「う~~~ん…。なんか知ってるのと違う?」
長良川の畔に立ち、金華山の頂きに在る岐阜城を見上げる。
城巡りは好きだが、城について語れるほど詳しくない為、何処がどう違うかまでは言えないが、俺の知っている岐阜城との違和感を感じる。
岐阜は出張で何度も訪れた経験が有った。
岐阜城の北西。この長良川を間に挟んだ位置は、出張の際に定宿としているビジネスホテルが建つ位置とほぼ同じと思うのだが、いつも窓から見ていた岐阜城と金華山が違う。
もっとも、岐阜城の違和感を語る以前に違和感以上の奇妙さを感じるものが有る。
それが対岸に見える城下町だ。道路や電柱、そういった近代的なものが一つも見当たらない。
建ち並んでいる家々はどれもこれも木造建築。
それも一階建ての板葺に重石を乗せた屋根の粗末な長屋ばかり。
瓦を乗せた家は岐阜城へ至る大通りの脇にしか建っておらず、その家々も高さは二階建てが最高の為、空がとても高く見える。
城下町の外へ視線を向ければ、田畑、野原、森のどれか。
近くに在る名古屋市と比べたら、さすがに発展度は劣っていても岐阜市は都会。
関ヶ原から馬を走らせたここまでの道中もそうだったが、こうも大自然豊かな場所ではない。
まるで雄大な自然に囲まれた北海道の田舎のようだが、そこでもコンクリートで舗装された道路はあった。ここにはそれすら見当たらない。
本当に戦国時代の只中にいるかのようなリアルさ。
夢の中ではあるが、俺はこんなにも想像力が豊かだったかと疑問が湧いてしまう。
「殿! 殿! 秀秋様、何処におられます!」
「おう、ここだ! ここに居るぞ!」
ふと稲葉のおっさんの呼び声が聞こえた。
考え事を中断して振り返り、挙げた右手を左右に大きく振って応える。
振り返った背後には在る筈の定宿としているビジネスホテルはやはり存在しない。
岐阜県のランドマークといえる野球場も、陸上競技場も見当たらない。枯れ色に染まった葦が群生する野原が広がっており、それを兵士達が今夜の寝床作りの為にせっせと刈っている。
さて、関ヶ原から今に至るまでの経緯を説明しよう。
結論から先に言うと、俺は徳川家康を残念ながら討ち取れずに逃してしまった。
本多忠勝は戦国最強。
その俺の中の認識が心憎い演出をしてくれたに違いない。
夢の中で負ける筈が無い無敵状態の俺ですら、本多忠勝は強かった。
一時は『あれ? 強すぎね? これ、負けるんじゃね?』と弱音を吐きかけたくらいの苦戦を強いられた結果、徳川家康が関ヶ原から脱出するのに十分な時間を稼がれてしまった。
しかし、夢はやっぱり夢。
一騎打ちの最中、ふと『今の本多忠勝って、結構な歳だよな? よく体力が続くな?』と思ったら、それを待っていたかのように本多忠勝は精彩を欠き始めて、俺の突きが本多忠勝の右肩口へ深々と刺さり、それが決定打となった。
その後、勝鬨を一旦上げて、徳川家康を追ったが、その逃げ足は早かった。
中山道をそのまま下って、大垣城へ達すると、大垣城は殿すら置かれずにもぬけの殻で即降参。
城門前に白装束の土下座で俺達を出迎えてくれた降伏の使者の話によると、徳川家康は大垣城を素通りして、名古屋城へと向かったらしい。
当然、中山道から東海道に進路を変更しようとしたが、そこで待ったがかかった。
まずは稲葉のおっさんから足軽達を少し休ませるべきと進言が有り、次に進言を受け入れて休んでいる最中、俺が南宮山北にある中山道を追撃したのに対して、逆の南宮山南の伊勢街道を追撃した石田三成から早馬が届いた。
『徳川家康の嫡男、徳川秀忠が二万の軍勢と共に碓氷峠を越え、中山道を進んでいるとの報告が数日前に届いています。
しかし、その姿を関ヶ原に最後まで見せませんでした。これは不気味です。
もしや、恵那辺りで後詰めとして控えているのではないでしょうか?
正直に申し上げますと、私自身もたった半日で雌雄が決するとは思ってもみませんでした。
ならば、徳川秀忠が十三峠を越えて、岐阜城へ入ったら一大事です。只でさえ、堅牢な岐阜城が二万の兵力で難攻不落となってしまいます。
目の前にある徳川家康の首を諦めなければならない断腸の思いは重々承知していますが、そこを何としても飲み込んで頂き、中山道を封鎖する為に岐阜城を攻めて頂けると嬉しいです』
実際はもっと長々とした文章で急ぎ書いたと思われる字が崩れまくって読めなかったが、解読した稲葉のおっさんの要約によるとこんな感じ。
なるほどと納得した。関ヶ原の戦いにまつわる逸話にて、徳川秀忠が信濃国上田の真田家に予想外の苦戦を強いられて、ちょっと寄り道する筈が時を無駄に費やしてしまい、関ヶ原の戦いに五日間も遅刻したのを俺は知っているが、それを石田三成が知る由もない。
なにしろ、夢とはいえども時代考証は遵守しなければならない。
戦国時代に電話やインターネットが有ったら興冷め。情報は人が足を使って運ぶものであり、よっぽど話題性に富んで噂として広がらない限り、伝わる速度は遅い。
ましてや、徳川秀忠の動向は重要な軍事機密。
それを調べる諜報工作のプロ集団『忍者』は存在するが、関東から近畿までの広い圏内が緊迫した状況の今、街道を悠々と移動は出来ない。馬が走れない山林の道なき道を行くしかないのだから新鮮な情報を得るのは難しい。
もし、その知る由もない情報を元に俺が徳川家康の追撃を強行したらどうなるか。
まず間違いなく、小早川秀秋は兵法を知らない大馬鹿者と謗られる事になり、それは小早川秀秋のイメージアップ大作戦を関ヶ原で成功させた俺としては絶対に受け入れられない。
それ故、俺は徳川家康の追撃を諦めた。
今は岐阜城へ送った降伏勧告の使者が帰ってくるのを待っている最中である。
岐阜城を守っている兵士は五百人程度。
岐阜城がいかに堅牢な山城だろうと、俺が率いている一万弱の軍勢とは戦いにならない。
降伏のタイムリミットは陽が沈む前。
それまでに吉報が届かなければ、城を枕に討ち死にして貰う旨を降伏勧告に含めてある。
「殿! 勝手に出歩かれては困ります! 随分と探しましたぞ!
最早、危険は有り得ぬだろうと、ここは戦場! 戦はまだ終わってはいませぬ!」
それはそれとして、俺はうんざりしていた。
今日は稲葉のおっさんから一生分を叱られたような気がするのに、また叱られて溜息がたまらず漏れる。
「でもさ、本陣に詰めていても暇なんだよ。ちょっと気分転換するくらい許してくれよ。
それより、後ろの彼は? わざわざ俺の前へ連れてきたのだから、何か意味が有るのだろ?」
だが、稲葉のおっさんが連れてきた少年の顔を見て、今度は息を飲む。
これ幸いと話題転換を図ると、そこへ視線を向けるよりも早く元服前の前髪をまだ残す少年は跪き、顔を伏せた。
その為、顔をまじまじと見てはいないが、それは懐かしすぎる顔だった。
中学校二年の時、父親の仕事の都合で遠くの他県へ転校していった幼馴染の親友であり、その当時の顔で記憶が止まっている為、本来なら同い年の筈が成長していない当時のままの顔なのだろう。
今日は幾人も懐かしい顔に出会っている。
稲葉のおっさんを筆頭にして、いずれもが何かしらの役割を担い、俺の夢を脇役として彩っていた。
その証拠に大勢の足軽達の中に見覚えが有る顔は一人も居ない。
もしかしたら、人生の何処かで擦れ違っているかも知れないが、その程度は他人。所謂、ドラマや映画のクレジットに登場する『通行人A』に過ぎないのだろう。
「はい、この者は殿のご領地の足軽。◯◯郡にある△△村の弥三郎と申しまして……。
なんと、なんと! 家康に恥傷を負わせた者に御座います! 残念ながら首を穫るに叶いませんでしたが、是非とも殿に恩賞を賜りたく存じ上げます!」
「いや、嘘だな」
そうした根拠から稲葉のおっさんの紹介を嘘だと断定した。
当の本人が俺を忘れていようと、俺が今でも親友と認識している彼が只の村人、只の農民、只の足軽である筈が無かった。