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第2話 目 覚 め

 ぺたぺたぺたぺた……。


 高く、近く、響いてくるのは足音。

 ハイヒールとかじゃなくて、素足がたてるような……って、おかしいわね?

 ここの室長さんは女性のはずだわ。少なくともあたしが眠る前は女の人だったわ。ポッドに入ったあたしの不安を見抜いてて、あたしが目を覚ますときは必ずいてくれるって、笑顔で約束してくれた。

 それであたしはすごくほっとしたんだけど。


 この1年の間に何かあって、別の人になっちゃったのかしら?(それにしたって裸足っていうのはおかしいと思うんだけど)


 あと、あの、まるで空気が抜けていくようなプシュッっていう音をたてて、自動扉が開いた――ような気がする。


 ずっとこの場所にいたせいか、あたしってずいぶん周りに神経質になっちゃってて……あ。今、あたしを、見てる? もしかして。

 まぶたは重くて開かないし、体はまるでクラゲのようだけど、視線だけは感じる。たしかにあたし、見られてる。


 ――やだっっ、恥ずかしい!

 今あたし、裸よ? 与えられたのって、こんなの下着のかわりにもなんないってくらい薄い、半透明のゴムみたいなやつで。

 下着もつけちゃだめって言われて、どうしてもって言われて。もうどうにでもしてって気持ちで、えいってそれ着てポッドに飛び込んじゃった。


 ……まあ、その後、生命維持装置につながってるとか、記録に必要とかで体中にペタペタいろんなの貼り付けてきた技師さんは、もう全然変な目つきなんかであたしのこと見てなくて、いかにも仕事って態度だったけど。


 がーんっ。あたし、ぺちゃばいなのに。おなかだってちょっと出てるし、全然きれいじゃない。

 お願い。あたしを見てるあなた、女の人でいて! 女の人、よ……ねっ?


 でも……ああ、そんなことよりあたしをここから出して。

 あなた、あたしを起こしにきてくれたんでしょう?

 あたし、疲れちゃったの。眠り続けるってことに、とても疲れちやった。

 お願い。あたしを出して。ここから出して。お願い――――。


 そのとき、がしゃんって音が響いて、ぱああとまぶたの向こうの闇が少し明るくなった。


 何? 何の音?

 起床シグナルじゃないのはたしか。まるでガラスのコップを床にたたきつけたみたい。

 そして続くようにあたしを包んで保護してくれてた液体の気配があっという間になくなって、途端ずっしりと、すっかり忘れきってた自分の体重がかかってくる。


 そんな、まだ目覚めきってないあたしをつかみ、無情にも引きずり出す、強引な手。

 体中に貼りつけてあったケーブルが伸びきって、ぶちぶちと音をたててちぎれてくのが分かる。

 当然ながら、痛い。痛いんだけど、でも、もっとあせったのは呼吸できない苦しさだった。


 水並の濃度の酸素をずっと吸ってたんだから当たり前、なんて冷静に考えられたのはもうずっとあとのことで、このときばかりは大パニック!


 ごほごほっ、ごほごほ、ごほごほごほごほげほっ。


 い、息ができないっ?

 そんなばかな!

 そ、そんなはずないわ、息の仕方を忘れるなんて、ありえない! 

 のに、わ、忘れてるっ!?


 た、たしか、鼻で吸うのよ。吸って、胸の肺のほうへ送りこんで……それを全身へ回させて……吐き出して……そのくり返し。

 何度も、何度も……。


 ごぼっ、けほけほけほっ。


 だ、だめ。できない! やっぱり苦しい……っ。


 そのとき、両肩を後ろからつかまれて、ぐっと斜め下に向かって背中の中央部が強く押された。

 反射的、下を向いて大きく開いた口から肺につまっていた液体が全部吐き出されて、必死に咳きこむ。

 そんな、まだ床に四つん這いになってむせてるあたしの腕をとって、強引にまた上を向かせようとするやつ。


 だれかって?

 あたしを力ずくでポッドから引きずり出したやつよ!!


 ええ! 見てやるわ! 一体誰よ、こんな無茶苦茶な起こし方したやつ! 一言怒鳴ってやるっ!


 そう決めて、あたしは全身全霊の力でまぶたをこじ開けた――んだけど……。

 あ、やっぱりだめ。久しぶりの光に目のほうが驚いて、フラッシュのオン・パレード。周り中が白いものだからますます乱反射しちゃって、あたしは、もう少し開いていたら失明しちゃってたんじゃないかって本気で思いこんだくらいよ。急いでぎゅっと閉じたから、そこまでいってないだろうけど。


 これは慣れてないからだわ、きっと。ゆっくりと慣らせば……そうよ、ゆっくり、ゆっくり時間をかけて開いて、周りの明るさに慣らしたらいいんだわ。

 大丈夫。見えないはずはないのよ。前はあたし、この光の中を堂々と歩いてたんだし。そうよ、見えないわけないわ。


 ゆっくり…………ゆっくり………………うわ。やっぱりまぶしいっ。


 でも、さっきよりはマシ。断然いい。


 そうして少しマシになった視界で、まず目に入ったのはふわふわの緑。

 思ったのは、だれよ? これ。


 その疑問をロにしようとしたんだけど、次の瞬間あたしは本当に久しぶりの気絶というものをしてしまった。


 どうやら残ってた体力、まぶたを開くのが精いっぱいだったみたいで。

 睡眠で体力を取り戻し、自然に目を覚ましてあらためてまぶたを開いたとき。あたしの側にはだれもいなかった。


 もう夕方になっちゃったのか、薄暗い研究室の中にたった1人、あたしだけ……。


 ――ぞくっ。


 やだ。寒いと思ったらあたし、裸のままじゃない。服、服、服――って、どこにもないーっ???


 どっ、どうしよう?

 こんな格好してるとこに、またさっきのやつが戻ってきたら、あたし……。


 い、一体何があったの!?

 父さまたちはどうしたっていうの?

 どうしてだれもいないの?

 眠るとき、あんなにたくさんいたじゃない。

 ずっと泣いてた父さまも最後には「1年後に絶対に会おう」って笑って送り出してくれて……。



 なのに、だれかがポッドのガラスを割って、あたしを強引につかみ出した。



 そうだ。あれは男の人だ。絶対女の人じゃなくって、男の人。

 どんなやつだったかしら?

 見たはずなのに、全然思い出せない。目にしたのは確かだけど、覚えてるのは緑。緑のイメージがあるだけ。

 といっても完全な緑じゃなかった。白くけぶるような緑。白緑びゃくろく


 ――あれ? あたし、何見てそう思ったんだろ? 

 緑って、ここの人たちみんな白のイメージじゃなかった? とにかく清潔第一って感じで白衣も上着もズボンも、靴の先まで侮日毎日消毒してるって言ったせいもあるけど、病院みたいに消毒液の臭いがきつくって、すっごく臭ってた。


 なのにどうして? その残り香までない。

 あの人たち毎日ここで研究してたんだから、壁の中にだってもう染みついてたはずよ?


 ……………………。

 もしかしてあたし、見捨てられちゃった、とか……?

 あたしが眠った後で、何かもっと効率のいい、画期的な機械か何かができて、科学がめっちゃ進歩して、この研究自体が無意味とかでなくなっちゃったとか。


 で、あたしを起こそうとして、でもあたしが自覚めなかったから失敗しちゃったと思ってこの場所ごと閉鎖、見捨てた…………なあんちゃってっ。



 …………そういえば、途中で1度、起床シグナルみたいなのが入ってきたような気も、するわ。



 あのとき起きなかったから? あのときほんとは起きなくちゃいけなかったの?


 ま、まさかねっ。それならあたしにつながってた機械が動いてるはずないじゃない。

 それに、ちょっと乱暴だったけど、あたしを起こしてくれた人、いたわ。きっとここの人で、ほかの人を呼びに行ってくれたのよ。うん。そう思っておこう。違ってたら怖いもの。


 だから、あの人がほかの人たち連れて戻ってくる前に、せめて服ぐらい見つけて着ておかなくちゃ。


 まず立とう。

 そう考えて、あたしは何か支えになる物はないか、周りを見渡した。

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