目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第5話 覚めない夢




「城井朝末! これでお前は立派な一人前の武士だ!

 本当なら俺の名の一字、秀か、秋を烏帽子親として与えたいところ!

 しかし、お前の父の遺志を曲げる訳にはいかない!

 よって、我が刀を与える! 家康に恥傷を負わせたその腕で更なる武勲を俺に献上せよ!」

「有難き幸せ! 必ずや秀秋様のご期待に応えてみせます!」



 俺はどうせならと城井朝末の『元服』を大々的に行う事にした。

 地鎮祭を行うように長良川の畔を清めて、近くの神社から呼んだ宮司さんに祝詞をあげて貰い、一万の軍勢を跪かせて。


 これで岐阜城の降伏は決まったも同然。

 降伏勧告の返事は未だ戻ってこないが、戻ってこないからこそ、その返事で揉めているに違いない。


 だが、この余裕っぷりを眼下に見せつけられたら決意は固まるだろう。

 譬え、城主が徹底抗戦を声高に訴えていようと、部下達は心が揺らぐ。内部抗争で決着が付く可能性だって有る。


 余談だが、元服とは日本古来からの成人の儀式である。

 具体的にはそれまで用いていた幼名を改めて、髷を結う為に前髪を剃り上げる。


 譬えば、小早川秀秋の幼名は辰之助。

 髷を結うのは烏帽子を頭に乗せる為であり、烏帽子とは昔の人の肖像画の頭に乗っているアレ。

 被るではなく、乗せるというところが髷を結う大きな理由になっており、烏帽子が頭からズレたり、落ちたりしないように顎紐と併用するのが髷だ。


 烏帽子を現代社会で例えるなら、ネクタイ。ファンションであり、習慣であり、礼儀である。

 鎌倉時代の頃から男性の象徴となり、頭に被り物を持たないのは恥ともされ、戦国時代になってからは逆に髷を日常で露出するのが一般化しているが、大事な場面ではやはり用いられている。


 また、烏帽子親とは元服する者に烏帽子を乗せる役目の者。

 言い換えると、元服する者がこれで大人になりましたよと保証する者であり、元服後の後見を担う者を指す。



「うんうん…。城井よ、良かったなぁ~…。

 そして、殿! 実に見事な烏帽子親ぶりですぞ!」



 現実なら有り得ない大役を遂げて、満足感が心に満ち溢れる。

 ふと視線を隣へ向けてみれば、稲葉のおっさんが感動のあまり涙をハラハラと流していた。

 その小煩い一方、相変わらず感動に弱くて、涙もろさを持つ稲葉のおっさんに思わず苦笑する。


 空を見上げれば、西の空がとうとう茜色に染まり始めている。

 岐阜城の返事も気になるところだが、それ以上に実はかなり前から感じていた疑問が有り、それを稲葉のおっさんへ率直に投げる。



「ところで、聞きたい事が有るんだけどさ」

「はっ! 何なりと!」

「この夢、いつになったら覚めるんだ?」



 そう、夢を見ているにしては長すぎた。

 松尾山を駆け下りて、関ヶ原を突破してから半日が経過しようとしている。こんな長い夢を見るのは初めてだった。


 大抵、夢といったら刹那的なもの。

 ひょっとしたら、今のような長い夢を今までも見た経験が有るのかも知れないが、目が覚めて憶えているのは直前の内容くらいだし、それもすぐに忘れてしまう。


 しかし、今回の夢はとても忘れそうにない。

 目が覚めた後、明確な夢日記を最初から書ける自信が有る。それほどの感動が何度もあった。


 どう考えてもおかしい。

 今まで夢から覚める絶好のタイミングは少なくとも三回はあった。


 一回目は、本多忠勝を討ち取った時。

 二回目は、家康が大垣城を捨てて逃げたと知った時。

 三回目は正に今だが、夢は現在進行系でまだまだ続きそうな感じがして、困惑するしかない。

 二回目の際、大垣城前での休憩中の暇潰しに記憶を改めて掘り起こしてみたが、俺は飛行機に乗っていた筈だ。


 広島でトラブルが発生。今すぐ向かえ。

 朝、上司からの電話に叩き起こされて、慌ててタクシーで新千歳空港へ。飛行機に搭乗したのが午前十時半頃。

 時刻表では約二時間の空の旅だったと記憶しているが、まだ到着しないのだろうか。まさか、既に到着済みで乗務員さんは仕事疲れで爆睡している俺を見落としてしまい、機内清掃後もうっかりと置き去りにしてしまったのだろうか。



「何を仰る! 夢などでは御座いませぬ! 紛れもなく誠の事です!

 実を言えば、拙者もまだ夢心地ではありますが、殿は内府様に勝ったのです!」

「うん、でもさ……。もう目が覚めても良くない? もう満足しきったんだけど?」

「殿が私を責める気持ちは解ります! 確かに私の目は曇っておりました!

 しかし、目ならとうに覚めております! 殿を惑わすような勝手はもう二度としませぬ!」

「いやいや、そうじゃなくて……。

 う~~~ん……。どう言ったら良いのかな? ……って、何?」

「ははぁ~ん……。さては殿、大戦の名残りでまだ昂ぶっていますな?

 よろしい! この稲葉にお任せあれ! 私にも経験が有ります!

 それに実は丁度良い申し出が御座いまして、殿は今宵をお楽しみに下さいませ!」



 だが、それ等の事情を語るのは絶対駄目の厳禁。

 夢は夢だからこそ、色鮮やかに彩られるのであって、ここで現実的な話を言ってしまったら白けるだけ。


 上手く説明が出来る言い回しを探していると、稲葉のおっさんの様子が変だった。

 何やら探るような目を向けてきたと思ったら、ニヤニヤと笑い出して、次にうんうんと一人納得して頷き、最後に張った胸を右拳でドーンと叩いた。



「うん? うん? まあ、良く解らないけど、そうまで言うなら任せるよ」

「ははっ! お任せあれ!」


 先ほどから話が食い違っているのは気付いていたが、それを訂正する気は失せた。

 結局、俺が抱えている疑問は自分で解決するしかないと悟る。


 それにもうすぐ陽が沈む。

 夢の中で寝るというのが変なら、夢の中で疲れたというのも変だが、心を満たす充実感と心地良い疲労感に今夜はぐっすりと寝れるだろうし、寝たら次は目を覚ますだけなのだから、この夢をもう少しだけ楽しむ事にした。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?