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旅立ちの章

1曲目 漣の合間に踊る歌

それは波に乗る美しい心。



歌が誘い、出逢い、そしてキミを手に入れた。



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 どこまでも果てしなく広がる、透き通ったブルー。それが太陽の光を弾き、ゆらゆらと揺らめくダイヤの粒のような煌めきが、いくつも浮かんでいた。


 そこで聞いた。漣にかき消されそうになりながら、それでも風に乗って届く澄み渡る声を。


 今まで座ったまま、うつらうつらとしていた男が、目を開けて突然立ち上がったものだから、仲間が驚く。


「どうかされました?」

「声……」


(鳥?――いや、これは……歌?)


「歌が聞こえないか?」


 掃除をしていた仲間の数人も足を止め、耳を澄ませているようだ。が、お互いに顔を見合わせて首を振る。


「聞こえませんよ?」

「今まで眠ってたから、夢でも見ていたんじゃ」


 もう一度、遠くの方を見る。周りにはまだ、島や通りすがりの船すら何も見えない。


(夢?だったら、起きている今も聞こえてるこの途切れがちな歌は、幻聴だとでもいうのか?)


 バカ言え、と唇だけを動かし、それから口の端を吊り上げた。


 そこまでいくほど歳を取ってもいない。これは絶対に何かあると、予感が心を擽って昂らせる。そんな時だった。


「近くに島があるそうですが!」


 ドアが開き、そこから出てきた男が知らせに叫んだ。答えは迷うまでもない。


***


 次にどの島に行くかは、自分が決定権を握っている。前回の上陸会議では、ここの辺りに島があるなど聞かなかったはずだ。長く航海をするためには、物資の補給場所やタイミングを的確に把握する必要がある。だから、立ち寄れそうな島は、航海士や他の仲間の意見を聞きながら、打ち合わせをするのだ。


 それにもかかわらず、その島を見落とした理由は、蓋を閉め忘れてひっくり返したインク壺の飛び散った中身が、たまたま海図のそこにかかって黒くなってたからとは。


(阿呆みたいだなぁ)


 嘘とも取れそうな理由に、呆れ笑いが出た。


 ともあれ、自分が耳にした歌はそこから聞こえてきたのかと確信を得たので、少しのインクの染みに隠れてしまうような、小さな小さな島へ寄ることを決めたのだった。二時間半もすれば、島へ着くらしい。


 あの歌はその島のどこから聞こえてきたのか。今は聞こえなくなったそれは、何者が歌っていたのか。人か、人ならざる者か。


 その興味心を満たすがため、まだ見えぬ島の何かを想った。真っ赤なロングジャケットが、風に煽られてはためいていた。


 ***


 街から離れたところの小さな森の中。坂道を一人の少女がゆっくりと歩いていた。


 時々、どうしようもない焦燥感に駆られる時がある。そんなときは家を出て木々の先、海の見える岬に立って、外に広がる蒼を見ながら歌を歌うのだ。幼い頃に聞いていた音楽の中で、一番耳の奥に残る曲を。歌詞はない。ちなみに、曲名もわからない。


 小鳥が少女の歌声を聞きつけ、集まってくる。彼らはとても警戒心が強い。だから体はあまり動かさないようにして、声だけを空に届ける。そうすると近くに来てくれて、寂しくないから。


 そんな小鳥たちが、不意に慌ただしく飛び去った。歌を止め、体の向きを海と反対側へ向ける。眉間に皺を寄せた数人が、此方へ向かって姿を現した。見覚えのある顔。彼らは自分と同じ、この島の住人だ。何人も固まった大人たちは皆、少女へ憎しみを込めた視線を送る。


「歌はやめろと何度も言ったはずだ!」

「お前の声は、不吉を呼ぶのがわかってるだろ」

アタシ達を巻き添えにして、災難を招き入れる気!?」

「人を巻き込んで、ホント最低!」


 何度言われても、慣れない言葉たち。耳から身体に入って、鋭利な刺が心を抉る。


「わ、私、そんなつもりは――」


 小さな声は最後まで聞き入れられることなく、上から遮られた。


「家に入って、用の無いとき以外は出るんじゃない。いいな!」


 無礼にも、少女に人差し指が突きつけられた。言いたいことを吐き出すと、彼らは背を向けて歩き出す。


「まだ成人まで数年あるから、ここに仕方なく置いてやってるのに」

「追い出されないだけで、有り難いと思わないのかしら」

「その恩も理解しないで、本当に疫病神みたいな子だよ」


 こちらに聞こえるように、わざと口々に好き勝手言いながら、彼らはいなくなった。取り残された少女の瞳が哀しそうに揺れ、睫毛が震えた。けれど彼女はふるふると頭を振り、目尻に乗っていた透明な滴を振り払った。


(あと数年、我慢すればいいのだもの。大丈夫よ、大丈夫。大丈夫だから……)


 自分を元気づけるために、体の中で激しく荒々しく悲しみに揺れる心を鎮めようと努めた。


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