこっそり転院させて、やっと見つけたというのに。警察に通報するのはむしろ私の方だわ。」
「ふん。」私は皮肉を込めて言い返す。
「藤原さん、あのレシピがないままの藤原織物、最近は順調にやれてるのかしら?」
「このっ…下衆が!」理恵の顔色が一気に険しくなり、私を叩こうと手を振り上げた。
私は身をかわして避けた。
あの頃、二人は私と瀬川達也の関係を利用して父を脅し、優美は大声で泣き叫び、私が彼女の恋人を奪ったと責め立てた。父は責任を感じ、私の名誉を守るためにも仕方なく理恵と結婚した。だが私は知っていた。父は必ず何か手を打っていたはずだ。でなければ、理恵が今でも執拗に父の行方を探しているはずがない。
「レシピは絶対あなたが持ってるはずよ!早く渡しなさい!」優美も詰め寄ってきて、感情を抑えきれず私に飛びかかってきた。私たちは揉み合いになった。
父が昏睡してから、二人は藤原織物の財産を全て手に入れたつもりでいた。だが経営の知識もなく、資金繰りはすぐに行き詰まった。百年以上続く藤原家の織物業は、父が受け継いだ秘伝の染料レシピに支えられていたのだ。レシピのない藤原織物など、ただの抜け殻でしかない。
結局、藤原織物はあっけなく倒産し、借金だけが残った。
水の泡となったこの現実、母娘は到底納得できないのだろう。
「残念だけど、レシピは本当に私の手元にはないわ。」私は優美を強く突き飛ばした。「もしかしたら、あの火事で全部燃えてしまったのかもね。誰の手にも入らない、それが運命よ。」
「このっ…!」優美は怒りで目を真っ赤に染め、私の首を締めて激しく揺さぶった。
「下衆!藤原織物がただの空っぽだと分かってたなら、わざわざ達也様のベッドにあなたを送り込む必要なんてなかった!達也様が天城グループのお坊ちゃまだと知っていたら、あんな工場なんてどうでもよかったのに!私が…」
「くそっ!どうしてお前が生きてるのよ!」
理恵は慌てて優美の口を塞ぎ、「何言ってるのよ!早く手を離しなさい!ここで殺したらどうするの!」と怒鳴った。
喉元の締めつけが解けて、空気が一気に流れ込み、逆に頭が冴え渡る。
今、優美は何と言った?
私はゆっくりと優美たちに詰め寄り、鋭い視線を向けた。
「やっぱり…あなたたちだったのね。達也に薬を盛って、私を彼のベッドに運んだのも、全部仕組んだ罠だったのでしょう?それでわざと両親に現場を見せて、母を死なせ、父をあなたと結婚させた、そうでしょう!」
理恵は余裕の笑みを浮かべて言い返す。
「今更そんなこと言ってどうなるの?あなたが瀬川達也と関係を持ったのは事実よ。それに見てご覧なさい、藤原正和はもう生きてるのか死んでるのかも分からない。」
「父を侮辱しないで!」私は堪忍袋の緒が切れ、思い切り理恵の頬を平手打ちした。
「よくも私を…!」理恵は目を見開き、濃い化粧が怒りに歪んだ。
「あの時、あんたが作った桃焼きのせいで藤原家が焼け落ちた。母親も父親も死なせ、瀬川さんまで火事で亡くなった。あんたみたいな人殺しに、私を叩く資格なんかない!」
理恵は私の頬を何度も平手打ちし、優美も一緒になって私を蹴り始めた。
私は抵抗しなかった。できたはずなのに。
なぜなら、私は完全に呆然としていたのだ。
こんなに鮮明に、全てを思い出したのは初めてだった。二人の罵倒や暴力の中で、急にすべての点と点が繋がった。
もしかしたら、私が背負ってきた罪は本当のものではないのかもしれない――本当の犯人は、他にいるのかもしれない。七年もの間、私は重い十字架を背負い続けてきたのだ。
私は立ち上がった。二人も疲れたのか、息を切らしながら私を睨みつけている。
私は理恵をじっと見つめた。その視線に気圧されたのか、理恵の表情がみるみる不安げになっていく。
「何よ、その目は。」
「やめなさい!もう私を見ないで!」
私は冷たく笑った。
「理恵、あの火事の夜、私が桃焼きを作っていたことを警察ですら知らなかったわよ。あなたは、どうしてそれを知っているの?」
理恵がこれほど動揺する姿を、私は初めて見た。
「桃焼き?何のことよ、そんなの知らないわ!」
「優美、行くわよ!」理恵は優美の手を引き、慌てて病室を飛び出した。
「理恵!お天道様は見てるわよ!母さん、瀬川さん、二人の命……長い夜、覚悟してなさい!」
理恵の背中が一瞬強張り、震えているように見えたが、振り返ることなく勢いよくドアを閉めた。
私は父のベッドに近づき、安らかな顔をそっと撫でた。静かに涙が頬を伝う。
「お父さん、いつか必ず証拠を見つけて、あの人たちの罪を明らかにするわ。お母さん、瀬川さん……本当の真実は、こんなにも複雑だったのね。」