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第10話 秀吉マジック




「ふっ…。まるで人が変わったようか。

 そうか、そうか……。フハっ、フハハっ……。」



 動揺を必死に押し隠して、小さな笑みを漏らす。

 この時、二人と目が合ったら絶対に視線が泳いでしまう為、目を閉じて物理的に遮断。腕を組みながらウンウンと頷く。


 これで石田三成の言葉を冗談として受け止めて、あたかも自嘲しているかのように見える筈だ。

 忙しい毎日の中、こういう時の為に厠や風呂などで一人っきりになれた時に何度も繰り返して練習している。


 聞き取り調査を周囲にそれとなく行った結果、やはり小早川秀秋に対する評価はとても残念なものだった。

 本人を目の前にして、それも仕える主君を目の前にしての為、稲葉のおっさんですらもオブラートにオブラートを包んだ表現だったが、やはり俺が知る歴史の評価同様に酒癖の悪さを全員が真っ先に挙げた。

 真っ昼間どころか、午前の内から飲酒をしている事が度々有り、酔いが進んでくると周囲にうざ絡んだ挙げ句、ちょっとでも気に入らない事があれば癇癪を大爆発。時に嵐が過ぎ去るのをただ待つしかないくらい大暴れしていたとか。


 当然、そんな酒浸りの日々で政務がまともに出来る筈が無い。

 そもそも基本的に受け身。自分から能動的に動かず、何度も急き立てられてから初めて動く。

 大事な決断は迷いながらも自身で下していたようだが、そこから先は家臣達に投げっぱなし。


 だが、一時は豊臣秀吉の後継者候補だった頃に行われた英才教育の賜物か。

 月に二回か、三回の確率で気まぐれを起こして、酒を夕飯まで飲まずに政務を励む日が有り、その働きぶりは名君と褒め称えるに相応しいものだったらしい。稲葉のおっさんに言わせると、『殿はやれば出来る子なのです!』である。


 逆に意外と感じたのが、刀の造詣が深くて、名刀と呼ばれる逸品を幾本も所有している趣味。

 それもただ所有するだけに留まらず、その担い手に相応しくなろうと真摯に鍛錬を日々重ねていたところだ。

 腕前の方はお世辞が多かったので定かではないが、稲葉のおっさん達も小早川秀秋が油断さえしなかったら足軽に倒される筈が無いと、それだけの技量を持っていると知っていたからこそ、俺が関ヶ原の戦いで行った無謀な一騎駆けを許してくれたのではないだろうかと考える。


 しかし、俺と小早川秀秋は性格も、考え方も違う。

 一緒なのは小早川の姓と若さを取り戻した顔だけ。違和感を覚えるなというのが無理な話。


 そう、石田三成が『人が変わった』と言ったように。

 関ヶ原の戦いの当日は勝ち戦の高揚感もあり、特に追求してくる者は居なかった。

 だが、二日、三日と日が経ち、暇を持て余した俺が小早川秀秋とは正反対に仕事を求め始めると、皆は違和感を明確に持ち始め、その度に矛盾が無いように少しづつ作ってきた言い訳という設定がこれだ。



「三成は俺が元服した歳を憶えているか?」

「勿論に御座います。七歳の時でした」

「通常、元服といったら十五歳。早くても、十二歳か、十三歳。

 それを俺は七歳か…。どう考えても早すぎね? 無茶苦茶が過ぎるだろ?」

「で、ですが…。そ、それは当時の複雑な事情が有りまして…。」

「うん、今ならそれも解る。

 でもさ……。俺、凄い嫌だったんだよね。

 あっ!? 元服がじゃないぞ? もう一人前だって、酒を接待で飲まされるのがだ」

「まあ、子供が酒を飲んでも辛いだけですからな」

「それが解っていたなら止めろよ。

 お前、下戸だろ? 辛さを一番解っているお前が止めないでどうする?」

「い、いや…。そ、それは…。そ、その…。ひ、秀吉様が…。」

「そう、その秀吉様だ。

 俺が接待はもう嫌だと、酒は飲みたくないと泣きついた時、秀吉様がこう言ったんだ。

 今は解らなくても良い。

 だが、儂のこの言葉は心にしかと刻んでおけ。

 酒は人の口を滑らかにする薬。

 酒を飲めば、どんなに口が固い者でも心に秘めたモノをポロリと漏らす。

 しかも、その者は漏らした事を憶えていない。

 これほど都合の良い薬は他に無い。…よいか、酒は飲んでも飲まれるな。上手く飲むんだ」



 豊臣秀吉は稀代の英雄である。

 日本史史上、農民から関白までたった一代で成り上がり、臣位を極めた存在は後にも先にも豊臣秀吉一人のみ。


 しかも、ここは戦国時代。現代とは違う。

 豊臣秀吉の名前を日本史で必ず習うにも関わらず、その有り得ない偉大さがいまいち伝わっておらず、テストの為に憶える名前にしかなっていないが、ここでは二年前に亡くなったばかりで鮮度がとても高い。


 ましてや、小早川秀秋は豊臣秀吉の養子。

 幼い頃は豊臣秀吉の奥さん『北政所』の手で育てられている為、親子でしか知り得ない逸話を持っていてもおかしくない。

 それをあたかも遠い昔を思い出すように天井を見上げながら語れば、そこに説得力が生まれる。これぞ、名付けて『秀吉マジック』だ。



「おおっ!? 金言ですな!

 酒は飲んでも飲まれるな! 実に素晴らしい!」



 懐に戦国時代の携帯筆記用具『矢立』を忍ばせていたのか。

 視線を天井から下ろすと、石田三成が自分の着物の袖に俺が言った言葉を書き記している。


 さすがは豊臣秀吉信者の石田三成といえるが、その姿にちょっと引く。

 もしかしたら、豊臣秀吉の言葉を収録した語録を作っていそうで怖い。



「まあ、それで……。いつだったかな?

 三成、お前の屋敷へ秀吉様の使いで壺を届けたのって」

「壺? ……で御座いますか?」

「そうか、そうか。あの時、酔っ払っていたから憶えていないんだな。

 ええっと…。名前は何だったかな? ほら、愛染明王の愛を兜の前立している奴!」

「兼続? 直江兼続ですか?」

「そう! 直江兼続だ!

 お前が珍しく酒盛りを交わしていてな。

 何故、市松も、虎之助も解ってくれないんだ! 昔は上手くやれたじゃないか!

 ……ってさ。おいおいと泣きながら愚痴って、直江兼続を随分と困らせていたんだよ」

「そ、それはお恥ずかしいところを…。」



 言うまでもなく、これも作り話。

 但し、石田三成が下戸なのは誰もが知る事実なら、石田三成と直江兼続の二人が親友同士なのも誰もが知る事実。


 つまり、嘘の中に真実を混ぜて、説得力を生ませるテクニック。

 石田三成の下戸度合いは調査済み。稲葉のおっさん評は『一口で顔を火照らせ、二口で千鳥足、三口でひっくり返る』であり、大袈裟さを差し引いても、これは酒にかなり弱いと考えて間違いない。


 恐らく、石田三成は一人で過ごしている時は酒を嗜もうとしないだろう。

 しかし、気心が知れた親友と一緒なら違う筈だ。有史以来、酒は娯楽であり、コミュニケーションツールでもあるのだから。


 事実、全員が鵜呑みにしたし、当の本人も信じ切っている様子を見るにバレる心配は要らない。

 唯一の欠点を挙げるとするなら、嘘の為に石田三成を利用して、笑い話ともいえる悪評をばら撒いている点に良心がちょっと痛むところ。


 ちなみに、市松は福島正則の、虎之助は加藤清正の幼名を指す。

 どちらも石田三成憎しで今回の東西分けでは徳川家康の陣営に加わっている。

 豊臣秀吉の親族で石田三成を加えた三人は時をほぼ同じくして仕えており、元服前の小姓時代を共に過ごしている以上、当時は幼名で呼び合っていた筈だし、つい昔を懐かしんだ時は幼名が出てくるだろうという予想を加えている。



「だけど、そのおかげで秀吉様が何を言いたかったのかがようやく解った。

 だって、そうだろ? お前達の不仲は有名だ。

 俺だって、お前達がいがみ合っている現場を何度も見ている。

 もっとも、お前はいつも澄まし顔で相手にしていなかったけどな。

 でも、そのお前が二人の幼名を呼んで泣いている姿を見て、気付かされたよ。

 ああ、三成は正則と清正の二人と仲直りがしたいんだって、それが本心なんだってね」

「ははっ…。何が悪かったんでしょうね」



 石田三成が視線を伏して、乾いた笑みを漏らしながら肩を落とす。

 研究が重ねられた歴史的事実を知るからこその解き明かしだったが、その哀愁が漂いまくる姿に心が酷く痛む。


 実を言うと、嘘を信じ込ませる作り話はまだ続くが、それを語っても良いかを激しく悩む。

 語ってしまったら、石田三成をより深く傷つけてしまうのを解っているだけに。



「そこまで明かして頂けたのなら理解に及びました。

 つまり、秀秋様は『うつけ』を演じていたので御座いますな? かの信長公のように」



 そんな俺の葛藤を見抜いたのか。石田三成の姿に黙っていられなくなったのか。

 暫く黙って聞き役に徹していた大谷吉継が声を発し、それこそが正に俺が聞き役に求めている秀吉マジックの要約だった。




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