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第8話 西軍紛糾




「う~~~ん…。秀元殿は継戦派か」



 燈台の油皿でゆらゆらと揺れる明かり。

 腕を組みながら胡座をかき、畳の上に広げられた大きな紙に書かれた前線の戦場図を眺める。



「はい、関ヶ原では静観で終えた為、どうしても手柄が欲しいのでしょう」

「それに大阪城の輝元殿から叱責の文が何度も届いているようです」



 戦場図を間に挟んだ向かい側、正座をする男が二人。

 背筋を伸ばしたお手本のような正座をする『石田三成』と目線だけを出した白頭巾を被った『大谷吉継』である。


 夕飯を済ませて、風呂に入っている最中の出来事。

 屋敷の閉じられた門を忙しなく叩く音が聞こえ、まさか敵襲かと褌だけを慌てて締め直して、濡れた身体を拭わないままに浴場から飛び出してみれば、石田三成と大谷吉継の唐突な来訪だった。



「…で、宇喜多殿は停戦派?」

「はい、宇喜多殿は関ヶ原で最も苦しい位置にいましたから」

「獅子奮迅の働きではありましたが、その消耗も激しく…。」



 東軍との戦いを継続するか、ここで止めるか。

 俺以外の西軍が集結した鳴海城では意見が真っ二つに分かれて、雰囲気が日に日に悪くなっているらしい。

 西軍の勢力圏内とは言え、日が暮れるのも構わず、供回りも付けずに二人だけで馬を走らせてきた事実を考えると、鳴海城は俺が想像する以上にヤバい状態なのかも知れない。



「もう駄目じゃね? 大将と副将がそっぽを向いているんだしさ」



 俺は家康と和睦を結び、来るべき未来の決戦に備える派。

 あと三日待って、鳴海城から今後の動向に関する具体案が届かなかったら、それを提案しようと考えていた。


 継戦は読んで字の通り、このまま家康と戦い続ける案。

 停戦は二人が持ち込んだ草案によると、現状を維持して、来春を待っての決戦を改めて行うらしいが、どちらも駄目駄目の駄目。俺は頷けない。


 やはり前線と後方では視点が違うのだろうか。

 それとも、巨大過ぎる獲物『家康』を追い詰めた気の逸りから余裕を無くしているのか。

 鳴海城には俺以上に優秀な人物は多いにも関わらず、俺ですら考え至った和睦案を持つ者が目の前の大谷吉継一人しか居ないらしい。



「お待ち下さい! 秀秋様のご意見をお聞かせ下さい!」



 石田三成は継続派の筆頭。

 大谷吉継が俺の意見にウンウンと頷くと、石田三成は正座している腰を浮かせて、待ったをかけてきた。


 しかし、先ほど石田三成が戦場図を広げるや否や、鼻息荒く語った継戦案には穴が多すぎた。

 思惑通りに進めば、確かに徳川家を滅ぼせるが、絶対に上手く進まない。机上の空論でしかなかった。



「じゃあ、前田家。

 越後、信濃を通り、駿河で合流って話だけど…。

 信用、出来るの? 利長殿は家康派だよね? 駿河で向こうに合流されたら最悪だよ?」

「それでしたら、ご安心を!

 前田殿は芳春院様を、自分の母親を大阪城へ差し出す旨の密書を送ってきました!」

「今、芳春院様は江戸だろ?」

「監視は厳しくても、家康が江戸に居ない今なら連れ出すのは容易いと豪語してもいます!」



 まずは一つ。欠点を挙げると、石田三成は喜々と反論した。

 口の中で『なるほど』と呟いて納得する。どうやら俺が知る歴史に通じるものが有るらしい。


 豊臣秀吉の死後、その後継となった豊臣秀頼は当時五歳。

 家康は野心を露わにし始め、豊臣秀吉の盟友だった前田利家も亡くなると、強引な言いがかりを付けて、前田家に謀反の疑い有りと断じた。


 この横暴に前田家を継いだ前田利長は応え、一戦を交える覚悟を決めるが、それを母親の芳春院が止めた。

 自ら進んで人質となって江戸へ赴き、その決断と実行力の高さに家康の方が逆に焦ったという逸話が有る。


 人質として、芳春院の価値は非常に高い。

 前述にもあるが、その夫の前田利家は豊臣秀吉の盟友であり、前田家の石高は全国五指に入る大大大名。

 芳春院以上の人質といったら、豊臣秀吉の妻である『北政所』しか居ない。


 また、あの前田家でさえも恭順したのだからと倣う大名が現れ、家康はその点を高く評価。

 関ヶ原の戦いの後、加賀、能登、越中の百万石を安堵。破格の待遇を与え、それは幕末まで続いてゆく。


 つまり、その歴史が保証する追い風が豊臣家には吹いている。

 芳春院が大阪城入りしたと天下に知れ渡れば、西軍に旗色を変える者が続々と現れる筈だ。


 だが、俺はもう一歩進めたい。

 家康が真っ先に潰すべきと判断した前田家を今のままにしてはおけない。せっかくのチャンスを生かして、力を削げるだけ削いでおきたい。



「足りないな…。利長殿に子供は?」

「居ません」

「兄弟は?」

「弟が一人、姉妹は全て婚姻済みです」

「なら、利長殿は隠居。秀頼様の相談相手として御伽衆になって貰うってのは?」

「妙案に御座いますな」

「領地替えは……。うん、落ち着いてからだな」

「はい、今すぐは危険かと」



 その為には前田家に今以上の苦悩を抱えて貰う必要が有るが、匙加減は難しい。

 それを口に出すと、大谷吉継が石田三成より早く応え、重ねて問いかければ、まるで答え合わせのように即答で会話が進んでゆく。どうやら大谷吉継は俺と似た腹案を持っているっぽい。


 余談だが、石田三成と大谷吉継の二人も俺の顔見知りだった。

 石田三成は経理部の部長であり、石田三成が嫌われている理由を会った瞬間にさもありなんと納得した。

 経理部の部長は実直で不正を許さず、ちょっとでも疑惑がある領収書は『そこまでやる?』と思うくらい徹底的に調べ上げ、その結果次第で決済を通さず、会社役員だろうと領収書提出者に自己負担を強いり、上にも下にも嫌われていた。


 しかし、会社のブラックさも許していなかったのを俺は知っている。

 経理部の部長が出張手当、休日出勤手当、残業手当に目を光らせて、その全てを給与にきちんと加算していたからこそ、俺は激務に追われながらも会社を辞めようと一度も考えなかった。


 大谷吉継は白い頭巾を被り、目しか表に出していないが、誰かがすぐに解った。

 俺に仕事のいろはを教えてくれた先輩だ。常に抜群の成績を挙げていたエリート営業マンであり、何度も叱られもすれば、褒められもした声を忘れようがない。

 とても珍しい難病を患い、入院後は世界的なウィルスの蔓延に伴い、家族以外は面会謝絶だった為に葬儀でやっと会えたと思ったら、お棺は最初から最後まで閉じられたままで行われ、本当に先輩が眠っているのか解らないお棺を会社の後輩でしかない俺はただ見送る事しか出来なかった。


 恐らく、大谷吉継も顔を他者に見せるのを躊躇う病を患っているのだろう。

 その声を聞いていると、目が自然と潤んでくるが、ここで泣いたら明らかにおかしい。


 目を閉じて、右手の親指と人差し指で瞼を揉む。

 ここで暫く黙るのがポイント。傍目には考え事をしているように見える。


 この一週間、懐かしい顔ぶれと幾人も出会えたが、その中には故人もいた。

 そこで編み出した技がこれだ。目を開けた際に充血していたり、潤んでいたとしても違和感を覚えさせない優れ技。



「そもそも今回の騒動は家康の上杉仕置きから始まったもの!

 上杉殿は必ず呼応してくれます!

 そうなれば、佐竹殿も腰を上げてくれる筈!

 そして、両家が加わってくれれば、我々は兵力で大きく勝り、家康を東西から挟めます!」

「それもなぁ~…。」

「まさか、上杉殿と佐竹殿の忠誠をお疑いでっ!?」



 だが、長い沈黙に居心地の悪さを感じたのか。

 石田三成が熱弁を振るい、俺は開けた目を白けさせながら間延びした声で難色を表す。


 家康を東西から挟み打つ。

 詳細は省くが、関ヶ原の戦いにまつわる逸話『直江状』における基本戦略であり、この『直江状』の『直江』は上杉家当主である上杉景勝の重臣『直江兼続』を指しており、石田三成と直江兼続は親友の間柄。


 それ故、石田三成は直江兼続を強く信じているのだろうが、俺は知っている。

 直江兼続の友人で傾奇者として名高い『前田慶次』の逸話で上杉家は今この瞬間も最上家と激しい戦いを繰り広げており、江戸を攻める余裕が無い事を。



「いや、疑っていない。問題は伊達と最上だ。

 上杉と佐竹がいるから、伊達と最上は関ヶ原へ来なかった。

 なら、逆も然り。伊達と最上がいるから、上杉と佐竹は動けない。

 それにもうすぐ冬だ。東北はとても雪深い土地と聞く。

 だったら、兵を動かせたとしても、それに続く兵糧は滞り、士気の低迷は避けられない。

 なら、商人達から調達をする他は無いが、それを上杉と佐竹に強いるのは酷というもの。

 出兵を願った豊臣が支払うのが当然のスジだが、それだけの蓄えが有るのか?

 なあ、三成。豊臣の金蔵番のお前なら解るだろ? 本当に大丈夫なのか?

 もし、現地の村々からの調達をアテにしているのなら下策だぞ?

 そんな事をしたら、豊臣は民から見放される。戦に勝ちながらも天下は荒れて、信長公の時代に逆戻りだぞ?」



 無論、それを言っても理解は得られないが、営業マンだった俺を舐めて貰っては困る。

 プレゼンテーションは営業マンの必須技能であり、それらしい事をつらつらと列べて語るのは慣れてるし、鍛えてもある。



「三成、聞いたか! 秀秋様も私と同じ考え! 今すぐ、家康との和睦を図るべきだ!」

「で、ですが、しかし…。い、今、我々は勢いに乗っており…。」



 その効果は両極端だった。

 大谷吉継は石田三成へ顔を上半身ごと勢い良く振り向けると、頭巾の口元を靡かすほどの荒々しい鼻息をフンスと一息。頭巾から覗く目をキラキラと輝かせまくり。

 石田三成は今さっきまでの勢いを完全に失い、その声はボソボソとして小さくて、その姿はまるで手本のように上から下までしょぼくれていた。



「うん、その通りだ。だから、今は攻めるべきだと考えている」

「「えっ!?」」



 しかし、俺のターンはまだ終わっていない。

 口の端が歪むのを堪えきれず、悪どい顔でニヤリと笑みを零した。




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