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幕間  雪という少女




 岐阜城は堅牢な山城だが、その日常は何かと苦労が多い。ただ登城するだけで体力をとても使う。

 その為、平常時は運営維持の為の必要最低限の人員だけを置き、城主やそれに仕える者達は麓の城下に居を構えていた。

 無論、有事の際は速やかな登城が可能なように屋敷群は山際に建てられて、岐阜城へ至る登山口を守る工夫が成されており、重臣達の屋敷が城下町より一段高い場所に在るなら、城主の屋敷は二段高い場所に在った。



「ふう~…。」



 朝焼けがうっすらと染めて、朝もやが漂う城下町。

 開け放たれた雨戸の枠組みの中、それを湯船に浸かりながら眺めて、少女『雪』は湯加減ばっちりの心地良さに吐息を漏らす。


 徳川家康が大垣城を見捨てて、東海道へと逃亡。

 その一報が岐阜城へ届いた時、城内の意見は真っ二つに分かれた。


 徹底抗戦を訴えたのは、城主とその直臣達。

 彼等にとって、その地位はようやく巡ってきたチャンス。

 それも関ヶ原の戦いの前哨戦、岐阜城の戦いに東軍が勝利して、徳川家康からその地位を貰ったのはつい二ヶ月前の出来事。


 降伏を訴えたのは、岐阜城とその周辺に根付いていた者達。

 50年以上に渡り、岐阜城は主を幾度も変えて、その名すらも当時の主の趣向で改めている過去が有る。

 そうした過去から悪く言うなら、長い物には巻かれろ。良く言うなら、岐阜城は強い者こそが得る資格を持つといった傾向が強かった。


 後者は小早川秀秋の軍勢が岐阜城へ迫ると、城主との相談無しにすぐさま動いた。

 自分達の所領安堵を引き換えにして、岐阜城と一人の姫を差し出す旨を携えた密使を小早川秀秋へと送ったのである。


 そして、この一人の姫が『雪』だった。

 言い換えるなら、雪は後者にとっての切り札であり、岐阜城と同等の価値を持っていた。



「夢みたい…。」



 生まれた時から頭上に必ず在り、見上げるしか出来なかった城主の屋敷。

 今はそこから城下町を見下ろしている。それも朝風呂という最高の贅沢を味わいながらという現実が信じられず、雪は城下町の中から自分の家を自然と探して、その五日前と変わらない姿にちょっと安心する。


 雪の姓は『烏丸』と言い、その祖先はこの世の栄華を極めた藤原氏に遡れる名家である。

 但し、連枝の端っこの端っこ。京都に今も本家として在る烏丸家とは知己が無きに等しく、雪の実家を烏丸家当主に尋ねたら『居たかも?』というはっきりしない答えが返ってくる程度でしかない。


 では、何故にそうも存在を危ぶまれるほどになってしまったのかと言ったら、落ちぶれたからに他ならない。

 烏丸家一門は和歌を生業としているが、戦時の戦国時代が進むと平時の文化は需要が低迷。所有する荘園は戦乱で荒らされるか、奪われてしまい、本家とそれに近い分家は存続の維持は出来たが、本家から遠い分家ほど落ちぶれるか、没落するしかなかった。


 実際、雪の曽祖父は没落寸前の生活を強いられていた。

 屋敷は嘗ての栄光で大きくても、至るところが雨漏りだらけで隙間風が吹き荒び、庭は雑草がのびのびと生えっぱなし。

 四十歳を数えて、独身。嫁を貰おうにも支度金のアテは何処にも見当たらず、その日の貧しい食事すら困るようになり、いよいよ貴族としての名前も、矜持も捨てるしかない寸前まで追い詰められていた。


 しかし、そこに救いの手が差し伸べられる。

 当時、現代の岐阜県南にあたる美濃国を制していた『土岐頼芸』が文化活動に深い興味を持ち、和歌を始めとする教師役を京都の貴族達に求めたのである。


 雪の曽祖父がその一人に選ばれた理由もまた本家から遠い分家だったから。

 当時、京都に住む貴族達の認識では彦根を越えた先は全て野蛮な地。そんな場所へ移り住むくらいならどんなに戦乱で荒れようと京都の方がマシと嫌がった為だが、移住後の雪の曽祖父を始めとする招待者の超厚遇を知り、招待を突っぱねた者達を悔しがらせた。


 だが、その超厚遇は十年も続かなかった。

 土岐頼芸を失脚させて、美濃国の新たな国主となった『斎藤道三』は前任ほど文化に興味を示さず、雪の曽祖父達に与えられていた荘園を削り、それは斎藤家が代を重ねる度に繰り返されて、遂に『織田信長』が美濃国の国主になると、荘園は全て奪い取られて、俸禄を荘園の代わりに貰うようになったが、それも何かと理由を付けられては下がり続けて、雪が生まれる前に完全な捨扶持になった。


 それでも、流れる血には大きな価値は有る。

 雪の家以外は完全に没落したが、雪の父も、祖父も貯蓄に貯蓄を重ねて、本家を頼ったらその上納金で生活が年単位で苦しくなると承知しながらも大枚をはたき、貴族の嫁の紹介して貰い、子供が生まれた時はその名を系図に記してきた。


 その結果、雪の名前は烏丸家の系図の隅っこにちゃんと記されている。

 本家の当主が存在に首を傾げようと、それが小早川秀秋の夜伽の相手に選ばれた理由になった。



「でも、夢じゃない…。」



 雪は湯船に背を保たれながらお尻を滑らせて、口まで湯に浸かる。

 泡をブクブクと立てて、湯の中で『秀秋様』と呼べば、口が笑みを自然と描いた。


 今年、14歳を数える雪は容姿に自信は有ったが、ちっとも成長しない自分の胸が嫌いだった。

 胸のぽっちは女らしく成長しても、胸そのものはほんのりとしか膨れていない。母親の胸を見る限り、豊かとは決して言えなくても普通か、普通以上はあり、着物を着ていても女性らしい膨らみを感じさせるが、雪は着物を着てしまうと真っ平ら。


 だからと言って、襟を緩ませたらただみっともないだけ。

 雪は着替えをする度、自己嫌悪に陥るしかなかった。母親からすぐに大きくなると慰められても虚しいだけだった。


 その証拠として、隣の家の娘は二歳年下にも関わらず、既に雪より胸が大きかった。

 つい先日、その娘が初潮を迎えて、祝いの品が配られた時、まだ初潮を迎えていなかったのかと嫉妬が隠せなかったほど。


 なにしろ、戦国時代における美人の第一条件はふくよかさ。

 雪が二年前に初潮を迎えた時、当時の岐阜城城主だった『織田秀信』の側室候補として挙げられ、この城主屋敷へ足を運んだが、一瞥されただけで拒絶されている。


 しかし、雪の成長が乏しいのは無理もない話。

 身体の成長は遺伝の要素も影響するが、それ以上に成長期における栄養がとても大事であり、雪の家は貧しかった。

 母親は四女とは言え、その京都にある実家は雪の家より裕福だったし、隣の家の娘の父親は雪の家より俸禄を十倍以上も多く貰っている足軽大将である。


 それ故、雪は小早川秀秋とは一夜妻で終わると考えていた。

 大事なのは小早川秀秋と一夜を共にした事実であり、その事実が有りさえしたら自分の家は小さくても荘園を得られる約束になっていたし、家を継ぐ四歳年下の弟は名家から嫁を貰う約束になってもいた。


 その為なら、どんな羞恥と屈辱にも耐えられる。そう雪は決心して、母親の知恵を借りた。

 詰め物を小袖の胸の部分に行い、小袖を脱いでからは閨の明かりを限りなく小さくする工夫をした上、胸に感心を向けられないように初めて目の当たりにする男性自身を名家の女としては有り得ない積極性で攻めて、最後は獣が行うような姿勢で交わりを終えた。


 だが、どんなに努力をしても限界はある。

 雪は破瓜の痛みを越えて、羽化登仙の境地に至った時に油断してしまい、お尻だけを上げながら額を付けて俯せていた上半身をひっくり返された挙げ句、胸の上に倒れてきた小早川秀秋の顔が乗せられ、そのまま小早川秀秋はぐっすりと寝てしまったが、それまで絶対に見せもしなければ、揉ませもしなかった胸の薄さが絶対にバレたと確信していた。


 雪を小早川秀秋に差し出した者も一夜妻で終わると考えていたに違いない。

 雪が城主屋敷から去る際、痛ましいものを見るかのように『苦労をかけた。約束は必ず守る』と告げて、頭まで下げている。


 ところが、ところがである。

 翌日の夜、雪は無駄な時間と知りながらも控えの間で待っていると、小早川秀秋に呼ばれた。


 その翌日もだ。三日連続となったら、周囲の態度が変わった。

 言葉遣いが敬語となり、隣の家の娘が侍女として付けられたばかりか、今まで見た事も無い綺麗な着物が贈られて、これまで見向きもされていなかった雪の家には誼を持とうとする者がひっきりなしに訪れるようになった。


 正に我が世の春が来た状態だが、雪には大きな心配事が一つあった。

 それは二日目の夜から決まって明け方の頃になると、小早川秀秋がとても苦しそうに魘されている件だ。

 愛を交わしあった火照りが治まれば、肌寒さを感じる晩秋でありながら、まるで真夏の炎天下にいるかのように汗を全身に滴らせて、身体全体を何度も仰け反らせて喘ぐ姿は明らかに尋常ではなかった。


 それでいて、本人は自覚が何も無い。


 雪はそれを初めて目の当たりにした時は酷く慌てたし、目を血走らせた顔で荒い呼吸を繰り返しながらこう問われた時は茫然とするしかなかった。



『お、おっぱいっ!! お、おっぱい、揉んで良いかなっ!?』



 言うまでもなく、当初は躊躇いがあった。

 当然である。どんなに強大な権力を持つ相手とは言え、長年のコンプレックスの源を躊躇いもせずに差し出せる者がいる筈が無い。


 だが、雪が着物の襟を怖ず怖ずと開けて、小ぶりな胸を差し出すと、その効果は抜群だった。

 最初は荒々しさに痛みを感じていたが、次第に揉み方が溢れる優しさへと変わり、そうこうしている内に小早川秀秋の男性は猛り、最後は雪の女を攻め立てるいやらしさへと変わって、そのまま深夜の延長戦が始まる始末。


 三日目の明け方も同様だった。

 前日を思い出して、もしかしたらと胸を要求される前に半信半疑で差し出すと、小早川秀秋は雪の胸を揉みしだき、そのまま深夜の延長戦へと突入した。


 四日目の明け方はもう疑いを持たなかった。

 同時に雪はコンプレックスを克服した。どれだけ他者に蔑まれようが、たった一人に認められるならそれで十分だった。


 今朝はもう小早川秀秋が愛おしくて愛おしくて仕方が無かった。

 雪は胸を揉まれる度に愛おしさが込み上げて、雪の女の部分は嬉し涙でだらしなく濡れてしまった。


 おかげで、寝室は大惨事である。

 今頃、侍女となった隣の家の娘がその後始末をしている事を考えて、雪は頬が湯加減以上に紅くなるのを自覚する。



「早く夜にならないかな…。」



 その一方、恥ずかしさの原因を作った多忙に追われる小早川秀秋と会える夜を雪は待ち焦がれる。




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