「岡崎城を穫るんだ。
でも、岡崎城だけで十分。それ以上は要らない」
舌の根も乾かない内に前言を撤回するちゃぶ台返し。
石田三成と大谷吉継の二人が驚いた顔を突き出して茫然とする中、補足を告げると、すぐさま大谷吉継が目をハッと見開かせて反応した。
「なるほど……。岡崎城だけなら、今の戦力でも容易い。
そして、岡崎城は家康が生まれた故郷とも呼べる城。心を折るのですな?」
「そうだ。心さえ折ってしまえば、あとは交渉でどうにでもなる。
兵を無駄に失わず、手に入れる方法が有るのなら、そっちを選んだ方が得だろ?」
「でしたら、小田原まで欲しいですな」
「逆でも良いんじゃないか?
江戸を貰って、岡崎を返した方が後々で楽になるぞ?」
「くくっ…。家康がどちらを選ぶか、今から楽しみです」
一方、石田三成は俺達の会話に付いていけないらしい。
未来を見ず、目の前だけを見て、家康との継戦を強く望んでいるあたり、やはり石田三成は俺が知る歴史の評価通りに能吏としては優秀でも、軍略は疎いようだ。俺と大谷吉継が会話を交わす度、茫然とした顔を交互に向けるだけ。
「お、お待ちを! お、お待ちを!
ひ、秀忠の軍勢と合流して、家康が攻めてきたらどうするのです?」
「「いや、それは無い」」
それでも、懸命に食らいついてくるが、俺と大谷吉継に一蹴される。
偶然、声も言葉も揃い、大谷吉継が無言で小さく頷き、目線で『どうぞ』と言ってくる。
どうやら、俺は大谷吉継とウマが合うらしい。
話しているだけで妙に楽しい。こちらも無言で小さく頷き、譲られた説明役を担う。
「断言する。家康は攻めて来ない。
もし、その気が有るなら、浜松城まで退いていない。
籠城戦を行うなら、矢作川がある岡崎城の方が断然に守り易い。留まっていた筈だ。
譬え、援軍を送ってきたとしても、その数は申し訳程度だろう。
要するに、家康はもう守りに入っているんだよ。
本当は駿府城まで退きたいんじゃないかな?
駿府城も安倍川があって守り易いし、いざとなったら天下の険『箱根』がある。
少ない供回りだけ連れて逃げれば、こっちは絶対に追いつけない。
だけど、自分の負けを認めたくない。その気持ちが浜松城に…。んっ!? どうした?」
ところが、一言二言と言葉を重ねてゆく内、大谷吉継が目をきつく瞑り、何やら肩をブルブルと震わせ始める。
もしや、持病による体調不良かと危ぶみ、顔は石田三成へ向けながらも視線を何度もチラチラと向けていると、大谷吉継は唐突に額を畳に付けて土下座した。
「この大谷吉継、秀秋様に心からの謝罪を!
もし、我が生命をお望みとあらば、この場で腹を斬ってみせます! お申し付けを!」
「え、ええっと?」
いきなり謝られても戸惑うしかなかった。
それも俺次第で命を捧げるときた。その戦国時代の感覚に引いてしまう。
「正直に申し上げます! 私は秀秋様に二心有りと疑ってました!
愚かにも、松尾山を下りる瞬間まで家康と通じていると考えていたのです!
譬え、通じておらずとも、我らと家康を品定めしているのだとも考えていました!」
「お、おう…。」
挙句の果て、その告白が正鵠を射ているのだから、顔が引きつるのを止められない。
もし、俺というイレギュラーがあの瞬間に覚醒していなかったら、小早川秀秋は歴史通りの選択肢を選び、関ヶ原の戦いは家康の勝利で幕を閉じていたのは間違いない。
その結果、大谷吉継は既に亡くなっており、石田三成もあと数日後には亡くなる。
そう考えると、奇妙な感覚を覚えるが、今はそれどころではない。言葉を必死に探すも見つからず、合いの手を苦し紛れに返すと、大谷吉継が頭を勢い良く起こした。
「しかし、それは誤りでした! 秀秋様はただただ機を待っていただけ!
家康の首を穫るという大きな目的を胸に秘め、我らの苦戦を敢えて見守る!
さぞや、辛かったでしょう! 苦しかったでしょう! もどかしかったでしょう!
そうでなければ、ああも我が身を顧みずに先陣は切れません! お見事に御座いました!」
泣いていた。大の男が涙をハラハラと零して泣いていた。
まさかまさか、違うとは言えず、今度は合いの手すら返せない。
「然り! 然り、然り、然り!
あの徳川の本陣を真っ二つに割る『松尾山の鉄砲水』は爽感に御座いました!」
気づけば、石田三成も涙をハラハラと零して泣いていた。
思わず目をギョッと見開くが、その言葉の中に引っかかる単語を見つけて、二人へ右掌を突き出しながら話題転換をこれ幸いと図る。
「待って? ちょっと待って?
松尾山は解るとして…。鉄砲水って何? 話からして、俺の事だよね?」
松尾山の鉄砲水、それが漠然と俺を指しているとだけは解った。
ひょっとして、二つ名的なものだろうか。失った筈の厨二病心が擽られる。
「おや、ご存知ないのですか? 今、盛んに語り草となっていますよ?
誰が最初にそう呼んだかは解りませんが……。
秀秋様の姓、小早川。これを川になぞらえて、あの鮮やかな一騎駆けぶりを鉄砲水と讃えているのです」
「へぇぇ~~~…。」
そして、その予想は正しかった。
石田三成が涙を着物の袖で拭いながら解説してくれて、興味を持っていない素振りをするが、どうしても口元がニマニマとにやけてしまう。
この一週間、本当に多忙だった。
営業マンだった頃と比べたら、電車や飛行機などの移動が無い分だけ気楽だったが、この岐阜城の城主屋敷に詰めっきり。
現代なら簡単にパソコン入力からプリントアウトで済み、二度目からテンプレートを利用したら時間短縮が効く書類をいちいち手書きをしなければならない。
起床、仕事、仕事、仕事、仕事、仕事、雪、就寝の繰り返し。本来なら、こちらから挨拶に出向かなければならない雪の実家すら行く暇が無くて、わざわざ雪の両親にこちらへ出向いて貰ってすらいる。
顔を合わせている面子は必然的にほぼ固定。
二つ名について、誰も教えてくれなかったし、みんなも忙しいから知らないのかも。
もし、稲葉のおっさんが知っていたら、いの一番に嬉々と教えてくれそうだから、石田三成が言う『盛んに』はお世辞なのだろうか。鳴海城だけの流行なのだろうか。
駄目だ。松尾山の鉄砲水、その格好良さにニマニマが止まらない。
頬を右手で持つ事で口元を完全に隠して、目だけは鋭くさせて威厳を保つ。
「ですが、秀秋様もお人が悪い。
今まで才を隠しておられたとは…。まるで人が変わったようです」
だが、石田三成の続いた言葉に笑みは瞬時に凍り、心臓が痛いくらいにドキンと跳ねた。